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2006/12/15

「薬の町 高取町」を通った。
その時まで「高取町」も「薬の町であること」も全く知らなかった。

・高取町:奈良県高市郡高取町
・近くには明日香村や吉野町がある。
・古代から近くの高取山に高取城があってその城下町として栄えた。
・その城は三大山城の1つで現在は国指定史跡としての高取城跡がある。
・明治になり城下町ではなく、古代よりゆかりのある「薬の町」となって発展した。
・万葉の昔からこの近くの山域には薬になる動植物が生息していた。
・飛鳥の宮廷行事として「薬狩り」が行われていたという記録も残っているようだ。


私がここを訪れたのは、近くにある「壺坂寺」へお参りかたがたハイキングをするためだった。

近畿鉄道吉野線の壺阪山駅で下車して歩き出すと、しっとりとして落ち着きのある歴史のありそうな町並みに入った。
それが高取町の昔のメインストリートだったようだ。(土佐街道の1つだった?)


現在の町並み

看板に書いてあった
昔の町並み

この道は花崗岩の一種の石が敷き詰められている。
立派な道路だなあと思う間もなく、私の目に入ったのはそこに貼り付けられているタイルだった。



私は以前から町の中を歩いている時マンホールや水道のふたなどに彫られている模様を見るのが好きだ。
それぞれの町の特徴を表しているものがあると思わずカメラを向ける。

あるとき、兵庫県宝塚市を歩いていたらスミレの絵の蓋があった。
「ははあ、『スミレの花咲く頃』の歌か。さすが宝塚市だ」
と感心して思わずスミレの歌を口ずさんだことがあった。



この町で見たものは マンホールなどの蓋ではなく 30cmもありそうな大きな絵のタイルだった。
人はこの絵のタイルを惜しげもなく踏んで歩くというのだろうか。
薬の町にふさわしい薬草の絵であった。

まず「町の木」と「町の花」

次が今まで見たこともないような薬草の絵、しかも薬効まで書いてある。

このメインストリートをそのまま行けば高取城跡に行かれるようだが、
私たちは壺坂寺を目指し、横道に入った。
そこでも 薬の町にふさわしく小さな薬の神社があり、
また一見普通の家なのに薬の会社の表札を掲げている家があちらこちらにあった。


小さな薬の神社

町の中の
小さな薬会社

また 町の中に「薬膳料理」のレストランがあったので入った。
薬膳定食のようなものを食べたがこれと言って珍しいものではない。
他に「チョウセンニンジンのてんぷら」があると言うので注文した。
太目のチョウセンニンジンを丸ごとてんぷらにしたもの。太さが直径3cmくらいあった。

この高取町とチョウセンニンジンとは どんな関係があるのだろう。
チョウセンニンジンは古代からこの近くに生えていた訳ではないが「薬膳料理」の一品として使われたのだろう。
でもおいしかったから余計なことは考えないほうがよい。


チョウセンニンジンのてんぷら




この町で聞いた話では
ここの「薬売り」は歴史が古く、「富山の薬売り」よりも古いという。
どちらが古いかわからないが、どちらも歴史があることは確かだろう。
ネットで調べたら「いつごろからかは 不詳だが江戸時代終わりごろにはすでに行われていた」とのことだ。

ただ 私が生まれ育ったのは関東地方で、子どもの頃、薬屋さんが「置き薬」といって薬を置いていった。
その薬屋さんを「越中富山の薬屋さん」と母が言っていた。
「高取町の薬売り」とは聞いたことがなかった。

どちらが古いかは私には関係ないので、歩きながら、
「なぜこの2つの地域に薬の産業が発達したのだろう」
と考えていた。
共通点は近くに奥深い山地があるためだろう。と思った。

こちらは吉野山や紀伊半島の大峰山脈など。
一方富山には後に北アルプスが控えている。
どちらも薬草を見つけて分け入るには都合の良い地域であろう。



などと自分で結論を出して歩いていると、壺坂寺近くの奥深い山道も簡単に登ることができた。
しかし杉林が多い上に冬の時期だったので 期待したほどの植物は見られなかった。



壺坂寺には 伝説のお里・澤一の「壺坂霊験記」がある。
そのご利益にあやかってお寺の売店で「目薬」を売っていた。

薬の町とどのようなつながりがあるのか知らないが、目は大切にしなければ と その薬を買って、山を降った。



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