BOOK LAND 13



美術論集
アルチンボルドからポップ・アートまで



ロラン・バルト

ROLAND BARTHES

みすず書房 ¥1800(当時)


<記号学>
記号学〜構造主義〜ポスト構造主義のスーパースターだった学者ロラン・バルト
(1915−1980)による”美術論”を集成した本。ちなみに記号学とは言語学者
ソシュールによって提唱された学説で、それによると人間が使う言語は最も高度な
”記号”である。記号(シーニュ)は、SA(シニファン=指示部、能記)とSE(シニフェ=
対象、所記)により構成される。言語のシニファンとシニフェの結びつきに必然はなく、
他の要素との関係によって決まるというもの。バルトはこの記号学を応用して、様々に
思想展開している。 この本で取り上げたのはマサン、エルテ、アルチンボルド、サイ・
トゥオンブリ、フォン・グレーデン、ポップ・アート(アンディ・ウォーホル)、レキショ・・・
といったアーチストで、彼らの絵画を記号学的側面から論評している。


<ポップ・アートは芸術か?>
最近アンディ・ウォーホルが気になる僕には、この本のポップ・アートの事を書いた箇所が
面白かった。ポップ・アートはシュールレアリスムのオブジェの概念を徹底させたものだ。

 ”芸術とは破壊されるべきものである - これは「現代」の多くの実験に共通する命題だ。
(略) たとえば、写真は、長い間、絵画の前で小さくなっていた。今日でもまだ絵画の
貧しき縁者だと思われている。ポップ・アートはこの偏見を揺り動かした。写真は、しばしば、
ポップ・アートが提供する映像の源泉となる。(本文より)”

”くり返しは文化の一特徴である。つまり、くり返しを目印にして文化の類型学を提起する
ことはできる、と私は言いたいのだ。大衆文化、あるいは、非ヨーロッパ的文化はくり返しを
容認し、そこから意味と悦楽とを引き出す(今日では、反復的音楽とディスコのことを考えて
みるといい)。(略) ウォーホルは同一のイメージの連続やわずかな色の違いしかない
イメージの連続を見せる。 これらのくり返しの目指す所は芸術の破壊だけではない。
(略) ウォーホル的主体は自分自身のうちにある時間の悲劇性を廃棄する。(略)
ポップ・アートにとっては、事物が<完成されている>ことが重要である。しかし、事物を
終結させること、作品に運命(誕生、生、死)の内的組織を与えることは重要ではない。
(略) くり返しはまた別の仕方で人格を混乱させる。同一のイメージを増殖させることによって、
ポップは「分身」のテーマ、ドッペルゲンガーのテーマを再発見する。これは神話的な
テーマだ。しかし、ポップ・アートの産み出すものの中では、「分身」は無害である。(本文より)”

確かにアンディ・ウォーホルのマリリン・モンローのくり返しは、始まりもなければ終わりもない。

”ところで、大衆文化においては、事実はもはや自然界のものではない。事実として現れるものは
ステレオタイプである。万人が見、万人が消費するものである。ポップ・アートはその再現行為の
統一性を、ステレオタイプと写真映像という、それぞれに極端にまで押し進められた二つの形式の
過激な結合の中に見出している。(本文より)”

ポップ・アートは芸術を破壊しようとするが、芸術は追いついてくる。なぜか?

”所記(シニフェ)を、したがって、記号を廃絶しようとした。しかし、能記(シニファン)は存続する。
(略) まず第一に、ポップ・アートは、非常にしばしば、知覚のレベルを変える。(略)
ところで、大きさが変わると芸術が現れるのだ。 (略)

次に、多くのポップ・アートの作品においては、対象の背景となっている地、あるいは、対象自体
をなしている地が大きな存在感を持っている。網目の重要性だ。それは、おそらく、ウォーホルの
所期の実験に由来するのだろう。 (略)

もう一つの強調、それは色彩である。 (略) ポップ・アートの色彩は考えられている。スティルに
従っている、とさえいってもいい。 (略) 色彩、そして、物質(ラッカー、石膏)でさえもがポップ・
アートに意味を与え、その結果、ポップ・アートを芸術にする。 (略)

ポップは芸術である。なぜなら、それが一切の意味を断絶し、平板なままの事物の模写しか
認めないようにみえるその瞬間、ポップは固有の手法、一つのスティルをなす手法によって、
事物でもその意味でもない対象、しかし、事物の能記(シニファン)である対象、あるいは、
むしろ、「能記(シニファン)」である対象を登場させるからである。詩から連続漫画、あるいは、
エロティックな絵画に至るいかなる芸術も、視線が「能記(シニファン)」を対象とする瞬間から
芸術として存在する。(本文より)”

フムフム、いろいろな事物がポップ・アート固有の手法によって記号化され、芸術になるわけだ。

” - したがって、結局、現代の事物はもはや決して(「自然」によって)生産されるのではなく、
ただちに<複製(再生産)>されるのである。複製こそ「現代」の本質である。(略)

対象を<平たく>することは対象を隔てて置くことである。しかしまた、この距離がどのように修正
され得るかをいうことを拒むことでもある。冷たい不安が群集社会(大衆の社会)の密度を乱す。”








by TETSUYA TSUKADA




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