マルチメディア研究(画、音、空間の構成・創出について)
温故知新、旧メディアを通じて新しいマルチメディアのあるべき姿を模索する。
漫画について
マルチメディアを簡単にいうと画と音をコンピュータで表現するメディアであるといえる。
一方、漫画はマルチメディア登場のはるか数百年も前からある旧メディアである。
漫画には制約が多い。それは紙を媒体とした2次元的な表現形式であり、
漫画には画はあるけれど音を伝えることはできない。その代わり擬音や擬態語を
絵文字で表現する。登場人物がしゃべる音声も吹き出しを利用する。
漫画の動きに関しては動線、残像効果を使ってあたかも動いているかのような
迫力のある動きを演出する。
数々の表現上の制約があるにもかかわらず、漫画は子供から若者にかけて絶大な支持を得ている。
流行や思想、若年層に与える影響力も大きいようだ。
週刊誌にして、いまも数百万部と巨大な市場を持つという。
ことわざに一日の長というのがあるが、漫画の100年の長というのはさすがに大きい。
これからそのことについて書いて行こうと思う。
漫画の研究
漫画を読むのは十年ぶりだが、事情があって漫画を研究しなければならなくなった。
このような浦島太郎的な読者が今の漫画を読むとどうなるか以下に解説してみよう。
「はじめの一歩」森川ジョージ
この漫画は手塚治虫のサインも持っているという漫画好きのタクシーの運転手さんに
面白い漫画として推薦していただいた本である。
あらすじ:いじめられっ子の高校生が殴られているところをプロボクサーに助けられる。
少年は強くなろうとしてボクシングジムに入門する。プロの厳しさも学びながらも
たくましく成長をつづける。ボクシング・スポ根漫画
ボクシングの漫画といえば有名なのが、「あしたのジョー」だが、20年の歳月を経て、ボクシング漫画はどう変わったのだろうか?
「はじめの一歩」の主人公はどこにでもいそうな平凡な心やさしい高校生であって、ジョーのように少年院から出てきたハングリーむき出しの少年とはだいぶ事情が違う。今の日本ではハングリー精神など読者に何の共感も与えはしない。そこで作者は主人公の設定を等身大の人間にすることにしたのだろう。話の節々にジョークが盛り込まれており、あしたのジョー的な暗さはあまり感じられない。
舞台は都会のボクシングジムであって、泪橋のバラック小屋のジムとは大違い、「あしたのジョー」からすれば大変恵まれたボクシング環境である。
あと「はじめの一歩」ではボクシングの技術論的な話がどんどん登場するので読んでいくうちにボクシングの知識が自然と身につくようになっている。この辺が違いである。
「はじめの一歩」ではエディ・タウンゼントに似た老トレーナーが登場するが、実際にエディ・タウンゼントがモデルになっているのだろうか?漫画に詳しくないのでその辺のところは不明である。
漫画を読んでいると、どうも作者はこの老トレーナーと一歩少年のやりとりを描きたかったのではないかと思われてくる。なぜかというと、なんとなくそう感じるからであって、特に意味はない。しかし、1巻につきほぼ一回の割合で老トレーナーの名言が登場するのだ。
不器用な一歩をみて
「ナワとびでのコトもそうじゃが お前が不器用なのはわかった。
しかしワシはお前に器用なコトは望んでおらん!
足を使える巧いアウトボクサーになれとも言わん!!」
「小さくまとまったボクサーなどなんの魅力もないわっ
テクニックなんぞ力でねじふせろ!!」
「お前の拳にはそのパワーがある どうじゃ?やってみるか?」
(第1巻より)
出血でTKOの危機
一歩のプロデピュー戦、山田の右フックで一歩は左目上を切り、出血する。出血でTKOの危機に
しかし、老トレーナーは的確な止血テクニックで一歩の止血に成功する。
「ふん!血を止めるのはカットマンの仕事よ
しかし傷を打たせず それ以上傷を広げぬようにするのはボクサーの仕事じゃ!!
長丁場になればいつまた傷が口を開けるかわからん
そうなる前に倒すしかない
山田のダメージも相当なもののハズ
次の3Rめで勝負じゃ」
(第3巻より)
よい資質を持ったボクサーにめぐり合わせ、将来の夢を一歩に見ている老トレーナー
これが作者が読者に伝えたかったことではなかったか?
90年代を代表するボクシング漫画として一読をお勧めする。(2000年7月17日掲載)
補遺 漫画における奇跡の記述
一日3冊ほどのペースでこの漫画を読みつづけとうとう第36巻まで到達した。
現在50数巻まで出ているのであともう10数冊で連載まで追いつく。
36巻までくると、一歩は日本フェザー級チャンピオンを獲得していて
もはや一歩と老トレーナーとは以心伝心の関係となり
セコンドから一歩にかける言葉も少なくなってくる。
それを補う形で一歩のライバルたちが原作者のボクシングに対する想いを語るようになる。
一歩の好敵手宮田が東洋太平洋タイトルマッチの挑戦者としてチャンピオンのアーニーに
挑むが、アーニーには宮田得意のカウンターは歯がたたず、体力を消耗しつくす。
もはや次のラウンドで玉砕覚悟でいるとき、
父親であるトレーナーが宮田にボクシングにラッキーパンチはないのだと告げる。
宮田の父はかつて現役時代にこのタイトルマッチでラッキーパンチを食らい現役を去ったのだが...
はじめの一歩 第36巻より
宮田の父「ボクシングにラッキーパンチはない!!」
「結果的に偶然当たったパンチにせよ それは練習で何百何千と振った拳だ」
「その拳は生きているのだ」
「試合を投げて適当に振ったパンチなど決して当たらん」
「当たったとしても死んだ拳では人は倒せん」
「現役のときラッキーパンチに泣かされ嘆いた時もある」
「しかしそれは間違いだった」
「選手を育てる立場になってようやく気づいたよ」
「ある者は名誉のため ある者は金のため 様々な理由のために辛い練習を耐えぬく」
「何千何万とサンドバッグを叩き 思いのたけ全てを両の拳にこめる」
「最期の最期まであきらめない そういう生きた拳こそが奇跡を生むのだ!!」
セコンドアウトのコール 勇気付けられた宮田がリング中央へと出て行く。
宮田 「ありがとうお父さん」
「あとは見ててくれ 俺の拳が生きているかどうか!!」
いままでのスポーツ漫画では魔球や必殺技でピンチを切り抜ける
信じられないような光景が幾度となく描かれてきたではないか。
しかしこの漫画の原作者は違う。
ボクシングに偶然、ラッキーパンチはないのだと述べている。
どうやら最期の最期まであきらめないそういう気持ちがこの漫画を
駆動する原動力のようである。(2000年9月2日)
信長 作 工藤かずや 画 池上遼一
歴史漫画の最高峰、そして著作権問題
1989年7月に5巻が発売されたこの漫画、私が最後に買って読んだ漫画でもある。
本棚から出して読んでみたが2000年の今読んでもまったく古さを感じなかった。
あらすじ:うつけと呼ばれた信長が「天下布武」を旗印に進軍する。信長の前に本願寺や比叡山などの宗教勢力、あるいは強大な大名、あの手この手で謀略を仕掛けてくる足利義輝将軍などなど
つぎからつぎへと難敵が現れ、これと対峙し、撃破してゆく。
2000年の日本の政治状況をみるとどうだろう?
いまだに長老と呼ばれる人々が政党の人事権を牛耳り、税金を効率的に配分せず、増税しか考えず、
国の財政をひたすら悪化させている。
古い価値観、旧勢力を一掃してくれるような織田信長のような人が現れたら、
どんなに日本はよい国になるだろうかと考えている人はいないのだろうか?
そのような方々にはこの「信長」を読まれることをお勧めする。
この漫画で面白いのは古いものと新しいもの、物質中心と精神中心あるいは栄えるものと滅びゆくもの、こういった異なる価値観のぶつかり合いである。
第三巻の信長が比叡山を攻撃し、根本中堂へ侵入しようとしたとき、高僧が財宝の持ち出しと自分が逃げ延びることばかり 考えているのに一人の僧兵は伝教大師が灯したという「不滅の法燈」を守ろうとする。
若狭坊厳空 「もはや根本中堂へ寄せる信長軍を止める事は出来ませぬ!」
「なにとぞ、なにとぞ伝教大師、自らが灯された「不滅の法燈」を一刻も早く安全な場所へ移されますよう!」
叡山高僧 「馬鹿者、法燈はまた灯せる!」「しかし、千二百年かけて蓄えた叡山の財宝は灰にしたなら二度と再び手にする事は出来んわ!」
若狭坊厳空 「この火が消える時 即ち、この世の終わり!仏の教えある限り 人の世の続く限り この法燈を護るべし!」
「と説かれた大師様の教えを何と心得まする!」
叡山高僧 「我らが死んで何の法燈ぞ、これらの金銀財宝があれば、寺はいくらでも建つ!」
若狭坊厳空 「おのれ、そこまで腐りきっておったか!火急の時でなければ その素っ首、この場で打ち落としてくれるところだわ!」 「ええィ、もう頼まん!法燈はわしが護り通してくれる!」
厳空は法燈を密かに持ち出して瑠璃堂に安置した後、壮絶な最期をとげる。
高僧が「法燈はまた灯せる」というのもたしかにその通りであり、また読者は
厳空の大師の教えを護ろうとする一途な気持ちも理解できるのである。
第5巻ではイエズス会フロイス司祭が信長に地球儀を献上し、
信長は地球が丸く海の彼方に大きな国があることを知る。
信長「これは、何をするものじゃ!」
フロイス「ここが日の本にございまする。」
信長「・・・・・・」
フロイス「大殿のいます岐阜は、さらにこの中の一点のこのあたり!」
信長「これは、われわれの棲む世界をあらわすと申すか?」
フロイス「さようにございまする。われわれの故国ポルトガルは、ここ!」
「その間に広がる広大な大陸はアジア、ヨーロッパと申しまする。」
「そして・・・・・・これがアフリカ!」
信長「・・・・・・・・・世界は丸く、わが日の本以外にこのような広大な国々がある!?」
今までの漫画になかった数々の感動的なシーンを打ち出しながらも、
学研の歴史群像シリーズのカットを無断使用したことが新聞記事となり、
突然、あっけない連載打ち切りとなる。
第何巻であったか途中で販売店から回収され姿を消した。
問題の画は歴史群像シリーズも読んでいたので
たしか火縄銃を撃つ構図だったと推測される。
結局、本編は本能寺の変まで描かれることはなかった。
織田信長の突然の死を連想させるような幕切れでもある。
影武者のカットをあちこち使用して黒澤監督が文句を言ったならわかるのだが、
学研の歴史群像シリーズは図鑑のような著作物であり、いまから思うと事後承認すれば連載打ち切りにするほどの問題はなかったと思う。
信長というまったく同タイトルの大河ドラマを放映してもまったく問題とならなかったのにである。
このドラマは宣教師の視点からみた日本というこの漫画と似たような部分も含まれていた。
締め切りに追いまくられると資料を自分で集めることがきびしくなってくることだってありえる。
特に原作者が別だと漫画家のところに原稿がくるのが遅れてしまうケースだって想定される。
漫画家は著作権についてよくよく心に留めておかないといけないのだろう。
歴史登場人物の緊張感あふれる動きはそれまでの漫画にはなかったものであり、
史実をところどころちりばめ、そこから漫画流にダイナミックに飛躍するストーリー展開は特筆に価する。
この漫画を超えるような歴史漫画が登場したら教えていただきたい。
バカボンドという宮本武蔵の漫画も売れているらしいが、天才バカボンからヒントを得たのだろうか?
タイトルを見ただけで読む気もおこらなかった。
教訓としてはライバル会社の画は使わないことで特に劇画は注意が必要である。(2000年7月20日)
左信長五巻、右影武者(以前の劇画には映画などのカットがかなり無造作に使用されていることもあった)
まんが道 作 藤子不二雄 1984年
漫画の黎明と発展
あらすじ:第二次大戦敗戦で廃墟と化した日本、二人の漫画好きの少年が
出会い、手塚治虫の漫画に大きな影響を受ける。
二人はプロの漫画家になることを誓い、まさに、まんが道を突き進むのだった。
時計の針を昭和20年代まで戻してみよう。
手塚治虫以前の漫画は「のらくろ」のように演劇や映画の定点撮影に近いコマワリを使用していた。
手塚治虫の「新宝島」は映画的なズームなどの手法を採用することで読み手が感じるスピード感が増した。
漫画の題材もSFや冒険物など当時としては斬新なもので藤子不二雄のような漫画小僧たちは衝撃を受けたはずである。
まんが道第1巻にはその手塚漫画を読んだときの神聖であり、衝撃的な感動が描かれている。
手塚治虫は漫画だけにとどまらず、鉄腕アトムなど30分枠の連続放映アニメを開発し、日本アニメ文化のレールを敷いた。
ブルースリーがいなければカンフー漫画の北斗の拳もだいぶ変わったものになっていたように
手塚治虫がいなければおそらく日本の漫画、アニメーションもずいぶん変わった進化をとげていたはずで
その場合、おそらくアメリカのコミックの影響をずっと強く受けていただろう。
漫画の冒頭で作者は語る。
「これは
漫画の持つ
不思議な魅力に
とりつかれ、
まんがに
自分の未来を賭けて
まんが道という、
終わりない道へ
踏み込んだ
ある、ふたりの少年の
物語である。」
若さとは驚異的なものである。藤子不二雄たちがその後、
「ドラえもん」「オバケのQ太郎」「パーマン」「忍者ハットリくん」
で商業的にも大成功を収めたのは有名なはなしである。
それから50年経過した2000年現在の漫画を取り巻く状況はどう変化したのだろうか?
漫画の持つ不思議な魅力にとりつかれているような少年はいるのだろうか。
さらに自分の未来を賭けても漫画に取り組む価値があると考える少年がいるのだろうか。
これは単にメディアというものに寿命があるとすれば漫画の寿命がすでに尽きかけているのかも
しれないし、そうでないのかもしれない。
さて、漫画の歴史で起こったことをそのままマルチメディアに当てはめてみることが適当かどうかわからないが、
おそらくマルチメディアはまだ黎明期すら迎えていないように思われる。
しかし、どのような形であれ、コンピュータの発達とともにマルチメディアが
今以上に発展することに疑いの余地はない。
今後、手塚治虫のような革命的な才能が登場し、マルチメディアの進むべきレールを敷いてくれるのか?
そう遠くない将来、商業的にも成立するようなマルチメディア作品、あるいはマルチメディア市場が形成されるのか? また、かつての漫画のごとくマルチメディアに自分の未来を賭けるだけの価値があると考える少年少女が出現するのだろうか?
そのようなことは教科書にもどこにも記されていない。
マルチメディアはいまだ右も左もわからない赤子のようなものである。(2000年8月20日)
創作とは何か? 手塚治虫の研究
「巨星が残した断片 その1 」
日本漫画界の巨星、漫画手塚治虫のプロフィールを見てみよう。
大正15年11月3日生まれ、(のちに昭和三年と判明)
兵庫県宝塚市出身。大阪大学卒業、
東京在住。
「代表作」ジャングル大帝、火の鳥、鉄腕アトム、ハトよ天まで等多数
巨匠が亡くなってから10数年、半世紀近く日本漫画界を牽引し、
漫画、アニメーションの革命を引き起こし、名作と呼ばれる多くの作品を残した。
手塚漫画の本質は暗い
漫画の根底流なるものを仮定し、大別すると明るいものと暗いものに分類できる。
何事も単純な2元論で説明のつくような簡単なものではないことはよく承知しているが、
それは精神のベクトルの向きが自分の外へむかっているか中へ向かっているかの違いである。
精神ベクトルが外へ向かうとき主人公は好奇心を爆発させて前人未到、未知の世界へ冒険の旅に出る。
また、精神ベクトルが内へ向かうと身の周りで起る理不尽な出来事に胸を傷め、
自分の力不足の自責の念「なぜ?」の問いかけに上手く答えが出せず、
主人公は物語のクライマックスまで苦しむことになるのだ。
21世紀の科学技術の粋を結集させて作り出されたスーパーロボット
鉄腕アトムもロボットである自分のいるべき場所、
存在意義に疑問を持つようになり、視聴者にさようならと言い残して
最期は核廃棄物処分場としてもっとも最適な太陽に突っ込んでしまう。
自虐的、自滅的これこそが内向性精神ベクトルを持つ漫画のモチーフではないだろうか?
手塚治虫もそのことについて肯定している。
トム 先生の作品には、ヒューマンな温かさがありますね。
全体的なトーンとして、優しさが感じるのですが。
手塚 そうでもありませんよ。ものにもよるでしょ。
「ブッダ」に関してはともかく。「MW(ムウ)」とか、
「きりひと賛歌」なんていうのは優しくないし、「ブラック・ジャック」
だって、優しいのと優しくないのがあります。
わりあいと冷たいのがありますよ。
もともと資質としては暗いんです。
トム そうでしょうか。
手塚 だいたい暗いものになってしまいますよ。
ただ、子どもものを描く時には、意識して無理に明るさを出したりしています。
全体には暗い、わりと地味なものが多い。
たとえば映画の「火の鳥2772」でも、火の鳥がたたかうところ以外は、
どちらかといえば地味でしょう。あれがぼくの資質なんです。
それに派手なものをつけているわけで、放っておいて、勝手なものを描かせたら、
すごく地味になってしまいます。
子ども向きの作品を描く時は、子どもは暗いものは読まないだろうと思うのね。
だから、やむをえず明るいものを描いている。
それは、妥協というか、サービスなんです。
(月刊コミックトム5月創刊号1980年 トム・インタビュー 手塚治虫大河ドラマ「ブッダ」を語るより)
トムのインタビューワーが先生の作品にはヒューマンな温かさがありますねなどと浮いたようなことを
言ったのでかなり熱くなって「俺の漫画は暗いんだ!」と力説されている。
しかも子ども向けの漫画は無理して明るくしているんだよと不満げに語っている。
自分の作品の根底に流れるもの自分の性格の本質といったものを正確に自覚することも
クリエイターにとって不可欠であろうかと思われる。
(2000年8月26日)
修羅の門 作 川原正敏 月刊少年マガジン、1987〜1997年全31巻
格闘漫画、主人公は何のために戦うのか?
前述の「はじめの一歩」は54巻全部単行本を読んだので次に挑戦したのがこの漫画である。
あらすじ
陸奥九十九という謎の18歳の少年、千年の歴史を持つ日本の古武術「陸奥圓明流」継承者であり、
史上最強となるため、強者を求めて空手道場神武館に突然現れる。
九十九の目的は「陸奥圓明流」が史上最強であることを世に示し、
自分の代で殺人拳の歴史を終わらせることであるという。
第二部全日本異種格闘技選手権、第三部世界ヘヴィ級統一ト−ナメント、
第四部ヴァ−リトゥ−ドと九十九は数々の格闘家と死闘を繰り広げる。
空手、相撲、ボクシング、プロレス...格闘技にはたくさん種類があって
さらに星の数ほどの所属団体がある。
いったい、どの格闘技が最強なのか?はたして誰が史上最強の格闘家なのか?
こういった素朴な疑問がこの漫画のバックグランドとしてあるのではないだろうか。
現実問題として一試合何億円もファイトマネーを稼ぐ現役ヘビー級チャンピオンが
選手生命を危うくするような危険な異種格闘技戦などに出場するわけがない。
しかし、現実を超越し、見果てぬ夢も実現してしまうのが漫画の偉いところである。
陸奥九十九は170センチ66キロとヘヴィ級の体格からほど遠いにもかかわらず、
名トレーナー、テディ・ビンセントらの力もかりて世界ヘヴィ級統一ト−ナメントに
出場することに成功する。(テディ・ビンセントは九十九に「スタンド・アンド・ファイト」としか
言わなかったのであるが)
宇宙戦艦ヤマトの波動砲に似た衝撃波で相手を倒す技とかちょっとついて行けない
ところもあるが、ボクシングスタイルで関節技をきめるなどのアイデアもおもしろいし、
また現実の世界で起こった高田VSヒクソンなどの出来事など
この漫画が時代の先取りしていて、大変先進的なところがある。
また、登場人物も大変ユニークで龍造寺徹心が一撃必殺の空手の理想を追求しようとして
片目を失う場面など大変感動的である。
ところが第四部も終盤にさしかかったところで作者のもとへ一通のファンレターが届いた。
「レオン・グラシエ−ロをなぜ殺したのですか?殺人者が最強であるなどと言わないで欲しい」
このファンレターを受けとり、川原氏は衝撃を受けたという。
いままで精神をすり減らし、十二指腸潰瘍の出血にも耐え、十年間に渡って
「修羅の門」を描きつづけてきた...
ヴァ−リトゥ−ド大会の優勝賞金でスラム街の孤児を救おうとしているレオン・グラシエ−ロ神父は
決勝戦で九十九と戦って敗れるのだが、ここでは病院の一室で孤児たちに囲まれながら神父の意識が
回復する展開も十分考えられたところである。
しかし、作者というものはその場、その場で最善の展開を選ぶのであって
登場人物にも人格、運命というものがあるのだ。
そうなってくると登場人物を勝手に動かすことは作者にすらできなくなってくるのではないだろうか。
ある瞬間、神父を救えたかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
作者もこの作品の中で「真実は瞬間の中にある」と言っている。
漫画といえども結果というものは最後の瞬間まで作者にすらわからないものなのかもしれない。
結局、このファンレターがきっかけで十年続いた「修羅の門」は連載に終止符をうったといわれている。
やはり、ペンは拳より強しということだろうか。
今後、連載を再開したとき九十九は18歳のままなのだろうか。
九十九が激しく負傷しながら闘い続ける理由を聞かれていつも「大馬鹿だから」と答えている。
今後、31巻を超えて闘いつづけるには作者も含めて、さらに大馬鹿にならなければなるまい。
そして、この漫画を読んで「人を殺す経験をしたかった」などと語る少年が
出て来てもらわないことを祈る。(2000年11月4日)
参考
応仁の乱以降、徳川家康が豊臣家を滅ぼすまで日本では百年以上戦乱状態がつづき
この間、実戦的な護身術、剣術、兵法が進歩した。
柔術を始祖とする柔道にしても関節を破壊するおそれのあるような危険な技は排除されたが、
襟をしめて相手を落とす(気絶させる)技などは残存している。
(柔道でしめ技を習っているときなぜこんな技がスポーツなのかと疑問に思ったことがある。
他のオリンピック競技で首をしめる技などないと思う)
さて、武芸家たちも己の剣術理論の正しさを立証するために宮本武蔵、塚原ト伝なども
たびたび真剣試合を行っている。(注:五輪の書など)
また剣術家の中には生死の境を越えなければ剣の真理、奥義を体得することはできない
などと語っている。
「修羅の門」では都を護る四つの門の名称の技を生死を賭けて自ら開くことで
真理、奥義を体得するということが大きなテーマである。
しかし、真剣試合は現代の法治国家の世の中では起こり得ない。
だから作者は漫画の上でそのことを実現しようとした。(2000年11月5日)
コブラ 作 寺沢武一 集英社 全10巻 1979年
「天才と日本の教育の問題点」
寺沢武一氏はわずか20代で彼の代表作「コブラ」を紙の上に築き上げた天才である。
浪人中のコミック投稿がプロになるきっかけというから、世界を代表する”寺沢”を発掘できなかった日本の教育制度にどこかしら問題があったことは明白である。
この北海道出身の天才マンガ家は上京して1年ほど手塚治虫に執事したのち、すぐ独立してコブラを執筆しているのだ。
コブラのストーリーおよび画は非常にエンターテイメント性に富んでいる。画は説明するまでもなく、美しく、非常に上手い。
ボンドガールのような欧風の美女が次から次へと宇宙盗賊コブラの前に現われては謎を残して行く。
そして、コブラは宇宙を駆け巡り、左手に仕込まれた強力な精神波銃、「サイコガン」を撃ちまくりながら敵を倒し、謎を解く。
読者は不死身の男、コブラが死なないことがわかっているのだが、どんどん読み進んでいってしまう。
この作品にはそれだけの”不思議の国”誘導磁場の構成能力がある。
コブラの命を狙う数々の賞金稼ぎ、コブラ宿命のライバル、クリスタルボーイ、
登場するキャラクターたちはみな非常にユニークである。
まるでロックンロールのようにテンポよく読めて、楽しい時間が過ごせる。
「解き放たれた魂」
2001年になって今、コブラを読み返してみるとこのマンガは設定がときとしてシカゴの暗黒街や西部の安酒場が舞台となっていたりするのだが、無国籍というか、描かれた当時の日本の80年代の政治に対する風刺や時代の状況をまったく含んでいないことに気づく。だから10年後、20年後になってコブラを読んでいても違和感を感じることはすくないはずである。
このことは師匠の手塚治虫の作品とかなり違うところである。手塚氏の作品は時代状況に敏感すぎるところがあり、手塚氏の描くSFにしてもそのことが障壁となってイマイチ跳躍度が足りないところが今となっては欠点として残っている。
たとえば臓器移植にしても拒絶反応がでるので不可能のようなことを「火の鳥」の未来の話しの中で言っているのである。
SFに必要なのは跳躍、解き放たれた魂なのである。
コブラが描かれたのはジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、メイド・イン・ジャパンが世界を席巻したまさに日本の黄金期であって、このとき日本のマンガも最高潮に達する。しかし、「終わらないで...」と祈りながらも、いい夢は長く続かないものである。
以後、失われた10年と呼ばれる90年代が訪れて日本の経済・文化が全般的に長い冬の時代を迎えることになる。
そのせいか、コブラを超えるようなSF娯楽マンガは登場していないようである。
(2001/04/09)
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