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(4) 1999/2000シーズン公演(最終更新日:2000.06.16)

1999.9.28:「仮面舞踏会」

 18世紀に実在したスウェーデン国王グスタフ三世の舞踏会での暗殺事件に題材をとったヴェルディ中期の傑作であるが、 作品が完成した後、当局からの横槍により、舞台設定を米国のボストンに移し変えて、やっと初演にこぎつけたといういわく付きの オペラである。今年度から国立劇場の芸術監督が畑中良輔から五十嵐喜芳に代わったこともあってか、今回の公演は藤原歌劇団の公 演によく見られるように、主役に外人を据えて行われた。  リッカルド伯爵を歌ったアルベルト・クピードは、明るくのびのびとした声で、イタリアの一流テナーの実力を発揮した。 副官レナート役のカルロ・グエルフィも、風格十分の渋い美声で絶賛を博したが、レナート夫人のアメリアを歌った立野至美は、 大劇場に響きわたる豊かな声を持った新人であるが、声の響きにむらがあり、期待に反した。一方、小姓オスカルを 歌ったウクライナ出身のヴィクトリア・ルキアネッツの気品のある美声は驚きであったが、略歴を見るとマリア・カラス・コンクール 優勝後スカラやメトの出演実績もある注目のソプラノであることを知った。今後のいっそうの活躍が期待される。
 なお、「仮面舞踏会」は、第三幕の舞踏会の場を除いて暗い場面の多いオペラであるが、今公演では、種々工夫がこらされ、 予想外に明るい場面が多かったのは救いであった。特に第一幕の背景(窓とボストン港)は、見事な演出であった。(99/10)

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1999.10.21:「ルサルカ」

「プラハ国民歌劇場」の公演として、「ルサルカ」、「イエヌーファ」及び「カルメン」の3曲が上演された。「ドン・ジョヴァンニ」 初演の歴史が示すように、モーツアルトをいち早く理解し、暖かく受け入れたプラハには、親しみを感じ、是非一度は訪問し、現地で オペラを観たいと思っていた。今回の来日は、同歌劇団の「引越し公演」でもあるのでとりあえず一曲だけ見ることとした。 曲目としては、幾度も見た「カルメン」やビデオを持っている「イエヌーファ」ではなく、初めての「ルサルカ」を選んだ。 ドヴォルザーク作曲のこの曲は、チェコの「忠臣蔵」的な存在とのことである。今回の演奏は、傑出した歌手はいなかったが、 粒がそろっており、いずれも好演であった。 単独でよく歌われる第一幕のルサルカのアリア「白銀の月」が、実に自然に曲の流れの中に納まっていたのが印象的であった。 演出も、舞台の左右に吊したカーテン状の長いリボンが効果的で、幻想の世界が見事に表現されていたが、補助的な後方のスクリーンは もっと大きくした方が、良かったのではなかろうか。(99/10)

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1999.11.13:「マノン・レスコー」

ポピュラーな曲であるにもかかわらず、実演を観るのは、どうも今回が始めてのようであった。プッチーニの出世作と言われているが、 場面にマッチした色彩的なオーケストレーションの新鮮さを改めて感じた。歌手は、日伊合同で、総体的に高い水準にあった。主役の一人 のデ・グリューを歌ったニコラ・マルティヌッチは、「オペラ辞典」にも紹介されているベテラン・テナーであり、風格のある歌唱で、 高音も良く伸びていたが、若い学生と言う役には、容姿、声共に少々無理が感じられた。マノン・レスコーを歌った下原千恵子は、 多少大味な面もみられたが、丸みのある美声で、しかも際だった声量を持っており、なかなか立派であった。
このほか、ジェロント役 の池田直樹、兄レスコー役のロベルト・デ・カンディアも好演であった。舞台は、第一幕の宿屋の場面が、奥行きもあり、実感が良く 出ていた。第四幕は、設定のニューオリンズ郊外の原野とは違い、モニュメントヴァレーのような西部劇の情景であったが、視覚的に は大変きれいで、印象的であった。<99/11>

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1999.12.27:「蝶々夫人」

蝶々夫人を渡辺葉子が歌う日を選んで出かけたが、残念ながら体調不良でキャンセルになり、代わりに佐藤ひさらが歌った。佐藤は、 芝居もうまく無難に歌ったが、やはりこの役で数年前にメトで絶賛を博した 渡辺を聴いてみたかった。ピンカートンは、9月の仮面 舞踏会で好演したアルベルト・クピードが歌ったが、声がよく通りやはりなかなかの好演であった。全体として、ドラマとしての盛り 上がりも十分で、このオペラの良さが十分に表現されていた。
舞台装置は、背景のスクリーンに長崎港を写し、庭には桜を配したオーソドックスなものであったが、国立劇場の機能を活かした場面 転換(トラッキング・ワゴン2台連結使用による家と庭の同時横移動)は見事であった。<00/01>

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2000.1.16:「ドン・ジョヴァンニ」

新国立劇場・ウィーン国立歌劇場共同制作という今公演は、主役にカタカナの名前が並び、 装置・衣装もそっくり持ち込みと言うこと で、確かにヨーロッパのオペラハウスで観ているような雰囲気を味わうことが出来た。タイトル・ロールのドン・ジョヴァンニは、急 遽代役で来日したナターレ・デ・カロリスが歌ったが、甘い声でまずま ずの歌唱であったが、レポレロのイルデブランド・ダルカンジェロとドンナ・アンナのユリア・イザエフは、 素晴らしく良く響く美声で一層光っていた。エルヴィーラのパメラ・コバーンも、声 は細いが歌唱力があり適役であった。ドン・オクタービオ役のグレゴリー・クンデは、調子が悪かったのか声に艶が無く失望させられ た。一方、日本側からは、騎士長に妻屋秀和、マゼットに稲垣俊也、ツェルリーナに高橋薫子の3人が出演したが、いずれもきわめて好演 であった。特に二幕の石像の場面の妻屋は、主役を圧する重厚な声を響かせ圧巻であった。前評判は高かった装置や演出は、確かにで 正統的なものを感じさせたが、装置は一,二幕とも骨格がほぼ同じで、やや変化に乏しく、また、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場 面も陳腐な演出で、若干失望した。20年以上前になるが日生劇場(二期会公演)での舞台がよじれてドン・ジョヴァンニが中央から 奈落に落ちる強烈に印象的だった場面を想い出した。衣装は、さすがに本場物で素晴らしく、しかも場面毎に着替えてくれたのでさな がら往時の貴族衣装のファッション・ショウの感もあった。なお、指揮者のアッシャー・フィッシュは、チェンバロ奏者を兼務して大 忙しであった。(00/01)


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2000.2.26:「セビリアの理髪師( 参照)」

ダブルキャストのオール日本人(と言うよりオール藤原歌劇団)の公演(2/26)を見たが、脇役にいたるまで実力者を揃えた高水準の 公演であった。アリアでは、ロッシーニ特有の装飾音符が連続し、しかも早口言葉の多い原語公演であったが全員が見事にこなし、 観客を楽しませてくれた。アルマヴィーヴァ伯爵を歌った五郎部俊明の柔らかく良く通る声、ロジーナの高橋薫子の美声と高い歌唱力、 フィガロの牧野正人の声量と早口で軽妙なイタリア語、バルトロの久保田真澄の重厚な声とコミカルで見事な裏声が特に印象に残った。 今回も指揮者(アントニオ・ピロッリ)が通奏低音のフォルテピアノも演奏したが、オーケストラ(東京交響楽団)も軽快な音を出し て雰囲気盛り上げに寄与した。 装置は、典型的なスペイン風景で悪くなかったが、第一幕第一場のバルトロ邸の窓はもう少し客席側 に向けてほしかった。客席右寄りでは、窓から首を出すロジーナが全く見えなかった。また、演出では、第一幕第二場の有名なバジリオ のアリア「陰口はそよ風のように」の場面では、背景を変えたり、閃光を発したり、工夫が見られたが、、仕切り幕裏でのセット移動音 が3階席まで聞こえ、アリアの途中だっただけに多少気になった。(00/02)

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2000.3.16:「沈黙」

江戸時代初期のキリスト教弾圧時代の極限的な状況下における司祭の「転び(棄教)」に理解を示した遠藤周作の名作「沈黙」のオペラ 化に当たって、作曲家松村禎三は、長年テーマを温め、十分な周辺調査の上、自ら台本を手がけたとのことであるが、原作の主題に独自 の解釈を加えて巧みにオペラ化している。ドラマティックなストーリーに合わせて、オーケストラも重厚で、三管編成のシンフォニーサ イズであり、鍵盤楽器としても、ピアノ、チェンバロ及びチェレスタを併用しており、迫力十分であった。歌手は、実力者を揃え好演で あった。特に、キチジロー役の勝部太、原作には無いオハル役の澤畑恵美等が良かった。尚、歌詞は、すべて日本語であり、作曲者の意 図通り、総じて聞き取りやすかったが、やはりオーケストラに消されたりして、聞き落とすところもあった。昨シーズン「天守物語」の ように字幕付にしてもらうとありがたかった。装置は、固定の半円形のスタンドと可動式の船首型の装置を組み合わせ苦心の跡が見られ た。(00/03)


2000.4.13:「サロメ」

私のビデオコレクションの中にあるR.シュトラウスのオペラは、現在、ハイビジョンのものを含めて4種類もある「バラの騎士」を初め、 「サロメ」、「エレクトラ」、「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」及び 「カプリッチョ」の8曲であるが、「サロメ」は有名作品ながら、皿の上の生首という不気味さもあり、2回見ただけと言う存在であった。 今回初めて実演を見たが、ピット一杯の最大編成のオーケストラの響が凄まじく、劇的な盛り上がりはなかなかのものであった。 一幕ものなので、舞台の中央に地下牢があるシンプルなものであったが、牢の鉄格子の蓋の開閉は、物々しく重量感が良く出ていた。 難役のタイトルロールのサロメは、緑川まりが良く歌い踊ったが、声にやや潤いが乏しく、4Fの最後部で聴いたせいか迫力もいまいち であった。一方、予言者ヨハナーンを歌った小森輝彦は、艶のある美声で声量も十分で、素晴らしかった。ヘロディアスの ネリー・ボシュコワ等の脇役も粒ぞろいであった。(00/4)

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2000.5.14:「ドンキショット(ドンキホーテ)」

主役がバス歌手という数少ないオペラで、世紀のバス歌手である彼のシャリアピンが初演し、その後も十八番としていたとのことである。 本公演が、日本初演でもあったこともあり、私にとっては、観るのはもとより、聞くのも初めてであったが、際だったアリアこそないが、 メロディーもきれいで、全体的に親しみの持てる曲である。バレエやアクロバットもあり、賑やかな舞台演出であった。マスネのこの オペラは、勿論、セルヴァンテス(写真)の「ドンキホーテ」を原作としているが、大作であるため、エピソードを絞り、 話を単純化しているのはやむを得ない。 演奏は、指揮者(アラン・ギンガル)、主役とも海外で実績のある経験者を当てたため、安心して見ることができた。特にタイトル ロールのルッジェ−ロ・ライモンディは、近年この役を十八番としているだけに、貫禄十分な名演であった。60歳近くなっているはず だが、まだまだ声量も十分で美声を響かせた。演出のせいもあり、場面によっては、むしろ立派すぎて、原作のドンキホーテのイメージ から遠のく感じさえした。サンチョ・パンサのミシェル・トランポン(バリトン)は、容姿もぴったりでなかなかの好演であった。ドゥ ルシネのマルタ・セン(メゾソプラノ)も、やはり声、容姿的にも適役であった。
演出、美術、衣装、照明は、ピエロ・ファッジョーニ が一人で取り仕切ったが、風車との戦いの場面では、背面の揺れるスクリーンいっぱいの影絵を利用し、迫力満点の場面を現出させた。 しかし、車輪のついたやせ馬(ロシナンテ)のぎこちない動き等、改善の余地もあるように思えた。今回の公演も、いつもの如く字幕付 きの原語上演であったが、山賊(池田直樹他)の場面では突然日本語が現れ、少々驚いた。しかし、台詞的な部分でもあり、特に違和感 は無く、字幕を見る煩わしさもなく、かえって良かった。なお、カーテンコール時に舞台に揃った200名近い総出演者は、壮観であっ たが、これだけ贅沢に人を動員できるのも、国立劇場ならではとの感もあった。(00/5)

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2000.6.13:「リゴレット」

「あれかこれか」「女心の歌」等のポピュラーなアリアをもつこのオペラは、ヴェルディ中期の 傑作の一つであり、CDやビデオにも名盤が多く残されている。個人的には、ヴィクセル、パヴァロッティ、グルベローヴァが歌っている 映画的映像のLDを愛聴している。 今回の公演の主役であるリゴレットのアレクサンドロ・アガーケ及びマントヴァ公爵の ティート・ベルトランは、ともにはじめて聴いたが、いずれも声量もたっぷりの美声で申し分なかった。ジルダは、脇役で はあったが昨春の「天守物語」で好演した天羽明恵が歌ったが、持ち前の美声、歌唱力を充分に出し切り、素晴らしかった。 一方、脇役ながら重要な場面に登場するモンテローネ伯爵を歌った泉良平は立派なコンクール歴も あり、期待していたが、歌詞にふさわしい迫力が不足していた。
装置は、総体的には奥行きもあり、見応えがあったが、場面による差が大きかった。2幕のリゴレットの自宅の場面は、 石造りの質感が良く出ており、構造的にも見事であったが、3幕のスパフラチーレの家の場面は、「半ば崩れかかった酒場兼宿屋」と言 う設定ではあるが、日本の昔の農家のような建物の前に釣り堀があるようで違和感があった。 (00/6)


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