すのはらの「春原主義」

ニューヨーク日記・その1

1996.10.31〜1996.12月分です。

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1996.12.24

ようやくここ数日になって生活のペースがつかめてきました。が、テーブルをまだ買ってないので、立ってor床に座って食事しています(涙)。ベッド・ソファー・冷蔵庫・洗濯機・乾燥機は最初から付いていたのでよかったです。(乾燥機は最初動かなく、やっと先週修理が完了しました。)

部屋の備品関係で日本と違うのは、ライトですね。日本みたいに天井についているわけではなく、ポールライトやスタンドなどを買わなければなりませんでした。アメリカ人は電球のオレンジ系のライトが好きなようですね。白い光の蛍光灯はオフィスの照明というイメージがあるようです。


1996.12.23

僕の誕生日の今日、友だちがこんな言葉をくれました。

>この年は今までの人生のうちでおそらく最も母国で過ごす時間が少ない年になりそうですね。

今まで気付かなかった視点でハッとしました。


1996.12.15

事件発生!

Staplesというおっきな文房具屋さん(ウエアハウス方式のオフィス用品店)の駐車場で、車の中にキーを付けたまま、ドアロックしてしまいました。

日本で言うJAFみたいな組織がアメリカにもあって、AAA(トリプル・エー)といいます。日本だとJAF呼んでその場で入会することが出来るのだけれど、AAAはそうはいきません。こういうとき、どうするか。それは、ロックスミス(locksmith:錠前屋)を呼ぶのです。

電話して30分くらいしたら来てくれました。ドアの窓の隙間から金属棒を突っ込んでカギを開けてくれました。ほっ。


1996.12.14

事件発生!

マンハッタンを大金もって歩き回るのは危ないと思って、少しだっけもって行きました。

さて、お会いした先輩とロックフェラーセンターの前で別れた後、車を泊めた駐車場に戻ったら、料金は$26。金額は料金表のとおりなのだが、支払いは現金だけだと言われたのです。まさか、このカード社会のアメリカで?っと思い財布を開けたら、なんと$20しかないぞお!でも、お金をおろしにいけばいいもんねっと銀行に行きました。アメリカはATMが24時間やっているのです。ただ、銀行の営業時間外はATMコーナーのドアをカードを通して開けるのです。が、おや?開かないぞ。まっまずい、このままでは引き出しが出来ない・・・

ちょうどその時、ATMを利用しに来た人がいました。ラッキーっと思ってその人が開けたドアが閉まらないうちに入り込みました。しかし不安です。このカードは使えないのだろうか・・・案の定、いくら機械に通してもだめです。そこでハッと気が付いたのです。あっ、このカードは、・・・

日本だと銀行やクレジットカード会社からカードが郵送されてきたらすぐに使えますが、アメリカでは、カードを受け取ったら銀行やカード会社に電話を掛けてそのカードを有効にしてもらわないとならないのです。そして、その時持っていたカードは有効にしてもらっていなかったのです。(なぜ有効にしてもらうのを忘れていたかにも、また訳があるのですが、その説明はとっても大変なので省略です。)

しかし、まだカードはあります。日本で作ったビザ・カードです。でも、日本で作ったやつが使えるのだろうか。・・・ダメでした。そう、さっき紀伊国屋で本を買ったとき、ビザ・カードのシステムがダウンしているとのことで、手作業で処理してもらったのです。何度やってもだめでした。(後からわかったことですが、システムダウンのせいだけでなく、クレジットカードでお金を引き出すときの操作も間違っていました(^^;)

さあ、もう、現金を手に入れる手段はないのでしょうか。とすると、わたしはこのままどうなるのでしょうか。家に帰れずに寒い寒い冬のマンハッタンで浮浪者となってしまうのでしょうか・・・そこですのはら、考えたのであります。さっき紀伊国屋でカードで買った本を返品して、現金で返してもらおう・・・

名案をたずさえて紀伊国屋へおもむきました。紀伊国屋では、まずレジのおねえさんが話しを聞いてくれました。そのあと、奥から役職の高そうな紳士が出てきて話を聞いてくれました。ここまでの話を全部しました。省かず全て話しました。・・・でも、だめでした。カードで買ったものを返品して現金を受け取るなんてできないのです。

さあ、困りました。現金がない。カードが使えない。その時はパーソナル・チェックも持っていない。どうしよう。もう手だてはないのでしょうか。誰か頼れる人はいないだろうか。誰に頼ればいいのだろう・・・

そうです。もう頼るは、さっき別れた先輩しかいません。その先輩に頼ればいいのです。そこで、その先輩が泊まっているホテルへ行きました。ただ、ロックフェラーセンターの前で別れるときにその先輩は言ってました、これからミュージカルを見に行くと。ミュージカルは7:30からだろうと言っていました。そして今はもう7:30になっています。ミュージカルが終わるのは10:00頃でしょうか。待つしかありません、先輩がミュージカルから帰ってくるのを。

あせっても仕方ないです。まあ、ゆっくり落ち着いて、先輩の部屋番号だけでも確認しておこう。そう思い、暗い顔をしながら、ニューヨーク・ヒルトンの中をうろうろ歩き回ろうとしたその時です。突然、その先輩が目の前に現れたのです!

涙が出ました。その先輩に後光がさして見えました。不安いっぱいの暗闇から日光のもとに一気に出てきた感じでした。何から話していいか分かりませんでした。でも、その先輩はとっても心配してくれ、お金をたくさん貸してくださいました。ミュージカルは8:00からだったのです。

感謝の気持ちにあふれながらも、急いで帰路についたのは言うまでもありません。

ニューヨークに来てひと月半たった土曜日の出来事でした。


1996.12.13

これまでの"事件"をまとめてみます。(^^;

などなど


1996.12.10

こちらに来て1か月半がたちましたが、まだ、生活のペースや仕事のペースがつかめません。また、だいぶ寒くなってきて、朝は車のフロントガラスの霜をガリガリ削り取ってから出発です。そんな中、先週は喉を痛めて寝込んでしまいました。

先日は会社のクリスマスパーティーがありました。カクテルパーティーで始まって、ディナーに移り、あいまにみなさんダンスをするというアメリカンなパーティーを始めて経験しました。KARAOKEに指名されていたので、風邪をひいていながらも1曲歌ってしまいました(^^;  帰りは雪が降っていました。

出向者の方々は出張が多いので、普段はみなさんがいないと寂しいですね。ただでさえ同年代なんていないのに。パーティーでのダンスとかを見てると、夫婦でアメリカに来ている人がとてもうらやましく感じました。


1996.12.6

そうそう、きのう帰ったら、留守電に間違い電話が入ってました。
日本語にすると、こんな感じ。。。。。

 #切なそうな声で

  「ハーイ、ジェーン。スティーヴだよ。
   まだ忘れてないよね。君と連絡取りたいんだ。君に会いたいんだよ。
   また電話するから、ぜひ会う約束をしてよ。じゃあ、またね。」

ちなみに、わたしは、日本語で留守電の応答メッセージを入れてあります。(笑)


1996.12.5

まだまだ生活になれないけど、生活の立ち上げにばたばたした時期がようやくおわり、あとは必要に応じて日用品や家具を買っていくだけとなりました。すると、落ち着く時間ができたせいか、なんだか寂しさをすごく感じます。

日本の情報を得るととってもうれしくなっちゃう。"オウムの○○、石垣島で逮捕!"なんてニュースもなつかしい気持ちになっちゃうもんね(笑)。

今週から(やっと)自炊を始めました。日本の食材屋さんの場所を教えてもらったので(ヤオハンよりずっと近く)、お米とかおしょうゆとかを買って来ました。アメリカのスーパーで売ってるものって何でもでかくて、塩とか砂糖とか、一番小さいパックを買ってきたけど、とても1年では使い切れない量です(笑)。でも、ひとりで食事するのはやっぱり寂しいねえ。テレビ見てても訳わからないからつまんないし。"続・星の金貨"がみたいよ。(笑)

というわけで、きょうは"超ブルー入ってる"すのはら@ホームシック中でした。


1996.12.2

これまでに書かなかったことをまとめて書きます。


1996.11.25

NYへ来る前と着いた後で「何か考えてたのと違うな」っていうこと

  1. 日本食レストランばっかり行っている・・・出発前は、もう日本食なんてほとんどありつけないと思って覚悟してきたのに。。。
  2. 英語をしゃべっていない・・・今のところ、生活の態勢を整えるのにせいいっぱいで、いろんなことを日本人の人に聞きまくっているところです(家探し、電話のひき方、家具をどこで買ったらいいか、車はどうするのがいいかなどなど)。
  3. 生活が変わらない・・・規則正しく健康的な生活をしようと思っていたのに、運動もしようと思ってたのに、結局、朝はぎりぎりに起きて朝食もそこそこにでかけるし、夜更かしはするし、運動しないし、土曜日は昼まで寝てるし、東京にいるときと全然かわらないや(^^;
  4. こっちのパソコンの環境は日本にいたときよりも悪いです。・・・ネットワークのセキュリティーとか、ソフトのコピーとかすごく厳しいですね、こっちは。会社のパソコンでは、telnetが使えないし、日本のNECのイントラに接続できないし、マイクロソフトplusがないし、などなど。


1996.11.23

住宅街は、10/30のハロウィンの飾り付けがいまだに残ってるけど、デパートとかでは、ひとつのフロアー全部がクリスマスグッズだったりします。12月にはいると、各家庭でも、クリスマスの飾り付けが始まるでしょう。NECAMでは、会社主催のパーティーがあります! KARAOKEをやらされそう・・・(まずい、本性がばれてしまう・・・)


1996.11.22

ラスベガス帰りの春原です。
今日は元気ないです。べつにラスベガスで一文無しになってしまったわけではありません。ラスベガスから真夜中にJFKに帰ってきたら、荷物は破壊されてるし(アメリカは荷物の取り扱いがとっても荒い)、空港で白タクに捕まっちゃうし(金銭的被害はなかった)、空港からの帰り道(車)は迷って何だか全然わからないところへいっちゃうし、きょう出社したら、きょうは日本人の人がみんな出張でいなくて、寂しいし・・・

しかししかし、ラスベガスはすごかったです。
春原も出発前のナーバスな気分は吹き飛び、観光しまくりました。(あれ、仕事で行ったんじゃなかったっけ?)
ホテルはちょうでかいし、ネオンはすさまじいし、そこまで電飾つけるかあ!?ってくらい常識をこえています。カジノ街にあるマックもネオンばりばりでした。隣のホテルまで行くのに、バスに乗らなければならないほど。

ホテルの通りに面したところでは、これまた巨大なアトラクションをやっています。火山が爆発したり、海賊がでてきて宝島を荒らし回ったり。。。これらは、通りを歩くだけでみれるので、もちろんただ。ディズニーランドみたいに(あるいはそれ以上)のすごさでした。

ポーカーやスロットマシンがそこらじゅうにありました。どこのホテルでも1階は全部カジノ。そもそも、空港出る前からあるもんね。びっくり。カジノでプレイしている人にカクテルとかをサービスするお姉さんがいるんだけど、みんな超ミニスカート!!っと思ったら、みんなおばさんだぞう。。しかも、どこのホテルでも、そう。すのはら少し残念。(^^;

スロットマシンとか、ポーカーとかやったけど、すぐ終わっちゃう(^^; 自分がギャンブルには向いていないんだなあってことがよくわかりました。

どのホテルでもショーをやっていて、春原は、ラスベガス・ヒルトンでスターライト・エキスプレス(ローラースケートのミュージカルみたいなヤツね)を見ました(笑)。それから、泊まっていたホテルでは、ビートルズのそっくりバンドの演奏をちょっとだけみました。

治安もいいです。繁華街都市の中では米国一治安がいいらしく、とっても安全。空港で自然保護団体みたいな人に寄付を求められたり、街角に浮浪者がいたり、ストリップのビラをしつこく配ってるお兄さんがいたりはしましたが。

ラスベガスは元々砂漠なんだけど、周りは山に囲まれていて、朝日や夕日が山々にあたる光景がとってもきれいでした。でも、風景も広大すぎて、カメラに入らない・・・写るンですの横長のヤツはこういうときのためにあるんだなあとおもったけど、こっちには売ってないみたいです。

ニューヨークは寒いね。朝晩は車のウインドウに霜が張りついてます。ラスベガスはあったかでした。昼間はTシャツだけの人もいたほどです。


1996.11.15

17日からはCOMDEXという、コンピュータ・通信分野の最大の展示会に LasVegas へいくんだけど、赴任後1ヶ月以内の出張はきびしいです。海外旅行で LasVegas 観光なんて言ったら、めちゃくちゃ楽しみだろうに、とてもそんな気持ちにはなれないです。

いそがしいし、不安だし、寂しいし。。。。。なにせ、電話がまだついてないんで、契約と工事の手続きをペンディングにして行かなきゃならないし、おうちに住み始めてからまだ1週間で慣れないし、買わなきゃならないものたくさんあるし。。。。。きょうは、車のリース屋さんにいって、保険の説明とか聞いてきたけど、さっぱり分けわかんなかったです。どっと疲れちゃった。

もうすぐ、こっちへ来て1ヶ月です。そろそろホームシックになりそうな感じ。

っと、きょうは、めちゃくちゃ弱気のすのはらでした。電話で誰かとしゃべりたくなるのとおんなじですね。電子メールがなかったら、すのはら、死んでました。(笑)


1996.11.14

ちなみに、こっちでもやってます、ドラゴンボールZ!(爆笑) ただし、「ゼット」とは言わず、「ズィ−」ですけど。(笑) 日曜のあさ8:30からです。もちろん、悟空も英語しゃべってます(^^;

ガッチャマンもやってます。タイトルは「ガッチャマン」ではなく、「イーグルライダー」です。セーラームーンもやってるのかな。ビデオデッキを買って録画しよっと。


1996.11.13

アメリカに来てから、いろんなところで懐かしい曲がたくさんかかっていて、うれしいです。スーパーのBGMで、ロキシーミュージックの「アヴァロン」とか、10CCの" I'm not in love" とかかかってるんだもん。すごいよね。なぜか、ヒューマン・リーグの「愛の残り火」もしょっちゅう耳にします。FMでもU2の"New Year's Day"を久しぶりに聞いて、超感激でした。MTVでは、一日じゅうマイケル・ジャクソンなんて日もありました。ビリー・ジョエルやジャーニーは毎日どこかで流れています。


1996.11.12

住んでいるところは、アパートと言うより、間借りというのが一番近いでしょうか。シェアリングというのともちょっと違います。平屋の一軒家で、僕が来る直前まで家主のおばさんが独りで住んでいたのを半分を人に貸せるように改造した(正確には、まだ改造をしているところ)ものです。もう半分には、そのおばさんが続けて住んでいます。従って、そこを借りるのは僕が初めてだけれども、そこに住むのは僕がはじめてではないという状況です。このことは、電話会社に電話の工事を頼むときなど人に説明するときに、非常に難しいです。

家主のおばさんは小柄な台湾生まれの人で、知性にあふれ、ユーモアもあり、よくしゃべります。o同じアジア人だということで、とても親しげに接してくれます。いま、ご主人と別居中のようで離婚の予定だといってました。ぼくがクリスチャンだと言ったら、おばさん自身はクリスチャンではないが、ご主人はクリスチャンだと言っていました。僕の両親は牧師をしていると言ったら、インクレディボー!といって驚いていました。


1996.11.11

かっこいいと思っていたホテル暮らしも、さすがに、異国の地では、落ち着かず、寂しいものです。

先週土曜にようやく住むところ(間借りというのかな)に移りました。そして、今日、航空便貨物が到着しました。いよいよ、本格的にアメリカでの生活の始まりです。スーパーもデパートも日本のダイクマみたいな店も、超ビッグです。たくさん買い物したくなりますが、わずか1年しかいないことを考えると、あまり買い込むわけにもいかず、買うべきか買わざるべきかに頭を悩ませています。

今朝は、朝起きてみると、が降りていました。いよいよ、厳しい冬の始まりだと、まわりの出向者の日本人のみんなにおどかされていますが、ほんとのようです。吹雪になると、外にでられないので、非常食になるものを買って置けと言われました。スーパーに行くと、日清のカップラーメンがありました。これで、もしコンビニ弁当でもあったら、まるで日本での食生活と同じですね(笑)。キリギリスにならないようにしなければ。。。


1996.11.9

いちおう、NOVAとか通っていたおかげで、あいさつは How are you? だけでなく、What's new? とか、What's up? とか,How are you doing? とか、さらに Howya doin'? とか、いろいろあるのを知っていて、よかったです。

#私の友人は、How are you doing? を知らず、初めてアメリカに来たとき、仕事の進み具合を一生懸命答えたそうです(笑)。

でも、それにどう答えるかが問題。What's up? とか What's new? とか聞かれたら、Great とか、Nothing in particular. とか答えられるけど、How are you? ときたら、I'm fine thank you, and you? 条件反射のようにでてきて、ほかの答え方ができないです(笑)。


1996.11.8

いまのところは、生きています(笑)。たいして英語を話せなくてもなんとかなると言うことがわかりました。
また、日本の英会話の先生が、いかにゆっくりとわかりやすい発音で話してくれていたかということもわかりました。


1996.11.7

夜中にホテルの非常ベルが鳴って、びっくりして飛び出したら、誤動作だったようで、部屋に戻ろうとしたらオートロックのドアが閉まっていて、「オー、マイ・ガッド!」(笑)と思って、スペアのキーをもらいにフロントへ行ったら、同じような人たちでフロントがごったがえしていて、フロントの若いおねえちゃんがてんてこ舞いで、おもしろかったです。(笑)


1996.11.6

アメリカのパソコンのキーボードは、日本みたいにソフトなタッチではなく、かちかちとこぎみよい音がします。それをアメリカ人はすごい速さで打つもんだから、その音は、まるでルービックキューブをやってるみたい(笑)。


1996.10.31

10/24にニューヨーク州のメルビルと言うところにやってきました。マンハッタンから東へ1時間くらいのところです。ここはロング・アイランドの真ん中あたりのようです。仕事できましたが、「海外業務研修生」という身分です。

外国に学びにくるというのは遣随使が最初でしょうか。それを考えると、歴史を継承しているたいせつな役割をになっているような気分です。(なんていうのは大袈裟すぎますね(笑))

先日(10/27)出席した、ホテルの近くのUnited Methodistの教会は、なんと、礼拝出席者15人でした。っというほど、ここは田舎なのでしょうか。


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