FOR PEACE

LORD,
make me an instrument of Your peace.
Where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.

O DIVINE MASTER,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood as to understand;
to be loved as to love;
for it is in giving that we receive;
it is in pardoning that we are pardoned;
and it is in dying that we are born to eternal life.

Saint Francis of Assisi



フランチェスコの平和の祈り
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。
アッシジのフランチェスコ

解 説

この祈りは様々なところで引用されていて有名である。マザー・テレサの"Missionaries of Charity"「神の愛の宣教者会」の働きを支えている「マザー・テレサ協力者国際協会」の会憲にも組み入れられている。

英文は、松本富士男編『図説・歴史のなかの聖書』(燦葉出版社、1975)の87頁から引用したが、おそらくどこかからコピーしてきたものだろう。多く目にするのはだいたいこれと同じ英文なので、これが一般的な英文だろう。だが、他にいくつかの種類がある。詳細は調査中。例えば、let me sow loveの次にWhere there is discord, harmony;とあるもの、Where there is injury, pardon;のあとにWhere there is error, truth;とあるものがある。したがって、和訳にも様々なものがある(和訳はおおむね「分裂には一致を」を付加したものが多い傾向があるという印象を受けている)。

この「平和の祈り」は、フランチェスコ自身の作ではないが、フランチェスコの精神を十分に表しているとしてフランチェスコに帰せられている。

この詩は、1913年に、フランスのノルマンディー地方で、「信心会」の年報『平和の聖母』(1913年1月、第95号)に掲載された。さらに、1916年1月、バチカン発行の『オッセルヴァトレ・ロマーノ』紙で公認された。そして、第一次世界大戦の中、人々に広まっていった。

第二次世界大戦が終わった1945年10月、サンフランシスコで開かれた国連のある会議の場で、アメリカ上院議員トム・コナリーがこの「平和の祈り」を読み上げたという。それ以降、この詩が広く知れ渡るようになったらしい。

フランチェスコはフランシスコなどとも表記される。イタリアのフランチェスコ(1181or82-1226)は、裕福な商人の長男として生まれたが、戦争とハンセン病の患者との出会いをきっかけに、キリストと貧しい人たちへの愛に目覚めた。そして、彼は「小さき兄弟会」という修道院を創設した。彼は、カトリックでは聖人とされ、10月4日が聖フランチェスコの日である。

フランチェスコがはじめた修道院は、瞑想による神との交わりを重んじるとともに、いっさいの所有を捨て、労働は純粋に奉仕であるとし、托鉢によって生活を支えるという、新しい型の修道会であった。後に三つに分割され、現在は、「フランシスコ会」、「コンベンツアル聖フランシスコ会」、「カプチン・フランシスコ会」となっている。

フランチェスコの作品には、『太陽賛歌』が有名であり、日本では讃美歌75番として歌われている。映画『ブラザー・サン シスター・ムーン』(1972年、イタリア、フランコ・ゼフィレッリ監督)はフランチェスコの青春時代を描いている。

フランチェスコには、小鳥に向かって説教したなど、様々な逸話が残っている。私の好きな逸話は次のようなものである。ある時、フランチェスコがいったいどのような祈りをしているのか聞いてやろうと思ったベルナルドスは、フランチェスコを自分の家に招待して泊まっていってもらった。ベルナルドスはフランチェスコとともに寝た。しかし、ベルナルドスは、寝たふりをしていた。
しばらくすると、ベルナルドスは、彼が眠ってしまったと思ったフランチェスコが起き上がり、祈り始めるのを聞いた。そしてベルナルドスは知った、フランチェスコが朝まで「私の神、わたしのすべてよ」と祈っていたのを。


参考文献:
・石井健吾 編訳、『フランシスコの祈り』、女子パウロ会、1992。
・高崎毅、『フランチェスコ』(キリスト教大事典、教文館、1963年、p.928)

修道院に関する入手容易な一般向け文献は、
・今野圀雄、『修道院−−祈り・禁欲・労働の源流−−』、岩波新書(黄151)、1981。
・朝倉文市、『修道院−−禁欲と観想の中世−−』、講談社現代新書(1251)、1995。


関連ページ:
アッシジの聖フランシスコ(フランチェスコ)の魂は、文献紹介が豊富。
・「プリオシン海岸」の「カムパネルラの切符」の中の聖フランチェスコ
コンベンツアル聖フランシスコ修道会創立者のページに略伝と参考文献リストあり。
Franciscan Web site略伝のページ
Basilica of St.Francis in Assisi