すのはらの「春原主義」

ニューヨーク日記・その2

1997.1.31更新

1997.1月分です。

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1997.1.31


1997.1.30


1997.1.29


1997.1.28


1997.1.27


1997.1.26

"Super Sunday"

きょうはスーパーボールの日でした。国民的行事のようで、テレビではきょうのことを"Super Sunday"と言っていました。試合は夕方6:00からだったかな。でも、午前中から特別番組がずっと続いてました。

毎年試合の最中は街中から人や車がなくなるそうです。夕方5:00ごろスーパーへ買い物へ行ったら、レジでバイトしてる男の子が友達に、「おまえこんなときにバイトしてんのかよ」と言われてました。

ハーフタイムショウでのジェームスブラウンはかっこよかったです。それにしてもすごい人数のチアリーダーたちが動員されてましたね。ちなみにこちらでは、チアリーダーたちのフォトカレンダーも人気あるようで、なんとそのカレンダーのメイキング・オブ番組もあったりします。


1997.1.25 (1997.2.9修正)

King's Holiday と日本人

1月20日を Martin Luther King's holiday と言うように、個人の名前が国の祝日の名称になっていることは、日本では、考えられないことかも知れません。祝日の名称に限らず、アメリカには、「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」とか「ジョン・F・ケネディ空港」など、人名とりわけ大統領の名が多く使われています。

日本ではどうでしょうか。祝日では、昭和天皇の誕生日がみどりの日と名前を変えています。公共の建造物や施設の名称で人名を使っている例はほとんどないでしょう。日本人の中には、特定の個人の名前を一般の名称に付けることを避けたいという意識があるようです。また、日本の政治で、誰が首相かということよりもどこの政党が首相を出したかのほうが国会においては重要です。

それだけではありません。日本には、誕生日を祝日にしたいような国家的な功労者がいるでしょうか。そのような人を選ぶとなると、イデオロギーが絡んできて難しくなります。つまり、個人の業績よりも、どこの政党に属していたか、あるいはどのような思想的背景の持ち主かが問題となってしまいます。あるいは、立派な業績を残しても、そのあとのスキャンダルで失脚する例が多いのかも知れません。そのため、お札のデザインを変更するときにも、新渡戸稲造という教科書にも出てこなかったような人に登場してもらいました。また、国民的な英雄であれば、国民栄誉賞を思い出すように、王貞治とか美空ひばりとかになってしまいますが、祝日になるような国家的な貢献者ではありません。日本には、一人の人が国家や民衆のあり方を大きく変えたという歴史がないのです。

以上のようにKing's Holidayをきっかけに日本について振り返ってみると、(1)日本には個人名を公共の名称に使うことを避ける傾向がある(2)日本には、一人の人が国家や民衆のあり方を大きく変えたという歴史がないということがいえます。そもそも日本は島国なので侵略にもあいにくく、単一民族国家なので国をつくるとか国を守るという意識が弱いのかもしれません。また、農耕文化なので、共同で農耕を営むためには特定の人が目立つのを好まないことも日本人の大きな特徴でしょう。従って国家的貢献者もいないということになります。つまり、島国で単一民族国家で農耕文化であったことの影響が、政党政治、お札の肖像、祝日の名称に表れているのです。

一方、アメリカについては、(1)英雄の出現によって歴史が変えられていくことが必然なこととして起きる風土があるということ、そしてその人の名前を残していこうという意志が国民にあること、また、(2)彼ら一人ひとりの業績が建国にとっていかに重要であるかということがいえます。

これらの背景には開拓者の時代があったことが大きいでしょう。日本の農耕文化と異なり、強いリーダーシップを持った人間がアメリカの建国には常に必要だったのです。また、例えばキング牧師の成し遂げたことがいかに現在のそしてこれからのアメリカに大切なことかは、日本人の頭で学んだ知識だけでは十分に理解しきれないものではないでしょうか。

世の中には様々な価値観や文化があります。本当にそれらを理解するためには、その価値観や文化の中で生まれ育たなければならないでしょう。しかし、せめて、身を持って体験し、肌で感じ取ることが、異なる価値観、異なる文化の理解に大切なことだと思います。1/20の朝、カーラジオから流れるキング牧師の演説を聞いて、また少し、「アメリカ」を実感できたと感じました。

注1)本文中、単一民族国家という言葉を用いましたが、アイヌ民族や琉球民族を無視したわけではありません。おそらく多くの日本人にとって、アイヌ民族や琉球民族は存在することは知っているが単なる少数派でしかなく、それらと互いに尊重しあおうという意識はないのではないかと思うのです。それは教育のせいかもしれません。または、少数派を無視してしまう"みんなと同じ横並び"を望んでしまう日本人の特徴の表れかもしれません。あるいは、大和民族が支配してきた歴史があって、複数の民族が混ざり合うことがなかったからとも言えるでしょう。そのような恐らく大衆の大多数がそうであろうとわたしが感じる意識として、また、少なくとも国家としては単一民族が支配していることから、日本は単一民族国家だとここでは述べました。

注2)King's Holidayは、アメリカじゅうが休みになる祝日ではありません。企業によっては営業しています。

参考リンク:


1997.1.24

運転について

ここは日本よりはるかに運転しやすいです。道幅は広いし、路上駐車で道路にはみ出ている車はないし、歩行者もいないし。また、日本の運転では全体の流れにあわせなきゃって思うけど、こっちでは、みんな自分のペースで走っています。だから、ときどき、すっごいおじいちゃんとかおばあちゃんとかが、とてもゆっくり走っています。高速道路で最低速度に達していないスピード違反でつかまる人もいるそうです。(笑)

 

図書館と本屋さん

こちらの人は、図書館を日本よりはるかに利用しているようです。図書館へ行くと、CDも借りられるのはもちろんのこと、インターネットもできます。市の図書館でも、土日もやってるし、平日は夜10:00以降までやっています。

また、本屋さんにいくと、本屋の中にCafeがあるし、ソファもおいてあるので、みんなそこでくつろぎながら売り物の本を読んでいます。たくさん資料をそろえて宿題をやってる学生もいます。

アメリカには日本みたいに本の再販制度はないので、売れ残ったり傷ついた本が安売りになっています。本好きのすのはらとしてはとってもうれしいんだけど、読める本がない・・・


1997.1.23

アメリカでの生活は日本とここが違う

(1)一番違うのはやはり、危険に対する心構えでしょうか。この辺は治安がいいから99%泥棒に入られることはないといっても、やはり十分注意することは必要です。だから、外出するときは電気かときにはテレビをつけっぱなしでいくし(単にずぼらだという意見もありますが)、ドアの鍵を閉めるのも、日常の無意識のうちにやっていると、「あれ?今鍵閉めたっけ?」と思って、確認しに戻ったりしています(単に神経質だという意見もあります)。

マンハッタンを歩くときは前後左右に気を張り巡らしてあるいています。(っと書くとこれまた大げさのようですが、慣れると何でもありません。全然注意してなさそうな日本人の旅行者がたくさんいるのがよく分かるようになります。もっとも、複数人で歩いているとどうしても周りに不注意になりがちですね。)

(2)文化的な違いとして、アメリカ人の生活は、なんでも機械を使った合理化が好きですね。電子レンジであためるだけで食べられるものがたくさん売ってるし、食器は機械で洗っちゃうし(ぼくのとこにはないが)、生ゴミも流しについている機械で処理しちゃうし(ぼくのとこにはないが)、乾燥機を使うので洗濯物を干すと言うことはない(乾燥機はあります)です。缶切りも電動式だそうです(ぼくは日本から持ってきた缶切りを使ってますが)。

(3)こっちの人は、オフィスで、子供の写真とかペットの写真とか新聞のひとコマ漫画の拡大コピーとか(笑)を机のまわりにべたべた張りまくってます(^^)。これも日本とはちがいますね。


1997.1.20

きょうは、マーチン・ルーサー・キング(Martin Luther King, Jr.)牧師の誕生日で祝日でした。それと同時に、クリントンさんの2期目の大統領就任式がありました。祝日と言っても、U.S.A.では祝日を休みにするかどうかは各会社、学校にゆだねられています。実際のところ、きょうはほとんどの会社学校がお休みです。でもNECはやってます(^^;

きょうはなんと、CNNでは朝から教会での特別集会を生中継です。朝の8時から集会がもたれていることもすごいが、CNNが生中継していることもすごいです。ラジオではキング牧師の演説のテープを流しています。会社に行く途中の車の中でその放送を聞いていましたが、思わず聞き入ってしまって(と言っても何を言っているかは全然わからないが)少しドライブしてしまいました。


1997.1.17

みなさん、覚えていらっしゃるでしょうか。私の自宅の電話番号に何度も"Hi Jane!"と、ちょっと切ない声で電話をかけてきたSteveの話を(笑)。1996.12.6

きょう、さっき、今度は会社の電話に若い女の人の声でこんな間違い電話がありました。

"Hello, Steve please?"(もしもし。スティーブをお願いします。)

わたしは「たぶん電話番号が違ってます」と言って切ってしまったが、あれは、もしかしてJaneだったのかもしれない。

恋のキューピットになりそこねたすのはらでした。


1997.1.16

きのう床屋へ行きました。そしたらさっき、秘書のおばさんに「17歳の少年のようだ」といわれてしまいました。

こっちの床屋は、特に注文しなければシャンプーもひげ剃りもなし。ほんの15分くらいであっと言う間に終わっちゃう。でも、シャツの襟元が髪の毛だらけ(;;)。だから、会社を抜け出て床屋へ行ったんだけど、床屋を出たらすぐに家に戻ってシャワーを浴びました。(笑)

cut$11+チップ$3=$14
でも、このくらいの値段なら、日本の、理容組合に入っていない床屋のほうがはるかにまともだよね。


1997.1.15

日本ではなんという名前が付いているのか知らないけれど、セサミストリートのキャラクターのエルモの新しいぬいぐるみか何かで"Tikle me Elmo"というしゃべるのが出ているみたいですね。アメリカのは南部のなまりでしゃべるそうで、大人も喜んでるそうです。それがすごい人気だったらしく、あっと言う間に売り切れて次に手に入るのは4月か5月だといわれています。

おもちゃ屋さんへふらっと入ったら、「エルモッ!」と叫んでぬいぐるみを抱きしめてる女の子がいました。(女の子と言っても20代前半位か)

街中を歩いていると、子供を連れたおとうさんが子供に向かって"Tikle me Elmo"と言いながらじゃれあってます。会社の中にもいきなり"Tikle me Elmo!"とか叫んでる人がいます(^^;


1997.1.10

私がニューヨークに来てびっくりしたことの一つに、街に車椅子の方をしばしば見かけるということです。日本では街中でもそんなに障害を持った方を見ないどころか、思い起こしてみると、小・中・高の学校生活のなかで、障害を持った生徒は一人もいませんでした。もし、学年にひとりでもそのような人がいれば、障害者をもっとみじかに感じ、変に意識することなく接することが出来るようになると思います。

同じようにニューヨークには実にさまざまな人種が入り乱れています。しかし、日本では日本人以外の人を見ると「外人だ」と意識してしまいます。もし、学校生活の中で帰国子女や外国人が学年に一人でもいれば、いろんな国がありいろんな人種がいて、いろんな習慣がありいろんな文化があることを、すこしは自然に受け入れることが出来るようになるでしょう。


1997.1.9

ではここらで今年の目標を・・・

  1. マンハッタンを観光し尽くす。
  2. 日本に戻った後もつき合いを続けられるアメリカ人の友人を作る。
  3. 体を鍛える。

そして、この冬の間の具体的な目標は、

といったところです。


1997.1.8

アメリカは車社会です。車がないとどこへも行けません。スーパーへ行くのもセブンイレブンへ行くのも、駅へ行くのも全て車が必要です。小学生もスクールバスで学校へ行きます。学校から帰ってきて友だちの家に行くには、親どうし連絡しあって車で行くそうです。

だから、たとえ、スピード違反などで免許停止になっても、通勤と生活必需品の買い物のための運転はOKだそうです。


1997.1.7

英語は、やっぱり勉強しないと、語彙とか表現とか身に付かないですね。普段仕事ではパソコンに向かっていることが多いので、あまり英語をしゃべってないのです。日本で英会話に行ってたときの方がずっと英語をしゃべってましたね。もっと、英語をしゃべらなきゃと感じています。


1997.1.6

春原の一日

家から会社までは車で15分ほど。だから、朝は東京にいるときと同じくらいの時間に起きても、9時には会社に着いてます。東京の満員電車にはもう乗れないですね。朝食もそこそこに会社に出かける生活は東京にいたときと変わりません。

たくさんの電子メールをチェックして(みなさんありがとう)お返事を書いてるうちに午前中は終わっちゃいます(^^; お昼は、だいたい、日本人の出向者の人たちと一緒に、近くの日本食レストランへ。このへんは、Canonとかオリンパスとか日系企業が多いせいなのか、日本食レストランがけっこうあります。中華やスパゲッティもおいしいお店があります。

午後は眠気と戦いながら、がんばります。お仕事は、机三つがコの字型に並んでいて、衝立で囲まれている中でやっているので、すぐ眠くなっちゃいます。夕方は、6:30をすぎると、日本の朝が始まって日本からのメールが来だすので、それらをある程度チェックしてから帰ります。晩御飯は自炊してます、今のところは。

夜は、これまではお手紙を書いているときが多かったかな。アメリカに来て何とか無事でいることの挨拶状とクリスマスカード書きで、こっちに来てからこれまでの何年分もにも勝る量の手紙を書いています。クリスマスが過ぎても書いていたクリスマスカードを持って郵便局へ行ったら、郵便局のおばさんに「今からクリスマスカードだすの?」と言われてしまいました。

テレビは、コメディーものが多いんだけれど、何がおかしいんだか全然わからないです。でも、ホームビデオの傑作集は笑えます(日本にもあるよね。子供とか動物とかをとったヤツ)。一日の最後は、日本のことを懐かしく思って、お祈りして(一応クリスチャン)おやすみです。

環境にうまく自分をあわせながら、同時に自分のペースを保つのは難しいですね・・・っと、ようやく生活になれてきた最近、つくづく感じます。


1997.1.5

さて、私はどのように年末年始を過ごしたかを堂々一挙公開いたしましょう。

っとまあ、盛りだくさんの1週間でありました。一つ一つお話ししていてはきりがないので、タイムズスクエアのお話をいたしましょう。

大晦日のタイムズスクエアは、すごい人混みでした。午後7時ごろから人が集まっていて、群衆はすでに興奮状態で吠えてる人がたくさんいました。食事したりして11時過ぎに再びノコノコ行ったら、あっちこっちバリケードされてて、騎馬隊の警官がたくさんいて、タイムズスクエアが見えるところまではたどり着けませんでした。それでもすごい人混みでした。大時計が見えないところだったので、新年の瞬間は、みんなが適当なときにカウントダウンする(笑)のでどれが本当かわからないうちに、遠くの方で花火があがっていて、「ああ、もう年が明けたんだ」っという感じでした。とても寒かったです。みんな、10代20代の若者ばかりで、お酒の入ったビンを叩き割ってるし、カップルはキスしてるし、警官に捕まって袋叩きにされて取り押さえられているヤツはいるしですごかったです。そんなすごい群衆の中、必死に写真を撮ろうとしていたのはみんな、旅行で来ていた日本人の女の子たちでした(笑)。


1997.1.4

こちらでは新年はたいしたことはなく、やはり、この時期はクリスマスがメインのようです。年が明けて数日たった今でも、クリスマスソングが流れているお店もあります。しかし、今週あたりからバレンタイン用品も目立つようになりました。中心はやはりチョコレートとカードです(でもバレンタインデーにチョコレートって日本のお菓子メーカーが始めたんじゃなかったっけ?)。

新年はたいしたことないといっても、新年の瞬間は盛り上がります。マンハッタンのタイムズスクエアでは、カウントダウンと花火がすごいです。ちなみにこっちの人に言わせると、「大晦日のタイムズスクエアなんて行くもんじゃなくテレビで見るものだ」だそうです。でも、もちろん私は行きました。その様子はまた後に。


1997.1.3

クリスマス・イン・ニューヨーク

十月下旬にアメリカに来てからしばらくは、生活の態勢を整えるので精一杯でした。落ち着かないまま十一月のサンクスギビング・デイを過ぎると、直ぐにニューヨークの町はクリスマス一色となりました。

私が住んでいるあたりの郊外の家々は、郵便ポストや玄関には赤いリボンを飾り、窓枠や垣根、壁や屋根、そして植木などには色とりどりの電球をつけはじめました。庭にはサンタクロースの像やキリストの生誕劇を表した中が空洞の置物をおき、内側から電球をともして浮かび上がらせていました。夜のその光景はとてもきれいでした。このような飾り付けをしていない家はユダヤ人か中国人だとわかるくらいに多くの家々がおとぎの国のお家のようでした。(こ
ちらの人にとって日本人は中国人と同じようなものみたいです。駅でいきなり中国語で話しかけられたり、ショッピングモールを歩いているとニーハオ!なんて声をかけられたりしています(笑)。)

このあたりはナーサリーという苗木屋さんが多く、この時期はどこもがクリスマスツリーとクリスマスリース屋さんに変身です(ちなみに託児所や保育園みたいなところもナーサリーと言うようです)。デパートには、私がアメリカに着いた時には既に、クリスマス用品専門のフロアがありました。ただ、日本のように「クリスマス商戦」といった様子はありませんでした。雑誌などには、日本のような”クリスマスはカップルでこう過ごそう”というような記事は皆無でした。

テレビやFMでは頻繁に讃美歌が流れ、あるFM局は一日じゅうクリスマスの曲を流していました。「ひいらぎかざろう」は日本よりもずっとポピュラーな曲のようです。街行く人が「あめなるかみには」のメロディーを気軽に口ずさんでいたりすると、とてもうれしくなります。

クリスマスにはすぐ近くの長老派の教会の礼拝へ出席しました。日本と同じ讃美歌が歌われると感激もひとしおです。礼拝の中では歌われませんでしたが、日本人が作った「ひつじはねむれり」も讃美歌の中にあって、日本語の歌詞がローマ字で書いてありました。日曜学校の子供たちによるページェントも、幼稚科さんは覚えた台詞を一生懸命披露し、高学年は自分たちでアレンジした寸劇を楽しませてくれました。

私がこのクリスマスを通して発見したことは、町には”クリスマス気分”があふれていても、教会では主にあってクリスマスが守られているという、日本と同じクリスマスがここにもあるということでした。こうして主を仰ぎ見る人たちがここにもいるのだという実感を得ることができました。

新年を迎えた今でもまだ、町中では時々クリスマスソングが流れています。私は、ようやく生活のペースがつかめてきて、いよいよこれからアメリカンライフを楽しめそうです。


1997.1.2

 NEC Americaの年末年始は、12/25と1/1だけが休みでした。基本的にアメリカには冬休みとか正月休みなんてのはないようです。したがって、テレビのつまらない隠し芸大会を見ながらウダウダする正月なんて味わえませんでした。

だいたいみんな12/25前後に休暇を取って、新年は2日から仕事っという人がほとんどです。私も12/25から1/1まで休みました。


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