すのはらの「春原主義」
ニューヨーク日記・その6
1997.8.1更新
1997.7月分です。
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1997.7.31
1997.7.30
マスコミ
7月25日のところに、お笑いタレントが出てくるバラエティー番組に全然おもしろさを感じなかったことを書きました。ぼくが感じたのは、「ダウンタウンが何を笑いの種にしているか」ということではなく、そういうものがおもしろいのだという「笑い」の感覚さえも、マスコミによって刷り込まれているのではないかということです。
ぼくはここしばらく日本のマスコミから離れ、英語がわからないのでアメリカのマスコミにも毒されず、すっかり純粋培養されてしまったのかな。
アメリカではテレビ番組にも映画と同じように暴力シーンや性的描写の程度に応じてratingを付けようと言う動きがあります。番組を視聴率で評価するのではなく質で評価するような時代になるのでしょうか。
1997.7.29
かかりつけの医者
そういえば健康保険の手続きの際、膨大な医者のリストを渡されて「この中からかかりつけの医者を選べ」と言われました。基本的にはどんな病気であってもまずはその医者に行き、それから専門医を紹介されるようです。わたしはそのリストの中から、場所が近いこととに加え、名前を発音しやすいという条件でかかりつけの医師を選びました(笑)。
1997.7.28
風邪引いた
帰りの飛行機の中が寒かったせいかなあ。それに疲れもあったのかな。風邪を引いてしまいました。ちょっとでも体調悪いと、英語が全然聞き取れません。みんなに医者に行けといわれますが、アメリカには「風邪くらいでは医者なんぞには行かん」という医者嫌いの人はいないんでしょうかねえ。この問題の裏には医療保険の違いとかいろいろありそうです。
1997.7.27
日本人は不親切?
成田空港に降り立って、預けたスーツケースを取りにバゲッジクレイムへ行きました。みんなベルトコンベアのわきにへばりついて自分の荷物が出てくるのを待っています。私は、どうせなかなか出てこないだろうと思い、少し離れて待っていました。
一人のご婦人が重たいスーツケースをベルトコンベアから取り上げようと苦労していました。その時、さっと手助けをしたのは、すぐ横にいた日本人たちではなく、その人からちょっと離れて後ろにいた外国人の方だったのです。
それはほんの一瞬のことでしたので、取り立てて言うほどのことではないかもしれません。日本にいたら気にならないことだったかもしれません。しかし私には、久しぶりに日本に帰ってきて、いきなり日本人の悪い面を目の前に突きつけられたようで、とてもショックでした。
私はアメリカかぶれして日本はだめだと批判を並べるつもりはありません。日本の良さもたくさん感じます。しかしこのわずかな出来事から、それがたまたま起こったことではなく、瀰漫(びまん)している日本人の心の狭さを強く感じたのです。日本人は概して、知っている人に対しては親切だが街ですれ違う赤の他人には心配りがなく冷たいと思います。
マンハッタンの中では観光客の多い大都会なのでそれほどでもないですが、ちょっと離れれば、車椅子の人に困ってそうでなくても「なにかお手伝いすることありますか」と声をかけている人がいます。私が立ち止まって地図を眺めていると「どこへいくんだ?」と何度も見知らぬ人に教えてもらいました(うそを教えられたこともありますが(^^;)。カメラを構えていると、「写真とってあげましょうか」と声をかけられたこともあります(怪しい人もいるので要注意だが)。
困っている人に声をかけることは、電車の中で席を譲るときのように最初は勇気がいるかもしれませんが、やってみると簡単です。みなさん、広い心を持ってすがすがしい日本にしましょうよ。
1997.7.26
はじめてたまごっちを見た。
そう、それは、帰りの飛行機の中でのことです。隣の若いちょっと太めのアメリカ人の男性が、なにやら大事そうにかばんから布の袋を取り出しました。そしてその中から出した物は、なんと、たまごっち!
はじめて見ました。本物のたまごっちを。さわらせてもらっちゃいました。本体の色は白。こっ、これがまぼろしの白のたまごっちなのでしょうか。
その男性は、石川県の中学校で英語を教えているそうです。夏休みで故郷のニューハンプシャーに帰るところだと言ってました。最近の中学生はちゃんと外人の先生に英語を教わっているのね。いいことだ、うん。
飛行機の中でひんぱんに世話をしてました。まだ2才でした。たまごっちの時差ボケを心配したら、飛行機に乗る前にアメリカ東部時間に設定し直したんだって。
その先生、テトリンもやってました。テトリンやってる最中に、フライトアテンダントのおねえさんが「お飲物はいかがですか」(実際は英語で)ときたもんだから、あたふたしてました(笑)。
1997.7.25
9か月ぶりに帰国してびっくりしたこと
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日本人ばっかりだ。当たり前なんだけど、彫りの深い顔立ちに見慣れていたせいか、彫りの浅い(のっぺりした)顔ばかりの日本は不気味だった。でもそう感じたのは日本に降り立った最初の数時間だけ。
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道路がとても狭いのにびっくり。日本にいたときは何でもなかった通りも、そっ、そんな狭いところ通るのぉ? 車も小さい。
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テレビがつまらない。特に、お笑いタレントが出ているバラエティー番組は全くおもしろくなかった。ダウンタウンも99もとんねるずも。ダウンタウンの笑いは低俗で見苦しいという意見が相変わらず新聞に投書されていたが、そんな議論さえも不毛に感じた。ただ、つぶやきしろうはいい味出していると思う。
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最近の女子高生は休日でも制服を着て街へ出るということを知った。私服でもルーズソックスの子がいた。
1997.7.16〜24
一時帰国
日本に一時帰国してきました。9か月ぶりに帰国して日本だなあと感じたのは、
1.成田エキスプレスの窓から見た水田。稲の緑はとてもきれいでした。
2.会社勤めの人で満員の山手線。ぼくはもうあんな電車には乗れない。
3.女子高生。夏でもルーズソックスなのね。個性のない格好しているのは背広のサラリーマンだけではなかった。
1997.7.13
こうら干し
天気がいい。庭が広い。芝生が気持ちいい。お日さまの光がぼくを呼んでいる。っということで、水着をはいて、サングラスをして、本を一冊持ち、バスタオルを芝生の上にしいて、庭でからだを日に焼きました。青い空をサングラスごしに眺めていられるという心のゆとりを感じられるのがいいね。
芝生は放っておくとどんどんのびちゃうので、週に一度は芝刈りをしなければなりません。うちは、大家さんが業者に頼んで芝を刈ってもらってます。うちにはないけど、多くの家の庭にはスプリンクラーがついて、芝に水をやります。でも、水を大切にするためか、二日に一度しかスプリンクラーで水をまいてはいけないらしいです。
隣の家の庭にはプールがあります。いいなあ。
1997.7.12
ホームパーティー
上司のお宅でのホームパーティーに招待されて、行ってきました。久しぶりに日本の家庭料理をたべたよ。うん、満足。ご家族の方も犬のレオもみんなフレンドリーでした。みんな会社の私より役職が上の方ばかりでしたが、とてもリラックスして楽しめました。日本ではなかなかこういうのってないよね。アメリカに来てよかったことの一つに、会社が小さいせいもあるけど、偉い方と普段から親しくしていただけることがあげられますね。
1997.7.11
伊良部
ついに登場しました。ニューヨークヤンキースの伊良部投手。すごい人気というか、話題になってますねえ。球場にも普段よりかなり多いお客さんが入ったそうです。未確認ですが、きょうのニューヨークタイムズの1面は伊良部だそうです。報道では一度はかならずフルネームで"HidekiIrab"というのでわかる(わざと最後のuを書きませんでした)のですが、Last
nameだけだと「ィラーブッ」なので聞き逃しちゃいます。「ィラーブッ」ではなく「イラブー」だと本人がわざわざ言ったとか言わないとか。
1997.7.10
お湯が出ないっ!
お湯が出ないよー。給湯装置のヒューズが切れたらしい。となりの家主のおばさんと共通の給湯設備なので、おばさんに文句を言っても、おばさんもこまっています。いつもお願いしている電気屋が金曜にならないと来れないらしい。シャワーを浴びれないよー(ら抜き表現)。給湯能力が弱いので先日新しいのに変えたと言っていましたが。。。ちなみに給湯装置はタンク式なので、あんまり一度に使いすぎると、お湯ではなくしだいに水になっちゃいます。
1997.7.9
1997.7.8
アメリカの人は寒さに強い?
会社の冷房、とっても冷え切ってます。だから、カーディガンを着て仕事してます。でも、現地の人たちは半袖やノースリーブで平気のようです。
そういえば、春先、まだ、コートが必要なくらいの日でも半袖で歩いている人とかいて、ニューヨークの春はTシャツの人とコートの人が入り交じっているという不思議な光景でした。一斉に衣替えする日本の方が不思議かもしれないですけど。
1997.7.7
1997.7.6
1997.7.5
パ行の謎
●中国人の中にFの発音がPになってしまう人がいます。フィラデルフィアが"ピラデルピア"になっちゃうのです。先日マンハッタンでちょっと道に迷って、ブルックリンブリッジへの行き方を聞いたら、聞いた店の人が中国系の人で発音が"プルックリンプリッジ"になってました。
●小澤征爾率いるボストン・シンフォニー・オーケストラは夏の間、マサチューセッツ州郊外のタングルウッドと言うところで練習をします。練習の合間にやるコンサートの案内の宣伝がニューヨークの日本人向け情報誌に載っているのですが、"ボストン・シンフォニー"ではなく、"ポストン・シンフォニー"になっているのです。めちゃくちゃ怪しい宣伝だよね。もう何か月もそのまんまだし。
1997.7.4
独立記念日
独立記念日は”花火の日”なんですねえ。あっちこっちで、どかーんどかーんと打ち上げ花火があげられていました。日本と同じ感じの打ち上げ花火です。花火があげられているところを求めてビーチの方へ出かけていったら、すごい渋滞で、ついたときにはもう花火は終わってました。。トホホ。ところで、アメリカにも花火職人がいるんでしょうかねえ?
1997.7.3その2
マンハッタンのJazz Club "Sweet Basil"へ、大西順子トリオのライブを聴きに行ってきました。いやあ、すごかったです。パワーに圧倒されました。順子おねえさん、白のジーンズにブルーのジーンズシャツというラフな格好で、ステージに現れたかと思うといきなり演奏開始です。ベースの荒巻さんはもうすぐに自己陶酔の世界に入ってしまい、うなり声をブイブイあげながら弦をはじいています。ドラムの原さんはそれを見て笑いながらたたいていました。順子おねえは終始無表情・・・っていうか、顔が見えない(^^;。指先はよく見えました。細い指なんですが、すさまじい演奏です。一気に演奏し、約1時間のステージでした。$17.50+食べ物飲み物$10以上。最後に順子おねえさんに握手してもらいました。笑顔を見せてくれたのでよかったです。
1997.7.3
1997.7.2
アメリカでの未成年者の犯罪
アメリカでは未成年者でも重大な犯罪を犯した者は、氏名などが公表されます。セントラルパークで起きた殺人事件では、容疑者の15才の男の子と女の子の氏名が新聞などに出ていて、ニュースでは連行されるシーンが顔にモザイクなしで放送されていました。その子たちはこれから将来どう暮らしていくんでしょうか。
1997.7.1
歯医者通い終了
日本語の通じないところで医者にだけはかかりたくなかったのですが、やっぱり定期的に見てもらおうと思い、5月に恐る恐る歯医者へ行って来ました。それがきょうでようやく終了しましたが、はじめていったときはびっくりしましたよ。
なんてったって、待合室で順番を待っていると、医者が待合室に迎えに来てくれて、"Hello,
I'm Scott."とか言って握手を求めてきて、診察へのドアを開けて「どうぞ!」ときたもんだ。
設備もすごい。レントゲン写真をとるのにも、CCDカメラで撮影です。そして、診察台の正面のモニタをつけると、そこにはウィンドウズ・アプリケーションの画面が!。今撮影した画像がそこに映し出されていくのです。ちょっと撮影の角度が悪くて撮り直すときには、失敗画像をクリックしてアクティブにし、コマンドメニューのエディットからデリートを選んで削除!まるで画像編集ソフトなみ。コントラストなどももちろん修正可能。写真はプリントアウトして患者にもくれます。別にシールにはなってませんが・・・ってプリクラじゃないからあたりまえ(笑)。
初診の最後にはなんと、見積書!をもってくるのです。そして、治療のスケジュールについても説明してくれました。もちろん支払いはクレジットカードです。
次の診察の日まであいだがあると、予約した日の前日に確認の電話がかかってくるのです。医者にも行ってみるもんですねえ。いい体験をしました。
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