■ケアンズへ
初めてオーストラリアへ行くことになった。シドニーやメルボルンは知っていたが、ケアンズというのは聞いたこともない。クイーンズランド州にあり、グレートバリアリーフに近い町だという。地図を見ると、南緯17度。緯度はフィリピンのルソン島と同じくらいで、熱帯に位置している。
9月末、旅行社の話では、現地は日本の初夏の気候だと聞いた。半袖シャツを主に、使うことはないと思ったが、薄手のジャンパーを1枚バッグに放り込み、成田へ向かう。
カンガルーの絵がついたカンタス航空のジャンボに搭乗し、一路ケアンズを目指して離陸した。座席はオール禁煙席で、たばこ好きには少々つらい。あまりいろんな国々の飛行機に乗ったわけではないが、どこにも喫煙席がない長距離便は精神的にかなりこたえる。ワインやウイスキーをもらって気分を紛らわす。
赤道に近づくと雲が増えてきた。上空から眺めてみたかったニューギニアは分厚い雲にすっぽりと覆われていて、影も形も分からない。
約7時間の飛行で、無事ケアンズ空港に着陸した。気温は暖かいが、暑いというほどではない。迎えのバスに乗り、当座に必要なオーストラリアドルを係の女性に両替してもらう。15分ほどで宿泊先に着いた。クオリティーハーバーサイドといい、明るくすっきりした雰囲気のホテルである。暑くないのに冷房が効いていて寒いくらいだ。チェックインの後、部屋に入ったら、サービスのつもりなのかもっと冷えている。すぐにクーラーのスイッチを切り、窓を開けて外気と入れ換えた。
部屋は海に面しており、目の前にトリニティー湾が広がっている。砂浜は見当たらない。海とホテルの間はエスプラネードという海岸通りになっている。通りの両側は道幅を倍に広げても十分対応できるほどの緑地帯がとってある。人も車もたまにしか通らないほどのんびりした所なのだが、将来交通量が増えても困らないようにしてあるのだそうだ。
にぎやかな市の中心部まで徒歩で20分くらいというから車は要らない。夕食は数人で連れ立って、ぶらぶら散歩しながら気にいった所に入ろうということになった。
「曇っていて南十字星は見えないね」
「何にしようか」
などと話しながら歩いていたら、レイク通り沿いに中華料理店があった。九龍酒家といい、だれでも食べられるから無難ということで、ここに入ることにした。
店内は明るく広々としており、本格的な円卓(回転式テーブル)が並んでいる。中国系の女性店員がいて、日本語は通じないのだが、メニューを指さしながらあれこれ注文する。料理はなかなかおいしい。
そのうちに一人が野菜を食べたいと言い出した。メニューは英語と漢字で書いてあるが、それらしい文字は見当たらない。
店員を呼んで、
「チンゲン菜」と言ったり、
「ベジタブル」とか
「野菜炒め」
などと口々に声を出して注文するが、身振り手振りで説明しても、いっこうに伝わらない。店員は首をかしげるばかりである。
そのやり取りを眺めているうちに、はたと思いつき、紙切れに『青菜炒』と3文字書いて差し出した。店員は大きくうなづくとすぐに厨房へ戻っていった。今度は通じたらしい。しばらくして運ばれてきたのは期待どおり、チンゲン菜の炒め物だった。
■市内観光
翌朝、ホテル内の食堂で連れと二人で朝食をとった。ひととおり食べ終えて、コーヒーを飲みながらたばこに火をつけた。ふと気がつくとわたしたちのテーブルには灰皿がない。日本語が分かる従業員はいないようだ。
〈英語でなんと言ったかな〉
などと考えながら、目にとまった灰皿置き場から自分で取ってきて吸いはじめた。
そうしたら女性従業員のほうからつかつかとやってきた。わたしに向かって盛んに何か話しかけてくる。
「ノースモーキング」と言っているらしい。どうやら灰皿の置いてないテーブルは禁煙席だったようである。早々と退散した。
ケアンズ2日目は市内観光に出かけた。25〜6度くらいか、晴れていれば昼間は暖かく半袖でいい。マーリン桟橋に立ち寄り、博物館でオパールの発掘の様子を見学した。
オーストラリアで採れるオパールは3種類あり、良く知られているのはブラックオパールとホワイトオパール。
もう一つはボルダーオパールという。鉄鋼石の隙間にできたもので、オパール層は極めて薄いのだが虹色の輝きは強い。鉄鋼石の表面についたまま加工されるため、他のオパールのように光が透過することはない。
■ワイルドワールド(Wild World)
次に市街北部のロイヤルフライングドクター基地を見学した後、さらに40分ほど北のパームコーブにあるワイルドワールドへ向かった。途中、野原の向こうには野生のカンガルーの姿がちらほら見える。
ワイルドワールドというのは放し飼いの動物園のような所だった。ヘビやワニなど特に危険な動物や貴重種以外は園内を自由に歩き回っている。ウォンバット(16K/Zoological Parks Board)がときどき現れて足元をちょろちょろしたり、カンガルー(13K/同)もたくさんいる。近づいていくと、皆一斉に顔をこちらへ向ける。2本足で立っているから、普通の動物よりもなんとなく人間的に思える。尾と後ろ足は異常に太く、鳴き声は出さなかった。カンガルーは集団でいることが好きらしく、おとなしい動物である。
通路の両側にはT字形の杭が並んでおり、その上には金剛インコやいろんな大型のオウムが1羽づつ静かに止まっている。紐でくくり付けられているわけではないが、人が近づいても悠然として、身動き一つしない。視線は鋭く、もし噛まれたら指がちぎれるのではないかと心配になるほど大きなくちばしをしていて、そばを通るのが怖いくらいである。杭には鳥に手を出さないように警告する標識がついている。
特別扱いなのか、屋根のついた建物にはコアラ(48K/同)がいた。原住民のアボリジニの言葉では
『水を飲まない』
という意味だそうだ。木の上でうとうとしているものが多く、どこへも逃げようとはしない。この動物は人間には関心がないようだ。ときどきユーカリの葉を食べ、今いる場所に飽きると、たまに枝の上を移動する。コアラの糞のにおいだろうか、ここはひどく臭い。たぬきと同じようなにおいがする。やはり鳴き声は聞けなかった。
ざわめきが聞こえ、人が数十人集まっている場所があった。なんだろうと思いながら行ってみると、囲いの中にワニがたくさんいる。ショーが始まるらしい。ワニ使いらしき男性が入れ物を手に現れた。魚を取り出して体長3b以上はあろうかという巨大なワニの頭上1b半ほどの所にかざす。
ワニはすぐには飛びつかない。30秒ほどじーと様子をうかがっていて、突然大きな顎を開き空中に飛び上がった。ワニ使いはこの瞬間に魚を口の中に放り込む。
ワニが
「パコーン」
というような音を響かせながらかぶりついた。ずうたいが大きいだけに迫力がある。
■グリーン島(Green Island)
3日目はグリーン島ツアーに参加した。わたしは船にはめっぽう弱いのだが、ケアンズに来たからにはグレートバリアリーフの島を訪れてみたかったからである。ノーマンリーフ(GATO HOME PAGE)まで行けるツアーもあり、船に強い人ならそちらがお勧めということだ。迎えのバスに乗り、トリニティー埠頭に着いたら何百人もの観光客であふれていた。順番待ちに小一時間ほどかかり、グレートアドベンチャー号に乗船した。
あいにく風が強く、かなり揺れた。甲板に並べられたいすに腰掛け、できるだけ周囲の知り合いとしゃべって気を紛らわす。50分近く揺られ、ふらふらになったころやっと島に到着した。
船着き場から長い桟橋を渡り、足を踏み入れた島は観光客でごったがえしていた。ゆっくりくつろげる雰囲気ではない。2時間あまり自由時間があるため、ぐるっと歩いて一周することにした。船着き場と反対側の島の海岸は広々とした珊瑚礁の磯になっていて、観光客も少なくのんびりできた。
島から船着き場までの桟橋の途中には海中展望塔があり、だれでも入れる。階段を下りた所はあたかも潜水艦のような部屋になっていた。周囲に丸窓が並んでいて、海中が良く見える。水流はかなり速く、かわいらしいクマノミ(48K/すばらしきダイビングの世界)がイソギンチャクから離れないように必死でひれを動かしている。その向こうにはとぼけた顔つきのナポレオンフィッシュ(39K/Maru Kichi Home Page)が時折姿を見せる。
暗さに目が慣れてきたら海底に巨大な物体がごろごろしているのに気づいた。最初は岩かと思っていたら、なんと1b以上ある化け物のようなシャコ貝が口を開けている。こんなばかでかい貝の中に海中で誤って足を突っ込んでしまったらどうなるのだろうなどと想像するだけでも身震いがする。
グリーン島ツアーを終え、トリニティー埠頭からは買い物がてら歩いて帰ることになった。ケアンズは小さな街だから、郊外へ出かけるとき以外は車の必要はない。どこへも歩いて行ける。お土産は特産のオパールが多い。原産地だから当然かもしれないが、値段は半額以下という感じである。
あちこちの宝石店を巡ると目が肥えてきて、善し悪しが分かるようになり、せっかくだから買って帰りたいという気分になってきた。わたしが気に入ったのはアボット通りにあるOrchid Plazaという店である。店長さんの話では自社の鉱山を持っていて、加工も自前だという。日本の宝石商がよく買い出しにやってくるそうだ。
オパールが店内を覆いつくしている。どれもすばらしい輝きをしており、実際には微妙な違いしかないのだが、次々と視線を移していくうちに高価な石はよりすばらしく、廉価な物は価値が低く感じられるようになってくる。だが、高いものは切りがない。日本よりずっと安くてきれいな石でなければ買う価値はない。いろいろ迷ったあげく、17万円のボルダーオパールと13万円のブラックオパールを選んだ。
■キュランダ(Kuranda)
4日目、最後の観光はキュランダのツアーを予約してあった。迎えのバスが来て、ケアンズ駅まで送ってもらう。しばらく待っていたら古びたレトロな列車が入ってきた。座席数以上の切符は発行しないらしく、ゆったりと座れる。美しい女性車掌がノートを抱えながら車内を巡回していて、キュランダシーニック鉄道の乗車証明書を無料で発行してもらえる。
この列車はオール禁煙席で、デッキに面した客車の外壁にまでも禁煙のマークが描かれている。日本の新幹線などのような売り子は来ないから、なんとなく手持ちぶさたになる。知り合いの男性がたばこの箱をポケットにしまいながら、
「あそこならたばこを吸ってもだいじょうぶですよ」
と、デッキを示して教えてくれた。
その気になって腰を上げ、やれやれとたばこを取り出して吸っていたら、運悪くさきほどの車掌に見つかってしまった。
禁煙のマークを指し示し、
「ノー スモーク」
とか、何か言っている。
〈仕方がない〉
わたしはいかにも、
〈それは気づかなかった。デッキは客車の外だからいいのかと思った〉
というような表情をややオーバーにしてから、たばこをもみ消した。
せっかく声を掛けてもらったのだからと、ずうずうしく記念に写真を撮ってもらった。
ディーゼル機関車に引かれた列車は景色のいい渓谷や滝のある山あいをゆっくり走り、1時間半ほどでキュランダに到着した。色とりどりの花がたくさん咲いている。ぞろぞろ歩いていくと広場では所狭しとマーケットが開かれていた。次にジャプカイダンスシアターを訪れた。ブーメランを体験できたり、アボリジニの楽器や踊りのショウが見られる。太く長い笛 Didgeridoo(ディジェリドゥ)は不思議な音がする。
■アサートン高原(Atherton Tablelands)
シアターの出口にはアサートン高原へ向かうツアーバスが待っていた。旅行社の手違いでガイドさんの案内は英語になった(英語ガイドは日本語ガイドよりも低料金)。言葉は分からないが景色は同じである。特に文句を言う者もいない。車窓からは延々と畑が見える。1枚の面積はとてつもなく広い。10分くらい走って次の畑に変わるほどである。作物の種類はなんなのかよく分からない。
途中、農家の庭先のような所にバスが止まった。土産物店のようである。果物や木の実など、この辺りで穫れたらしい農産物がたくさんある。珍しい生のアーモンドやマカデミアナッツが安い。店番はまだ成人前らしい女の子がやっていて、
「万国博で日本へ行き、チアガールをした」
と話していた。
アサートン高原はケアンズ西側に広がる台地で、バリン湖畔を散策したり、イカの足を垂らしたお化けのような形の巨木(Curtain fig. Tree)もあった。高原の町マリーバ(Mareeba)は緑豊かな畑が続く景色のよい所である。
ただ、残念なことに、訪れたときの天候はいまひとつすぐれなかった。厚い雲に覆われ、ときおり小雨がぱらつく。気温が低くなり、使うことはないと思っていたジャンパーを引っ張り出す。南半球の初夏は意外と寒い。もう少し厚手の上着を持ってくればよかった。
明日でケアンズともお別れだ。今夜は和食にしようということになった。グラフトン通りをぶらぶら行った所に『山』という店がある。寿司が食べられるし、値段も手ごろで、漬物とか冷ややっこなど、庶民的なメニューがそろっている。日本酒を酌み交わしながら、懐かしい味に舌鼓を打った。
(C) 1997 k-tsuji