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セブ島の旅


セブ島の位置  観光でセブ島へ行った。北緯10度、フィリピンの中央よりやや南にあり、沖縄の4倍くらいの大きさの島である。昭和64年1月、日本の初夏といった気候だろうか。炎天下を歩き回るとじっとり汗をかくが、日が沈むと暑くも寒くもなくてちょうどよい。

 マクタン空港では現地ガイドの男性、ホメルさんが出迎えてくれた。宿泊先のホテルへ着くまでの間に日程などの説明を受ける。日本語が流暢というわけではないが、割合に聞き取りやすい話し方をする。

 セブ島の日本人観光客はルソン島とは比べものにならないほど少ないそうである。わたしたちが泊まったプラザホテルでは日本語はほとんど通じない。不便ではあるが、かえって外国にやってきたという新鮮さが感じられる。

ホテルからの景色(赤い屋根の建物ははカジノ)  翌日はセブ市内の観光があり、独立広場やサンオーガスチン教会など、数か所の観光ポイントを巡った後、土産物店に寄った。外見は倉庫のような建物で、看板も見当たらない。入り口ではフィリピン女性が一人ひとりの客に小さな貝殻をつないだ首飾りを掛けてくれる。店内の商品は貝殻細工が多い。

 わたしは特に欲しい品物もなく、片隅でコーヒーを飲みながら、同行の人たちの買い物姿を眺めていた。皆が熱心に見ているのに、座っている客を不思議に思ったのか、一人の女性店員が近づいてきた。独特の雰囲気をしている。ややスローテンポだが、にこにこして人懐こく話しかけてくる。
女店員
 いちおう、お土産を勧めはするが、強引なやり方はしない。愛想がよく、すぐに立ち去ろうともしない。こちらが笑みを返すと、即座に表情の違う笑顔をする。

〈この応対は日本人には難しいな〉
商売だけにとらわれない店は、旅行者をゆったりとした気分にさせてくれる。

 バスで移動する間に、ホメルさんからフィリピン人気質をうかがわせる話を聞いた。
「わたしたちは明日で間に合うことを今日はしないとスペイン人から習いました。例えば今日食べるのに一時間で稼いだら、残りの七時間は働きません。次にアメリカ人からチップの習慣を教わり、中国人には商売の方法を学びました。そして、日本人からは急ぐことを知ったのです」

 フィリピン人の気持が分かる話をもう一つ思い出した。立派な家々が並び、それぞれに広々とした庭がある高級住宅街を通っていたときのことである。
「この辺りの家は高い塀で囲まれ、お手伝いさんを何人も抱えています。フィリピンにもこうしたお金持ちは少しいますが、大部分の貧しい人々は羨ましいとは思っていません。毎日あくせく働いて、休日でも仕事の心配が尽きないお金持ちはかわいそうだとむしろ同情しています。この国の多くの人たちが大切にしているのは、何にも束縛されない自由な時間と気ままな暮らしです」

  DOWN UP
 3日目は珊瑚礁の島へ行くオプショナルツアーに参加した。天候がいま一つすぐれず、時折小雨がぱらつく。むき出しの甲板に座り、船は出発した。濡れた服で風に吹かれたら、震えがくるほど寒い。持っていたタオルを巻いて雨風をしのぐ。

サンゴ礁の島  海の色は紺、藍、さまざまである。珊瑚礁の浅瀬は緑がかり、色合いは次々と移り変わってゆく。1時間ほどかかって小島の沖に着いた。水深が浅いため接岸せずに停まっていると、6、7艘もの手漕ぎのカヌーが迎えにやってきた。碧い海に浮かぶ真っ白な島でしばし時を過ごし、引き返した。
カヌー
 ホテルへの帰路は夕方のラッシュアワーに差しかかっていた。やたらと道が込んでいて、少し進んでは止まる。どの車もわずかな隙があれば我先にと突っ込む。交通規則はないに等しい。交差点は先に飛び込んだほうが優先するのだという。先がつかえていようがお構いなしだ。道路全体が動かないくらいひどい。

   わたしたちのバスはあまりにも発進、停止を繰り返したせいか、とうとう大通りの真ん中でえんこしてしまった。片側2車線のセンター寄りである。車体には“昭和49年製”というプレートがついていた。あちこちに部品を取り外したような穴が開いていて、電線が顔を出している。運転手は焦るふうもなく、スパナを片手に後部座席の辺りで何やらいじくり始めた。

 10分しても20分経ってもエンジンはかからない。後続の車は延々と数珠つなぎになっているが、どういうわけかクラクションを鳴らす者はいない。フィリピン人の気性のせいだろうか。脇を通り抜ける車に乗っている人は嫌な顔一つしない。
バス
 日本なら罵声を浴びせられても仕方がないくらいの場面である。乗客は皆心配になったが、どうすることもできない。すると、ホメルさんが腰を上げて外へ出ていった。救援を頼む電話を探すつもりなのか、車の間を縫って少年とやり取りしている。彼はすぐに戻ってくると、悠然とばら売りのたばこに火をつけた。こんな故障は日常茶飯事なのだそうだ。30分はとうに超えている。

 幾度となく通路を往復した運転手は、ついにエンジンの始動に成功した。一斉に乗客の拍手がわき、安堵の声が響く。

 セブ島を発つ日がやってきた。ロビーに集まった一行を前にして、同行の添乗員がうつむき加減で口を開いた。
「天皇陛下が亡くなられました」
 東京の本社へ連絡をとった際に電話で知らされたのだという。一瞬、重苦しい雰囲気が漂う。出発前から病状が深刻との発表がされてはいた。しかし、旅行中に現実になるとは思わなかった。

〈昭和が終わった〉
車中はほとんど無言のまま空港へ向かう。
〈日本に帰国したら、旅行姿は人目をはばかるのでは〉
とも思った。だが、ここはフィリピンである。セブ市ではまだ報道されていない。道行く人々はいつもどおり、相変わらずゆっくり歩いていた。


(C) 1989 k-tsuji
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