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サイパン/テニアン島の旅


■サイパンへ

サイパン・テニアンの位置

 コンチネンタル航空機で3時間。眼下に常夏の島、サイパンが忽然と姿を現した。この島に来たのは4度目か、はっきりとは思い出せない。飛行機のタラップを降りると、懐かしい南洋の空気が身を包む。ほわーっと暖かく、南の島の香りがする。

CONTINENTAL AIR LINE  入国審査を済ませ、税関で荷物の検査を受けた。検査官は女性が多く、意外と細かなチェックをする。バッグの中の品物を取り出して、一つひとつ調べている。基準に引っかかりそうな持ち物があると、隣の係官とあれこれやり取りしている。ここは、植物とその加工食品がうるさいようである。
 同行の人たちの幾人かは、きゅうりの漬物や梅干し、トマトなどを取り上げられた。わたしも別の空港で経験したことがあるが、金額の張る物でなくとも、楽しみに持っていった食べ物を取り上げられるのは嫌なものである。
 出迎えのバスに乗り、宿泊先のホテルへ向かう。所々に南洋桜(火炎樹)が朱色の花をつけている。この花は南の島へ来るたびに、いつもわたしを出迎えてくれる。ビーチロードを北上する。車窓から見える海は、青みがかった緑、藍色がかった青と、その色は一時として同じことはない。島の緑、木々に咲く花、岸辺に打ち寄せる波、日常とは異質な刺激を全身に感じる。

〈また、やってきたのだな〉
そんな思いがするのはいつもこのときだ。

南洋桜  ガラパンビーチにあるハファダイホテルに到着した。各部屋は海に面し、ロビーは広々と、のんびりしている。庭にはブーゲンビリア、プルメリアが咲き、甘い香りが漂っている。太陽が燦さんと輝き、フィリピン海から打ち寄せる波を見ていると、忙しいばかりの日本が嘘のようである。ロビーに並んでいる藤製の椅子に腰掛けて、しばし景色に見とれ、時を忘れた。

 夕食はホテル内の広間だった。チャモロ料理を味わっていると、ポリネシアン・ショーが始まった。ダンサーはフィリピンの女性か。ヤシの実のブラジャーを着けていて、独特のリズムに合わせ、赤い腰みのを揺らす。野生味があり、セクシーでもある。
 サイパンで働いているのは国外からの出稼ぎ労働者が多い。添乗員から聞いた話だが、原住民は政府の保護の下、生活できるくらいの手当てが支給される。だから、敢えて働く気にはならないのだという。


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■島内観光

 一夜明け、島内観光に出かける。お決まりのコースだが、バスでバンザイクリフへ向かった。昔、太平洋戦争末期、アメリカ軍に追いつめられた民間人の母子が身を投げた映像で有名な所である。サイパン島の北の果て、遠く故国を望む方角にその場所はある。

ラスト・コマンド・ポスト  何十メートルもの断崖、太平洋の荒波、飛び降りたら生きて帰ることはない。捕虜になるなら命を絶てという教育のせいだったのだろう。絶海の孤島で生きてきた彼女らの証を、今はもう知るすべもない。

 バンザイクリフの少し手前、地理的にはほとんど隣接しているのだが、マッピ山(7K/Tourist Kaoru)の山腹にラスト・コマンド・ポストという所がある。洞窟には日本軍司令部のトーチカがあった。

 付近には着弾の跡が生々しく残っていて、激戦地だった様子をうかがうことができる。今は洞窟の下一帯が戦争慰霊広場として、こざっぱりとした公園になっており、当時の戦車や大砲が保存されている。

 マッピ山の山頂にはスイサイドクリフ(自決の崖)(23K/同)と名づけられた場所があり、ここも必ず観光コースに含まれている。バンザイクリフと同様、追いつめられた民間人や兵士が断崖から身を投じたり、手榴弾で自決した所である。やはり、今ではここも悲しい歴史を伝える平和記念公園になっている。戦跡をひととおり見学した後、バードアイランド(29K/マリアナ政府観光局)、砂糖王公園などに立ち寄り、ホテルに戻った。

翠園

 午後、マニャガハ島(31K/同)ツアーに出かけた。タナパグ港から船で20分くらいの所にある。歩いてぐるっと一周しても15分程度の小さな島である。ヤシの木と白い砂浜が美しい。浜辺には昔の朽ちた軍艦の跡がくっきりと残っていた。シュノーケルを着けて、海に入る。波に揺られ、魚と遊んだ。

 今夜の夕食はビーチロード沿いの『翠園』である。高級過ぎず、また、安っぽくもない。香港から来たシェフが作った料理はおいしかった。値段は手ごろで、どの料理を頼んでも“ハズレ”はない。一度この店を訪れてファンになってしまった人も多い。

植物園と園長

■植物園

 翌日朝、サイパン熱帯植物園へ向かった。バスは各ホテルを巡りながら予約客を拾っていく。場所はタポチョ山の東麓にあり、南国情緒たっぷりの入り口はしゃれている。案内してくれたのは日本人の園長さんだった。静岡県出身、南の島が好きで十数年前にやってきたという。ほんとうはもっと田舎のロタ島へ行きたかったが、病気になったとき困るので、東京に近いサイパンに住んでいるのだそうだ。

 植物園は広大な面積がある。ヤシの木、パンの木、旅人の木があり、ハパイヤ、マンゴー、ドリアンの木もあった。草花もさまざまな種類が植えられている。園長さんの後について、10分ほど登ると小高い丘の上に出た。一面に広がったヤシの木の葉が太平洋から吹き上げてくる風に揺れている。汗をかいた肌にもさわやかで心地よい場所である。

 一休みしてから下りると、色鮮やかなトロピカルフルーツが待っていた。屋外に設けられたテーブルには、いろんな熱帯の果物が載っている。マンゴスチンやオレンジ、すいか、パイナップルなど、新鮮な果物に舌つづみを打つ。家族連れにもいい所である。


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■潜水艦

 昼食を済ませてから、再びロビーに集合した。今度は潜水艦ツアーに参加する。桟橋から小型船に乗り込んだ。潜水艦に乗船する場所までは普通の船を使うのだという。40分ほどで目的の海域に着く。標識の側で停船して待つこと数分。果たして、海面から潜水艦が浮上してきた。乗組員がハッチを開けると、今までの乗客が次々に出てくる。入れ替わりでわたしたちが乗り込んだ。

 最近就航したばかりらしい。艦内は広々しており、造りは新しくきれいだった。丸いガラス窓が左右に並び、海中がよく見える。青緑色の光が幻想的で、あちらの窓、こちらの窓に泳いでいる魚が見える。突然、どこからともなく女性ダイバーが現れた。魚に餌をやっている。時々、大きな魚がやってくると、皆の歓声があがる。

 ダイバーが手を振っている。お別れらしい。外が徐々に暗くなってきた。潜水を始めたのだろう。全く揺れがない。船にはめっぽう弱いわたしだが、潜水艦がこれほど乗り心地のよい乗り物だとは知らなかった。進んでいるのか、停まっているのか、外の景色が見えなければ分からない。

 艦はゆっくりと進行しながら、深度を増していく。10分ほど行った所で停止した。水中で崖のようになっている場所である。左舷からライトが当てられた。珊瑚礁の生き物が手に取るように見える。

 更に深度を増して、広い場所に出た。目を凝らすと、海底には起伏がある。立体的で遠近感もはっきりしている。魚は鳥が飛んでいるかのようである。水中にいることが信じられないような光景だ。ダイバーしか味わえない感動を、お年寄りや子どもまで体験できる。すばらしい乗り物だった。


■ヤシガニ

 夜はヤシガニを食べにガラパンへ出かけた。ビーチホテルのそばにある『金八』という店である。けっこういいお値段がついている。昔はたくさんいたが、今はあまり獲れないのだそうだ。カニといってもヤドカリのような姿をしており、クモの仲間ということだ。そう聞くと食欲はいまひとつ湧いてこないが、食べてみないことには話にならない。

 皿に盛られて出てきたヤシガニは真っ赤に茹で上がっていた。おっかなびっくりつついてみる。お腹の辺りはやわらかく、ブヨブヨした感じがする。ハサミはカニとそっくりである。違うのは身がツルッと取れないことだ。殻と身がしっかりくっついていて、剥がしにくい。丹念につつかないと食べられる所は少ない。味はカニよりこってりしていた。磯の香りはしない。

 金八レストランからビーチロードへ抜ける通りは賑やかな繁華街になっている。たまにはアフターダークということで、連れと二人で一軒のパブに入った。なかなかのきれいどころを揃えている。あまり混んでいないせいか、女の子を4人付けてきた。白人が多く、ほとんどはスペイン系である。やはりフィリピンから来たそうだ。

 彼女たちは20分に1杯くらいの割で、ドリンクをねだる。サイパンではどこでもそのようなシステムなのだろう。それが彼女らの賃金と割り切って飲めば、そこそこの雰囲気を楽しめる所ではある。

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■テニアン島

サイパン・テニアンの地図  テニアンはサイパンのすぐ隣にあるのに、あまり知られていない。上空から見下ろしたことはあるが、どんな島なのか行ってみたかった。わたしの話を聞いた二人がぜひ一緒に行きたいという。意気投合した三人が日帰りツアーに出かけることになった。

 朝食を済ませてからロビーで待っていると、ツアー会社の車が迎えにやってきた。諸注意を聞きながら、空港まで送ってもらう。出発までの空き時間に、運行時刻表へ目をやると、1時間に2・3本も出ている。小さい島なのにずいぶんたくさんある。

 出発時刻が近づいた。ゲートを抜け、飛行機の所まで歩く。6人乗りの小型セスナだ。他の二人と同乗客は後部ドアの方へ回ったが、わたしだけは前の方に手招きされた。右主翼の上にパイロット用のドアがある。そこから、主翼を踏み台にして乗り込んだ。副操縦席だ。目の前に操縦席と同じ複雑なツマミ、計器がいっぱいに取り付けられている。

テニアン行きのセスナ  パイロットはアメリカ人らしかった。シワだらけで、えらく歳がいっているように見える。75歳か、若くても70位か。恐らく太平洋戦争の退役軍人なのだろう。この人が操縦中にポックリいってしまわないか、心配になってきた。

 彼がツマミをいろいろ操作すると、機は滑走路の方へ移動を始めた。操縦席左の小窓から手を出している。プロペラの調子を診ているのだろうか。発進直前なのにわたしの右側のドアは開いたままである。ベルトが外れればポロッと落ちるかもしれない。わたしが閉めようとしたら、彼に「ノー、ノー」と言われた。どうやら、ドアは開けたまま飛び立つらしい。

 エンジン音が一段と高く響くと、機はふわっと舞い上がった。右側のドアが風でパタパタと開いたり、閉まったりしている。このまま、テニアンまで飛んでいくのかと不安になったが、かなり上昇した所で閉めてくれた。

 サイパンの南海岸沿いをぐるっと回り、機首がテニアンに向いたころ、水平飛行になった。大型飛行機と違い、360度の展望がある。天気は快晴。眺めはすばらしく、エンジンの音も快調に、10分足らずでテニアン空港へ着陸した。

 小さな空港はガランとしていて、人の姿はほとんど見えない。ティーコーナーで一組の男女が話しているだけだ。壁に目をやると時計が二つ、ちょっと離れた位置に掛かっている。針はバラバラの時刻を示しており、しかも、どちらも狂っている。ここはどうやら、時計は要らない島らしい。
男性ガイド
 ツアー会社のガイドさんが現れた。若い日本人である。髪を短く刈り込み、チョビ髭を生やしている。Tシャツと赤紫色の半ズボン、ツッカケ履きというスタイルだ。

「ぼくは日本の旅行会社の社員なんですが、島流しに遭ったようなもんですよ。こんな、なんにもない島で、お客さんを待ってるほどつらい仕事はありませんよ」

わたしたちの顔を見るなり、しきりにボヤいている。何日も日本語をしゃべっていないのか、嬉しそうに話し掛けてくる。

「さっき、空港でコーヒーを飲んでいた男の人は、この島の警察官なんです。だけど、取り締まる相手がいないんで、ああして時間をつぶしているんですよ」


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 彼が運転する4輪駆動車に乗せられて、島内観光に出発した。道を歩いている人は見当たらない。すれ違う車もない。もちろん他の観光客にも出合わない。見かけたのは牛が2頭だけである。ポツポツと民家が点在するサンホセ村に出た。その村外れにタガ遺跡(24K/マリアナ政府観光局)がある。太い柱状の石の上に更に大きな石が載っている。お墓なのか、お祭りのためなのか、何のための遺跡か分からないという。

 次にテニアン港に寄った。ガイドさんが食パンを半切れづつ手渡してくれる。おやつにしては中途半端な量だと思ったら、魚にやるのだそうだ。少しづつちぎっては水面に落とすと、かわいらしい熱帯魚が集まってきた。いろいろな種類がいる。原色の模様が多い。自然の熱帯魚は食欲が旺盛だった。

広島原爆搭載地の碑  島の中央を南北に走るブロードウェイを北上する。畑があるから農民はどこかにいるのだろう。30分ほど走って、ハゴイ空軍基地に着いた。原爆搭載機(K/Enola Gay Gallery 103)が発進した飛行場だという。片隅にプルメリアの木が植えられ、広島原爆の記念碑が建っていて、少し離れた所に長崎原爆の碑があった。

 周囲には草木がうっそうと生い茂り、滑走路は長い年月の間にボロボロになっている。ここから飛び立ったB29の原爆(14K/A-Bomb WWW Museum)で何十万人もの犠牲者(156K/同)が出た。その場所に今、こうして立っている。複雑な思いを胸に、飛行場を後にした。

 空軍基地から10分とかからずに、島の北西海岸に出た。チュルビーチという。ガイドさんが砂をすくって見せてくれた。星砂が採れるのだという。わたしも早速手に取ると、あるある。直径が2ミリ位で、星の形をした砂がたくさん混じっている。子どものようにはしゃいでは、砂を集めた。

 この後、潮吹き海岸、スーサイドクリフ、タガビーチ(30K/マリアナ政府観光局)などを見物したら、お昼になった。名鉄フレミングホテル(28K/同)の小さなレストランでランチを頬張る。客は我々3人だけである。ガイドさんは食事を摂りに一旦戻っていった。

 帰りの飛行機の予定まで、だいぶ時間があり、ぶらぶらと散歩に出た。プルメリアの木があちこちに植えられている。たった一人、黒い服を着た牧師さんらしい人が歩いていた。挨拶の声を掛けられ、こちらも返した。
昼寝した南洋桜とスーパーマーケット  昼下がりのテニアンはいちばん暑い時間である。大きな南洋桜の木陰で横になって涼んでいたら、いつのまにか、うとうとと寝込んでしまった。

 通りの向かい、ビデオセンターの隣にスーパーマーケットがあり、たまに客が来る。喉が渇いたので、わたしたちも覗いてみた。透明なカバーの中にアイスクリームが何種類も並んでいる。量が特に減っているケースを指差して注文した。女店員がコーンを取り、一つひとつすくってくれる。おいしい。ここで食べたアイスクリームの味は忘れられない。

 予定の時刻が近づき、レストランに戻ったらガイドさんが待っていた。空港まで送ってもらう。ほとんど観る物のない島ではないかと思っていたが、旅行客の多い普通の観光地とは全く異なる島であった。他で見られないものがいくらでもある。同行の二人も、久々にいい旅ができたとガイドさんにお礼を言い、別れを告げた。


(C) 1996 k-tsuji
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