キリスト教の笑い話 その3

★食前の祈り その1

「君は食前の祈りをちゃんとしているかい?」と友人が尋ねた。
「いや、してないよ。ぼくのママは料理が上手だからね。」

(石黒マリーローズ『キリスト教文化の常識』講談社現代新書)

★食前の祈り その2

ある人が森の中でクマと出会ってしまった。こんな場合クマから目を離してはいけないと思い、その人はクマをじっと見つめていた。ところが、クマはうつむいて、目をつむった。その人が驚いて様子を見ていると、クマは再び頭を上げて言った。「最期の祈りは済んだかい?こっちの食前の祈りは終わったよ。」

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★緊急時の祈り

嵐の中、ついに船が沈みそうになった。船長が叫んだ。「誰かお祈りのできるヤツはいないのか。」
一人の男が名乗りを上げると、船長は言った。「よし、それではおまえが祈っていてくれ。さあ、残りの者は急いで救命ボートに脱出しろ!」

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★雨乞いの祈り

干ばつが続いているため、人々が教会に集まって、雨乞いの祈りをすることになった。しかし、集まった人たちを見て、牧師は言った。「みなさんは、神が本当に雨を降らせてくださると信じていない。なぜなら、傘を持ってきた人はたったひとりしかいないではないですか。」

(いろんなところで聞いた)

★礼拝前の祈り

礼拝のために会堂に入ったとき、着席する前に立ったまま短く個人的に祈ることが習慣になっている教会がある。
初めて礼拝に出席した男が、礼拝が終わった後、一人の貴族に尋ねた。「あなたは、礼拝堂で腰掛ける前に、立ちながら何をしていたのですか?」
貴族は答えた。「私は30まで数えます。ほかの人たちは15までしか数えてないようですけど。」

(O.クルマン(川村輝典訳)『新約聖書における祈り』教文館、1999、263頁)

★とりなしの祈り

皇帝の側室が、政治を私利私欲のために利用していて、民衆の恨みと非難を浴びていた。彼女は、領土内の全教会で日曜ごとに自分のために祈ることを強要しようとしていた。この不当な要求に宗務局が困惑していると、ある牧師が言った。
「そのご希望なら既にやっていますよ。主の祈りの中で『我らを悪より救い出したまえ』とね。」

(宮田光雄『キリスト教と笑い』岩波新書)

★聖書解釈

学校の校長と農夫が言い合っていた。その農夫は校長に日頃から不満をつのらせていたのだ。「校長先生、あなたは、子供たちに、『もし誰かが右の頬を打ったら、左の頬をも差し出しなさい』と教えていらっしゃいますよねえ」
校長は言った。「そのとおりですよ。」
すると、農夫は校長の一方の頬に平手打ちを食らわせ、さらに反対の頬をも殴った。

ちょうどそのとき、少し離れたところを、ある貴族とその従者が通りかかった。貴族は従者に言った。「ヨセフ、あそこで二人が何を言い争っているのか見てきなさい」

ヨセフが近づいてみると、今度は校長の方が、農夫の両頬に平手打ちを食らわせながら、言った。「聖書にはこうも書いてある。自分が量るはかりで自分もまた量られる。あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる」そうして校長はさらに五、六発、農夫のふところにこぶしを入れた。

ヨセフは主人のところへ戻ってこう伝えた。「別に何でもありません。彼らは互いに聖書を解釈しあっているだけです。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★讃美

ある牧師が、讃美歌を大きな声で歌うことを勧めるためにこう言った。「神さまからよい声を恵まれた人は、その賜物を生かして声高らかに感謝いたしましょう。そうでない人は、大きな声をあげて神さまに仕返ししましょう。」

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★公(おおやけ)の礼拝

礼拝に出席する人が少ないのを見て、ある人が牧師をからかって言った。「先生、きょうの礼拝に集まった人は少なかったですね」
牧師は答えた。「なに、礼拝にはいつも何億人、何万人もいるよ」

(有名。レイモンド・アバ『礼拝』p.19、『福音のタネ 笑いのネタ』にもあり)

★一番長持ちするもの

この世で一番長く続くものは何か?と尋ねられた高名なラビは答えた。「それは、誠実と信心だ」
質問した男は意外な答えに驚き、「その二つの徳はこのごろめったに見られないが」と言った。すると、ラビは答えた。「そのとおり。一番使われないものが一番長持ちするのだから」

(三浦靭郎『ユダヤ笑話集』社会思想社)

★礼拝の効用

養鶏業を営む男がいた。彼は、毎週の礼拝は欠かさなかったが、その町では彼の悪い行動について噂がたっていた。
そんなうわさを耳にしたある人が言った「彼は毎日自分の養鶏場に行くけど、だからって、彼がニワトリになるわけはないのと同じだよ」

(ラビ・M・トケイヤー(加藤英明訳)『ユダヤ・ジョーク集』講談社+α文庫)

★日曜日のゴルフ

もう礼拝がとっくに始まっている時間に、ある牧師が教会へと急いでいた。ゴルフ場を通りかかったとき、誰もいなかったので、その牧師は、一打だけ打ってみた。すると、なんと、ホールインワンを決めてしまった。
それを知った天使長は文句を言った。「礼拝をさぼっているようなヤツにホールインワンを与えたのは誰だ?」
一人の天使が答えて言った。「これは、私が彼に与えた罰です。なぜなら、彼はこのことを誰にも言えないのですから」

(チャンさんから聞いた)

★怪力の男に勝る男

怪力を誇る大男が、レモンを握りしめ、もう1滴も汁が出なくなるまで握りつぶして、言った。「このレモンをさらに握りつぶして1滴たりとも汁を出せるヤツはおるまい。」

ところが、ひとりのやせぎすの男が、「私がやってみましょう」と言ってその男の前に出た。大男が握りしめた後のしなび切ったレモンを手に取ると、その男は顔を紅潮させ前身を震わせて、渾身の力を込めてぎゅーっと握りしめた。すると、小さな一滴がポタっと落ちた。

大男はびっくりして尋ねた。「おっ、おまえは何者だ?」
やせた男は答えた。「教会の会計係です。」

(岸義紘先生のメッセージの中で、山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★それはたいへん

ある教会が、牧師がいないので新しい牧師を送ってくれるよう教区に要請した。ところが、いつまでたってもいっこうに新しい牧師はやってこない。
業を煮やした教会の役員が、もう一度教区に手紙を出した。「新しい牧師はもういりません。のんびりと気楽な日曜日を過ごしておりますので。」
するとさっそく新しい牧師が紹介されてきた。

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★試験

ある神学生が、試験のとき答案がまったく書けず困り果て、結局あきらめて次の言葉を書いて答案を提出した。「憐れみ深い人たちは幸いである。」
その答案が返却されたとき、そこには教授の字で次のように書いてあった。「悲しんでいる人たちは幸いである。」

    (マタイによる福音書5章4節、7節)

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★使徒3:6

トマス・アクイナスが教皇イノセント二世を訪ねた。その時教皇は、莫大な金額のお金を勘定していた。教皇は言った。「どうだい、トマス博士、これでもう、教会は『金銀は私にはない』とは言わなくなるだろう。」
トマスはこう返した。「はい、教皇様。そして、教会はもう、『イエス・キリストの名によって立ち上げり、歩きなさい』と言うこともできないでしょう。」

(F.F.ブルース『使徒行伝』聖書図書刊行会、p.94)

★心から祈る

ある騎士が、一人の農夫に向かって言った。「おまえがまったく心を散らすことなく主の祈りを1回でも唱えることができたなら、私の馬をおまえにやろう。」
農夫は、これはしめたと思って、こうべを垂れて祈り始めた。
ところが、祈り終わる前に、農夫は頭を上げて、騎士に言った。「ところで、その馬には鞍(くら)がついていますか?」

(小崎登明『長崎のコルベ神父』聖母の騎士社、324ページ)

★最も信仰のあついのは誰?

神学者シュライエルマッヘルは、信仰をこう定義した。「信仰とは、絶対的な服従の気持ちである。」
それを聞いた哲学者ヘーゲルは言った。「それなら、もっとも信仰的なのは犬だな。」

(ヘーゲル。有名。)

★不幸な結婚

「先生、13日の金曜日に結婚すると不幸になるというのは本当ですか?」
「勿論です。どうしてその日だけが例外であり得ましょう。」

(よく言われるでしょう)

★死刑囚の付添人

死刑囚の絞首台は、道の悪い山の中にあった。ある修道会士が、ひどく雨の降る日に、死刑囚を絞首台へ連れて行った。その囚人は途中、こんなに悪い天候の日にこんなに辛い道を行かねばならないなんてと、嘆いた。修道会士は彼を慰めて、言った。「そんなに文句を言うもんじゃない。君は行くだけでよい。わたしは同じ道をもう一度通って帰らねばならないのだ。」

(解説:処刑場からの帰り道は、良い天気の時にすらいかにわびしいものであるか。)

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)