キリスト教の笑い話 その4

★新興宗教をはじめるには

ある人が、新興宗教をはじめようと思い立ち、すでに有名になっている新興宗教の教祖を訪ねた。「新しい宗教をはじめる秘訣を教えてください。」

すると、その教祖は答えた。「それなら確実に成功する方法をお教えしましょう。あなたはこれから、『私はこれから十字架にかかって死ぬ。そして三日後に復活する』と人々に語ってまわりなさい。」

その人は、そんなことなら簡単だと乗り気になった。しかし教祖は続けた。「そして、その通り実行しなさい。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』では政治家を訪ねる。)

★教会は暴力容認?

リベラルな社会運動家が言った。「わたしは、少数意見を尊重し、偏見や差別と戦い、あらゆる立場を切り捨てないことを主義としているんだ。」
そこである人が尋ねた。「でも、そのようなあなたの考え方に反対する人がいたらどうしますか?」
彼は答えた。「私の意見を守るために暴力を行使するという立場も容認されるだろう。」

(某教団での笑えない実状)

★救われるための条件

どうすれば救われるかという問いに対して、根本主義者は答えた。「改訂標準訳(RSV)聖書を使わないことです。」

    (1950年代初期のアメリカの状況。)

(アリスター・マグラス(島田福安訳)『キリスト教の将来と福音主義』いのちのことば社、1995、162頁)

★なぜ牧師には常識はずれの人が多いか

牧師には常識をはずれた人が多いと日頃から思っていた信徒が、思い切って、ある牧師にたずねてみた。「先生、どうして牧師には常識はずれの人が多いのですか?」
その牧師は答えた。「牧師になる前は皆、信徒だったんですから。」

(島村亀鶴が言ったらしい)

★なぜ人間は罪深いのか

信徒が牧師にたずねた。「どうして人間は神さまに造られたのに、罪を犯す存在なのですか?」
牧師は答えた。「神さまはきっとお疲れだったんだろう。」

(神は六日目に人間を創造され、次の日は安息なさった。)

★創造の秘密

ひねくれた信徒が、牧師を困らせてやろうとして言った。「先生、カインの妻はどこから来たんですか?」
牧師は答えた。「人の奥さんを詮索してはいけないよ。」

(カインの妻は、創世記4:17でいきなり登場する。)

★子供の叱り方

牧師は、いつも伝道のために駆け回っている人ばかりではなく、いつ来るかわからない相談の来客や信者の入院や死亡など緊急の連絡に備えて、なるべく牧師館にいるようにしている牧師もいる。
ある日、牧師館の隣の家から、子どもを叱りつけている親の声が聞こえた。「そんなに家の中でごろごろしてばっかりいると、牧師にしかなれないぞ」。

(うちのことか?)

★こわれ物

ある夫人が、親元を離れて大学に通っている息子に聖書を送ろうと決めた。聖書をしっかり梱包して郵便局へ持って行くと、窓口でたずねられた。「中身はこわれ物ですか?」
夫人は答えた。「ええ、十戒が入っています。」

(アメリカのジョークによると、この夫人は南部に住み、息子は西海岸の大学に通っていたりする。)

★務めに忠実な牧師

船が暴風雨に襲われた。船に乗っていた人が総出で、積み荷を海に捨て、さらには船具まで捨て去った。なすべきことはすべてなし、助かる望みが全く消え失せようとしていた。船長は言った。「もうあとは祈るしかありません。」
すると、ちょうど乗り合わせていた牧師が出てきて言った。「ついに私の出番が来たようだ。」

(人々が総出で積み荷を捨てていたとき、一体この牧師は何をしていたのか。)

★何でも知っている牧師

祈祷が終わったとき、一人の信徒が牧師に言われた。「あなたはなぜ、お祈りの時目を開けていたのですか?」
その信徒は答えた。「どうしてご存じなのですか。」

(これに対し島村亀鶴は「牧師は何でも知っているんだ」と答えたらしい。)

★ざんげ

信徒A:「実はここだけの話ですど、教会のトイレに落書きがありますよね。あれを書いたの、実はボクなんです。どうか、牧師には内緒にしておいてください。」

信徒B:「ああ、あれは君がやったのか。君がそう言うなら、オレも告白するけど、教会の門を壊したのはオレなんだ。車をぶつけちゃってさあ。どうか、誰にも言わないでくれよな。奥さんにも隠しているような罪があるでしょう?」

牧師夫人:「私には、隠さなきゃいけないような罪なんてありません・・・・・でも、そう言われてみれば、一つだけ悪い癖があるわ。私は、聞いた話は内緒にしておいてくれと言われても、全部、夫にしゃべっちゃうのよ。」

(田河水泡の「面白説法」。マルコ4:22 or ルカ8:16)

★献金が少ない

牧師:「最近、献金が少ないようです。みなさん、もっと献げましょう。」
信徒:「先生、それならもっと献げたくなるような説教をしてください。」

(あなたも内心はそう思っていませんか? 『信徒の友』2003.3)

★取れたてのぶどう

ある修道士がブドウをいただいた。しかし、他者に分け与える精神に生きていたその修道士は、隣の修道士にそのブドウをあげた。
ブドウを受け取った修道士もまた、自分が食べようとは思わず、隣の修道士に渡した。
ブドウは修道士の手から手へと渡り続けた。

そのブドウは最後に修練長の手元に届いた。彼はそれを食すると、ノートにこう記録した。「寄進物:干しぶどうひとふさ」

(干しぶどうになっちゃうところまでは有名。)

★信仰は自然とにじみ出るもの [NEW]

ある神学者が路傍説教を聞いていると、パンフレットを配りながらやってきた女性に尋ねられた。「あなたは、救われていますか」。
神学者は答えた。「そのつもりですが」。
女性は問い返した。「あら、そのお顔で?」

(加藤常昭『自伝的説教論』、p.123)