バルト研究書 その1
- 1.伝記、評伝
- 2.ティリッヒ、ブルンナー、ブルトマン
- 3.熊野義孝
1.伝記、評伝
1.1 バルト自身による自伝的文章
- 佐藤敏夫訳、『バルト自伝』(新教新書51)、新教出版社、1961、120頁。
- 佐藤敏夫による解説(〜p.47)とバルトの「この十年間に私の心はいかに変化したか」(T:1928-1938、U:1938-1948、V:1948-1958)。これは、『クリスチャン・センチュリー』誌に十年ごとに掲載されたもので、バルト42歳から72歳までの自叙伝。とてもよい。巻末の文献表は、原著と1950年代までの邦訳がわかる。
- 「シュライエルマッハーとわたし」、原著1968(J.ファングマイアー(加藤常昭、蘇光正訳)『神学者カール・バルト』、アルパ新書28、日本基督教団出版局、1971(1969))。
- シュライエルマッハー選集への後書きとして書かれた文章。バルトにとってシュライエルマッハーは「旧友であり旧敵でもある」。そして、ブルトマンをシュライエルマッハーと同じく「神学の人間学化」と批判する。最後の部分で、「第三項の神学」、「聖霊の神学」について語る。
1.2 バルトに関する評伝
翻 訳
- J.ファングマイアー(加藤常昭、蘇光正訳)、『神学者カール・バルト』(アルパ新書28)、日本基督教団出版局、1971(原著1969)、158頁。
- 生い立ちからの神学者としての歩みの紹介。たいへんよい。『ローマ書』の特徴、「弁証法」とは何か、ブルトマンやブルンナー批判の要点などが簡潔に説明されている。第二部に、バルトの自伝的解説となっている「シュライエルマッハーとわたし」(1968)という文章がある。巻末にバルトの著作、研究書の文献表あり。
- T.F.トーランス(吉田信夫(しのぶ)訳)、『バルト初期神学の展開 1910-1931年』、現代神学双書64、新教出版社、1977(1962)、420頁。
- 「第一部 カール・バルト−−その人とその事業」で「初期の生活」と「人間的特徴」。
- エーバーハルト・ブッシュ(小川圭治訳)、『カール・バルトの生涯 1886-1968』、新教出版社、1989初版、改訂新版あり(19751,19783)、768頁、8700円。
- バルトの生涯の決定版。バルトの秘書兼助手の一人ブッシュによる、バルトの書簡や自伝文書をもとにした生涯。解釈でも評価でもなく、「事実」をくわしく叙述する(「はじめに」iii頁)。神代先生が、ぜひ読めとのこと。ほしい。
- カール・クーピッシュ(宮田光雄、村松恵二 訳)、『カール・バルト』(現代キリスト教の源泉、2)、新教出版社、1994(原著1977)、262頁、2,500円。
- 写真豊富なバルトの伝記。文献表や年譜も充実。バルトファン必携の一冊。2011年重版。
- J.R. フランク(佐柳文男訳)、『はじめてのバルト』、教文館、2007、231頁、1995円。
- イラストが特徴的な「安心してお勧めできるバルト入門書」(『本のひろば』2008.2神代真砂実の書評)。
日本人によるもの
- 大木英夫、『バルト』(人類の知的遺産72)、講談社、1984、380頁。
- 「バルトの思想」「バルトの生涯」「バルトの著作」「残された問題」の4章からなる。独特の視点と筆致でバルトを描き出す。写真は「笑うバルト」。詳しい年表と著作目録あり。第3版以降でミスプリントなどが直っていると著者談。
- 大島末男、『カール=バルト』(人と思想75)、清水書院、1986、231頁。
- 宮田光雄、「カール・バルト――政治的・神学的評伝」 (宮田光雄、『平和のハトとリヴァイアサン――聖書的象徴と現代政治』、岩波書店、1988の、pp.123-200。
- バルトの政治との関わりに注目した評伝。『ローマ書』、『神学的実存』、『バルメン宣言』、スコットランド信条の第24条の講義、『義認と法』、『キリスト教共同体と市民共同体』、『東と西の間にある教会』『神の人間性』などをたどる。
- 富岡幸一郎、『使徒的人間−−カール・バルト』、講談社、1999、331頁、2600円。
1.3 バルトの神学の紹介、概説
一つの書になっているもの
- エーバハルト・ブッシュ(佐藤司郎訳)、『バルト神学入門』、新教出版社、2009(2008)、192頁、2100円。
- "KarlBarth: Einblicke in seine Theologie," 2008. 決して「入門」ではない。「日本語版に寄せて」「まえがき」の後、「第一章 バルト神学初期の時代――神は神である」、「第二章 告白教会の出発――神の唯一の言葉」、「第三章 闘争と希望の中の神学者――あなたの愛する人だけではない!」、「第四章 教会教義学――思考とは追思考である!」。この第四章で『教会教義学』の神学を九つの節でまとめている。
- 「ブッシュがバルトになりきり、バルト神学の内在的論理を明らかにしようとした好著・・・。入門書よりもレベルが高い概説書・・・。内容がとても充実している。」佐藤優『神学の履歴書――初学者のための神学書ガイド』(新教出版社、2014)p.216。
一つの書の中で項目があるもの
- 筑摩書房編集部編、『哲学講座 第1巻 哲学の立場』、筑摩書房、1949、259頁。
- 「現代の思想家」として、吉村善夫「バルト」。約4ページほどの簡単のバルトの紹介。他には、ハイデッガー、ヤスパース、ホワイトヘッド、魯迅、、デューイ、ニーバー(ラインホルド・ニーバー)、毛沢東。
- トゥルナイゼン(武田武長訳)、「カール・バルトとは誰か−−七十歳誕生にあたって」、原著1955(『トゥルナイゼン著作集6』、新教出版社、1987、pp.225-240)。
- スイスの「ツヴィングリ・カレンダー」という教会用の暦の1956年版の付録として書かれたもので、信徒向けにごく短く書かれた『教会教義学』の神学の紹介。『トゥルナイゼン著作集6』には他に、「カール・バルトにおける<神学と社会主義>−−彼の初期書簡に見る」(原著1973)、「ドストエフスキー」(原著1921、国谷純一郎訳)、「ブルームハルト」(原著1926、永野羊之輔訳)がある。これらのうち「ドストエフスキー」は新教新書18(1957)、「ブルームハルト」は新教新書85(1965)として先に出た。
- W.E.ホーダーン(布施濤雄訳)、『現代キリスト教神学入門』、日本基督教団出版局、19691,199714(19551,19682)、372頁。
- 第六章でカール・バルト。
- 大崎節郎、「バルト神学」(佐藤敏夫編、『教義学講座 第三巻 現代の教義学』、日本基督教団出版局、1974)、371-400頁。
- 神田健次、関田寛雄、森野善右衛門編、『総説 実践神学』、日本基督教団出版局、1989、536頁。
- 森野善右衛門の「序説−−教会・神学・実践」の中で、「神学の歴史における実践神学」として近代以前、シュライエルマッハー、カール・バルト、今日の実践神学の4項目が立てられている。この本は他のか所でもバルトへの言及が多い。
- 熊澤義宣、野呂芳男編、『総説 現代神学』、日本基督教団出版局、1995、590頁。
- 野呂芳男「弁証法神学の展開と第二次世界大戦」、「現代の組織神学(2)−−1965年以後」の章の中の掛川富康「A ドイツ語圏の神学者」、村上伸「第二次世界大戦と倫理の問題」、寺園喜基「キリスト教の絶対性をめぐって」などでバルトが出てくる。
- 笠井恵二、『二十世紀神学の形成者たち』、新教出版社、1993、306頁、3200円。
- 教科書的概説書。ドイツ語圏の故人に限定して、シュヴァイツァー、バルト、ブルトマン、ブルンナー、ティリッヒ、ボンヘッファーの6人を取り上げて、生涯と神学(特にキリスト論と救済論)を紹介。
- 笠井恵二、『二十世紀キリスト教の歴史観』、新教出版社、1995、301頁。
- 教科書的概説書。バルト、ブルンナー、ティリッヒ、シュバイツァー、トインビー、ヤスパース、モルトマンの7人を1章ごとに取り上げる。
- 笠井恵二、『二十世紀の聖書理解』、新教出版社、1997、333頁、3296円。
- 教科書的概説書。第一部が「聖書論の歴史」、第二部がバルト、ブルトマン、ティリッヒ、モルトマン、パネンベルク、内村鑑三、北森嘉蔵、渡辺善太、第二バチカン。
1.4 辞・事典項目
- 『キリスト教大事典』(教文館、1963)の「バルト」は菅円吉。
- 東京神学大学神学会編『キリスト教組織神学事典』(教文館、1972)の「バルト」は大崎節郎。
- 『日本キリスト教歴史大事典』(教文館、1988)の「バルト」は佐藤敏夫。(p.1143、25字×29行)
- 『世界説教・説教学事典』(日本基督教団出版局、1999)の「カール・バルト」はHinrich Stoevesandt。
- 「」 (A.E.マクグラス編(熊沢義宣、高柳俊一日本語訳監修)『現代キリスト教神学思想事典』、新教出版社、2001(1993))。
- 『岩波キリスト教辞典』(岩波書店、2002)の「バルト」は天野有。(p.901、20字×34行)
- 関西学院大学キリスト教と文化研究センター編『キリスト教平和学事典』(教文館、2009)の「カール・バルト」は佐藤司郎。
- 平凡社『世界大百科事典』第23巻(1988)の「バルト」は井上良雄。(p.124、18字×65行)
1.5 ビデオ
- 音響映像グループメディアセンター制作、『カール・バルト−−「然り」と「否」』(音響映像747)、新教出版社、1988、12000円。
- 原版制作:マティアス・フィルム(西ドイツ、1969)、制作:ハインツ・クノール、監修:小川圭治、白黒30分。バルトの晩年のインタビュー・フィルムを中心に構成したドキュメント。内容は、
- 1.「然り」と「否」を同時に語った男カール・バルト。その闘争的なエネルギーはどこから来たのか。「闘争が好きだったのかとお尋ねですか・・・それは違います。代表して発言することには喜びを感じていました。その結論が(ある人には)「然り」になったり、(ある人には)「否」になったりしたわけです。」
- 2.『ローマ書』の執筆の動機について語るバルト。
- 3.教会闘争について。「いわゆるドイツキリスト者」を排除するのが問題ではなく、神学において「新しい人を語る」ことがポイントなのです。・・・「神と人間との対話」が神学の課題・・・です。ですから、まず「神」という言葉を特に強調することが必要でした。・・・ところが、これが誤解されてしまいました・・・バルトは人間について語るのをやめ、神だけを問題にしていると・・・。」
- 4.告白教会はどのように生まれたのか。「アドルフ・ヒットラーという名前がその答えだと言ってよいでしょう。・・・この男が考え・語り・欲し・行動したことの中に新しい神の啓示がある・・・根本的に「告白教会」はこの悪夢に対し「否」と言うところから出発しました。」
- 5.教会闘争はどれだけ成果をあげたのか。「この告白会議に参加した人々はあまりに多様で、・・・少なくともドイツのキリスト者に対して一筋の明確な声が十分に響きわたるということにはなりませんでした。」
- 6.現在の状況ではどうだろうか。「昼食後の午睡のような・・・まどろみの状況が覆っています。この状態に、あの強烈な信仰告白が必要だとは言いません・・・大砲では雀を撃ち落とせないのです。」
- 7.現代の教会と神学にとって最も大切な問題は何か。「わたしが「神の自由」「人間の自由」と呼んできたものを、キリスト者、神学者が本当に理解するかにかかっています。・・・この自由は、主権を持つ神の自由と責任を負う人間の自由です。」
- 8.どうして共産主義には「然り」と「否」を言わないのか。「共産主義は世界の脅威ではないのです。・・・危険はむしろ、満ち足りた生活に浸りきっていることでしょう。人間が思いもつかない「深み」の存在を忘れてしまうことが真の危険です。」
- 9.権威主義について。「福音とは「自由の福音」です。教会の大きな課題は、この自由へと呼びかけることです。つまり、権威主義に「否」と言い、助長してはいけないのです。」
- 10.繁栄や豊かさを危険なものと言うのは何故か。「問題は、豊かさ以前に、豊かさへの人間の態度にあります。・・・精神の不在、忘却、そして抑圧が時代の繁栄における危険なのです。」
- 11.イエス・キリストにおいて自ら決定的な言葉を語られた神は、今なお語る「生ける神」である。・・・しかし、啓示はどこにでもあるのではない。この点に注意すれば、イエス・キリストにおいて、神御自身が語り給うことを聞くことが出来ます。
2.ティリッヒ、ブルンナー、ブルトマンのバルト論
2.1 『ティリッヒ著作集』(白水社)の中のバルト論
- 「批判的逆説と肯定的逆説――カール・バルトとフリードリヒ・ゴーガルテンとの論争」(1923)
- 『ティリッヒ著作集第5巻(プロテスタント時代の終焉)』(古屋安雄訳、1978)所収。初出は、『神学雑誌(Theologische Blätter)』第2巻、1923。
- 「カール・バルト」(1926)
- 『ティリッヒ著作集第10巻(出会い)』(武藤一雄、片柳栄一訳、1978)所収。初出は『フォス新聞(Vossische Zeitung)』32号、1926。
- 「カール・バルトの思惟の転回点――彼の著書『教会と今日の政治的問い』について」(1940)
- 『ティリッヒ著作集第10巻(出会い)』(武藤一雄、片柳栄一訳、1978)所収。初出は『キリスト教世界(Christendom)』第5巻1号、1940。
- 『キリスト教思想史』(1967)
- 『ティリッヒ著作集別巻3(キリスト教思想史U――宗教改革から現代まで)』(佐藤敏夫訳、1980)の中の第五章「新しい調停の道」のW-8「カール・バルト」。
2.2 『ブルンナー著作集』(教文館)の中のバルト論
- 「カール・バルト『ローマ書』の書評−−時代にかなった、非近代的な注解」(1919)
- 『ブルンナー著作集第1巻(神学論集)』(清水正訳、1997)所収。初出は『スイス改革派教会雑誌(Kirchenblatt für die reformierte Schweiz)』第34巻8号(1919)。
- 「自然と恩恵−−カール・バルトとの対話のために」(1934)
- 『ブルンナー著作集第1巻(神学論集)』(清水正訳、1997)所収。初出は1934刊行。
- 「新しいバルト−−カール・バルトの人間論への論評」(1951)
- 『ブルンナー著作集第1巻(神学論集)』(清水正訳、1997)所収。初出は『神学教会雑誌』第48巻(1951)。
- 「カール・バルトの選びの教説」(1946)
- 『ブルンナー著作集第2巻(教義学T 神についての教説)』(熊澤義宣、芳賀力訳、1997)所収。教義学第一巻の初版は1946。
2.3 『ブルトマン著作集』(新教出版社)の中のバルト論
注: 第10巻は未刊(2002.11現在)
- 「カール・バルト著『死人の復活』」(1926)
- 『ブルトマン著作集第11巻(神学論文集1)』(土屋博訳、1986)所収。初出は"Theologische Blätter", X, 1926, S.1-14.
3.熊野義孝のバルト論
- 「神と世界の限界――カール・バルトの神学について」 (1926)
- 『熊野義孝全集 別巻T 神学篇』(1984)に所収。初出は『福音新報』。
- 「バルトをめぐる論点」(1937)
- 「バルトの神学と社会的キリスト教」(1937)
- 「バルトの教理史的位置」(1956)
- 「バルトの神学と日本の神学」(1966)
- いずれも『熊野義孝全集 第11巻』所収。
- 「カール・バルト」(1938)
- 『熊野義孝全集 第11巻』所収。初出は『廿世紀思想 第6巻 伝統主義・絶対主義』(石原純、恒藤恭、三木清編、河出書房、1938)。
- 「キルケゴールとバルト――神学的弁証法について」(1949)
- 『熊野義孝全集』には非収録。初出は『理想』198号(理想社、1949.11)。後に『キェルケゴール研究』(理想社編、理想社、1950再版)に収録。
4.日本におけるバルト研究のはじまり
4.0 文 献
古屋他、『日本神学史』、ヨルダン社、1992、pp.78-83。
土肥昭夫、『日本プロテスタント・キリスト教史』(新教出版社、1980)の第11章3が「バルト神学の受容」。
倉松功「バルト神学と日本の教会」(『福音と世界』1956.5)、熊野義孝「バルトの神学と日本の神学」(『福音と世界』1966.5。後に『熊野義孝全集 第11巻』に収録。
その他、雨宮栄一「問いとしての井上良雄先生」(『井上良雄研究――「世のための教会」を求めて』新教コイノニーア23、2006)、pp.12-14)にも記述あり。
バルト神学受容史研究会編、『日本におけるカール・バルト――敗戦までの受容史の諸断面』、新教出版社、2009、500頁、4935円。執筆者は、雨宮栄一、平林孝裕、佐藤司郎、森岡巌、武田武長、柳父圀近、寺園喜基、小川圭治、須賀誠二、村上伸。巻末に、戦前期日本におけるバルト関連邦語文献表あり。
以下の記述は、この本が出る前に記したもの。
4.1 バルト神学の日本への紹介
「凡そこの日本のキリスト教会と神学界にバルト神学が紹介され始めたのは一九二〇年前半あたりからであり、三〇年代以降が本格的なバルト受容の年代と言ってよいであろう。」雨宮栄一「問いとしての井上良雄先生」、『井上良雄研究――「世のための教会」を求めて』新教コイノニーア23、2006、p.12。
魚木忠一、『近代ドイツ・プロテスタント教神学思想史』(同志社神学叢書)、同志社大学キリスト教研究会、1931。シュライエルマッヘルからバルト(「カルル・バルト」と表記)まで。『基督教研究』誌に連載された論文をまとめたもの。また、エーゴン・ヘッセル(Egon Hessel)はボン大学でバルトに学び、1931年宣教師として来日。いち早くバルト神学を日本に紹介した。
弁証法的神学の研究書として、熊野義孝『弁証法的神学概論』(1932)、桑田秀延『弁証法的神学』(1933)が最初。弁証法的神学を紹介したものに、菅円吉『宗教復興』(1934)。
4.2 バルト研究開始の二つの系統
バルト研究は、A: 同志社の芦田慶治の弟子たちの系統と、B: 高倉徳太郎の弟子たちの系統を中心に始まった。同志社系は、芦田慶治(あしだけいじ)を中心に、橋本鑑(はしもとかがみ)、松尾相(まつおたすく)、大塚節治、原田信夫、清水義樹。高倉の弟子系では、福田正俊、宮本武之助、赤岩栄、山本和(やまもとかのう)、吉村善夫。その他、松谷義範。古屋他、『日本神学史』、ヨルダン社、1992、pp.78-83。土肥昭夫、『日本プロテスタント・キリスト教史』(新教出版社、1980)の第11章3が「バルト神学の受容」。その他、雨宮栄一「問いとしての井上良雄先生」(『井上良雄研究――「世のための教会」を求めて』新教コイノニーア23、2006)、pp.12-14)にも記述あり。
A: 芦田慶治(1867-1936)は、60歳半ばで自由主義的神学からバルト神学に転向。橋本鑑(1903-1943)は、芦田の講義を聴いてバルトに傾倒。キルケゴールにも傾倒した。木魚を叩きながら「インマヌエル・アーメン」と唱えたという。松尾相(1903-1938)は、病のため小学校3年までしか出ていないがドイツ語を学び、芦田、橋本との交わりに加わって、『義認と聖化』、『福音主義的教会の危急』、『教会と文化』を翻訳(長崎書店)。大塚節治(1887-1977)は、同志社の教授として芦田の後輩であるが、バルトに刺激を受けたけれども影響をうけたところまではいかなかった。
B: 福田正俊(1903-1998、教職)は信濃町教会の高倉の後任牧師。宮本武之助(1905-1997、信徒)は信濃町教会教会員で、高倉が校長をしていた日本神学校で宗教哲学を教えた。赤岩栄(1903-1966、教職)は東京神学社で高倉に傾倒、バルトに共鳴するも『モーツァルト』を機に離れた。戦後、共産党入党決意表明で物議を醸した(結局入党は断念した)。山本和(1909-1995、教職)は、「日本の代表的なバルティアン」で「今日の宣教叢書」を刊行。主著は『救済史の神学』。吉村善夫(1910-199?、信徒)も信濃町教会教会員で、「回心の機因を得た」(『カール・バルト著作集14』p.662)『ローマ書』を翻訳。しかし、それ以降のバルトには批判的(『現代の神学と日本の宣教』新教出版社1964などを見よとのこと)。
4.3 第二次大戦終戦以前のバルトに関する書籍
- マツコナツキー(岸千年、藤原藤男訳)、『危機の神学者バルト及びバルト神学』、新生堂、1932。
- 淺地昇、『基督教の根本問題』、基督教思想叢書刊行会、1933。
- 第1章「近代神学の二大傾向」として神本主義と人本主義を挙げ、前者の代表者としてカール・バルトの思想を7頁ほどで紹介。後者の代表にはフォイエルバッハが挙げられている。
- 吉満義彦、「カトリシスムと弁証法的神学−−カール・アダムのバルト神学批判」、1934。
- カール・アダム(伊藤庄治郎訳)『我等の兄弟なる基督』(中央出版社)の序文。その後、『吉満義彦著作集第三巻 近世哲学史研究』(みすず書房、1949)収録。さらに、『吉満義彦全集第三巻 近世精神史研究』(講談社、1984)に収録。吉満義彦(1904.10.13-1945.10.23)はカトリックの哲学者。
- 原田信夫、『カール・バルトの人間学』、新生堂、1935、134頁。
- 『ロマ書』を中心に表されたバルト神学の方向と性格を規定しているものを「人間の疑問性」(人間存在の限界と危機)と考えて、その予想を確認していく。同志社大の大塚節治、濱田與助が「序」を書いている。
- ジョン・マコナッキー(岸千年、園部不二夫訳)、『バルト神学概論』、新生堂、1935。
- トゥルナイゼン、ゴーガルテン、ブルンナー、ブルトマンにも言及しながら、バルトの神の言葉の神学の特徴を示す。
- 原田信夫、『バルト教理学解説』、新生堂、1937、124頁。
- マツコナツキーによるバルト神学の著作が「紹介者が白紙になっての客観的な紹介」であるのに対し、原田は「紹介者自身が読者と連帯的に背負っている今の問題に重心を置いて、紹介者がこなした上での一種の主観的な紹介」を選ぶ。「わたくしたちが弁証法神学に聞きたい点は、弁証法神学は如何ような社会的実践を提示するかの一点である」(序論)。原田は、バルトがKDの中で倫理学も論じようとしていることに着目し、KDT/1を倫理学序説ととらえて、これを紹介する。
- 菅円吉、『バルト神学』、弘文堂書房、1939。
- 5論文。「バルト神学の構へ」、「バルト神学に於ける中心的なもの」(波多野精一先生献呈論文集『哲学及び宗教と其歴史』岩波書店1938に初出)、「バルト神学に於ける隣人愛の問題」、「バルト神学に於ける哲学の位置」、「説教の課題」。
- 菅円吉、『転換期の基督教』、畝傍書房、1941、422頁。
- 「第1章 転換期の基督教」、「第2章 弁証法神学出する迄」、「第3章自由主義神学より弁証法神学へ」など。第8章が「バルト神学に於ける「隣人」の問題」。
- 滝沢克己、『カール・バルト研究――イエス・キリストのペルソナの問題』、刀江書院、1941。
- 滝沢(1909-1984)のバルト研究の代表作とも言えるか。初版の後、乾元社1948、『滝沢克己著作集』第二巻として創言社1971、法蔵館1972,1974,1975。初版に7〜9章と10章の「カール・バルトへの手紙」が追加されている。付録として、「バルト先生の印象」(これは初版にも収録)、「最近のドイツ神学とバルト先生」、「自由な思惟・自由な人」。滝沢は、西田幾多郎、バルト、宇野弘蔵に師事した。
- 福田正俊、『恩寵の秩序』、長崎書店、1941。
- この中の「説教の本質」は、バルトの「キリスト教宣教の困窮と約束」の趣旨を紹介する。この論文は『福田正俊著作集』第2巻(新教出版社、1994)に収録されているらしい。未確認。加藤常昭『愛の手紙・説教』(教文館、2000)のp.85で紹介されている。それによれば「バルト神学が日本において学ばれ始めた頃の考えも併せて学ぶことができる、よい論文である」とのこと。
- 松谷義範、『教会と権威』(十字架の神学叢書25)、長崎書店、1942。
- 「序言」のあと、ルター、カルヴァン、そしてバルトにおける権威の問題を順に取り上げる。
- 橋本鑑他、『インマヌエル――橋本鑑遺稿集』、新教出版社、1966、290頁。
- 橋本鑑は1903.9.24-1943.3.30。この本には遺稿の他、橋本ナホと大内三郎による橋本鑑の評伝、その他数名による回想録など。「カール・バルトの救拯論管見」、「バルト・トゥルナイゼンの聖書原理」あり。
- 日本神学校神学会編、『神学と教会』(長崎書店)の中のバルト研究
- 第二巻U(1936.4)に松尾相「カール・バルト「福音と律法」」あり。これは『福音と律法』の要約的な紹介。第三巻U(1937.5)は「カール・バルト特輯」で、以下の論文あり。
-
村田四郎 「カール・バルト」 郷司慥爾 「カール・バルト年譜」 桑田秀延 「バルトに於ける神学の概念」 熊野義孝 「バルトをめぐる論点」 福田正俊 「カール・バルトの神学の基督論的基調について」 松尾相 「バルトの聖化論」 宮本武之助 「バルトに於ける「時」の概念」 エー・ヘッセル 「カール・バルトの教会概念に就いて」 滝澤克己 「カール・バルトと猶太人問題」
5.バルトの影響を受けた人たち
佐藤敏夫によると、日本では、バルトに対する態度について三つのタイプに分けうる。(1)吉村善夫のように初期の『ローマ書』に特に興味を持つ人々、(2)『教会教義学』から主に神学概念を学んだが、『神論』以降を読むことにはあまり熱心でない人々、(3)「神論」、特に「予定論」以降のバルトにも興味を持ち、『教会教義学』を読み続けている人々。(佐藤敏夫「バルトとの対話の中で」、『神と世界の回復』ヨルダン社1986、102頁)
- トゥルナイゼン
- 『牧会学――慰めの対話』(加藤常昭訳、日本基督教団出版局、1961)は、「日本語版のための序文」の中で、この書は「カール・バルトの神学的労作へのささやかな手引き」だと言う。
- R.ボーレン
- 『説教学T』(加藤常昭訳、日本基督教団出版局、1977)の「訳者あとがき」で、著者について「やはりバルト神学の系譜を受け継ぐ、改革派の神学者です。ルター派ではないのです。ただ、バルトに対する傾倒と共に、批判もあります」。
- D.リッチュル
- 『説教の神学』(関田寛雄訳、日本基督教団出版局、1986(1960))は、第1章「教会への神の言と教会からの神の言」で、神の言葉の三形態の順序や、神の言葉の神人性について論じるが、「バルトの『教会教義学』の"神の言葉の教理"に大きく依存して出発している」(訳者あとがき)。
- T.F.トーランス(Torrance)
- 「真に彼に聞き、、彼の著作全体を把握し、神学の歴史に占める彼の位置を見きわめるまで、バルトは誰からも批判されうるような神学者ではない。数世紀も経過しなければ、彼の全教会に対する貢献は十分に測られないだろう。それと同様に、何十年も経過しなければ、彼は正しく批判されえないであろう。しかし、真にバルトの思考にはいりこみ、彼に従って神の真理を持続的に深く探求することを学んだ者は、依然として感動せずに、また変化せずにおることはできないし、また感謝せずにおることもできない」。 (吉田信夫訳『バルト初期神学の展開 1910-1931年』新教出版社1977の序文)
- エーバハルト・ユンゲル(Eberhard Jüngel)
- ユンゲルのバルト解釈は、「もはやバルト後の誰もが無視できない一つの流れ、誰もがそこを回避できない一つの道を決定した」。「神学は、その主題(ザッヘ)にかたくとどまることによってのみ、カール・バルトに敬意を表することができる。」 (ユンゲル(大木英夫、佐藤司郎訳)『神の存在』(ヨルダン社1984)の大木英夫による「訳者あとがき」から)
- 「カール・バルトははじめわたしをブルトマン学派のスパイか何かのように見なした。しかしそれから、・・・夜遅く、もっと議論するためにと一本のワイン付きでわたしを招いてくれた。少なくともこの点で、・・・わたしは今日まで彼の弟子でありつづけている。あの忘れられない大切な晩の数日後・・・バルトはわたしのもとに・・・『教会教義学』全巻を送りとどけてくれたのである。」 (佐藤司郎訳『エーバハルト・ユンゲル著作集3 味わい、見よ』教文館2002、の「付録 自伝的スケッチ」p.240f)
- アイヒホルツ
- 「アイヒホルツ先生は、ボン大学でバルトに学び、その感化を強く受け、その最良の理解者のひとりと言われた」(加藤常昭『自伝的説教論』、p.312)。山口隆康、芳賀力編『説教と言葉 新しい時代の教会と説教――加藤常昭先生献呈論文集』(教文館、1999)の中のボーレン「弟子であり続けること」で、ボーレンは、バルトを教師とした者の一人アイヒホルツに、一つの弟子の姿を見る。
- ロッホマン (Jan Milíč Lochman)
- 「学位取得も教授資格取得も私はJ.L.ロマドカのもとで成し遂げました。ロマドカは、神学校教授として接したのみならず、カール・バルトと並んで私の組織神学に――とくにその「キリスト教の古典的線」への依拠と公的な事柄への強烈な関心とをとおして――強い影響を与えてくれた人物です。」 (西谷幸介訳『駆けよってくださる神――バーゼル説教集』新教出版社2000の「付 プロテスタント神学者としての私の道程」、p.196)
- 菅円吉
- 「『ロマ書』ぐらいを読んでバルトが解ったなどと考えては困る・・・バルトのあの巨大な『教会教義学』全部を読破してはじめてバルトを論ずることができる」。「バルトを本当に人々に伝えることこそ私の人生の残っている時間全部を捧げるべき私の仕事であると確信して・・・」。 (『カール・バルト研究』教文館1968のまえがき)
- 山本和
- 「日本の代表的なバルティアン」(古屋他『日本神学史』ヨルダン社1992、p.81)である。『今日の宣教叢書』は全11巻。主著は『救済史の神学』(創文社、1972、708頁)。
- 佐藤敏夫
- 「私はバルトの思想を明確につかむところまでは行かなかったが、終始『ローマ書』の世界に圧倒され続けていた・・・開巻第一ページからそれまで触れたことのなかったリアリティの前にひきすえられ、それに瞠目し、ゆさぶられつつ私は二か月をすごした。感動の二か月であった。それにあの独特の文体が私をとらえてはなさなかった。子供の頃からよく行っていた海岸に長岩という大きな長い岩があり、海の荒い日は大波がはげしく岩壁を打っては雄壮な飛沫をあげるのだが、私はバルトを読みながら小さい時から何回も眺めたこの光景をよく思い出した。あの爆発的な文体から、私はベートーベンの「運命」を聞いている時と同じような興奮をくりかえし経験した。」 (『神と世界の回復』ヨルダン社1986所収の「バルトとの対話の中で」の「一 『ローマ書』との出会い」、p.98)
- 『キリスト教神学概論』では、随所でバルトを引き合いに出すが、「序言」で、「バルトの神学史的な功績を高く評価するものの、・・・バルトを祖述しているという印象を避けることにつとめた」としている。
- 大木英夫
- 「「祈り」を人間性来の宗教性ではなく、天来の「啓示」として理解した・・・そのことから、神学的にはバルトとの共感をもつに至った・・・わたしは、祈りにおいては、バルティアンであります」(『主の祈り』、聖学院ゼネラルサービス、1990のあとがき183頁)。
- 加藤常昭
- 「受洗したとき、私はまだ中学一年であったが、既に『我れ信ず』を読まされた。私はバルトに導かれて受洗に至ったと言っても誇張ではない。・・・わたしにとっては、バルト神学は、あの戦時の暗い時代に、明るいキリストの恵みの光に自由に生かされるキリスト者の境地を創り出してくれる力を持っていた。・・・ごく自然に、バルトは常に傍らにあった・・・バルトは、その意味では、神学の教師であるより先に信仰の師であった。」 (『説教者カール・バルト−−バルトと私』の第4章)
- 「・・・洗礼を受ける頃・・・バルトの『我れ信ず』を読んでいた。そこにおけるバルトとの出会いは決定的なものであった。私にとって、バルトが語る言葉は、明るい響きで、圧倒的な神の自由な恵みを語るものであった。これは戦後のことであるが、北森嘉蔵先生が代々木教会に来られ、バルト神学批判を試みられたとき、どうしても納得せず、質問を繰り返したことがある。神の傷みの神学によって乗り越えられなければならないようなものはなにもないと信じたのである。」 (『自伝的説教論』、p.14)
- 「学問は退屈だというのは、学問としての自己矛盾。バルトの『教会教義学』なんて難解だけど、読むと興奮しますよ。」『季刊ミニストリー』創刊号(2009年春号)、キリスト新聞社、2009.4、p.52。
- 中平健吉
- キリスト者弁護士の中平健吉は、神田健次編『講座 現代キリスト教倫理 生と死』(日本基督教団出版局、1999)の第10章「死刑制度」で、KDV/4第55節「生への自由」の第2分節「生の保護」の中の死刑反対論を紹介し、「私はカール・バルトのキリスト教倫理に触発されて信仰的立場から死刑廃止論に荷担するようになり・・・」と語る。この著者の同様の趣旨のものとして、『キリスト教がわかる。』(アエラムック80、朝日新聞社、2002)の34-37頁「刑罰は『生』を肯定するためにある」がある。
- 関田寛雄
- 「バルトの神学は、筆者にとって決定的な方向づけとなった」。 (『聖書解釈と説教』日本基督教団出版局1980の序文)
- 宮田光雄
- 「バルト神学と出会ったことも、その後、私の信仰や思想形成の上で大きな影響をあたえることになりました。」 (『御言葉はわたしの道の光』新教出版社1998、p.97)
- 上田光正
- 「読者はこの書物において、著者がバルトにきわめて近い立場に立っていることを見いだされるであろう。」 (『カール・バルトの人間論』日本基督教団出版局1977のあとがき)
- 「私はますます深くバルトから学んでいることをここに喜んで素直に告白する。バルト神学を知る者は、随所にそのことを発見し得るに相違ない」。 (『聖書論』日本基督教団出版局1992のまえがき)
- 大野恵正
- 『キリスト教要綱』と教会教義学第三巻『創造論』を挙げて、「これらの書物は私の人生を根本から転換させた。その前に立っては、それまでの私の思想的な拠り所であったフランスの実存哲学者たちの主張が色褪せたものに思え、代わりに私の魂の中に明るい光が差し込んできたからである。・・・ところがあるとき、自分の「教義学」は聖書に対する自分の読みにすぎないのだから、聖書を読むことを大切にせよ、とバルトが発言しているのに出会った。私はなるほどそのとおりだと思った。結局、それが原因のひとつとなって、私は旧約学を専攻することとした。」 「斎藤宏先生とK.バルト」(『本のひろば』351号、1987.9の「出会い・本・人」)
- 佐藤優
- 「・・・カール・バルトの著作を手あたり次第に読んだ。それ以後、私は長い間バルトの影響下にあり、今もある意味ではそうである。・・・私自身がカール・バルトから強い影響を受けたことは先述したが、バルトには学生時代からずっと違和感があったし、今もある。特に、「神学とは最も美しい学問だ」というバルトの言葉に落とし穴があると感じる。私は神学が美しい学問であると思わない。その美しさにとらわれてしまったことが、バルトの限界だったように思う。」佐藤優、『神学部とは何か――非キリスト教徒にとっての神学入門』(シリーズ神学の船出00)、新教出版社、2009、p.86、108。