カール・バルトの邦訳著作

2015.11.23更新(印が主な更新個所です。)

1.重要著作

『ロマ書』(Der Römerbrief, 19191,19212,19223,19244,19265,19286
版を重ねるごとに、新しい序文が付けられている。原著初版は1919年と記されて1918年12月に出た。「第1版への序文」の有名な書き出しは、「パウロは、その時代の子として、その時代の人たちに語りかけた。しかしこの事実よりもはるかに重要なもう一つの事実は、かれが神の国の預言者また使徒として、すべての時代のすべての人たちに語りかけていることである。昔と今、あちらとこちらの区別には、注意しなければならない。しかしこのことに注意するのは、この区別が事柄の本質においては何の意味も持たないと知るためでしかありえない。」小川圭治、岩波哲男訳、平凡社ライブラリー、p.13。
第二版1921年は、「石ころ一つも残っていないほどの新しい改訂版」(第二版への序)として、「全面的に、かつ終末論的に、神の審判の恵みと恵みの審判がよく聴えるように、書き直された」(『ピリピ書注解』の巻末の山本和による「解題」より)。その結果、「第一版は、今日、その長所と短所と共に、舞台から消え去ることができる。」 その後は版を重ねるごとに序文が新たに記されているだけで、若干の校正・推敲のほか、本文は変わらない。
『ローマ書第二版』の英訳版(ホスキンス訳――意訳だが名訳の評判が高い)への原著者の自序によれば、『ローマ書は私の神学への最上の入門書である』」とのこと(『ピリピ書注解』の巻末の山本和による「解題」より)。「これをもっと重視すべきであるのに、日本のバルティアンと自他ともに認められる人々の大半が・・・バルト・ローマ書(特に第二版)の思想運動の深見と力動性を共に体験、ないし追体験することなしに、いきなり教会教義学プロレゴーメナ(神の言葉の教説)へと赴く習性があるように見える。」
「この本は非常に注意して読んでいただきたい、あまりに早く読まず、わたしのやり方をギリシア語本文や他の注解書と照合してほしい・・・。またどうかできるだけ『感動』したりしないでいただきたい。」「第二版への序」、(小川圭治、岩波哲男訳)『ローマ書講解』上(平凡社ライブラリー)、平凡社、2001、pp.35。
「時間のない方はせめて邦訳『ロマ書』上巻にある、バルトの序言だけは是非読んでいただきたい。」川名勇訳『ローマ書新解』新教出版社、1962年の「あとがき」、p.304)
「キリスト者にかぎらず、現代に生きる知識人にとって、バルトの『ローマ書』は、すでに不朽の思想的古典たる地位を占めているのであり、『ローマ書』および、その歴史的影響の以前へ引き返すことは、もはや許されないのである。」宮田光雄『平和のハトとリヴァイアサン――聖書的象徴と現代政治』、岩波書店、1988、p.129。

『ローマ書』の邦訳

1.大木『バルト』にも佐藤訳『バルト自伝』にも記されていないが、丸川仁夫訳(新生堂、1933)が最初か? しかしこれは、英訳に依拠しているらしい(平凡社ライブラリー版のあとがきによる。なお、そのあとがきによれば丸川訳は前半のみとされているが、丸川訳第4版を見る限りそんなことはない)。
2.吉村善夫訳は、角川書店から上1952、下1956。後に『カール・バルト著作集14』1967。2004年単行本として重版7000円。2013年からオンデマンド。
3.小川圭治、岩波哲男訳は、最初、『ローマ書講解』(世界の大思想U-13)河出書房新社、1968、520頁。巻末の「解説・解題」は小川圭治による12頁。これを全面改訳して『ローマ書講解』(上、下)(平凡社ライブラリー)(平凡社、2001、上下各1600円)。小川圭治の解題も新しくなっている。さらに、富岡幸一郎の解説が付いている。人名索引、事項索引は著作集よりしっかりしているので有用。小川圭治は1927.7.12-2012.1.17。
 
『知解を求める信仰――アンセルムスの神の存在の証明』(Fides quaerens intellectum: Anselms Beweis der Existenz Gottes im Zusammenhang seines theologischen Programms, 19311,19582
「T 神学的なプログラム」で神学の必然性、可能性、諸条件、道、目標について。「U 神の存在証明」で証明の諸前提と『プロスロギオン』2-4章の注釈。『カール・バルト著作集8』(吉永正義訳、1983)所収。
「バルトの神学を・・・『ローマ書』を中心とする前期バルトと、・・・『教会教義学』を中心とする後期バルトに分けるのが普通である。そして、両者の間にこのアンセルムス論がある。」著作集8の吉永正義の解説。
「私はこの書物を、わたしのすべての書物の中心、最も満足すべきものと考えている。」佐藤敏夫訳『バルト自伝』新教新書、60頁。
2015年、新教セミナーブック39として復刊。
『教会教義学』(Die Kirchliche Dogmatik, 1932-1967)
吉村正義、井上良雄、菅円吉訳、原書は全13冊、邦訳は全36冊、新教出版社。未完に終わったが、それは「神学そのものがバルトにおいては完成しないものだということである。」大木英夫、『バルト』、272頁。
天野有訳『キリスト教的生』(T、U)(新教出版社、T:1998、250頁、4800円、U:1998、692頁、7200円)は、主の祈りを講解しながら「和解論」の倫理学の部分を書いた遺稿を元にして『教会教義学』のW/4(すなわち「和解論W」)を再構成したもの。Uの巻末にベルトルト・クラッパートによる「応答と責任のキリスト教倫理−−カール・バルトのキリスト教的生の倫理学」という日本語版のために書かれた解説がある。Tは2014年1月からオンデマンド。
「あなたがたのうちのある方は、私がここ40年の間、非常に多くの、またある場合には非常に分厚い書物を書いて来たということを、恐らく耳にされたことであろう。しかしながら、正直に、自由に、また喜んで告白させていただけるとすれば、実を言うと、それほどうず高く私を囲んだ紙の山全体よりも、『わたしの恵みはあなたに十分である』という、この四つの言葉の方が、はるかに非常に良いことを言っているのである。それで十分なのである−−それこそ、私が自分の著書について、言うことのできなかったことである。私の書物に何か良いことがあったとするならば、それはせいぜいこの四つの言葉が語っていることを、ほんの遠くから指し示しているにすぎないと言えよう。」「満ち足りたもの」、1962.12.31バーゼル刑務所での説教(2コリ12:9)、『カール・バルト説教選集12』、pp.131-132。
「私の希望は、・・・ぜひ『教会教義学』に取り組んでいただきたいということだ。『教会教義学』は、マルクスの『資本論』と同じように、読み解くことがなかなか難しい。しかし読んでも絶対に損はしないと保証する。この『教会教義学』という本を全巻通読したかどうかで一生が変わってくると言っても過言ではないと私は思う。――全巻そろえると27万ちょっとである。たしかに高い。しかし、それくらい出しても惜しくないくらいバルトという神学者は面白いし、「役に立つ」。」佐藤優、『神学部とは何か――非キリスト教徒にとっての神学入門』(シリーズ神学の船出00)、新教出版社、2009年、pp.103-104。
ちなみに、邦訳はないが、『教会教義学』の前に、"Die christliche Dogmatik im Entwurf," 1927 が著されている。
 
『われ信ず』(Credo, 1935)
オランダのユトレヒト大学で行われた使徒信条講解の講義。安積訳によると、副題が「使徒信条に関する教義学の主要問題」。桑田秀延訳(基督教思想叢書刊行会1936、角川書店1949)、安積鋭二訳(『カール・バルト著作集8』1983所収)。
「KSSK〔基督教思想叢書刊行会〕として最後の出版となったのは、バルト著桑田秀延訳『我れ信ず』第三刷であった。しかし、これは時局柄増刷不適当の出版物と認められ用紙の割当が得られなかった。」。川口善一「基督教思想叢書刊行会の思い出」、『本のひろば』No.319、1984.1、p.17。
なお、『桑田秀延全集3 神学論文集T』に「カール・バルト『我れ信ず』の梗概」あり。
『教義学要綱』(Dogmatik im Grundriß, 1947)
1946年にボン大学の夏学期に行われた講義。「信仰とは信頼を意味する」「信仰とは認識を意味する」「信仰とは告白を意味する」と使徒信条の講義。全24回。井上良雄訳(新教出版社、1951)、後に、『カール・バルト著作集10』(1968)所収。現在は、新教セミナーブックの1(1993、208頁、2000円)で。2004年重版2000円+税、2011年重版2000円+税。
『ローマ書新解』(Kurze Erklärung des Römerbriefes, 19561,19592
1940-41年の冬にバーゼルで行われた民衆大学の講義(つまり、一般信徒向けの公開講座)の原稿が元になっている。川名勇訳、新教出版社、1962、306頁。原著1956初版、1959第二版からの翻訳。『カール・バルト著作集15』1981。原題は「ローマ書略解」あるいは「ローマ書小解」であるが、旧『ローマ書』の要約ではなく全く異なるということで「新解」としたとのこと。2003年、新教セミナーブック17として復刊。
「あの一九三三年のボンにおけるように「あたかも何事も起こらなかったかのように」という決意に、今こそ、はっきりとどまるべきであると固く心を定めていた。」 「ローマ書の場合、それを学びつくすということはありえない。この意味で、ローマ書はこれからもなお、、「待ち続けている」−−そして確かにこの私をも「待っている!」」(序言)。
『福音主義神学入門』(Einführung in die euangelische Theologie, 1962)
1962年バーゼルにおける最終講義17講であり、その最初の部分は63年米国でも講義した。邦訳は加藤常昭訳、新教出版社、1962、266頁。誤訳を訂正して、『カール・バルト著作集10』1968に所収。さらに、2003年、「新教セミナーブック18」として復刊。

2.新教新書のカール・バルト全リスト

小塩節訳、『モーツァルト』(新教新書19)、新教出版社、1957(1956)、136頁。
「モーツァルトへの告白」など4編に、KDV/3,S.227-339の訳を合わせ、さらに井上良雄訳の「ハンガリヤの若き友へ」と「日本の友へ」を付加したもの。1984年?に新教新書ではない形で再版されたが、「ハンガリヤの若き友へ」と「日本の友へ」は非収録。おそらく、井上良雄編訳『カール・バルト戦後神学論集1946-1957』(新教出版社、1989)に収録されたため。2004年重版1470円、2011年重版1680円。
「モーツァルトの音楽の黄金の音色と調べは、若い時代から福音としてではないが、福音において啓示された神の自由な恩寵の国の比喩として私に語りかけて来た・・・。」佐藤敏夫訳『バルト自伝』、p.111。
井上良雄訳、『我山に向いて眼をあぐ』(新教新書23)、新教出版社、1955(1939)、176頁、1200円。
待降節・降誕節のトゥルナイゼンの説教20本と、受難節・復活節のバルトの説教21本。どれも4頁ほどにまとめられた小説教。
井上良雄訳、『勝利の信仰』(新教新書24)、新教出版社、1958、112頁。
6本の説教集。"Fürchte dich nicht!"(1949)(『恐れるな』)からヨハネ9:1-3、4-5、6-7、詩編3編、Tヨハネ5:4の5本と、エペソ2:5による説教。
カール・バルト(井上良雄 訳)、『啓示・教会・神学 福音と律法』(新教新書34)、新教出版社、1960初版、1977復刊、130頁、800円。
1997年に名著復刊第2集「教会に生きる」の10冊の内の一つとして復刊。それまでに何版まで版が重ねられたかは記されていない。
「啓示・教会・神学」(原著1934)は「今日の神学的実存」誌9号として出された講演原稿。邦訳は、基督教論叢1として1949年に出た。現在は『著作集2』にも所収。いずれも井上訳。
「福音と律法」(原著1935)も最初は「今日の神学的実存」叢書として出たもの。邦訳が出る前に、松尾相が『神学と教会』第二巻U(日本神学校神学会編、1936.4)のpp.133-151で要約的な紹介をしている。邦訳は、菅円吉訳(『神学の根本問題』所収、三笠書房、1940)、高橋詢訳(長崎書店、1942)があるらしい。井上訳は、基督教論叢11として1952年に出て、現在『著作集5』にも収録されている。
佐藤敏夫訳、『バルト自伝』(新教新書51)、新教出版社、19611、1986改訂版、1996復刊、120頁、800円。
1986年の改訂に際し「重版にあたって」が付せられ、それによると、最小限度の加筆修正と、巻末の主要著作リストの全面的な作り直しがなされた。1996年に名著復刊第1集「祈りと証し」の10冊の内の一つとして復刊。
佐藤敏夫による解説(〜p.47)とバルトの「この十年間に私の心はいかに変化したか」(T:1928-1938、U:1938-1948、V:1948-1958)。これは、『クリスチャン・センチュリー』誌に十年ごとに掲載されたもので、バルト42歳から72歳までの自叙伝。
バルト・トゥルナイゼン(井上良雄訳)、『聖金曜日』(新教新書59)、新教出版社、1962、198頁。
説教13本。バルトとトゥルナイゼン共著の説教集"Komm, Schöpfer Geist!"(1924)(『来たり給え、創り主なる御霊よ』)の後半部分の翻訳。この説教集の前半は『イエスは主なり』(井上良雄訳、新教出版社、1950)として訳されている。2008年復刊。
バルト(秋山憲兄、蓮見和男訳)、『降誕−−聖書研究と小説教』(新教新書70)、新教出版社、1962(1934,1935)、147頁、1000円。
1950年邦訳初版が全面的に改訳されて新書版になった。第一部は、1934年の待降節に行ったルカ1:5-80の講解。1935年に「今日の神学的実存叢書」19号として出版された。秋山憲兄訳。第二部「降誕節−−ルカ伝第2章」は、クリスマスの小説教4本に、新書版になって1本追加(蓮見和男訳、原著1934からの抜粋)。説教題は「降誕節の使信を聞くことについて」、「恐れるな!」、「隠された姿」、「啓示」、「思いわずらいと神について」。
バルト・ハーメル(児島洋訳)、『共産主義世界における福音の宣教』(新教新書75)、新教出版社、1963、126頁。
ヨハンネス・ハーメル「マルクス主義世界における福音の宣教」(原著1958)、カール・バルト「東独のある牧師への手紙」(原著1958)(著作集7所収)、「ハーメルからバルトへ」(原著1959)の3本。
バルト(川名勇訳)、『イスカリオテのユダ−−神の恵みの選び』(新教新書77)、新教出版社、1963、212頁。
オットー・ウェーバーの『カール・バルト教会教義学概説−−T1よりW2の入門的報告』をもとにした25ページほどの序論(土方昭訳の第8章「神の恩寵の選び」、pp.104-116に相当)と、「KDU/2」の第35節「個人の選び」(『神論U/2』)の第4項「捨てられた者の定め」の後半を占める小さい字で書かれた注の全訳。この本はおそらく翻訳権の関係で後に、吉永正義訳に改められた(KDセミナーブック1、新教出版社、1997、200頁、2000円、その後、新教セミナーブック40、2015、199頁、2200円+税)。
吉永正義編訳の『イスカリオテのユダ』から一部が、大貫隆編著『イスカリオテのユダ』(日本基督教団出版局、2007)のpp.182-200に採録されている。荒井献『ユダのいる風景』(双書 時代のカルテ、岩波書店、2007)にも一部引用されている。
「バルトのユダ論はやはり圧巻である。ユダは使徒の務めを罪深く逆用してイエスを「引き渡し」たが、神はそれを用い、彼をご自身を人間に引き渡す恵みの業、使徒職の課題に彼を積極的に参与させた。ユダはイエスご自身と並ぶ「新約聖書の最も重要人物である」。」大貫隆編著『イスカリオテのユダ』への並木浩一の書評、『本のひろば』、2007.7。
バルト(鈴木正久訳)、『キリスト教倫理T 神の前での自由』(新教新書94)、新教出版社、1964、190頁、650円。
バルト(鈴木正久訳)、『キリスト教倫理U 交わりにおける自由』(新教新書95)、新教出版社、1964、218頁、1000円。2004年重版1050円。
バルト(村上伸訳)、『キリスト教倫理V 生への自由』(新教新書96)、新教出版社、1964、286頁、971円。
バルト(佐々木悟史訳)、『キリスト教倫理W 制約における自由』(新教新書97)、新教出版社、1969、256頁、1000円。
KDV/4の第52〜53節(『創造論W/1』)、第54節(『創造論W/2』)、第55節(『創造論W/3』)、第56節(『創造論W/4』)の要約。初版は、T:1955、U:1955、V:1954、W:1954。
「バルトの倫理学について要点を知りたい読者は、『キリスト教倫理』(新教出版社、1964〜1969年)という4巻本を読んでほしい。・・・バルト神学のエッセンスに触れるのであれば、この『キリスト教倫理』を読んでみることをお薦めする。特に「制約における自由」(第4巻)を強く推薦したい。」佐藤優、『神学部とは何か――非キリスト教徒にとっての神学入門』(シリーズ神学の船出00)、新教出版社、2009年、p.102。
バルト(井上良雄訳)、『キリスト教の教理−−ハイデルベルク信仰問答による』(新教新書107)、新教出版社、1965(1948)、226頁。
1954年に邦訳初版。現在『カール・バルト著作集9』(1971)所収。
バルト(蓮見和男訳)、『聖霊とキリスト教生活−−付・説教四篇』(新教新書111)、新教出版社、1965、168頁。
「聖霊とキリスト教生活」(1930)は、もと『時の間』誌に掲載された論文。『カール・バルト著作集1』に所収。他に、説教四編。ヨハネ2:23-3:21(1937)、ヨハネ16:5-7(1940)、エペソ4:21-32(1943)、詩篇34:6「主を仰ぎ見よ!」(1956)。
バルト(ゴッドシー編、古屋安雄訳)、『バルトとの対話』(新教新書115)、新教出版社、1965(1963)、220頁。
第一部が「バルト『教会教義学入門』」として、ゴッドシーによる「『教会教義学』の建築構造」という解説と、バルトと学生との質疑応答。第二部が「『教会教義学』第一巻 「神の言葉の教理」について」として、第14節啓示の時の第一文節まで27回の質疑応答。第三部が「バルトの四つの論文について」として、「義認と法」、「キリスト者共同体と市民共同体」、「教会の洗礼論」、「啓示のキリスト教的理解」についてそれぞれの質疑応答。
バルト(ゴルヴィツァー編、西山健路訳)、『ヨブ』(新教新書149)、新教出版社、1969(1966)、201頁。
バルトの80歳の誕生日を祝って、ゴルヴィッツァーが、KDW/3の中のヨブ記を講解した部分(邦訳は『和解論V/3』)に解説を付して出版したもの。ゴルヴィツァーによる「手引き」(和解論の構成とその中でのヨブ記の解釈の位置についての解説)の後、S.444-448(『和解論V/3』30-39頁)、ゴルヴィッツァーによる『和解論V/3』39-55頁の要約、S.459-470(『和解論V/3』55-73頁)、ゴルヴィッツァーによる『和解論V/3』73-97頁の要約、S.486-499(『和解論V/3』97-119頁)、ゴルヴィッツァーによる『和解論V/3』120-151頁の要約、S.522-531(『和解論V/3』151-165頁)。
後に、井上良雄訳(『キリストの証人ヨブ』KDセミナーブック2、1997、190頁、2000円)に換えられた。この訳文は、『教会教義学』所収のものに多少手が加えられているとのこと。巻末の「『和解論』の構造」の表は、『地上を旅する神の民』の284頁と同じ。
バルト(川名勇訳)、『祈り』(新教新書162)、新教出版社、1963(1963)、160頁、1000円。
もとは小さな祈祷書のサイズで出ていた。1997年に「新教新書・名著復刊」の第4集「み言葉に聞く」のシリーズとして復刊した。バルトの礼拝の中での祈り50本を、教会暦にしたがって分類したもの。バルトにおいて礼拝の中の祈りは、全体として一つである礼拝を構成する重要な要素である。バルトの礼拝での祈りは、第一に、説教と結びつけられている。バルトは説教の準備とともに祈祷の言葉も一語一語確定した。そして『恐れるな!』や『囚われ人に解放を』などの説教集においては、それに付属する祈祷を抜きにして印刷することに反対した。第二に、礼拝での祈り(礼拝の終結部に置かれていたらしい)では、説教の内容が総括され、さらに、とりなしの祈りとして出来うる限り広げられていくべきものであった。

3.その他の双書、論文集など

3.1 長崎書店のバルト

松尾相訳、『義認と聖化』、長崎書店、1932(1927)。
"Zwischen den Zeiten 5, Jahrgang Heft 4" に収録されている講演。1927年6月9,10日にキリスト教学生同盟のバルト海会議においてなされた講演。(→著作集5 吉永正義訳)
松尾相訳、『福音主義的教会の危急』、長崎書店、1933(1931)。
"Zwischen den Zeiten 9, Jahrgang Heft 2" に収録されている論文。1931年1月31日ベルリン、2月13日ブレーメン、2月14日ハンブルグでなされた講演。(→著作集2 蓮見和男訳)
松尾相訳、『教会と文化』、長崎書店、1934(1926)。
1926年6月1日アムステルダムでの内国伝道大陸同盟会議においてなされた講演。その後、"Zwischen den Zeiten 4, Jahrgang Heft 5" に収録、また、バルトの第二論文集"Die Theologie und die Kirche"(1928)に収録。(→著作集5 吉永正義訳) 巻末に『復活』という単文("Zwischen den Zeiten 5, Jahrgang Heft 3" に収録)。
宮本武之助、山崎昇訳、『キリスト教生活』、長崎書店、1940。
2論文収録。「基督教生活について」は、1926年5月ミュンスターでの「キリスト教学生同盟」での二つの聖書講義について2名の神学生が記録した速記原稿の印刷。
「誡命の遵守」は、1927年3月9日アーラウでのキリスト教学生会議においてなされた講演で"Zwischen den Zeiten 5, Jahrgang Heft 3" に収録。後に第三論文集に収録。(→著作集5 吉永正義訳)
山本和訳・解説、『教会と諸教派』、長崎書店、1941(1935)。
「今日の神学的実存叢書」27号に収録されている論文。1935年7月にジュネーヴで開催された総教会運動の夏期演習で講述されたもの。バルトの第三論文集に収録されている。邦訳の著作集には入っていない。
蘆田慶治他訳、『神の言葉と神学』、長崎書店、1941(1924)。
「神の義」蘆田慶治、土居眞俊訳(→著作集になし)
「聖書に於ける新しき世界」赤岩栄訳(→著作集になし)
「社会の中なるキリスト者」松谷義範訳(→著作集6 村上伸訳)
「聖書の中にある問と洞察と展望」山本和訳(→著作集1 山本和訳)
「基督教説教の危急と約束」橋本 鑑訳(→著作集1 大宮溥訳)
「現代に於ける倫理学の問題」後藤安雄訳(→著作集5 吉永正義訳)
「神学の課題としての神の言」原田信夫訳(→著作集1 大宮溥訳)
「改革主義教説の本質とその課題」吉村善夫訳(→著作集になし)

3.2 「十字架の神学叢書」のバルト

十字架の神学叢書2: 紅松保雄訳、『教会の概念』、十字架の神学社、1940、28頁。
1927.7.11ウエストファーレン州ミュンスターにおいてカトリック中央党の学生グループのためになされたる講演。バルトの第二論文集に収録されている。
十字架の神学叢書9: 松谷義範訳、『神の恩寵の選び』、十字架の神学社、1941、52頁。
「今日の神学的実存叢書」47号。菅円吉訳あり(『神学の根本問題』所収)。
十字架の神学叢書14: 松谷義範、秋山憲兄訳、『ルカ伝第一章に関する四つの研究』。
未確認。
十字架の神学叢書20: 劉榮増(りゅうひでます)訳、『福音と教養』、長崎書店、1941、32頁。
「神学研究叢書」2号(1938)。
十字架の神学叢書28: 佐々田良勝訳、『フォイエルバッハと基督教神学』、長崎書店、1942、51頁。
バルトの第2論文集『神学と教会』の中の「ルードヴィヒ・フォイエルバッハ」の訳。1926年夏学期、ミュンスターにて行われたる「シュライエルマッヘル以後のプロテスタント神学史」についての講義よりの断片。
十字架の神学叢書31: 眞方敬道(まかた・けいどう)訳、『プロテスタント教会への問としてのローマ・カトリシズム』、長崎書店、1943、55頁。
1928.3.9ブレーメンにて、同じく15日オフナブリュックにて、4.10デュッセルドルフに於ける下ライン地方教職会議にてなせる講演。第二論文集に収録。
十字架の神学叢書1002: 高橋詢(まこと)訳、『福音と律法』、長崎書店、1942、70頁。

3.3 「基督教論叢」のバルト

バルトの論文は5冊。

基督教論叢1: 『啓示・教会・神学』、1949。
「啓示・教会・神学」井上良雄訳(→著作集2 井上良雄訳)
「証人としてのキリスト者」井上良雄訳(→著作集2 井上良雄訳)
基督教論叢7: 『東と西の間にある教会』、1951。
「国家秩序の転換裡にあるキリスト教会」森岡巌訳(→著作集7 森岡巌訳)
「東と西の間にある教会」森岡誠一訳(→著作集7 森岡誠一訳)
基督教論叢10: 『ヒューマニズム』、1951。
「ヒューマニズム」成瀬治訳(→著作集5 吉永正義訳)
「キリスト教の使信の現実性」成瀬治訳(→著作集未収録?)
「新しき人の現実」成瀬治訳(→著作集3 吉永正義訳)
基督教論叢11: 『福音と律法』、1952。
「福音と律法」井上良雄訳(→著作集5 井上良雄訳)
「マタイ伝14:22-33についての説教」井上良雄訳
「エレミヤ記17:5-10についての説教」井上良雄訳
「ペテロ後書1:3-11についての説教」井上良雄訳
基督教論叢19: 『教会と国家』、1954。
「義認と法」井上良雄訳(→著作集6 井上良雄訳)
「キリスト者共同体と市民共同体」蓮見和男訳(→著作集7 蓮見和男訳)

3.4 その他の論文集

『カール・バルト著作集』、新教新書以外の論文集。

菅円吉訳、『神学の根本問題』(現代思想新書7)、三笠書房、1940。
旧活字。
「神学と現代人」 (『時の間』No.5、1930) (→著作集2 吉永正義訳)
「神の意志と我らの希望」 (『時の間』No.7,1934、後に第三論文集に収録) (→著作集2 菅円吉訳)
「訣別」 (『時の間』No.7、1934) (→著作集5 吉永正義訳)
「基督者の生活について」 (1926.6の学生のための講演) (→著作集未収録?)
「福音と律法」 (『今日の神学的実存』No.32、1935) (→著作集5 井上良雄訳)
「神の恵みの選み」 (『今日の神学的実存』No.47、1936) (他に松谷訳、→著作集3 蓮見和男訳)
「啓示」 (“Revelation”をテーマになされたシンポジウムでの論文、英訳からの重訳) (→著作集未収録?)
丸山仁夫訳編、『自然神学論争の諸問題』(神学思想解説叢書1)、新生堂、1936。
旧活字。ブルンナー「自然と恩寵」(1934)、バルト「否!」(1934)、「福音的神学」誌の1935年の初め頃に掲載された自然神学に関するライスナーとバルトとの問答、「組織神学雑誌」に掲載されたカール・シュタンゲ「哲学的生命観と宗教的生命観−−自然神学に連関して」の一部。
山本和訳、『権力に抗するキリスト教』、中央公論社、1949。
旧活字。政治問題について語った三論文。
「教会と今日の政治問題」 (1938.12.5の講演) (→著作集6 雨宮栄一訳)
「ドイツ教会闘争」 (1937.4.23バーゼルでの講演、1937出版) (→著作集未収録?)
「キリスト者の武装」 (1940講演、エペソ6:10-17の神学的釈義) (→著作集6 雨宮栄一訳)
『世界大思想全集 社会・宗教・科学思想篇30 バルト、ニーバー』、河出書房新社、1960、748頁。
この中にバルトの論文が5本収録されている。ちなみにニーバーのは武田清子、高木誠訳「道徳的人間と非道徳的社会」。
「聖霊とキリスト教生活」 (1930)蓮見和男訳(→著作集1 蓮見和男訳)
「証人としてのキリスト者」 (1934)井上良雄訳(→著作集2 井上良雄訳)
「義認と法」 (1938)井上良雄訳(→著作集6 井上良雄訳)
「キリスト者共同体と市民共同体」 (1946)蓮見和男訳(→著作集7 蓮見和男訳)
「国家秩序の転換の中にあるキリスト教会」 (1948)森岡巌訳(→著作集7 森岡巌訳)
桑原武夫等編、井上良雄訳者代表、『現代キリスト教の思想』(世界思想教養全集21)、河出書房新社、1963、377頁。
井上良雄,佐藤敏夫「『現代キリスト教の思想』概説」、シュヴァイツァー(蓮見和男訳)「文化の没落と再建」(1923)とバルト4本、そして、ブルンナー(佐藤敏夫訳)「危機の神学」(1929)。
「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ」 (1927)井上良雄訳(→著作集4 井上良雄訳)
「証人としてのキリスト者」 (1934)井上良雄訳(→著作集2 井上良雄訳)
「義認と法」 (1938)井上良雄訳(→著作集6 井上良雄訳)
「キリスト者共同体と市民共同体」 (1946)蓮見和男訳(→著作集7 蓮見和男訳)
『現代キリスト教思想叢書9 バルト・ゴルヴィッツァー』、白水社、1974。
この中にバルトの論文が6本収録されている。
「社会の中のキリスト者」 (1920)小川圭治訳(→著作集6 村上伸訳)
「福音と律法」 (1935)井上良雄訳(→著作集5 井上良雄訳)
「キリストとアダム―ローマ書五章による」(1952)小林謙一訳 (→著作集3 吉永正義訳)
「神の人間性」 (1956)井上良雄訳(→著作集3寺園喜基訳、『戦後神学論集』井上訳)
「キルケゴールと私」 (1963)小川圭治訳(→未収録)
「キルケゴールと神学者」 (1963)小川圭治訳(→著作集4 小川圭治訳)
カール・バルト(井上良雄訳)、『教会−−活ける主の活ける教団』(教会と宣教双書5)、新教出版社、1978、153頁。
バルト3論文を収録。
「啓示・教会・神学」 (1934)(→著作集2 井上良雄訳)
「証人としてのキリスト者」 (1934)(→著作集2 井上良雄訳)
「教会――活ける主イエス・キリストの活ける教団」 (1947)(→著作集3 井上良雄訳)
カール・バルト(井上良雄編訳)、『カール・バルト戦後神学論集1946-1957』、新教出版社、1989、355頁、3000円。
バルトの戦後10論文と、その他2編を収録。
「キリスト教倫理」 (1946)
「今日のヨーロッパにおけるキリスト教宣教」 (1946)
「神の自由な恵みの使信−−バルメン宣言第六テーゼ」 (1947)
「キリストとわれらキリスト者」 (1947)
「啓示のキリスト教的理解」 (1947)
「今日の青年−−彼らへの遺産と彼らの責任」 (1948) (もとは「ハンガリヤの若き友へ」『モーツァルト』)
「真実の教会」 (1948)
「自由という賜物−−福音主義倫理学の基礎づけ」 (1953)
「神の人間性」, 1956 (『現代キリスト教思想叢書9』所収のものを加筆修正)
「十九世紀の福音主義神学」 (1957)
「イエスと群衆」 (1944)
「日本の友へ」 (1956) もとは『モーツァルト』所収。

3.5 新教セミナーブック

『カール・バルト著作集』の中の重要な著作が「新教セミナーブック」のシリーズのNo.11以降として2003年に復刊。

新教セミナーブック1: 『教義学要綱』、208頁、2100円。(2011年に重版)
新教セミナーブック6: 『私にみ言葉をください』、684頁、6090円。
新教セミナーブック11: 『われ信ず』、180頁、2200円。
新教セミナーブック12: 『キリスト教の教理』、140頁、2000円。
新教セミナーブック13: 『教会の信仰告白』、140頁、2000円。
新教セミナーブック14: 『神認識と神奉仕――スコットランド信条講解』、200頁、2400円。
新教セミナーブック15: 『死人の復活』、216頁、2400円。
新教セミナーブック16: 『ピリピ書注解』、176頁、2200円。
新教セミナーブック17: 『ローマ書新解』、216頁、2400円。
新教セミナーブック18: 『福音主義神学入門』、173頁、2200円。
新教セミナーブック19: 『国家の暴力について−−死刑と戦争をめぐる創造論の倫理』、157頁、1800円。
天野有訳。KD, V/4「創造者なる神の戒め」から、死刑と戦争を論じた部分。
新教セミナーブック20: 『地上を旅する神の民――バルト「和解論」の教会論』、2008、294頁、2625円。
新教セミナーブック21: 『教会の洗礼論』、2008、100頁、1155円。
訳は改訂されている。
新教セミナーブック39: 『知解を求める信仰――アンセルムスの神の存在の証明』、2015、240頁、2800円+税。
新教セミナーブック40: 『イスカリオテのユダ』、2015、199頁、2200円+税。

3.6 バルト・セレクション

天野有編訳、2010年〜。文庫本サイズで全7巻の予定。全77編すべて新訳という企画。

正誤表が新教出版社のサイトに出ている。

1: 天野有編訳、『聖書と説教』、2010、622頁、1995円。
第1回配本。「神の言葉への奉仕」(1934)と「聖書の権威と意義」(1947)他、説教・講演27編。収録説教は、新教出版社のバルト・セレクションのページ。
「最初に巻末に近い一九六三年に語られた説教三編を精読することを勧めたいとさえ思う。」 加藤常昭の書評、『本のひろば』、2010.6、p.4。
4: 天野有編訳、『教会と国家T』、2011、557頁、1890円。
第2回配本。「イエス・キリストと社会運動」(1911)、「神の義」(1916)、「聖書における新しき世界」(1917)、「社会の中のキリスト者」(1919)、「神学的公理としての第一誡」(1933)、「今日の神学的実存!」(1933)、「訣別」(1933)、「決断としての宗教改革」(1933)
5: 天野有編訳、『教会と国家U』、2013、頁、1995円。
第3回配本。反ナチ教会闘争時代の重要論考10編。「福音と律法」(1935年)、「義認と法」(1938年)、「プラハのフロマートカ教授への手紙」(1938年)、「オランダの「教会と平和」団体代表者への手紙」(1938年)、「デルクセン牧師への手紙から」(1938年)、「教会と今日の政治問題」(1938年)、「キリスト者の武器と武具」(1940年)、「スイスからイギリスへの手紙」(1941年)、「ドイツのキリスト者へのクリスマス・メッセージ」(1941年)、「今日の〈時代の出来事〉におけるキリスト教会の約束と責任」(1944年)。

4.その他の邦訳出版

『カール・バルト著作集』や新教新書に入っていない邦訳など。

バルト、ニーバー(有賀鉄太郎、阿部正雄訳)、『バルトとニーバーの論争−−信仰と人間の無秩序』(アテネ文庫170)、弘文堂、1951(1948-1949)、77頁。
1948年のアムステルダム会議(世界教会会議第1回総会)に発したバルトとラインホールド・ニーバーの論争。バルト「キリスト教的マーシャル・プランはありえない」、ニーバー「我々は人間であって神ではない」、バルト「大陸神学対アングロ・サクソン神学」、ニーバー「カール・バルトへの回答」の4編収録。巻頭で有賀鉄太郎が「問題の所在」を書いている。
カール・バルト(成瀬治訳)、「キリスト教の使信の現実性」(『ヒューマニズム』(基督教論叢10)、新教出版社、1951)。
1949.9.1ジュネーブでの講演で、「神学研究」28号(1950)に掲載。『ヒューマニズム』には他に「ヒューマニズム」(後に著作集5所収)と「新しき人の現実」(後に著作集3所収)。
カール・バルト(小平尚道訳)、『祈祷−−宗教改革者による主の祈の講解』、日本基督教団出版部、1955(1949)、108頁。
バルトがスイスのヌーシャテル(Neuchatel)で1947〜1949におこなった3回の講演録。新書サイズ、古いがこれしかない。
岩波雄二郎編、『岩波講座 現代思想 別巻――歴史・人間・思想−−海外思想家の寄稿』、岩波書店、1957、310頁。
この中に、清水幾太郎訳「現代における個人」がある。これは、1957年4月15日のラジオ講演。この本にはほかに、K.レヴィット(柴田治三郎訳)「人間と歴史」、E.フロム(清水幾太郎訳)「現代における人間の条件」など。
ジェラルド・H・アンダーソン編(土居真俊編訳)、『福音宣教の神学』、日本基督教団出版局、1969(1961)。
「第一部 宣教の聖書的根拠」、「第二部 キリスト教と他宗教」、「第三部 宣教の理論」の三部だて。第一部の中で、オスカー・クルマン「新約聖書における終末論と宣教」に続いて、カール・バルト(西村幸郎訳)「マタイによる福音書28章16-20節の釈義的研究」。その他では、ティリッヒの「宣教と世界史」という論文もある。
バルト、クルマン(宍戸達訳)、『洗礼とは何か』、新教出版社、1971、224頁。
バルトの「教会の洗礼論」(1943)とクルマンの「新約聖書の洗礼論−−成人洗礼と幼児洗礼」(1948)。バルトのは、1.洗礼の本質、2.洗礼の効力、3.洗礼の意義、4.洗礼の秩序、5.洗礼の効果。クルマンのは、序文、1.キリストの死と復活による洗礼の基礎づけ、2.キリストのからだに受け容れられることとしての洗礼、3.洗礼と信仰、4.洗礼と割礼、結語、付録「新約聖書における初期の洗礼式の痕跡」。巻末に訳者による解説「バルトとクルマンにおける洗礼の意義」。バルトの方は後に改訂されて『カール・バルト著作集 第3巻』に収録。
この書では、バルトは幼児洗礼を批判し、クルマンは擁護する。ただし、バルトは『教会教義学』W/4(1967)の前書きでこう記す。「教会の洗礼論」を書いた後、「私は、この問題(洗礼)について、多少ちがった見解を持つようになった。それで、私は、あの著作を、この問題に対しての私の究極の言葉と考えられ引用されることを、もはや願っていない。それは、私の考えでは、すでに乗り越えられて古くなってしまったのである」(井上良雄訳『和解論W キリスト教的生<断片>』の「はしがき」)
カール・バルト、「シュライエルマッハーとわたし」、1968(J.ファングマイアー(加藤常昭、蘇光正訳)『神学者カール・バルト』、アルパ新書28、日本基督教団出版局、1971、83-139頁)。
シュライエルマッハーの著作集のために書かれた「手引き」で、バルトのシュライエルマッハーとの関わりを語ることによってバルトの全神学が回顧されている。
カール・バルト(小塩節、野口薫訳)、『最後の証し』、新教出版社、1973(1969)、120頁。
バルトの最期の直前、1968年8月以降に発表された(発表を予定していた)発言集。小さな本。「イエス・キリストについての証言」、「この人と音楽を聴く(ラジオ・インタビュー)」、「自由主義神学(インタビュー)」、「カトリックおよびプロテスタントのラジオ説教を聴いて」、「新しい出発、立ち帰り、告白」の5本。
カール・バルト(吉永正義、木下量煕(きのした・かずひろ)訳)、『ヨハネによる福音書』、日本基督教団出版局、1986(1976)、536頁、6500円。
1章から8章までの註解。1925-26年にミュンスター大学、及び、1933年にボン大学で行った講義の記録を整理して、1976年に『バルト全集』のひとつとして出版されたもの。
カール・バルト、E.トゥルナイゼン(加藤常昭訳)、『神の言葉の神学の説教学』、日本基督教団出版局、1988、252頁。
バルトの大学での説教学演習の記録を元にした説教論(原著1966)と、トゥルナイゼンの小論3編。バルトのはこれより先に、翻訳権を得ずに(つまり海賊版ね)小坂宣雄訳『説教の本質と実際』(新教出版社、1977)として出た。
カール・バルト(芳賀力訳)、「私たちの為に生きたもうキリスト」(1962)(『季刊教会』No.20、日本基督教団改革長老教会協議会、1995.8)。
カール・バルトがエルンスト・ボルフの60歳誕生記念論集に寄稿した論文。原題は「私たちの外で−私たちの為に−私たちの内で」。「キリストの誕生は、キリスト教的人間の誕生であり、あらゆるキリスト者の誕生日がすなわちクリスマスなのである」(p.6)。訳者によれば、「バルトの神学は、そのキリスト中心主義の故に人間不在ではないかと簡単に見られがちですが、この論文を読むと決してそうではなく、彼の真意がよく分かると思います」。
カール・バルト(吉永正義訳)、『キリスト教倫理学総説』、新教出版社、2000-2005(1973)。
T/12000、218頁、4000円
T/22003、293頁、5200円
U/12003、442頁、7200円
U/22005、3360円
1928年夏学期と1928-29年冬学期にミュンスターで、1930-31年冬学期にボンで行った講義をもとに、D.ブラウンが編集して、全集に収めたもの。T/1は「序論」(「倫理学と教義学」、「神学的倫理学と哲学的倫理学」、「神学的倫理学の道」)と、第一章「神の誡めの現実」(「誡めの啓示」、「神の誡めとしての誡め」、「神の裁きとしての誡め」)。
宇野元訳、『晩年に贈られた友情――バルト−ツックマイアー往復書簡』、新教出版社、2006、137頁、1890円。
24通の往復書簡と、ツックマイアーの「晩年に贈られた友情」と題する回想。ツックマイアーは、ナチスから著作活動や戯曲上演を禁止された劇作家でカトリック。
リヒャルト・グルーノー編(小塩節、小鎚千代訳)、『カール・バルト一日一章』、日本基督教団出版局、2007、720頁、8715円。
カール・バルト(永井春子訳)、『今日の時代における個人(ラジオ講座)』、私家版、2007。
誤植を訂正して、2009年に流通版、一麦出版社、32頁、1890円。
小塩節、小塩トシ子編(菅井日人写真)、『クリスマスの祈りと歌』、日本基督教団出版局、2007、74頁、1575円。
この中に、バルトの1965年12月24日の「クリスマスの祈り」が収録されている(小塩節訳)。ただし、出典は記されていない(他のいくつかは記されているのに)。
天野有訳、「カルヴァンの自由な生徒として」、『福音と世界』2009.10(特集 カルヴァンの遺産――生誕500年を記念して)、新教出版社。
S.ヘネッケ、A.フェーネマンス編(寺園喜基訳)、『カール・バルト=滝沢克己往復書簡 1934-1968』、新教出版社、2014。
35年にわたる81通の往復書簡。

5.教会教義学の要約、部分訳

5.1 部分訳

H.ゴルヴィッツァー編(鈴木正久訳)、『カール・バルト教会教義学』、日本基督教団出版部、1961(1957)、320頁。
「KDW/2」(「和解論U/4」まで)のエッセンスの部分を抜粋。解説つき。
カール・バルト(山本和訳)、「人間性について」(佐古純一郎編・解説、『現代の信仰』(現代人の思想3)、平凡社、1967、119-255頁)。
KDV/2の§45「神の契約相手に定められた人間」の第二項「人間性の基本形式」(邦訳では『創造論U/2』に区分されている)の全訳。
カール・バルト(井上良雄、吉永正義、佐々木悟史訳)、『私にみ言葉をください 教会暦による聖書講解』(新教セミナーブック6)、新教出版社、1995(1970)、684頁、5800円。
『教会教義学』の最終巻として出版された『総索引』に収録されている『説教の手引き』の翻訳。ヘルムート・クラウゼ編。ドイツ福音主義教会(EKID)の聖書日課にしたがって、『教会教義学』の中から該当する個所の講解を抜粋したもの。解説は上下とも佐々木悟史。最初は2巻に分けて邦訳出版された(1974、1975)が、その後、新教出版社の40周年記念復刊シリーズとして上下合本で復刊(1979)。さらに、1995年から新教セミナーブックになった。
カール・バルト(天野有訳)、『国家の暴力について』(新教セミナーブック19)、新教出版社、2003、157頁、1800円。
サブタイトルが、「死刑と戦争をめぐる創造論の倫理」。KDV/4「創造者なる神の誡め」第55節「生への自由」第2分節「生の保護」から抜粋した新訳(既訳は吉永正義訳で『創造論W/3』)。十戒のうちの第六戒の具体的問題のうち、死刑と戦争を論じた箇所の抜粋。
原著のS.366のライトザッツの後、A.「「生への畏敬」ゆえの「生の保護」」(S.453-456)、B.「或る人間に他の人間によりなされたる<致死行為(テートゥング)>の種々の状況領域に向かうにあたって」(S.471-473)、C.「死刑の問題」(S.499-515)、D.「戦争の問題」(S.516-538)。
大貫隆編著、『イエス・キリストの復活――現代のアンソロジー』、日本基督教団出版局、2011、394頁、5670円。
この中に『教会教義学』からの抜粋あり。

新教新書の中での『教会教義学』の部分訳:

『モーツァルト』(小塩節訳、新教新書19)に「KDV/3」のS.227-339の小活字の部分の訳が「創造の世界とモーツァルト」と題してある。

『イスカリオテのユダ』(川名勇訳新教新書77、後に吉永正義訳KDセミナーブック1)に「KDU/2」の第35節「個人の選び」(『神論U/2』)の第4項「捨てられた者の規定」の注の全訳がある。

『キリスト教倫理T〜W』(新教新書94-97)は、「KDV/4」(『創造論W/1〜4』)の要約。

『ヨブ』(西山健路訳新教新書149、後に井上良雄訳『キリストの証人ヨブ』KDセミナーブック2、1997)に「KDW/3」の第70節「人間の虚偽と断罪」(『和解論V/3』)の中のS.444-448, 459-470, 486-499, 522-531がある。

5.2 要約

以下の中で、井上良雄による『地上を旅する神の民』だけは簡便で有用そう。

岩永達郎、「バルトにおける男と女」(ヴィッサー・トーフト、トゥルナイゼン(新教出版社編集部編訳)、『男・女・結婚』(基督教論叢17)、新教出版社、1954、pp.99-125)。
巻末に≪研究資料≫として載せられている。KDV/1の§41の第2分節で「創世記の創造論を聖書釈義的に論究した箇所」とKDW/3の§54の第1分節をもとにしての、KDの中で男女の問題を取り扱っている部分の紹介。この『男・女・結婚』は1960年に新教新書35となったが、そこではこの論文は割愛されている。
オットー・ヴェーバー(土方昭訳)、『カール・バルト教会教義学概説−−T1よりW2の入門的報告』、明幻書房、1967(19573)、454頁。
KDW/2(「和解論U/4」まで)をかなり圧縮した要約。26章からなる。訳が悪い。神学の用語を全然知らない人が訳した。邦訳『和解論T/1〜4、U/1』の初版の巻末に、KD第13章〜第15章64節第2分節の部分の邦訳あり。翻訳権の問題でこの部分のみ。「神の恩寵の選び」の部分(第8章)は『イスカリオテのユダ』(吉永正義訳、KDセミナーブック)の第一部にもある。
井上良雄編、『地上を旅する神の民−−バルト「和解論」の教会論』(教会と宣教双書15)、新教出版社、1990、294頁。
和解論の第1〜3分冊それぞれを、教会論という観点から約1/5に要約。p.284に和解論の構造の表がある。
吉永正義(よしなが・まさよし)、『神の言葉の神学−−バルト神学とその特質』、新教出版社、1988、748頁、8500円。
『バルト神学とその特質』の改訂第二版として計画されたもの。第1部はKDT/1の§1〜6の要約と解説で、1/3くらいになっているとのことだが、ほとんどそのまま抜き出したという感じ。第2部は§7の要約と解説。第3部は『バルト神学とその特質』の第4章が「ほとんどそのまま再録されており」(まえがき2頁)、§8〜12の三位一体論の部分の要約と解説。第4部は4論文を収録。「知解ヲ求メル信仰−−アンセルムスとバルト」は著作集8所収の「知解を求める信仰」の解説(ただし、最後の段落が変更されている)。「説教と神学−−認識論における恵みのみ」は『神学』41号(1979)に加筆。そのほか、「キリスト論的基礎づけ−−三位一体論的に基礎づけられたキリスト論的集中」、「祈りの中の思惟と活動的見方−−『教会教義学』の神学的思惟と記述の特徴」。
吉永正義、『受肉と聖霊の注ぎ−−バルト神学とその特質U』、新教出版社、1992、694頁、9515円。
KDT/2前半(第13〜15節「言葉の受肉」、第16〜18節「聖霊の注ぎ」)のまとめ。序論で、バルトの3回の教義学の企て『キリスト教宗教の綱要(訓育)』、『キリスト教教義学』そして『教会教義学』を解説。そして、KDでの「言葉の受肉」「聖霊の注ぎ」に対応する部分について、それら三つの著述を並べて紹介している。KDの部分は、短い解説を挟みながら、ほとんど『教会教義学』の小さい字で印刷されている部分を除いたそのままという感じ。

6.聖書注解

『ローマ書』(19191,19212,19223,19244,19265,19286
最も新しい邦訳は、小川圭治、岩波哲男訳、『ローマ書講解』(上、下)(平凡社ライブラリー、平凡社、2001、上下各1600円)。
『死人の復活』(1924)
第一コリント第15章の注解。山本和訳で「カール・バルト著作集15」所収。2003年に新教セミナーブック15。
『ピリピ書注解』(1928)
山本和訳で「カール・バルト著作集15」所収。2003年に新教セミナーブック16。
「今週わたしにとって最も喜ばしいことは水曜日のピリピ書講義である。・・・パウロ! まさにこれこそが問題だ。そのわきに並べると、すべての教義学は痰唾であり、おまけに倫理学も」(訳者による「解題」より)。
『ルカ福音書第一章に関する四つの聖書研究』(1935)
最初は「今日の神学的実存」双書第19号。後に、『約束−−ルカ第一章』(1960)。秋山憲兄、蓮見和男訳『降誕−−聖書研究と小説教』(新教新書70)に所収。
『キリストとアダム』(1952)
副題は、「ロマ書5章による」。元来KDのV/2に組み入れられるべき注解であったが、単行本で発行された。ブルトマンの非神話化論的聖書解釈に対抗した聖書解釈による人間論(大木英夫『バルト』p.176)。小林謙一訳で『現代キリスト教思想叢書9』(白水社、1974)所収、あるいは、吉永正義訳で「カール・バルト著作集3」(1997)所収。
『ローマ書新解』(1961)
川名勇訳で「カール・バルト著作集15」所収。2003年に新教セミナーブック17。
『ヨハネによる福音書』(1976)
1章から8章までの註解。吉永正義、木下量煕訳で日本基督教団出版局、1986、536頁、6500円。

『教会教義学』の中には注目すべき聖書注解が至るところにちりばめられている。特に、邦訳のある以下の二つと、第二巻「神論」の「選びの教説」におけるヨハネ福音書冒頭プロローグの解釈、第三巻「創造論」における創世記1-2章の注解などが注目される(大木英夫『バルト』p.177)

『イスカリオテのユダ』
「KDU/2」の第35節「個人の選び」(『神論U/2』)の第4項「捨てられた者の定め」の中の、イスカリオテのユダに関する部分の註解。「神の恵みの選び」を語る。川名勇訳(新教新書77、1963)、あるいは、吉永正義訳(KDセミナーブック1、新教出版社、1997)。
『ヨブ』
KDW/3の中のヨブ記を講解した部分(邦訳は『和解論V/3』)に、ゴルヴィッツァーが解説を付したもの。西山健路訳で『ヨブ』(新教新書149、1969)。後に、井上良雄訳『キリストの証人ヨブ』(KDセミナーブック2、新教出版社、1997)。

7.説教について

7.1 説教選集

バルトの説教で残っているのは772ある。そのうち、1990年の時点でドイツ語で公刊されているもの278編全部の邦訳が雨宮栄一、大崎節郎、小川圭治監修『カール・バルト説教選集1-12』(第1期全12巻、日本基督教団出版局、1991-1995)。この中で1-5巻に収録された説教はすべて本邦初訳とのこと。『カール・バルト著作集16、17』に収録されている説教はすべて『カール・バルト説教選集1-12』に再録されている。

日本で『カール・バルト説教選集1-12』(第1期)の刊行開始後、チューリッヒで出された『カール・バルト著作集』に未発表説教が収録された。それらの邦訳は『カール・バルト説教選集13-18』(第2期全6巻、第1期から通算で第13-18巻、2000-2005)。

『カール・バルト説教選集』第6巻に、ファングマイアー『神学者カール・バルト』の中で何度か言及される説教「人びとを満足させる牧師」(1916.2.6)がある。バルトはこの説教を印刷して村の全家庭に配布したという(エーバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯』p.130)。しかし後に、この説教は「牧師という人間として高飛車な発言」だと語った(『カール・バルト説教選集6』、p.35)

7.2 バルトの説教集

クーピッシュも大木英夫も、バルトの説教集として次の六つを挙げているが、『降誕』(新教新書70)のあとがきによれば、これらの他にクリスマスの小説教を収めた『降誕』("Weihnacht," 1934)がある。

トゥルナイゼンと共著、『神を求めよ、さらば生くべし』("Suchet Gott, so werdet ihr leben!," 1917)
バルトとトゥルナイゼンの共著の第一説教集。部分訳で小川誠太郎訳(長崎書店、1938)。後に全訳された:小川誠太郎訳、新教出版社、1951。加藤常昭がトゥルンアイゼン(加藤の表記)に、どちらがどの説教をしたかは永久に明らかにされないと聞いているがと尋ねたら、「そんなことはない」と言って、どれが誰がした説教かを書き入れてプレゼントしてくれたという(加藤常昭『説教者カール・バルト』53頁)
トゥルナイゼンと共著、『来たり給え、創り主なる御霊よ!』("Komm, Schöpfer Geist!," 1924)
バルトとトゥルナイゼンの共著の第二説教集。前半は井上良雄訳『イエスは主なり』新教出版社1950、後半は井上良雄訳『聖金曜日』1962。
トゥルナイゼンと共著、『大いなる憐れみ』("Die große Barmherzigkeit," 1935)
どちらの説教か署名あり。
『恐れるな!』("Fürchte dich nicht!," 1949)
一部(6本)が井上良雄訳『勝利の信仰』1958にあり。また、加藤常昭『説教−−牧師と信徒のために』(日本基督教団出版部、1964)にこれの冒頭の説教(ルカ5:1-11)の邦訳あり。
ボーレン(加藤常昭訳)『説教学T』(日本基督教団出版局、1977)のp.207以下で、講解説教の模範的な例として『恐れるな!』所収の詩編103:1-4の説教を解説している。
『囚われ人に解放を』(Den Gefangenen Befreiung," 1959)
『われを呼べ!』("Rufe mich an!," 1965)

7.3 説教選集以前の邦訳説教集

説教選集に収録される以前に発行された説教集で、新教新書以外のものは、上に記した『神を求めよ、さらば生くべし』、『イエスは主なり』のほかは以下のものがある。

松尾相、久保田豊武編、『バルト説教選集』、長崎書店、1938。
「今日の神学的実存(Theologische Existenz heute)」双書などから取られた10編の説教集。
バルト、トゥルナイゼン(蓮見和男訳)、『山上の垂訓』、新教出版社、1953、122頁。
バルトのは説教3篇。マタイ5:5(1946年の受難日)、マタイ5:6-7(1941.7、バーゼル)、マタイ6:24-34(1935.9、バーゼル)。トゥルナイゼンのは「今日の神学的実存双書」として1936年に出されたもので、邦訳は後に『トゥルナイゼン著作集1』(新教出版社、1986)所収。
トゥルナイゼンのと合わせた説教集には、ここと上の「バルトの説教集」に挙げたものの他、『われ山に向いて眼をあぐ』(新教新書23)がある。

7.4 バルトの説教の邦訳がある書籍

加藤常昭、『説教――牧師と信徒のために』(現代と教会新書)、日本基督教団出版部、1964、205頁。
「恐れるな!」の冒頭に収録されているルカ5:1-11の説教(1934.7.1にボンのシュロス・キルヒェでなされた)を収録。この書の第1部は加藤常昭の説教論、第2部は、バルト、ブルトマン、アルトハウスら6人の同一聖書箇所からの説教(ルカ5:1-11)とそれらを分析・比較した解説。
R.ランダウ編(加藤常昭訳)、『光の降誕祭――20世紀クリスマス名説教集』、教文館、1995(1994)、310頁、2400円。
20世紀のドイツ語圏のクリスマス説教集。ブルームハルト、ニーメラー、トゥルンアイゼン、ブルトマン、ゴルヴィツァー、ボーレン、フォン・ラート、ユンゲル、イーヴァントなど。バルトのは2編。ひとつは、ルカ1:26-38の説教で、1929年のアドヴェントになされたもの。トゥルンアイゼンとの共著『大きな憐れみ』所収。もうひとつは、ヨハネ16:33からのもので、1963年12月24日にバーゼルの刑務所で語られたもの。説教集『われを呼べ!』に収録。
加藤常昭編訳、『説教黙想集成1 序論・旧約聖書』、教文館、2008、826頁、6510円。
この中に、エレミヤ書17:5-14の箇所の説教の実例として、バルトのエレミヤ17:5-10の説教あり。『説教黙想集成2 福音書』にはバルトなし。
ミヒャエル・ハイメル、クリスティアン・メラー(徳善義和訳)、『時を刻んだ説教――クリュソストモスからドロテー・ゼレまで』日本基督教団出版局、2011、450頁、6300円。
この中に、「囚われ人に解放を」(1961年)あり。

7.5 バルトの説教について

加藤常昭、『説教者カール・バルト――バルトと私』、日本基督教団出版局、1995、122頁、1200円。
この本は、説教選集の付録としての位置づけ。巻末に説教選集に収録された説教の聖書箇所一覧あり。
ほかに、五十嵐喜和編『キリストに捕らえられて――現代に呼びかけるカール・バルトの神学』(教文館、2000)にも加藤常昭の「カール・バルトの説教について」という講演録あり。また、加藤常昭『文学としての説教』(教文館、2008)の中でバルトを取り上げているらしい。
ウィリアム・ウィリモン(宇野元訳)、『翼をもつ言葉――説教をめぐるバルトとの対話』、新教出版社、2015、460頁、5500円+税。

「バルトの説教」について

「一読したところ、これ〔バルトの説教〕は時代の動きとはまるで無関係のようですが、そうではありません。・・・この説教にもそうした信仰の戦いの姿勢がはっきり現れてきています。ただバルトはそうした戦いを聖書の言葉だけを武器にして押し進めようとしています。」加藤常昭、『説教――牧師と信徒のために』、pp.171-172。

説教テキストについて、「バルトは、大体において、ペリコーペに従う方法や連続講解説教の方式をとらず、自由に選択」した(大崎節郎、『カール・バルト説教選集2』の解説)とあるが、ほんとうだろうか? 教会暦に沿って選ばれたこともあるのではないだろうか?

「カール・バルトには、聖書<について>語る意志など全くない。聖書<を>語るだけである。いや、そのような表現もどこか不足している。むしろ、<聖書が語る>ということと<説教者が語る>ということとが一つになっている。だから退屈になりようがない。ただ、ついでに言えば、バルトの説教を翻訳している人々の中に、このバルトの説教の特質を理解せず、まるで神学論文でも訳すような思いで訳している人が多い。」加藤常昭、「信仰の告白・伝道・教会の制度」in 日本基督教団改革長老教会協議会編『教会の信条と制度』、1995、pp.86-87。

「前に、カール・バルトが、説教が済んだら、その原稿を、そのまま、印刷に回せるようにすべきである、と言っている、と書いたことがあります。しかし、バーゼル刑務所での彼の説教集の編集者によれば、実際は少しちがうようです。この人は、バルトの説教をつくる過程を九つの段階に分けていますが、その要点をいえば、こうです。バルトは、要点を中心にした原稿を書き、タイプで打ち、赤や青の色鉛筆で下線を引いたりしました。それを持って講壇に立ったのですが、説教は、秘書が必ず速記し、その日のうちに原稿にして、バルトに渡します。それに、バルトが手を入れたらしいのであります。」竹森満佐一、『講解説教 エペソ人への手紙』、新教出版社、1988、p.427。

バルトの「説教について」

「聖書を解く説教は、人を退屈させるはずがない。」

「説教は、すべからく聖書の講解説教である。」

8.一日一章

リヒャルト・グルーノー編(小塩節、小鎚千代訳)、『カール・バルト一日一章』、日本基督教団出版局、2007、720頁、9240円。