近藤勝彦の著書の収録論文一覧

2011.7.6更新(印が主な更新個所です。)

論文集や講演集などとして出版された著書の収録論文一覧。

一部のものに、春原による内容要約(あるいは気になったポイント、あるいはコメント)を付した。

『現代神学との対話』

ヨルダン社、1985。
宗教史の神学――E・トレルチとW・パネンベルク
東京神学大学1978年度後期始業講演
「頌栄」としての神認識
『神学』41号、1979。
現代神学における旧約聖書論
『神学』46号、1984。
W・パネンベルクとJ・モルトマンにおける啓示と歴史
『神学』33号、1970。
マコトニ神、マコトニ人――現代における「位格的統一」の問題
『神学』45号、1983。
W・パネンベルクにおける復活の神学
『聖書と教会』1983.4。
E・ユンゲルにおける神の問題――その「十字架の神学」の理解と批判
東京神学大学第15回教職セミナー(1984.1.11)における講演。
霊的キリスト論の問――H・ベルコフとP・ティリッヒ
未発表。
プロテスタント的「形成論」の問題――E・トレルチとP・ティリッヒの相違点をめぐって
『神学』42号、1980。
P・ティリッヒとK・バルトにおける「現実化」の問題
山本和編、『歴史の神学シンポジウム』今日の宣教叢書11、創文社、1984。
現代神学におけるイスラエル論
未発表。
倫理学の神学的基礎づけ――E・トレルチ、K・バルト、P・ティリッヒ、W・パネンベルク
『形成』1984.5,6,8月号。

『礼拝と教会形成の神学』

ヨルダン社、1988。
教会論の転換――序にかえて

T 礼拝の神学

1.最高の行為としての礼拝
『形成』123,124合併号、1981.4。
2.バイオフィラスな神
『形成』155号、1983.11。
礼拝の神学
『形成』169-171号、1985.1-3。
感謝について
未発表。
犠牲について
未発表。

U 教会の課題

1.教職とは何か
日本基督教団関東教区埼玉地区での講演、後、『形成』135号、1982.3。
2.按手礼についての考察
1978.9 日本基督教団福音主義教会連合の研修会での講演、後、『形成』95号、1978.11。
3.聖霊、人生、教会
日本基督教団福音主義教会連合『教会学校教案』第2巻第2号、1980.5。
聖霊による個人の生の完成(あるいは人格の完成、人生の完成)と、それが起きる場である「制度としての教会」における聖霊の働きについて。初代教会での霊の働きが弱まるとともに教会制度が確立したという理解は誤りで、聖霊が制度を形成し、保持し、浄化し、生命化し、改良し続けていく。教会はキリストの体であり聖霊はこのお方の霊であって、教会を制度的にも健全に形成してくださるのは、聖霊である。
4.今日の教会の二重の課題
『福音主義教会連合』1986.9。
5.伝道の回復のために
東京神学大学総合研究所シンポジウム「伝道」での発題、東京神学大学『学報』142号、1986.12。
6.証しの回復
『福音主義教会連合』1987.8。
7.近代文化のアポロジーと教会
『福音主義教会連合』1986.4。
8.教会的社会倫理をめざして
『福音主義教会連合』1981.9。

V 教会政治の神学

1.教会のしるし
1978.6 福音主義教会連合修養会における講演、後、『形成』90号、1978.6。
2.真理としてのキリスト教と現象としてのキリスト教
『形成』88号、1978.4。
3.教会政治の神学
『形成』105、106合併号、1979.10。
4.「戦責告白」の問題点
『福音主義教会連合』1984.9。
5.「日本基督教団福音主義連合」の世界教会史的意義
福音主義教会連合修養会での講演、後、『福音主義教会連合』1981.4。

W 経験の神学

1.経験の神学
1986.11 仙台での東京神学大学後援会講演、および、1987.6 四国教区高知地区牧師会での発題、後、『形成』200号、1987.8。
2.「時」について
「時についての黙想」、『説教者のための聖書講解−−釈義から説教へ』30号、1980.3。
3.キリスト教と日本――トレルチの現代的意義を手がかりとして
1987.11 『形成』セミナーの講演、後、『形成』205、206合併号、1988.1。

『教会と伝道のために』

教文館、1992。

第一部 日本伝道と教会形成

一 神の国と伝道
『形成』227号、1989.11。
二 日本伝道と教会形成
『形成』244号、1991.4。
三 今日の課題としての教会形成
『福音主義教会連合』140号、1989.2。
四 神の国と礼拝
『形成』224号、1989.6。
五 礼拝の神学
『形成』232号、1990.4。
六 現代における伝道者
『形成』246号、1991.6。
七 牧師の課題
『形成』240号、1990.12。
八 教会政治の考察
『形成』229-230号、1990.1-2。

第二部 教会生活のために

一〜一二は『福音主義教会連合』127-138号、1988.1-12。一三〜一六と一八は『形成』218-223号、1989.2-7。

一 喜ばしい思索
二 生の神学
三 平和の考察
四 キリスト者の挨拶
五 創造論の再考
六 信仰による世界経験
七 頌栄的人間論
八 聖餐共同体(1)
九 聖餐共同体(2)
一〇 教会的デモクラシー
一一 募金の神学
一二 聖なる時としての夜の回復
一三 倫理の再建
一四 決定的出来事と言えるのは・・・
一五 殉教論の再考
一六 聖書的宗教とは
一七 聖書への回帰
一八 客観的目的の回復
一九 運命か摂理か?

付録

一 信仰の意味と力
二 人生の力としての礼拝

『歴史の神学の行方――ティリッヒ、バルト、パネンベルク、ファン・リューラー』

教文館、1993。
パウル・ティリッヒにおける「終末論」の根本問題
未発表。
パウル・ティリッヒの神学における政治の問題――特にその『組織神学』第三巻をめぐって
『神学』51号、1989。
引き受けられた実存的破壊――パウル・ティリッヒにおける十字架の解釈
『神学』50号、1988。
画像の類比――パウル・ティリッヒにおけるイエス像
東神大第22回教職セミナー、1991.1。
バルトとティリッヒ――神的肯定をめぐって
『日本の神学』26号、1987。
カール・バルトと幼児洗礼
『神学』47号、1985。
バルトをめぐるトレルチ的問題
『日本のキリスト教とバルト――生誕100年をむかえて』(新教コイノーニア3)、新教出版社、1986。
イエス・キリストの復活の意味――現代神学の諸議論との関連で
『神学』48号、1986。
歴史神学の行方――パネンベルクにおけるトレルチ解釈をめぐって
『神学』52号、1990。
自然の神学――特にパネンベルクのそれをめぐって
『開拓者』8号、1986秋。
現代文化における改革派神学の意義
『神学と牧会』7号、1988。
アーノルド・ファン・リューラーにおける「歴史の神学」
未発表。
アーノルド・ファン・リューラーにおける「聖霊論」の特質
未発表。
アーノルド・ファン・リューラーにおける「キリスト教的文化」の理念
『聖学院大学論叢』4、1991。

『信徒のための神学入門』

教文館、1994。
第一講 喜ばしき生の神学
第二講 平安(シャローム)の神学
第三講 創造論の再考
第四講 有限な人間はどう生きるか――頌栄的人間論
第五講 御子の受肉は何のためか
第六講 聖霊の働きについて――生かし慰める御霊
第七講 サクラメントとは何か
第八講 信仰の倫理――平静、勇気、知恵
第九講 現代社会における教会
第十講 教会の使命
第十一講 霊的な制度
第十二講 キリストの共同体
第十三講 個と全体
第十四講 教会生活の道
1.教会生活を「道」として考える。主イエスを道とし、十字架から神の国へ向かう。教会は救いの体験共同体であって、同時に目標あるいは夢を持つ。2.教会暦は救いを共通体験することを目的としており、プロテスタント教会は、教会暦ではなく主日を中心としつつ、簡素で集中化した仕方で教会暦を保持する。3.教会生活の「昼」と「夜」について。

『癒しと信仰』

教文館、1997。

3部構成で、第1部、第2部は説教集、第3部が講演集。

V 「癒し」と「死生観」についての講演

福音と癒し
1992.10.26 病院において医師や看護婦に語られた講演。
キリスト教信仰と癒し
1994.5.5 「神学と精神医学懇話会」第30回会合での発題。
キリスト教の死生観
1994.12 聖学院大学での講義。
死について
1995.1.10-11 東京神学大学教職セミナーでの発題。
キリスト教の生命観――生命の神学と生命倫理
1995.6.24 日本宗教法学会での講演。

『デモクラシーの神学思想――自由の伝統とプロテスタンティズム』

教文館、2000。
総論 自由の伝統とプロテスタンティズム――ウェーバー、セイバイン、カイパーの理解をめぐって
『聖学院大学総合研究所紀要』No.28、1996。

第T部 一六世紀と一七世紀から

第一章 カルヴァンにおけるセオクラシーとデモクラシー
『聖学院大学論叢』、vol.7、No.1、1995。
第二章 ミルトンにおける自由の問題と終末論
『神学』No.57、1995。
第三章 ジョン・ロックの寛容論における神学的構成
土戸清、近藤勝彦編、『宗教改革とその世界史的影響――倉松功先生献呈論文集』、教文館、1998。

第U部 二〇世紀のデモクラシーの神学思想

第一章 P・T・フォーサイスにおける教会と国家
倉松功、近藤勝彦編、『福音の神学と文化の神学――佐藤敏夫先生献呈論文集』、教文館、1997。
第二章 エルンスト・トレルチにおける「保守的デモクラシー」
『聖学院大学論叢』、vol.8、No.1、1995。
第三章 トレルチとリンゼイ――宗教と政治の問題をめぐって
永岡薫編著、『イギリス・デモクラシーの擁護者A・D・リンゼイ――その人と思想』、聖学院大学出版会、1998。
第四章 エーミル・ブルンナーにおける正義の神学と全体主義国家批判
倉松功、並木浩一、近藤勝彦編、『知と信と大学――古屋安雄先生古希記念論文集』、ヨルダン社、1996。
第五章 ラインホールド・ニーバーにおけるデモクラシーの神学
『聖学院大学論叢』、vol.5、No.2、1992。
第六章 宗教的寛容の宗教的根拠
『神学』、No.55、1993。
第七章 終末論的国家論と民主主義的国家論
『神学』、No.54、1992。
第八章 人権の神学――現代ドイツ・プロテスタンティズム神学の場合
『聖学院大学論叢』、vol.6、1994。

第V部 日本におけるデモクラシーの神学思想

第一章 植村正久における国家と宗教
『神学』、No.58、1996。
第二章 内村鑑三における再臨運動とデモクラシー批判の問題
『聖学院大学総合研究所紀要』No.、1999。
第三章 吉野作造におけるデモクラシーとキリスト教
未発表。
第四章 南原繁における「価値併行論」と宗教的神性
未発表。
終 章 近代化の曖昧さとモダンの神学的更新――日本の社会と教会の視点から
初出は独文? Institute for Christian Culture Studies ed., "21st Century, Postmodernism and Christianity," Soong Sil University Press, 1996.

『伝道の神学――21世紀キリスト教伝道のために』

教文館、2002。

第一部 二十一世紀の日本の伝道と神学

第1章 二十一世紀の日本の伝道と神学の問題
『宣教』24号、日本キリスト改革派教会中央宣教研究所、1999。
第2章 二十一世紀のキリスト教と神学教育
第3章 「教団史」における伝道――その喪失と回復
『福音主義教会連合』296-298号、2002.2-4。
第4章 説教における「力」の回復
第5章 家族における信仰の継承
第6章 キリスト教学校に働く伝道者

第二部 組織神学としての伝道の神学

第1章 マルティン・ケーラーにおける伝道の神学
第2章 エルンスト・トレルチにおける文化史的伝道論の試み
第3章 エーミル・ブルンナーにおける「伝道的神学」
第4章 カール・バルトにおける伝道理解――その意味と限界
『神学』63号、2001。
第5章 アーノルド・A・ファン・リューラーにおける「使徒的使命の神学」
第6章 ユルゲン・モルトマンにおける終末論的伝道理解とその喪失
終 章 伝道の神学

『伝道する教会の形成――なぜ、何を、いかに伝道するか』

教文館、2004。

T 伝道する教会の形成

第1章 二一世紀の伝道と教会形成
2002.7 日本基督教団福音主義教会連合全体会での講演。
日本の伝道を阻害している要因には、日本人の精神的土壌、精神の非宗教化、宗教的多元世界、宗教そのものの多元主義化がある。これらの問題と取り組むために、「弁証学」ないしは「キリスト教の世界政策」としての「伝道の神学」が必要である。そこで、伝道の可能根拠、意味、位置が明らかにされる。伝道は、神の救済史の中に不可欠な位置を持っている。伝道は結果として「教会形成」でもある。一人ひとりの魂の救いを目指すと共に、神の民の全体的な回復がテーマである。伝道する教会は、伝道のために祈る教会である。祈りのうちに具体的なヴィジョンが示される。
第2章 伝道と信仰告白
2001.7.16 西東京教区教師会での講演。
教会は伝道に向かう。その際信仰告白は、共通の信仰の表現として、一つの伝道主体を形成する。また、伝道は教会に向かう。その際信仰告白は、神の国のエクレシアの姿にあずかる民の、「神の真実」である。伝道も教会も神の国を目的としている。神のリアリティへの信頼に真実に生きることが、信仰告白の実質化である。真実の伝道は、神の働きに基づき、神の働きに委ね、神の働きに決定的な場を献げるものである。それがまた信仰告白的な姿勢である。
第3章 なぜ、、何を、いかに伝道するか
2003.4.4 日本伝道会発足式での講演。
伝道の根拠は神の永遠の意志決定にある。すなわち、伝道は救済史の中に不可欠に位置している。救済史は世界史の実質であって、世界史の主役は人類ではなく神である。伝道は世界史の主題である。
伝道は、キリストの贖罪と、三位一体の神と、不可分である。人は、キリストの十字架を通してキリストに結ばれ、キリストの体である教会に加えられることで、神の国に入れられるのである。また、三位一体の神は、神の国の到来のために、キリストの贖いと神の民の結集を決意し、御霊によってそれを遂行している。したがって、伝道は本質的に「教会的」である。伝道は教会によって遂行され、教会として結実する。
第4章 終末論的信仰に生きる教会
2002.3.26 在日大韓基督教会関東地方会婦人部研修会での講演。
神を信じているとは、神の恵みの支配が今あると信じていることである。それ以外のものの支配は終わっている。神の国が始まっている。ここに、終末論的な希望の信仰がある。この最後の地点を指し示しているのが礼拝である。礼拝こそが、神の国の先駆的到来が響いている場所である。我々は、礼拝から伝道へと派遣される。伝道は、神の救済計画であり、キリストの願いであり、キリストと聖霊の派遣による神の伝道である。伝道はさらに真の礼拝を目指している。伝道こそ、他者に対する最高の愛の行為であって、倫理にまさってより根源的である。礼拝と伝道は、教会のもっとも中心的な営みである。
第5章 伝道する教団の形成――信仰告白と伝道
1998.6.8 第9回日本伝道協議会主題講演。東京神学大学総合研究所『紀要』2号(1999)所収。

U 伝道する教会の基盤

第6章 教会――神の教会のエコー
1999.8.28 日本基督教団鳥居坂教会修養会講演。
第7章 キリストの十字架と復活の意味
1998.10.27、11.3 日本基督教団富士見町教会信徒講座での講演。
第8章 主イエスの十字架による癒し
1997.10.12 東神大兵庫地区後援会での講演。
第9章 キリストの体としての教会――その本質と使命
1999.10.10 日本基督教団中渋谷教会信仰研修会での講演。
第10章 「まことの礼拝」について
1999.8.7-8 日本基督教団野方町教会修養会での講演。
第11章 「公の礼拝」を守るとは
2002.9.1 日本基督教団柿の木坂教会修養会での講演。
第12章 なぜ洗礼を受け、聖餐に与るのか
1998.2.28 在日大韓基督教会甲府伝道所創立一周年記念講演。

V 伝道する教会の倫理、ならびに支援しあうもの

第13章 現代社会における教会の課題――伝道と倫理
2001.9.30 日本基督教団東調布教会修養会での講演。
第14章 二一世紀の倫理と歴史の指導原理
2003.4.14,21 東京神学大学公開神学夜間講座の講義。
第15章 キリスト教教育とその担い手
1999.8.30 東洋英和女学院六本木キャンパス第三回リトリートでの講演。
第16章 自由な市民社会の条件とキリスト教――ヴォランタリー・アソシエーションの精神
2002.10.12 第22回アジア・キリスト教教育基金セミナーでの講演。『エイセフ コミュニケーション』No.24(アジアキリスト教教育基金、2002.11.10)に掲載。
教会は、NGOなどのヴォランタリー・アソシエーションに献金と人材を送ることで、教会の本来の働きである礼拝と伝道に専心できる。
第17章 日本のデモクラシーとキリスト教
1995.7.8 日本伝道出版社主催「戦後五〇年を考える」での講演。
日本におけるデモクラシーは戦後定着したかに見えるが、その実態は相変わらず「根回し」、「談合」、「ボスの言いなり」、「長いものには巻かれろ」式のムラやウチの集団主義であって、自立した諸個人の創意が生かされる共同思考のデモクラシーにはほど遠い。デモクラシーの成立の深淵には、17-18世紀のプロテスタント・キリスト教の信仰に基づくプロテスタント的文化価値としてのデモクラシーの精神がある。教会は、デモクラシーの精神的基盤となって、日本社会に新しい国民性を涵養しなければならない。これは、福音伝道に続くもう一つの、教会の社会的な課題である。

『日本の伝道』

教文館、2006。

T

1 日本の伝道――過去と現在
2 日本の伝道――積極的敬虔の道
3 伝道のパイエティと伝道の神学
4 21世紀日本の伝道と伝道の神学
5 十字架の福音と神の国の福音
6 福音と現代の伝道

U

7 教団問題と伝道の神学
『福音主義教会連合』324-号、2004.6-2005.6。
8 伝道する教団の形成と聖礼典の問題
9 「戸田路線」の終焉
『福音主義教会連合』327号、2004.9。
10 高崎毅先生の思い出――召天三○年記念日に思う
『福音主義教会連合』315-317号、2003.9-11。

V

11 宗教改革の今日的実践――伝道する教会の形成
12 メソディズムの現代的意義
13 信仰告白する具体的な場――礼拝と伝道

『啓示と三位一体――組織神学の根本問題』

教文館、2007。

既出のいずれも、加筆や修正あり。

第一章 歴史的啓示の考察
古屋安雄、倉松功、近藤勝彦、阿久戸光晴編、『歴史と神学――大木英夫教授喜寿記念献呈論文集 上巻』、聖学院大学出版会、2005。
第二章 啓示認識における歴史と信仰――特にカール・バルトとヴォルフハルト・パネンベルクの場合をめぐって
書き下ろし。
第三章 旧約聖書と啓示概念――ロルフ・レントルフのW.パネンベルク批判とその意味
『神学』66号、2004。
第四章 旧約聖書の意義――「二つの正典」の理解と歴史的啓示
東京神学大学総合研究所『紀要』8号、2005。
第五章 内在的三位一体と経綸的三位一体
『神学』65号、2003。
第六章 三位一体の神と人格
東京神学大学総合研究所『紀要』7号、2004。
第七章 神の永遠の意思決定について
書き下ろし。
第八章 創造の起源について
東京神学大学総合研究所『紀要』3号、2000。
第九章 「神の似姿」としての人間とその意義
『神学』67号、2005。
第十章 説教の組織神学的考察
説教塾紀要『説教』6号、2004。
第十一章 祈りの組織神学的考察
講演を大幅に加筆。

『キリスト教の世界政策――現代文明におけるキリスト教の責任と役割』

教文館、2007。

第T部 世界共通文明の動向とキリスト教

第一章 現代社会における「契約」(カヴェナント)の意味
第二章 政治的概念としての契約について――ダニエル・J・エラザールとジェームス・L・アダムスに触れて
第三章 「信教の自由」について
第四章 文化多元主義と宗教的寛容

第U部 政治と社会

第五章 二一世紀の東北アジアとキリスト教の役割
『福音主義教会連合』号、2005.12。
第六章 憲法改正問題と歴史的経験――自由民主党「憲法改正案」の問題
『福音主義教会連合』号、2006.1。『キリスト新聞』2006.1-2
第七章 南原繁の昭和天皇退位論
第八章 南原繁のキリスト教信仰と学問思想
この講演にさらに加筆したものとして『宗教は不要か――南原繁の信仰と思想』(to be出版、2007.5)に同タイトルの論文あり。

第V部 教育とキリスト教学校

第九章 「愛国心」教育の落とし穴
第一〇章 回心とアイデンティティの形成――教育における取り組み
『キャンパス・ミニストリー』17号、2006.8。
第一一章 キリスト教学校だからこそできること
第一二章 「人格」教育とは何か

第W部 伝道と教会

第一三章 「伝道の神学」再考
第一四章 日本伝道の現状と展望
第一五章 スピリチュアリティとキリスト教の救い
『クリスチャン新聞』、2005.12.18、2006.1.1、1.15、1.22、1.29、2.5。
第一六章 現代のエキュメニズムについての一考察――カトリック教会とルター派教会との「義認の教理に関する共同宣言」をめぐって
『神学』68号、2006。文体を修正。