大 木 英 夫

(おおき ひでお)
1928.10.28 -
2015.11.23更新

「世界は教会になりたがっている。」『終末論的考察』、中央公論社、1970、p.200。

『神学』57号(「終末論と現代」)(1995)にその時点までの著書、訳書、主要論文目録あり。

著 書

『ブルンナー』(人と思想シリーズ)、日本基督教団出版部、1962。
『ピューリタニズムの倫理思想――近代化とプロテスタント倫理との関係』、新教出版社、1966。
『ピューリタン――近代化の精神構造』(中公新書160)、中央公論社、1968初版、1972第2版。
後に、聖学院大学出版会、2006。なんと巻末に、松岡正剛が「千夜千冊」に書いた文章(第620夜)が載っているらしい。
『終末論的考察』(中公叢書) 、中央公論社、1970。
「終末論」の研究ではなく、現代文明を終末論的思惟でもって考察したもの。8つの論文、エッセイ等と、付録としてハンス・モーゲンソー「ラインホールド・ニーバー――現代における預言者的実存」の翻訳。「預言者的知性と祭司的知性」の最後で「ニーバーの祈り」を紹介。
『終末論』(紀伊國屋新書A-65)、紀伊國屋書店、1972。
1979年に新装版、1994年に精選復刻紀伊國屋新書として復刊。
『キリスト入門――福音の再発見』、ヨルダン社、1976。
『現代人のユダヤ人化――現代文明論集』(白水叢書5)、白水社、1976。
だいたい1970年〜75年ごろの雑誌寄稿論文や『形成』掲載文、エッセイや講演など28本。『終末論的考察』と同一線上にあるその続編といってよい(「まえがき」p.4)。前著がより総論的であるとすればこれはより各論的とのこと。「よみがえる自然」は『信徒の友』1974年7月号。「戦後思想としての終末論」は山本和編『終末論――その起源・構造・展開』(創文社、1975)初出。「死について」は門脇佳吉編『現代の苦悩と宗教』(創元社、1976)初出。
諸行無常とは「おごれる人も久しからず」とか「盛者必衰のことわり」だと理解されてきたが、小林秀雄はこれは誤解だという。小林秀雄は『私の人生観』の中で、太田道灌の逸話を引いている。道灌の父が、道灌の若い頃、心おごれるさまを見て「おごれる人も久しからず」と書き送った。ところが道灌は、早速筆をとり、そのかたらわに、「おごらざる人も久しからず」と書き添えた。諸行無常とは、「おごる人も久しからず」を意味するだけではなく、「おごらざる人も久しからず」だ、だから「無常」なのだ。(p.250、294-5)
平野保と共著、『キリストの再臨』(東神大パンフレット15)、東京神学大学出版委員会、1977。
大木「現代における再臨信仰」。
『歴史神学と社会倫理』、ヨルダン社、1979。
『偶然性と宗教――現代の運命とキリスト教』、ヨルダン社、1981。
『バルト』(人類の知的遺産72)、講談社、1984。
山口隆康と共著、『響き出る神の言葉――第一テサロニケ、ヨハネ福音書の講解説教』、聖文舎、1986。
大木の筆は、「「使徒たちの学校で」――まえがきに代えて」と、第一テサロニケの講解説教10編。
古屋安雄と共著、『日本の神学』、ヨルダン社、1989。
大木の筆は、「まえがき――日本における知性の自立」と、「第二部 方法論的考察」。
『主の祈り』、聖学院ゼネラル・サービス、1990。
後に、『主の祈り――キリスト入門』(ヴェリタス叢書1)、聖学院大学出版会、1995。1990年版の巻末に付録Vとしてあった大木英夫作詞作曲の「光はみ声か」はなくなった?
『新しい共同体の倫理学 基礎論』(上、下)、教文館、1994。
富岡幸一郎と共著、『日本は変わるか?――戦後日本の終末論的考察』、教文館、1996。
『ローマ人への手紙――現代へのメッセージ』、教文館、1999。
『「宇魂和才」の説――21世紀の教育理念』、聖学院大学出版会、1998。
『時の徴――第三ミレニアムとグローバリゼーション』、教文館、2000。
二十世紀末の日本と世界を終末論の視点から読み解く『日本は変わるか?――戦後日本の終末論的考察』、『「宇魂和才の説」――21世紀の教育理念』に続く三連作の最後とのこと。
『組織神学序説――プロレゴーメナとしての聖書論』、教文館、2003。
『信仰と倫理――十戒の現代的意味』、教文館、2004。
Hideo Ohki, Atsuyoshi Fujiwara, David Oki Ahearn, Tomoaki Fukai, Nag Woon‐Hae, Masaomi Kondo, "A theology of Japan: Origins and task in the age of globalization," A Theology of Japan Monograph Series (1), 聖学院大学出版会、2005、121頁、ISBN: 4915832597。
大木英夫の論文は、"A Theology of Japan", "Respnsible Globalization", "Globalization and a Thology of Japan"。
Atsuyoshi Fujiwara ed., Hideo Ohki, Alan Suggate, "“A Theology of Japan”and the Theology of Hideo Ohki," (A Theology of Japan:Monograph Series 4, 聖学院大学出版会、2009、110頁、ISBN978-4-915832-84-0。
Atsuyoshi Fujiwara ,Hideo Ohki, Alan Suggateの共著。大木英夫の論文は"Why Protestantism? ―Theological Questions Unique to Asia", "Theology in the 21st Century Northeast Context", "Church and State: A Japanese Perspective ―Part I", "Church and State: A Japanese Perspective ―Part II"。
『人格と人権――キリスト教弁証学としての人間学 上』、教文館、2011。
『人格と人権――キリスト教弁証学としての人間学 下』、教文館、2013。

訳 書

E.ブルンナー(熊沢義宣、大木英夫訳)、『永遠――キリスト教的希望の研究』新教出版社、1957。
附録として「キリスト教的な時の理解」あり。
ブルンナー(大木英夫訳)、『我は生ける神を信ず――使徒信条講解説教』(新教新書、58)、新教出版社、1962初版1963再版1997復刊。
S.H.フランクリン(大木英夫訳)、『キリスト教社会倫理概説――キリスト者の社会実践への道』、日本基督教団出版部、1964。
『現代キリスト教思想叢書8 ティリッヒ、ニーバー』、白水社、1974。
この中のニーバー「道徳的人間と非道徳的社会――倫理学と政治学の研究」の訳と解説。後に、『道徳的人間と非道徳的社会』(イデー選書) 、白水社、1998。さらに、2014年、10出版社共同復刊のプロジェクト「書物復権」の一つとして新装復刊。
パウル・ティリッヒ(大木英夫、清水正訳)、『キリスト教思想史T――古代から宗教改革まで』(ティリッヒ著作集別巻2)、白水社、1980。
1997年にTとUの二巻揃いで、著作集とは分離されて新装再版。
パウル・ティリッヒ(大木英夫、清水正訳)、『ティリッヒ著作集 第3巻 哲学と運命』、白水社、1979。
解説も。1999新装復刊。
パウル・ティリッヒ(大木英夫訳)、『ティリッヒ著作集 第8巻 存在と意味』、白水社、1978。
「生きる勇気」と「愛、力、正義」。1999新装復刊。
エバハルト・ユンゲル(大木英夫、佐藤司郎訳)、『神の存在――バルト神学研究』、ヨルダン社、1984。
W. パネンベルク(大木英夫、近藤勝彦監訳)、『キリスト教社会倫理』、聖学院大学出版会、1992。
パネンベルク編著(大木英夫、近藤勝彦、朴憲郁、西谷幸介、大住雄一、荒木忠義、深井智朗訳)、『歴史としての啓示』、聖学院大学出版会、1994(19611,19825)、326頁、3107円。
パウル・ティリッヒ、『生きる勇気』(平凡社ライブラリー102)、平凡社、1995。
『ティリッヒ著作集 第8巻』から独立して文庫化。
パウル・ティリッヒ(大木英夫、相澤一訳)、『宗教の未来』、聖学院大学出版会、1999。
ラインホールド・ニーバー(大木英夫、深井智朗訳)、『アメリカ史のアイロニー』、聖学院大学出版会、2002。
ジョン・ウィッテ(大木英夫、高橋義文監訳)、『自由と家族の法的基礎』、聖学院大学出版会、2008。
2006年に来日したときの講演6本。結婚、デモクラシー、教会と国家の問題等を、憲法学・法律学から論じる。
W. パネンベルク(大木英夫、近藤勝彦監訳)、『現代に生きる教会の使命』、聖学院大学出版会、2009。

編集・監修

佐藤敏夫、大木英夫編、『キリスト教倫理辞典』、日本基督教団出版局、1967。
「形成」委員会編、『形成』、日本基督教団滝野川教会、1971〜。

論 文

東京神学大学神学会編、『神学』の論文

初登場:12号、その後、23〜26号、36〜58号
非神話化論論争の地平12号、1957。
『歴史神学と社会倫理』(ヨルダン社、1979)に収録。
ピューリタンの契約神学(1)23号、1963。
日本における教会の倫理の問題24号、1963。
『歴史神学と社会倫理』(ヨルダン社、1979)に収録。
ピューリタンの契約神学(2)25号、1963。
ピューリタンの契約神学(完)26号、1964。
キリスト論的集中から第三項の神学へ36・37号、1975。
『歴史神学と社会倫理』(ヨルダン社、1979)に収録。
教会論としての贖罪論――神学方法論的関心において38号、1976。
『歴史神学と社会倫理』(ヨルダン社、1979)に収録。
[討論]教会論(竹森満佐一、赤木善光、熊澤義宣、近藤勝彦、加藤常昭と)40号、1978。
バルトの洗礼論――バルト神学の歴史的位置との関連において41号、1979。
信仰告白と聖霊44号、1982。
バルト神学は<十字架の神学>か――彼の神学の性格について45号、1983。
バルトの「聖書原理」について――神学のプロレゴメナの問題46号、1984。
現代神学におけるサクラメント論の問題――バルト、ユンゲル、ラーナー47号、1985。
「日本の神学」序説49号、1987。
三位一体の内なる十字架?――バルト神学の構造的問題と聖霊論的再構成50号、1988。
文化価値の倫理学の復権――現代神学における教義学と倫理学との関係を回顧しつつ51号、1989。
「歴史的理性」について――歴史神学の方法論の一問題52号、1990。
「虚無的なもの」の誤認――バルト神学の問題性53号、1991。
教会と国家の分離――歴史的・社会学的・神学的考察54号、1992。
ラインホールド・ニーバー(生誕百周年記念講演)54号、1992。
キリスト教の普遍妥当性55号、1993。
現代神学における死の理解――とくにモルトマンとの対話56号、1994。
日本プロテスタンティズムの運命と神学の状況――日本基督教団と東京神学大学58号、1996。

聖学院大学関連の論文誌

『聖学院大学総合研究所 紀要』1号、1990。
霊的なるものの回復『聖学院大学総合研究所 紀要』1号、1990。
『聖学院大学総合研究所 紀要』2号、1991。
『聖学院大学総合研究所 紀要』3号、1993。
デモクラシーとピューリタニズム『聖学院大学総合研究所 紀要』3号、1993。
感謝の言葉―序にかえて『聖学院大学総合研究所 紀要』4号(ラインホールド・ニーバー生誕100年記念)、1994。
『聖学院大学総合研究所 紀要』5号、1994。
宗教寛容とデモクラシー――ミルトンとウィリアムズ『聖学院大学総合研究所 紀要』5号、1994。
序 モダナイゼーションかポスト・モーダンか『聖学院大学総合研究所 紀要』7号、1995。
自由の伝統について『聖学院大学総合研究所 紀要』7号、1995。
序 「自由の伝統の再検討」『聖学院大学総合研究所 紀要』9号、1996。
序 封建的なものと市民社会的なもの『聖学院大学総合研究所 紀要』10号、1997。
序文 古代都市ローマ,そして現代の都市化『聖学院大学総合研究所 紀要』11号、1997。
序文 「第二の敗戦」『聖学院大学総合研究所 紀要』12号、1998。
市民社会の構造原理としての契約『聖学院大学総合研究所 紀要』12号、1998。
序文 研究者を育てる研究所『聖学院大学総合研究所 紀要』13号、1998。
序 「神への知的な愛」の共同体『聖学院大学総合研究所 紀要』14号(10周年記念)、1998。
序 「自由の問題」に焦点を合せて――聖学院大学総合研究所十年とこれから『聖学院大学総合研究所 紀要』15号(10周年記念)、1999。
現代日本に起こっていることは何か『聖学院大学総合研究所 紀要』15号(10周年記念)、1999。
『聖学院大学総合研究所 紀要』16号、1999。
序 日本でクロムウェル生誕四百年を記念する『聖学院大学総合研究所 紀要』17号、1999。
序 アメリカへの批判的視点とは何か『聖学院大学総合研究所 紀要』18号、2000。
『聖学院大学総合研究所 紀要』19号、2000。
序 あらためて「近代とは何か」という問い『聖学院大学総合研究所 紀要』21号、2001。
序 問題は社会的慣性である『聖学院大学総合研究所 紀要』23号、2002。
エドムの斥候のあの美しい歌――大塚久雄記念国際シンポジウムに寄せて『聖学院大学総合研究所 紀要』23号別冊「特集号:国際シンポジウム 大塚久雄における「歴史と現代」―没後五年を記念して」、2002。
英文"That Beautiful Song of an Edomite Watchman"もあり。
序 自由主義に先立つ自由『聖学院大学総合研究所 紀要』24号、2002。
序文 ジョナサン・エドワーズ『聖学院大学総合研究所 紀要』26号、2002。
序文 夢のデモクラティックな連帯『聖学院大学総合研究所 紀要』27号、2003。
実にアイロニカル――今の日米関係『聖学院大学総合研究所 紀要』28号、2003。
リスポンシブル・グローバリゼーション『聖学院大学総合研究所 紀要』29号、2003。
序文 敗戦から六十年目に当たり「日本の神学」と戦後日本の問題『聖学院大学総合研究所 紀要』31号、2004。
「経済におけるグローバリズム」の討論の発言者の一人『聖学院大学総合研究所 紀要』32号、2004。
「グローバリゼーションと日本経済」の討論の発言者の一人『聖学院大学総合研究所 紀要』33号、2005。
「グローバリゼーションと情報」の討論の発言者の一人『聖学院大学総合研究所 紀要』33号、2005。
序――共通の悲劇的運命――チャールストンで思う『聖学院大学総合研究所 紀要』34号、2005。
「『国学の他者像』をめぐって」の討論の発言者の一人『聖学院大学総合研究所 紀要』35号、2005。

『聖学院大学総合研究所』紀要は第1号(1990)〜第41号(2007)まですべてcheck済。その他、『キリスト教と諸学』にも多数あり。

その他の論文

日本の神学─その成果と展望─ キリスト教倫理学『日本の神学』創刊号、1962。
日本におけるピューリタン宗教の受容大橋健三郎、加藤秀俊、斎藤真編、『講座アメリカの文化 第1巻 ピューリタニズムとアメリカ――伝統と伝統への反逆(大下尚一編)』、南雲堂、1969。
現代における人間の問題――キリスト教的考察佐藤敏夫、竹中正夫、佐伯洋一郎編、『講座 現代世界と教会T』、日本基督教団出版局、1970。
現代におけるキリスト教社会倫理佐藤敏夫、竹中正夫、佐伯洋一郎編、『講座 現代世界と教会U』、日本基督教団出版局、1971。
終末論――二十世紀における終末論研究の概観佐藤敏夫、高尾利数編、『教義学講座2』、日本基督教団出版局、1972。
歴史神学の構想――渡辺聖書論にもとづいて渡辺善太米寿記念文集刊行委員会編、『渡辺善太――その人と神学』、キリスト新聞社、1972。
戦後思想としての終末論山本和編、『終末論――その起源・構造・展開』(今日の宣教叢書7)、創文社、1975。
後に『現代人のユダヤ人化』に収録された。
バルト神学と熊野神学――永遠と時間の関係熊野義孝記念論文集編集委員会編、『熊野義孝の神学――記念論文集』、熊野義孝記念論文集刊行会(発売:新教出版社)、1986。
「告白教会」と「教会連合」――日本における告白教会の形成倉松功、近藤勝彦編、『人類・文明の救済とキリスト教――市川恭二先生喜寿献呈論文集』、聖文舎、1987。
教育の神学――現代日本におけるキリスト教学校の文化的意義との関連で学校伝道研究会編、『教育の神学』、ヨルダン社、1987。
なぜプロテスタンティズムか古屋安雄編、『なぜキリスト教か――中川秀恭先生八十五歳記念論文集』、創文社、1993。
現代の閉塞状況とプロテスタント文化総合倉松功、並木浩一、近藤勝彦編、『知と信と大学――古屋安雄・古稀記念論文集』、ヨルダン社、1996。
キリスト教学校の現代的意味――第三ミレニアムとキリスト教学校」学校伝道研究会編、『キリスト教学校の再建――教育の神学 第二集』、聖学院大学出版会、1997。
バルトとモルトマン――三位一体論、とくに聖霊論の対比組織神学研究会編『ユルゲン・モルトマン研究』(組織神学研究 第1号)、聖学院大学出版会、1998。
プロテスタント教義学の根拠と課題土戸清、近藤勝彦編、『宗教改革とその世界史的影響――倉松功先生献呈論文集』、教文館、1998。
「新しい時間」と「新しい存在」組織神学研究会編『パウル・ティリッヒ研究2』、聖学院大学出版会、2000。
聖書学と組織神学――左近聖書学の神学的軌跡大野恵正、大島力、大住雄一、小友聡編、『果てなき探求 旧約聖書の深みへ――左近淑記念論文集』、教文館、2002。
The Intellectual Task in the 60 Years folloeing the DefeatSpecial Issue from the Seigakuin University International Symposium, "Church and State in Japan Since World War U," A Theology of Japan Monograph Series Vol.2, 聖学院大学出版会、2006。
The Reformation Pressed Upon Us By God: Thinking Theologically of JapanAtsuyoshi Fujiwara, Brian Byrd, eds. "Post-disaster Theology from Japan : How Can We Start Again? Centurial Vision for Post-disaster Japan, A Theology of Japan 6, 聖学院大学出版会、2013。

その他(たまたま目にとまったもの)

ピューリタン金子武蔵編、『キリスト教』、理想社、1968。
キリスト者の提案品川地域センター編、『70年を考える――安保をめぐる国内対立の解決とアジアの平和への提案』、日本基督教団出版局、1969。
執筆者は、大木英夫、衛藤藩吉、宇都宮徳馬、河上民雄、有賀貞、武者小路公秀。
江藤淳、大木英夫、公文俊平、鈴木光男の座談、「真の豊かさとは何か――福祉の文明論考察」東洋経済新報社編、『経済学との対話――社会科学の総合化は可能か』、東洋経済新報社、1972。
この本は、『週刊東洋経済』臨時増刊「近代経済学シリーズ」に連載された、近代経済学者と隣接諸科学の学者との対談からの5編。
ブルンナー神学の特質と意義中沢洽樹、川田殖編、『日本におけるブルンナー――講演と思い出』、新教出版社、1974。
副題が「彼の死に際して思う」らしい。
ミルトンにおけるピューリタニズムと近代化平井正穂編、『ミルトンとその時代』、研究社出版、1974。
バラバ――生の秘密について鎌倉雪ノ下教会伝道パンフレット第二号、鎌倉雪ノ下教会出版委員会、1976。
比較文化の終末論的基礎づけ山本 達郎編、『比較文化の試み』、研究社、1977。
病床という聖所にて/サムソンを語る『聖書にみるドラマ』、婦人之友社、1982。
左近淑との対談、「対談・聖書解釈は大きく変わる」左近淑、『旧約聖書緒論講義』、教文館、1998。
『形成』101号、1979年5月に初出。後に、『左近淑著作集 第三巻 旧約聖書緒論講義』(教文館、1995)に収録。これがさらに単行本となって出た。
医の倫理について――大学論的な試論北里大学病院医の哲学と倫理を考える部会編、『医の心(一)――医の哲学と倫理を考える』、丸善、1984。
中世からの大学の歴史の中での学部増設と「哲学的大学」の問題。神学・医学・法学の統合を人権概念をもって提起する。
この本には他に、高見澤潤子「心でみる」、柏木哲夫「死にゆく患者のケア」、井上洋治「死生観」など。このシリーズの(三)に、日野原重明「人間の生命と系図」、佐古純一郎「人間性の回復」、(四)に土居健郎「病気とは何か」、山本七平「聖書における医の位置」が収められている。
レバノン会の結成の驚きと喜び日本神学校同窓会レバノン会編『日本神学校史』、レバノン会、1991。
僅か9行。
大木英夫、佐口透、清水知久の鼎談、「海洋帝国と大陸帝国が対立する――ピューリタンの移動・アメリカとロシア・東西対立」大貫良夫監修、『民族移動と文化編集――変動時代のノマドロジー』、NTT出版、1993。
この第3章。この本は、編集工学研究所(高橋秀元)、樋口恵編。編集ディレクションは松岡正剛。「BOOKS IN・FORM」のシリーズの一つ。人間の移動によって諸文化が編集され、移動民は世界に分散した定住民をつなぐネットワーカー、情報の媒介者の役割を果たしてきたとの観点での「ノマドの世界史」。
ベドウィンの移動が、生活がうまくいくならどこに向かってもよい移動であるのに対して、イスラエル民族の移動は、理想的な新しい行くべきところに到着したいという移動だ。アメリカへのピューリタンの移動は、このイスラエルの移動に近い。また、ユダヤ人は世界中を移り歩く移動民族の典型であり、農業はできないから金融業とか学者とか芸術家という分野で名を上げることになる。現代人は農村から離れて都市に出ると、生活形態が流動化し、移動化して、ユダヤ人化する。いわば「自然からの自由」が出てくる。このような特殊な移動が、アメリカの交通や情報技術の発展につながった(pp.190-192あたり)。工業化、都市化、民主化、情報化の四つが、近代的な社会変動の相であり、これらはどれも自然的制約から自由になるというプロセスに特徴がある(p.209)。
歴史に学ぶことは重要だが、現在ぶつかっている問題がきわめて新しい問題だと気づくことも重要だ。(p.197)。
アメリカの自由概念は、ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』の冒頭で書いたように、古代中世から哲学者や神学者が考察した「意志の自由」とは違う社会的自由である。(p.207)。
中世末期には、地理的な場所と結びついたコミュニティの総体が教会だった(英語でパリッシュ、ドイツ語でゲマインデ)。この体制の中から、ピューリタン的な新しい信仰を持つ者が脱出した。そこでは、「信仰の自由」が他のあらゆる条件に優先して重要であり、人権という考え方も「信仰の自由」を基本として発生した。この新しい宗教集団がオランダ、アメリカに自由を求めて移動したことは、安定した中世村落共同体を揺るがせ、ヨーロッパ社会を根底から動かす原動力となり、政治的にはピューリタン革命としてデモクラシーの主張になっていった。このような地殻変動が「自然から自由へ」という動きだ。(pp.211-213)。
「自然からの自由」によって引き起こされる必然的な問題として、マクロには地球環境問題があり、ミクロには遺伝子工学の問題がある。また、都市化の中で、自然の最たるものである性のモラルが壊れていく。(p.231)
領土を奪っても、今度はその奪った領域の治安を維持し、通商を保障し、人民が食べていけるようにしなければならない。これは、歴史的に繰り返されてきた自然発生的な国家の生成である。ところが、イギリス・ピューリタニズムが成立させた人権という原理による契約国家は、それを否定するものであった。この「自然からの自由」という近代に特色的な自由は、自然とは対立的である。しかし、人間は決して自然から自由でありえない。(p.240)
左近淑君を記念して大野恵正編、『左近淑著作集 第二巻 聖書の理解』、教文館、1994。
ティリッヒの世界に入っていく――『パウル・ティリッヒ研究』への序に代えて組織神学研究会編『パウル・ティリッヒ研究』、聖学院大学出版会、1999。
講演「形成としてのContextualization」共立基督教研究所編、『日本の神学と教会形成――二十周年記念シンポジウム』(共立パンフレット)、東京キリスト教学園共立基督教研究所、2000。
主題「キリスト教の絶対性と宗教多元主義」の発題1「教会と国家の分離と神学的相対主義」日本基督教学会編『日本の神学』42号、教文館、2003。
八月十五日の黙想田中浩編『思想学の現在と未来』(現代世界――その思想と歴史1)、未來社、2009。
市川恭二牧師記念礼拝説教「向こう岸へ渡ろう――市川牧師と共に」マルコ4:35-41『日本基督教団福音主義教会連合』No.384、2009.6。
2008.11.10銀座教会。
古屋安雄との対談「賀川豊彦をめぐって」賀川豊彦記念松沢資料館編、『日本キリスト教史における賀川豊彦――その思想と実践』、新教出版社、2011。
土曜日のキリスト日本基督教団救援対策本部編、『現代日本の危機とキリスト教――東日本大震災を通して問われたこと 東日本大震災緊急シンポジウム』、日本基督教団出版局、2011。
講演録。

事典項目

『キリスト教大事典』(教文館、1963)の執筆項目 : 「完全主義」、「技術社会と人間」、「共産主義とキリスト教」、「ケノーシス説」、「人権」、「ニーバー」、「ピューリタン運動」、「ブルンナー」。
『キリスト教倫理辞典』(佐藤敏夫、大木英夫編、日本基督教団出版局、1967)の執筆項目 : 「愛(アガペー)」、「決議論」、「自然法」、「終末論と倫理」、「正義」、「聖日」、「デモクラシーとキリスト教」、「日本のキリスト教と社会倫理」。
『キリスト教教育辞典』(高崎毅、山内一郎、今橋朗編、日本基督教団出版局、1969)の執筆項目 : 「教会と国家」。
『キリスト教礼拝辞典』(岸本羊一、北村宗次編、日本基督教団出版局、1977)の執筆項目 : 「クェーカーの礼拝」、「ピューリタンの礼拝」。
『キリスト教組織神学事典』(東京神学大学神学会編、教文館、1972初版、1983増補版)の執筆項目 : 「神の像」、「キリスト教倫理学」、「罪」、「ニーバー」、「人間」、「律法」、「契約神学」。
『世界日本キリスト教文学事典』の執筆項目:「終末論」。

献呈論文集

東京神学大学神学会編、『終末論と現代――大木英夫教授献呈論文集』(神学57)、東京神学大学神学会、1995。
古屋安雄、倉松功、近藤勝彦、阿久戸光晴編、『歴史と神学――大木英夫教授喜寿記念献呈論文集』(上下2巻)、聖学院大学出版会、上:2005、616頁、8400円、下:2006、702頁、8400円。
この付録に「自分と出会う」という大木自身の文章あり。。