キリスト教の笑い話 その2

★神学者の教え

ドイツでフランス語を長く教えてきたドイツ人教師が、初めてパリに来た。彼は自分が教えていたフランス語がまったく役に立たず、愕然としていた。
それを知った友人が彼を慰めて、言った。「大丈夫さ。多くの神学者たちも、天国で同じことを経験するよ」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★神学者の役割

神学者アルトハウスが暗い階段で電気をつけようとしたとき、電気のスイッチの代わりに呼び鈴を押してしまった。すかさず、一緒にいた友人が言った。「神学者は光を灯すべきなのに、いつもただ騒音を出すばかりだ」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★優秀な神学者

著名な神学者カール・バルトが亡くなり、天国の門をたたいた。門番のペテロは、いつものように、天国に入れるかどうかの信仰と生活についての質問を、バルトにもした。するとバルトは、質問に意欲的に取り組み、反問し、議論を始めた。ペテロはバルトを扱いあぐねて、天使長ミカエルに頼んで、バルトを聖霊のところへ連れて行った。

長い時間がたった。ペテロは、雲の背後でますます激しくなって行く声を聞いた。突然、天使長ミカエルが飛び出してきた。ペテロは驚いて尋ねた。「どうしたのですか。まさか、バルトが試験に落ちたのでは?」ミカエルは答えた。「いや、彼ではない。聖霊の方が落ちたのだ。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★感動させる説教者

ある司教が有名な俳優に尋ねた。「我々説教者は人間に本当に必要なことを説いてもなかなか理解してもらえないのに、あなたがた役者さんたちは舞台上の作り事で人々を深く感動させることができるのはどうしてだろうか」

俳優は答えた。「わたしたちは架空のことを本当のことのように語っていますが、聖職者のみなさんは、本当のことを架空のことのようにお話しなさってるからですよ」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』、山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★秩序を取り戻す説教者

かつて名説教家ブールダルーが説教をしていた教会に、あまりうだつの上がらない牧師が着任した。彼は挨拶して、言った。「かつて、ブールダルーが説教をしていた頃、日曜日には町じゅうのあらゆる人が教会へ押しかけました。職人は仕事場を離れ、医者は患者を放りっぱなしで。それで、町全体が大混乱してしまいました。」
その後に彼は付け加えた。「わたしがすべてを秩序あるものに戻します。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★赤ちゃんと説教者

説教中に乳児が泣き出したので、母親が乳児を抱いて礼拝堂の外へ出ようとしたところ、牧師が呼び止めていった。「だいじょうぶですよ、赤ちゃんが泣いても私は気にしませんから」
すると、母親は答えた。「先生が気にしなくても、この子は気にするんです」

(植松黎編訳『ポケット・ジョーク 神さま、仏さま』)

★神のような聖職者

「あなたの教会の司教はどのような方ですか?」と尋ねられたある信者は、こう答えた。「神さまのようです。日曜日には理解しがたく、平日には姿が見えません。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』。スコットランドに、牧師の一週間を皮肉って「姿の見えない六日間と理解しがたい七日目」という軽口があるらしい。ピーターソン『牧会者の神学』日本基督教団出版局、p.84。)


★修道士 その1 停電

ある晩、修養室で、ベネディクト会士、ドミニコ会士、フランシスコ会士、イエズス会士の四人が、一緒に日課祈祷書で祈っていたとき、突然電灯が消えた。ベネディクト会士は何事も起こっていないかのように祈り続けていた。彼は日課祈祷書を暗記していたからである。ドミニコ会士は、精神と人間の敬虔さに対する光の意味について、深遠な考察を試みていた。フランシスコ会士はうたた寝をしていた。・・・っとそのとき、電灯が再びともった。イエズス会士が出ていってヒューズを取り替えたからである。

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★修道士 その2 沈黙

中世の修道院での話である。三人の修道士が一週間の沈黙の行に入った。
三日ったとき、一人の修道士が、つぶやいた。「ああ、三日目になった。」
するともう一人が、「おっ、おまえ、しゃべったぞ」と指摘した。二人ともそこで失格者となった。
それを聞いた最後の修道士は自慢げに言った。「これで、しゃべらないのはおれだけだな。」

(田中信生先生)

★愚かだった使徒たち

ある司教が「ペテロとパウロは愚かであった」と言った。他の司教たちはそれを聞いていぶかしがった。その司教は次のように説明した。「司教たちは、立派な家に住み、贅沢な食事をし、高価な服を着て、さらに、すべての罪や肉欲までも持ったままで、天国に入れると信じている。そんなに簡単に天国に行けるのに、パウロやペテロは貧困や空腹や寒さに堪え忍んだのですから。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★プロテスタント神学者と教皇無謬説

教皇ピウス12世が、ある時こう尋ねられた。「現代のプロテスタントの神学者の中で、誰が一番偉大だと思いますか?」教皇は答えた。「それはカール・バルトだよ」
さて、バルトがこの話を聞いた。「・・・おっと、もう少しで教皇無謬説を信じてしまうところだった。」

(大木英夫『バルト』(人類の知的遺産72)講談社、1984、51頁)

★プロテスタントとカトリック その1 どちらが正しい?

プロテスタントの牧師とイエズス会士が、互いの宗教の優劣について論争していた。しかし結論が出ないので、最後にイエズス会士が友好的な提案を行った。「この実りない口論をやめましょう。結局わたしたちは二人とも、一人の同じ主にお仕えしているのです。あなたはあなたのやり方で、わたしは主のやり方で。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★プロテスタントとカトリック その2 スピード違反

一人のカトリック司祭がスピードの出しすぎで捕まった。その車を止めさせた警官もカトリックであった。警官は、運転手がカトリックの司祭であることをその服装から知ると、こう言った。「司祭様。お気をつけください。次のところにいる警官はプロテスタントです。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★プロテスタントとカトリック その3 葬式の理由

プロテスタントの牧師が、カトリック教徒の葬式を教会で行った。すると教区から、なぜカトリック教徒の葬式をしたのか問いつめられた。その牧師は答えた。「なぜなら、彼は死んでいたからです。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★キリスト教徒とユダヤ人(安息日)

あるユダヤ人が土曜日に穴の中に落ちた。一人のキリスト教徒が彼を助けようとしたが、ユダヤ人は穴の中から叫んだ。「わたしを引き上げないでくれ。安息日は汚されてはならない。」

翌日、そのキリスト教徒が再びやってきた。ユダヤ人は穴の中から自分を引き上げてくれと頼んだ。しかし、キリスト教徒は言った。「わたしもわたしの安息日を汚すことはできません。」

(H.フォン・カンペンハウゼン『笑いの伝承 キリスト教ユーモア集』)

★洗礼、浸礼、割礼

三人の聖職者が同時に新車を買った。一人はカトリックの神父、一人はバプテストの牧師、もう一人はユダヤ教のラビであった。
神父は、車を走らせる前に、水を持ってきて車の上に注ぎ、十字を切ってから出ていった。バプテストの牧師は、車に乗り込むとわざわざ川の中を通っていった。ユダヤ教のラビは、車の後部にしゃがみ込んで何かをはじめた。彼は何をし始めたのだろうか。彼はのこぎりでマフラーの先端を切っていた。

(チャンさんから聞いた。)

★ユダヤ教、キリスト教、イスラム教

ユダヤ教の信者が祈った。「神さま、お救い下さい。2人の息子が、長男はキリスト教徒に次男はイスラム教徒になりたい、と言っています。どうしたら思いとどまらせることができますか?」
ユダヤ教の神は答えた。「男よ。諦めなさい。わしの長男もキリスト教徒に、次男はイスラム教徒になったのだ。」

(有名。)

★献金 その1

ある牧師が、自分の帽子を献金袋として、千円札を入れてから会衆に回した。帽子が戻ってくると、献金で一杯になっているどころか、自分が入れた千円札さえもなくなって、空っぽだった。
しかし、牧師は献金の感謝の祈りを献げた。「神さま、わたしの帽子が無事に帰ってきて、感謝いたします。」

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★献金 その2

ある牧師が自分の帽子を献金袋として、千円札を入れてから会衆に回した。帽子が戻ってくると、帽子の中がまったく空になっているだけでなく、自分の帽子ではないくたびれて薄汚れた帽子に替えられていた。
しかし、牧師は感謝の祈りを献げた。「神さま、献げるとはどういうことかを学ばせていただき、ありがとうございます。」

(春原作)

★献金 その3

ある礼拝の時牧師が言った。「きょうは音のしない献金を献げましょう。」献金の盆が回っていくうち、会衆の中の一人が、失神して倒れてしまった。すると、その両側にいた二人がその人をいそいそと担いで、教会の外へ運び出した。

(けっこう有名、山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)

★スピード違反

ある牧師が、集会に遅れそうになって制限速度を超えて車を運転していると、警官に止められた。牧師は賢明に事情を説明したが、警官はまったく聞く耳を持たない。「牧師さん、きょうはひとつわたしがあなたにお説教いたしましょうか。」
すると牧師は言った。「いや、説教はいいから、早く献金を集めてくれ。」

(山北宣久『福音のタネ 笑いのネタ』)