9・1 Women in Black アクション
私たちは、関東大震災
朝鮮人虐殺を忘れない
日時:2003年9月1日(月) 19:00−20:00
場所:新宿駅東南口 左手階段下 フラッグスビル前の広場
1923年9月1日、関東大震災が発生。
死者・行方不明者10万人以上という甚大な被害を出した。
そのパニックのなか、関東周辺だけでも朝鮮人数千人、
中国人数百人が日本人の手で虐殺された。
「朝鮮人が来襲して放火、強盗をする」との流言が、軍部、警察から流され、
新聞は事実を確認することなく報道した。
そして、自警団を組織した民衆は、自ら進んで、あるいは見ぬふりをして虐殺に加担した。
しかし、政府は真相究明を怠り、民衆は口をとざしたまま、
虐殺に手を染めたその事実を80年もの間、闇に葬り、その責任を放置してきた。
そして被害を悼み、和解を築くための道のりから自らを閉ざしてきた。
1910年の「韓国併合」で朝鮮半島が植民地とされた後、
多くの朝鮮人が日本に渡り、低賃金で働いていた。
1919年には独立運動が弾圧されていた。
デマ・虐殺の背景には、押さえつけられている「不逞鮮人」が、
混乱に乗じて「騒擾」を起こすだろうという政府高官の不安があり、
異民族に対する民衆の日常的な差別や偏見があった。
「軍隊から朝鮮人をくれるから取りに来いとの連絡が各村にあったもんだから、
上・下の村の警防団で3人ずつ殺すのにもらってきた。」
「天下晴れての人殺しだから、豪気なものでサァ。」
「そのとき、中には「朝鮮人暴動説」をデマと思っていた人もいたのです。
でもそんなことをいいだせないような状況でした。」
80年前の出来事は、はたして今日の日本と無縁だろうか。
「三国人」や「騒擾」という言葉を用いて治安強化を主張する石原都知事。
「北朝鮮が攻めてくる」「外国人による凶悪犯罪の増加」といったデマを、
警察が、報道が、隣人が、あの時と同じように声高に叫んだとき、
私たちは、あおられることなく、真実を見極め、
暴力を生まない行動をとることができるだろうか?
私たちは、同じ過ちを繰り返さないために、自分のなかの日常的な差別、
さげすみ、自分と違うものに対する不安や恐怖、排除を問い続ける。
そして、差別を支える制度を変えるために行動を取る。
私たちは、過去の事実を記憶し、この東京で、軍部、警察、
そして民衆の手で殺された朝鮮人、中国人、社会主義者、朝鮮人と
間違えて殺された日本人たちを追悼して、ここに立つ。
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