2015.11.23更新
印が主な更新個所です。)

■旧約聖書神学

0.文献表

主要文献を紹介しているもの

並木浩一、荒井章三編、『旧約聖書を学ぶ人のために』、世界思想社、2012年、12+338+4頁、2300円+税。
この中の、山我哲雄「旧約聖書研究史・文献紹介」は、2段組34ページに渡り、研究史・研究動向を紹介しつつ、主要文献を紹介、注解書も紹介していて、とてもよい。

文献リスト(古め)

石田友雄、木田献一、左近淑、西村俊昭、野本真也、『総説 旧約聖書』、日本基督教団出版局、1984、662頁、7600円。
各章末に文献表あり。『新版〜』(2007)にもあるかな。
『新共同訳旧約聖書注解』(旧約は全3巻)、日本基督教団出版局、1993-1996。
各巻末に文献表あり。
木田献一、荒井献監修、『現代聖書講座』(全3巻)、日本基督教団出版局、1996。
第1巻:聖書の風土・歴史・社会、第2巻:聖書学の方法と諸問題、第3巻:聖書の思想と現代。各巻末に文献表あり。
東京神学大学神学会編、『旧約聖書神学事典』、教文館、1983初版1995第3版、474頁、3914円。
巻末には、1950年代から1981年8月までの日本での旧約研究の網羅的文献表と、シリーズもの注解書の著者一覧がある。

1.概説、緒論

緒論(Einleitung): 学問的に、旧約聖書全体の、また、各文書の文献としての成立、内容、思想に関する諸問題を、さまざまな学説を紹介、検討しながら、綿密に整理し、論じる。

緒論には二つのタイプがある。a)各文書の成立史→正典形成史→本文伝承史と進むもの、b)正典成立史→本文伝承史→各文書の成立史と進むもの。a は各文書の文献学的成立から考える。b は正典という神学的起源から出発する。

通論、概説(Einführung): 歴史の順序を追って、それぞれの文書の内容や思想を解説する。「旧約聖書神学の予備段階である」(大串元亮、ヴォルフ『旧約聖書』の訳者あとがき)。

聖書知識(Bibelkunde): 聖書の各書の内容を概説し、俯瞰する。

・・・っといった分類があるが、厳密に分けることはむずかしい。

1.1 聖書知識

2015.11.23全面的に更新
日本聖書協会編、『はじめて読む人のための聖書ガイド 聖書 新共同訳 準拠』、日本聖書協会、2011、168頁、1200円+税。
B6判並製ジャケットなしのペーパーバックで手軽。旧約から新約まで66書それぞれについて、特徴、執筆目的、背景、構成を、一書につき2〜3ページで解説。記述もしっかりしている。
浅見定雄、『改訂新版 旧約聖書に強くなる本』、日本基督教団出版局、2010、206頁、1890円。
1977初版。同年中の再版で誤記等の訂正を記した「再版へのあとがき」を付加。2001年第18版で「18版にあたって」を追加。2010年に、横書き、新共同訳対応(ただし、表中の固有名詞など見落としもある。例えばp.190の表中のミカの出身地はモレシテのまま)。旧版にあった「旧約もの知り年表」と「日本語で読める旧約関係書」は削除された。各書の構造や覚え方を知るのに便利。
列王記上下の一覧表(pp.116-117)は使いにくい。それぞれの王が「主の目にかなう正しいこと」を行ったかそれとも「主の目に悪とされること」を行ったかの区別が十分でないし、女預言者フルダが記されていない。
C.ヴェスターマン(左近淑、大野恵正訳)、『聖書の基礎知識 旧約篇』、日本基督教団出版局、1984(1962)、309頁。
2013年に、新共同訳準拠で横組みになった改訂新版、288頁、3990円。各書の構造を示して内容を概説。五書、前の預言者、(後の)預言者、諸書の順。ただし、ダニエル書が最後。巻末に左近淑「ヴェスターマンとその学風」あり。

『聖書の世界・総解説』(自由国民社)はたびたび版が新しくなっている。外典偽典についても解説あり。木田献一、土岐健治らが執筆。

各巻の成立と内容紹介を簡潔に記したものは、S. ヘルマン、W. クライバー、『聖書ガイドブック――聖書全巻の成立と内容』(泉治典、山本尚子訳、教文館、2000(原著1996)、268頁、2100円)。巻頭pp.8-44は、E.ローゼ「神の言葉としての聖書」。旧約と旧約続編がヘルマン、新約がプライバーの筆。ルター訳聖書にしたがっている。

1.2 必携の緒論

『旧約新約聖書大辞典』(教文館)には各書の概説があるが、『旧約聖書神学事典』(教文館、1983)にはない。

左近淑、『旧約聖書緒論講義』、教文館、1998、497頁、5000円。
左近淑の東京神学大学での授業を、録音、学生のノート、左近自身の著作から、大住雄一が再構成したもの。それゆえ講義録ではない。この講義は旧約聖書全体を網羅しようとするものではなかった。したがって、「後の預言者」のうちのイザヤとエレミヤはあるが、エゼキエルと十二小預言書はない。知恵文学ではヨブ記しか扱っていない。「詩編と文学的小品」(詩編、雅歌、ルツ記、哀歌、エステル)はないが『総説 旧約聖書』に著者が執筆したものがある。黙示文学もない。しかし、「各分野の重要問題は、相当深く論じられている」(「凡例」から)。左近淑著作集第3巻の普及版。付録として、「聖書の読み方」と大木英夫との対談「対談・聖書解釈は大きく変わる――左近・文学的構造解釈の提示」。
池田裕、大島力、樋口進、山我哲雄監修、『新版 総説 旧約聖書』、日本基督教団出版局、2007、570頁、7770円。
1984年のものの新版(執筆者が完全に異なるので改訂版ではない)。執筆者は18名(雨宮慧、飯謙、池田裕、大串肇、大島力、大住雄一、小友聡、勝村弘也、北博、小林進、鈴木佳秀、月本昭男、土岐健治、樋口進、深津容伸、水野隆一、守屋彰夫、山我哲雄)。なんだか、ひと通りの主要な人たちを全員集合させた感じ。仲間外れにしないためにか、多くの人に買ってもらうためか。
序章で池田裕「旧約聖書のこころ」(池田裕のはこの「総説」にふさわしくないような随想のみ執筆)、大島力「正典としての旧約聖書」。その後、「モーセ五書」(大住雄一)、「歴史書」(山我哲雄と鈴木佳秀)、「預言書」(樋口進を中心に大島力、深津容伸、小林進、大串肇、北博)、「諸文学」(大島力、勝村弘也、飯謙、小友聡、水野隆一)。4つのコラムが挟まれている。土岐健治「七十人訳聖書」、月本昭男「考古学はイスラエルの起源を解明できるか」、守屋彰夫「クムラン」、雨宮慧「旧約聖書続編」。コラムの執筆者は全員このコラムだけで本文は執筆していない。
石田友雄、木田献一、左近淑、西村俊昭、野本真也、『総説 旧約聖書』、日本基督教団出版局、1984、662頁、7600円。
「現在の旧約聖書を説明するのに、旧約が生まれた風土や歴史から入って、成立していく過程を描き、最後に正典になるという組み立て・・・わたくし〔左近淑〕も執筆者の一人ですが、この組み立てには反対です」(左近淑『旧約聖書緒論講義』p.31)。大住雄一によると「〔左近の著作部分を除いて〕文献学的議論が希薄である・・・「緒論」よりは「通論」を志向したものだとしても、不満が残る」(左近淑『旧約聖書緒論講義』の「解説」p.464)。「社会史的観点が大幅に欠落している」(関根正雄『旧約聖書序説』p.3)。
第一章序 説 (木田献一):ヴェルハウゼン以降の緒論、入門の著作を概観
第二章旧約聖書の背景 (石田友雄):パレスチナの気候・地勢・動植物、古代オリエント文書
第三章モーセ五書 (野本真也)
第四章歴史文学 (石田友雄)
第五章預言と黙示 (木田献一)
第六章詩篇および文学的小品 (左近淑)
第七章知恵文学 (西村俊昭)
第八章正 典 (左近淑)
第九章本 文 (左近淑)

1.3 緒論・概説・通論・文学史のいろいろ

2015.11.23全面的に更新

役に立ちそうなもの

K.シュミート(山我哲雄訳)、『旧約聖書文学史入門』、教文館、2013(2008)、432頁、4286円+税。
正典の順ではなく、また、各文書を一冊の書として扱うのでもなく、各文書を各時代の層に分解し、歴史の順に沿って、互いに影響を及ぼし合いながら、各時代に書き継がれ、絶えず成長発展していく過程を総合的にたどる。特に、テキスト間の相互関係やそれによるテキストの発展に注目して叙述されている。前10〜8世紀、アッシリア時代(前8〜7世紀)、バビロニア時代(前6世紀)、ペルシア時代の(前5〜4世紀)、プトレマイオス朝時代(前3世紀)、セレウコス朝時代(前2世紀)それぞれで、歴史的諸背景、神学史的特徴づけ、伝承諸領域についてまとめる。最終章は「聖典化と正典形成」。「入門」とあるが専門的な本。→紹介記事あり
W.H.シュミット(木幡藤子訳)、『旧約聖書入門』(上・下)、教文館、(原著1989)、上:1994、3500円、下:2003、4500円。
ドイツでの最も標準的な教科書らしい。上巻はイスラエル史、五書、歴史書。残りは下巻。下巻では、神学と解釈学の問題も取り扱われているらしい。上巻の再版(2003?)は、実は原著の新しい版によっている改訂新版である。
H.W.ヴォルフ(大串元亮訳)、『旧約聖書』(現代神学の焦点12)、新教出版社、1991(19701,19752)、278頁。
原著では、1980年からボルンカムの『新約聖書概説』と合本でペーパーバックで出版されているとのこと。第一部「歴史――歴史としての旧約聖書」、第二部「将来――預言」、第三部「現在――教訓書」、最後に結びとして「神学・教会・社会と旧約聖書」。それぞれの区分ごとに主要なテーマを解説している。例えば、預言書では預言者の人物や自己理解、預言者の言語、預言者の時代批判、預言者の待望。
随所に旧約学の方法論に関して入門的な12の付論が置かれているのが特徴的。つまりこの書は、旧約聖書の概説であると共に、旧約学の入門書でもある。付論は、「聖書釈義にとっての言語学の持つ重要性」では“わたしはある”について、「伝承史的研究方法」、「文学批評的方法」、「イスラエル史とその年代史的枠組み」、「旧約聖書学諸部門」、「本文批評方法論」、「様式史的方法」、「古代イスラエルの社会構造」、「正典の配列順序と形態」、「旧約学の学的文献紹介」、旧約聖書学の主要問題」、「解釈原理」。
Hans Walter Wolff, 1911.12.17-1993.10.22。ハイデルベルクで「炎の説教者」と呼ばれたらしい。

取っつきにくそうなもの

W.H.シュミット、W.ティール、R.ハンハルト(大串肇訳)、『コンパクト旧約聖書入門』、教文館、2009、327+32頁、2940円。
第T部「緒論と神学」(シュミット)、第U部「イスラエル史」(ティール)、第V部「旧約時代におけるパレスチナの考古学」(ティール)、第W部「セプトゥアギンタ(七十人訳聖書)」(ハンハルト)。「入門」とあるが、一般向けではない。これからほんとに専門的に学ぼうとする人向け。索引がないのは致命的。文献表も原著のものを羅列しただけで見にくい。
小友聡の書評によれば、「議論が凝縮されていて、初心者向けの入門書ではない。けれども、1990年頃までのドイツ旧約学の研究史的状況が紹介され、旧約学の全容を概観できる」とのこと(『キリスト新聞』、2009.2.14)。
C.レヴィン(山我哲雄訳)、『旧約聖書――歴史・文学・宗教』、教文館、2004、231頁、2100円。
専門的な内容を簡潔に記述したつもりのようだが、内容が凝縮されているためか、かえって初心者には分からない。索引なし。訳者による日本語文献が挙げられている点だけなんとか良心的だが。G.タイセン(大貫隆訳)『新約聖書――歴史・文学・宗教』の姉妹編。

木田献一『旧約聖書の概説』(リトン、1995、315頁、3150円)は、旧約各書の概説ではなく、学問的な筆致ではなく平易に、古代イスラエル民族の歴史をたどりながら、その中で旧約各書の内容や思想などを紹介、また、独自の視点を盛り込みつつ読み解こうとしているが、成功しているかどうか。歴史的位置づけが難しい詩篇や箴言ついてはほとんど述べられていない。索引はない。これは旧著の『旧約聖書概説』(信徒のための聖書講解―旧約20、聖文舎、1980)を大きく書き換えたもので、この旧著は当時日本で「旧約聖書概説」をまとめられたのはこれのほか「見るべきものがない」(関根正雄『旧約聖書序説』p.3)ものであったとのこと。

1.4 関根正雄

2010.10.20全面的に更新

関根正雄の三部作とでも言えるもの。

関根正雄、『旧約聖書序説』(著作集第4巻)、新地書房、1985、473頁、5000円。
旧著『旧約聖書――その歴史・文学・思想』(創元選書、創元社、1949)を全く新しく書き替えたもの。社会史的観点ができるだけ取り入れられているらしい。旧約聖書の文学と思想を明らかにするためには、旧約聖書の背景をなす歴史、特に社会体制や、それぞれの作品や思想を生んだ人々、それを伝承しそれを受け入れた人々の属する社会層をできるだけ正確に把握することが望ましい(p.11)との観点から、旧約学の序説(Prolegomena)として、歴史と文学と思想を軸として、旧約をどう読むかどう解するかの基本を述べ、旧約の文学と思想の主な作品を歴史を追って跡づける(p.12f)。序論の後、「第1部 諸前提」として風土、旧約聖書の成立と構成、歴史・文学・思想、「第2部 歴史における文学と思想の展開」でイスラエルの歴史的社会的発展の段階に沿って、旧約諸文書を様々な学説を紹介しつつ読み解く。
「啓示は何よりも神の言葉と神の霊の一体としての出来事だ・・・。・・・神学思想史の立場に立って、あくまでも言葉とともに霊を重視したい・・・。」(p.18-19)。「旧新約聖書の神学思想史は義認と聖化をもって一貫しうる・・・われわれは言葉と霊、義認と聖化を眼中において、以下旧約の神学思想史を辿りたい。・・・義認と聖化の根底には神の契約がある。・・・旧約の預言と新約の福音との間にこの両者を結ぶものとして黙示を重視する・・・」(p.20-21)。その他、「序説」か「概説」か「入門」か(pp.12-14)。「神名の日本語表記」(p.22f)。
関根正雄、『旧約聖書文学史』(上:岩波全書304、下:岩波全書321)、岩波書店、上:1978、下:1980。
2008年に岩波全書セレクションの一つとして復刊。上:294+16頁、3000円、下:308+42頁、3100円。「欧米で長らく顧みられていない文学史という観点からの綜合的叙述を試みたもの」(『関根正雄著作集 第四巻 旧約聖書序説』、p.4)。「旧約聖書緒論をもできるだけ兼ねるように心がけた」(上、「まえがき」)が、「われわれは文学社会学の立場に立って、一方、旧約文学の文学的主要テーマを確定し、他方各時代の共同体とそれを成立させている社会層の特質を辿り、その両者の関連において文学史を追ってゆきたい」(上、p.83)。「一つの方法論に立った「旧約聖書文学史」の一つのあり方」(下、「あとがき」)。家族共同体、部族共同体、部族連合共同体、国家共同体、捕囚期以降の宗教共同体と時代を区分して、実にさまざまな学説を常に紹介しながら論じている。
この方法論について多少違った角度から論じたものに、関根正雄(関根清三訳)「イスラエル文学史はいかにして可能か」がある。『関根正雄著作集 第7巻』(新地書房、1980)所収。初出は、日本聖書学研究所編『聖書学論集 第14号 最近の聖書学の諸問題』、山本書店、1979)。
関根正雄、『古代イスラエルの思想――旧約の預言者たち』(講談社学術文庫)、講談社、2004。
「預言者たち」といっても、族長とモーセ、部族連合と王国形成から語り、エリヤ、エリシア、アモス、ホセア、ミカ、そしてイザヤまで。目次はこちら(国立国会図書館)。元は『古代イスラエルの思想家』(人類の知的遺産1)、講談社、1982。『関根正雄著作集 第六巻』所収の思想史の方法についての諸論文で構想してきた旧約聖書(神学)思想史の方法論によるもの。

その他、不明、未見、新刊

大野惠正、『旧約聖書入門1』、新教出版社、2013、270頁、1800円+税。
学問的なintroductitonではなく、分かりやすくかみ砕いたほんとの入門書か? 全5巻になる予定とのこと。

2.本文批評と正典論

「本文」は「ほんもん」と読む。

2.1 本文と本文批評

エルンスト・ヴュルトヴァイン(鍋谷堯爾、本間敏雄訳)、『旧約聖書の本文研究――「ビブリア・ヘブライカ」入門』、日本基督教団出版局、1997(1952初版1988第5版)、366頁、6695円。
最初は鍋谷堯爾訳で、聖文舎から1977年初版、1978年改訂二版。写本の歴史と本文の話。たいへんおもしろい。ページ数の割に値段が高いのは、図版が多いこともあるが、それだけの価値はある、めったいない本。ただし、左近淑によれば、本文に関してかなり極端な立場を取ったカーレの影響を強く受けていて、「教科書として客観的に読めない部分がある」(『旧約聖書緒論講義』、p.86)とのこと。
小林洋一編訳、『BHSのマフテアハ』、ヨルダン社、1999、162頁。
BHSを使いこなすための本。リューガー(Hans Peter Rüger)の本(1985)が元。「1.BHSの脚注記」は、アパラタスに出てくるラテン語の英訳と和訳のアルファベット順の対照だが、最近のBHSには英訳と独訳が収録されているので、必要ない。「2.BHSのマソラ」は、小マソラ、大マソラ、巻末マソラなどに出てくる用語のアルファベット順の英訳と和訳。役に立つ。「補遺T」は、訳者がケティーブ・ケレーを解説した小論。「補遺U」は、マーヴィン・テートによる釈義の手順マニュアル。簡潔すぎ。

ラインハルト・ウォンネベルガー(Reinhard Wonneberger)(松田伊作訳)『ヘブライ語聖書の手引き――旧約テクスト批評入門』(ATD・NTD聖書註解刊行会、1992(1984)、220頁、4000円)は、本文批評の実際のやり方の解説から始まる学習書。マソラの用語解説もあるが、『BHSのマフテアハ』のようにアルファベット順に並んでいないので使いにくい。

H.バルト、O.H.シュテック(山我哲雄訳)『旧約聖書釈義入門――その方法と実際』(日本基督教団出版局、1984(19809)、278頁、4500円)は、各種の聖書批評学の概説と実際例。授業で必要なところだけを使った。訳は悪い。

死海文書の発見による旧約本文の問題の聖書翻訳への影響について、和田幹男「死海文書と今後の聖書翻訳――旧約聖書の場合」(『聖書翻訳研究』27号、日本聖書協会、1998.10)。

覚え書き

アラム語の部分: エズラ記4:8〜6:18、7:12〜26、ダニエル書2:4b〜7:28、他に、創世記31:47「エガル・サハドタ」、エレミヤ書10:11。
ヌン・インヴェルズム(nun inversum)「反転したヌン」: 民数記10:34末と36末、詩編107:21〜26の各節頭と40節頭の9か所。

2.2 正典の範囲、正典化の過程

左近淑の『旧約聖書緒論講義』の講義3と4。および、『総説旧約聖書』の第8章「正典」。

J.A.サンダース(佐藤陽二訳)、『正典としての旧約聖書』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1984(1972)、201頁、1700円。

その他、概説・緒論の各書、また、教義学の聖書論・正典論の文献。

正典の範囲

簡単には、『新約旧約聖書大事典』の「旧約聖書」、「外典」、「偽典」の項を見る。正典の範囲について詳しくは、次の文献を見る。

和田幹男、「旧約聖書の正典――諸教会の共通点と相違点」(『新共同訳 旧約聖書注解V・続編注解』、日本基督教団出版局、1993、pp.481-492)。
とても詳しい。ヘブライ語聖書、LXX、ウルガタ、現代のカトリック、新共同訳の相違点の徹底比較。単に正典とされる書の違いだけでなく、エズラ記の番号の相違、エステル記の付加部分、ダニエル記の付加部分、「アポクリファ」の用語の問題など詳細。

もっと詳しいものに、世の中に存在する印刷聖書について、含まれる文書の順序と数を分類したB.シュナイダー「聖書諸文書の順序と数 特に現代の印刷聖書において」(『聖書翻訳研究』、No.25、1991.3、日本聖書協会)がある。

外典偽典

日本聖書学研究所編、『聖書外典偽典』全7巻、別巻2冊。
レオンハルト・ロスト(荒井献、土岐健治訳)、『旧約外典偽典概説 付・クムラン写本概説』、教文館、1972。
土岐健治、『旧約聖書外典偽典概説』、教文館、2010、252頁、3360円。
前半はヘレニズム・ローマ時代のユダヤ民族史の略述。外典中の文書として、詩編151編も取り上げられている。「聖書古代誌(偽フィロン)」も偽書として紹介されている。

2.3 七十人訳聖書

新約聖書や教会教父の旧約聖書の引用は、多くが七十人訳からであるようだ。ということは、「この七十人訳こそが最初の数世紀のキリスト教徒たちが使用した聖書であった」(秦剛平)。しかし、ヘブライ語聖書とはかなり相違がある。(1)なぜヘブライ語聖書にない文書やもともとギリシャ語で書かれた文書が含められたのか、(2)文書の配列、(3)エレミヤ書などが短い、(4)文や語句のレベルでの相違。そもそも、ヘレニスト・ユダヤ人のものである七十人訳がなぜどのようにしてキリスト教会に受け入れられていったのか、マソラの意味不明な箇所をLXXで補うことの問題など、知らないことが多い。

クムラン文書の発見によって、LXXはマソラと異なる系統のヘブライ語聖書を底本としていることが明らかになった。「したがって、マソラ本文の意味不明な箇所をセプトゥアギンタで補うことは理不尽ということになった。」和田幹男「旧約聖書の翻訳」(高柳俊一編、『神の福音に応える民』、リトン、1994)、p.75。

簡潔な解説

和田幹男「旧約聖書の翻訳」(高柳俊一編、『神の福音に応える民』、リトン、1994)。
この中の第二部「聖書翻訳の先駆セプトゥアギンタ」(pp.76-92)。
ギルモア『英語聖書の歴史を知る事典』(本多峰子訳、教文館、2002)の"Septuagint (LXX)"の項、p.171fの「アリステアスの手紙」を紹介した囲み記事、"Cambridge Septuagint"と"Göttingen Septuagint"の項。

より専門的な解説のある本

W.H.シュミット、W.ティール、R.ハンハルト『コンパクト旧約聖書入門』(教文館、2009)に、「セプトゥアギンタ(七十人訳ギリシア語旧約聖書)」の章あり。
『新版 総説 旧約聖書』(日本基督教団出版局、2007)に、土岐健治「七十人訳聖書」。
左近淑『旧約聖書緒論講義』(教文館、1998)。
ヴュルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』(鍋谷堯爾、本間敏雄訳、日本基督教団出版局、1997)。
『旧約新約聖書大辞典』(荒井献、石田友雄編、教文館、1989)の「七十人訳聖書」の項。
榊原康夫『旧約聖書の写本と翻訳』(いのちのことば社、1972)の第4章「ギリシャ語訳」。
姉妹書に、『旧約聖書の生い立ちと成立』(いのちのことば社、1971)。榊原康夫は、1931.9.21-2013.1.6。

.A.サンダース(佐藤陽二訳)、『正典としての旧約聖書』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1984には何か書いてあるかな? その他、正典論関係の文献。聖書翻訳の文献。

一冊にまとめられた本

土岐健治、『七十人訳聖書入門』、教文館、2015、260頁、1800円+税。
M. ヘンゲル(土岐健治、湯川郁子訳)、『キリスト教聖書としての七十人訳――その前史と正典としての問題』、教文館、2005(1994)、190頁、3600円。
「LXXをキリスト教徒が必要とするに至った経緯と、それが正典として固まっていった経緯から始め、その後でユダヤ教におけるその「前史」に、そして、ヘブル語正典から除外されるに至った諸文書が、LXXに付け加えられ、増加していった経緯に触れる。」(p.18) ヘンゲルは1926.12.14-2009.7.2。

ヘンゲル『キリスト教聖書としての七十人訳』の土岐健治の「訳者あとがき」によると、Karen H. Jobes and Mioses Silva, "Invitation to the Septuagint," Grand Rapids: Baker Academic, 2000.が新教出版社から邦訳刊行予定であるとのこと。

秦剛平

秦剛平訳、『七十人訳ギリシア語聖書』(T創世記、U出エジプト記、Vレビ記、W民数記、X申命記)、河出書房新社、2002-2003。
「現代の言葉の使用状況を考慮し、たとえ教会の中で気息奄々たる状態で生きながらえていても、その外の世界で死んでいれば、その言葉は選ばない」(p.12)という翻訳方針は、ある語句が書物の中での特有の意味を持ちうる可能性を拒否してはいないか。マソラと異なる個所を太い明朝体、マソラに欠落している個所を太いゴシック体にして、ヘブライ語テキストとの相違を視覚的に示した点は重宝。各巻末に「解説」と、5巻通しの「総説」あり。「T創世記」の巻末の「総説」の最初に文献リストあり。

モーセ五書のギリシア語訳がシナゴーグで用いるためであればそれなりの手続きがあったはずとして、ギリシャ語しか解さないユダヤ人の礼拝のために翻訳されたという従来の説を疑い、アレクサンドリアのギリシア人に対してユダヤ人の出自の古さを示し、モーセや出エジプトについての誤解を解くために創世記と出エジプト記が翻訳されたと推理する。『乗っ取られた聖書』(学術選書020、京都大学学術出版会、2006)の第3章。この本の巻末に、和洋ひっくるめた、初級者から研究者向けまで、ひとことコメント付きの基本文献リストあり。

アリステアスの手紙

七十人訳の翻訳に関する伝承を伝えている「アリステアスの手紙」の全訳は、左近淑「七十人訳伝承としてのアリステアス書簡研究――緒論、翻訳、および註」(『左近淑著作集 第一巻』、教文館、1992)。これは『神学』X号、XI号(1956)に初出。それ以降の研究に基づくペルティエの校訂本(1962)を底本として、全面的に改訳されて、日本聖書学研究所編『聖書外典偽典第三巻 旧約聖書偽典T』(教文館、1975)。概説11ページを記した後、322の節に分けられた本文(pp.29-85)と注(pp.283-301)。

この書簡の成立や史実性の独創的?な見解については、秦剛平『旧約聖書続編講義――ヘレニズム・ローマ時代のユダヤ文書を読み解く』(リトン、1999)。この書は、『新共同訳聖書』で「旧約聖書続編」とされている文書を一つひとつ取り上げて、「その本来の環境の中に戻して読む試み」とのこと。

その他

アウグスティヌスが、昔日の預言者たちを動かしたのと同じ聖霊が『七十人訳』の訳者たちをも動かしたと言っている個所は、『神の国』18.42-43らしい。

3.神 学

辞典・事典については辞事典のページ参照。主なものは、『旧約新約聖書大事典』、『旧約聖書神学事典』、『聖書学用語辞典』。

「旧約聖書神学」について

「旧約聖書神学」の歴史的変遷について、東京神学大学神学会編『旧約聖書神学事典』(教文館、1983)の船水衛司「旧約聖書神学」の項、『聖書学用語辞典』(日本基督教団出版局、2008)の大住雄一「旧約聖書神学」の項。また、W.ツィンマリ(樋口進訳)『旧約聖書神学要綱』(日本基督教団出版局、2000)の「訳者あとがき」の中で、「旧約聖書神学」の歴史について5ページ弱ほどで述べている。

翻訳のあるものに、フォン・ラートのもの。W.H.シュミット(山我哲雄訳)『歴史における旧約聖書の信仰』(新地書房、1985(原著1968))。ツィンマリのもの。

Th. C. フリーゼン(Theodorus Christiaan Vriezen)(田中理夫、木田献一訳)『旧約聖書神学概説』(日本基督教団出版局、1969、570頁、8000円)は、教義学的に展開しているらしい。

C. ヴェスターマンの邦訳

Claus Westermann, 1909.10.7-2000.6.11.

(西山健路訳)、『論争された聖書』(新教新書124)、新教出版社、1966、199頁。
(徳善義和訳)、『若人と学ぶルカ福音書』、聖文舎、1971、106頁。
(岩崎修訳)、『千年と一日――旧約聖書と現代』、聖文舎、1971、409頁。
(西山健路訳)、『創造』(現代神学の焦点7)、新教出版社、1972(1971)、218頁。
(時田光彦訳)、『旧約聖書』(現代神学の基礎知識)、ヨルダン社、1985(1976)、110頁。
旧約聖書の信仰を12の項目で記述。救い、祝福、怒りと審判・嘆き、神への賛美、礼拝、信仰、聖、罪と赦し、主なる神――創造と歴史、戒めと法、恵みと契約、平和(平安)。
C. ヴェスターマン編(時田光彦訳)、『旧約聖書解釈学の諸問題――旧約聖書理解のための論文集』、日本基督教団出版局、1975(1960)、300頁。
部分訳。フォン・ラート、ヴェスターマン、ノート、ツィンメルリ、ヴォルフ、アイヒロットらの8論文。ヴェスターマンのは「旧約聖書の解釈――歴史的序論」。文献目録あり。
(左近淑、大野恵正訳)、『聖書の基礎知識 旧約篇』、日本基督教団出版局、1984(1962)、309頁。
巻末に左近淑「ヴェスターマンとその学風」あり。
(山我哲雄訳)、『創世記』(T、U)(コンパクト聖書注解)、教文館、T:1993、413頁、U:1994、386頁。
(頓所正、山本尚子訳)、『イザヤ書 40-66章』(ATD旧約聖書註解19)、ATD・NTD聖書註解刊行会、1997(1976)、747頁。
(大串肇訳)、『預言者エレミヤ』、新教出版社、1998(1967)、167頁、1800円。
(大串肇訳)、『詩編選釈』、教文館、2006(1984)、422+3頁、4000円。
11の類型にそって代表的な詩編を選んで、私訳、本文について、構成、釈義。「詩編選釈」でありながら、哀歌5章が入っている。

『旧約新約聖書大事典』(教文館、1989)の「詩篇」(左近淑訳)、「預言者」(木田献一訳)。

フォン・ラートの邦訳

Gerhard von Rad, 1901-1971.

G.フォン・ラート(荒井章三訳)、『旧約聖書神学T』、日本基督教団出版局、1980初版1990第4版(19571,19624)、652頁、7200円。
G.フォン・ラート(荒井章三訳)、『旧約聖書神学U』、日本基督教団出版局、1982初版1991第3版(19601,19654)、596頁、7000円。
「二十世紀になって、旧約聖書の中心点、あるいは旧約聖書全体を包みうるものを求める「旧約聖書神学」という学問が登場した。その頂点にあるのが、G・フォン・ラートである。」(大住雄一、「聖なるものの交わりを信ず――言葉の「関係性」をめぐって」、『季刊 教会』、48号、2002.9、p.11)
「伝承史的研究方法を用いて著されたフォン・ラートの二巻からなる『旧約聖書神学』は、二〇世紀における「旧約聖書神学」の最高傑作であると言えるだろう。・・・神学的に非常にレベルの高いものであり、今日に至るまで、その後の旧約聖書神学は、多かれ少なかれこの本との対話において生み出されている」(W.ツィンマリ『旧約聖書神学要綱』の樋口進による「訳者あとがき」、p.390f。)
フォン・ラートの『旧約聖書神学』に対する関根正雄の批判は、「救済史の理解について」(『関根正雄著作集 第六巻』所収)。

フォン・ラートは他に、『旧約聖書の様式史的研究』(荒井章三訳、日本基督教団出版局、1969、244頁)は論文集。『イスラエルの知恵』(勝村弘也訳、日本基督教団出版局、1988、540頁、7800円)は、フォン・ラート最晩年の最高傑作らしい。ATDの創世記、申命記がフォン・ラート。ヴェスターマン編『旧約聖書解釈学の諸問題――旧約聖書理解のための論文集』(時田光彦訳、日本基督教団出版局、1975)に「旧約聖書は歴史である」という論文あり。生原優訳『モーセ』(現代と教会新書、日本基督教団出版部、1964)というのもあるらしい。

たまたま目についたもので、R.ランダウ編『光の降誕祭――20世紀クリスマス名説教集』(加藤常昭訳、教文館、1995初版2004再版)にフォン・ラートのイザヤ書29:9-14の説教(1966.11.27ペトロ教会)と1テモ2:4-5の説教(1940.12.26イェナのシュタット・キルヒェ)あり。

たまたま目についたもので、荒井章三訳「ヨセフ物語」(神戸松蔭女子学院大学キリスト教文化研究所編『キリスト教論藻』26号、1994。

山吉智久訳、『古代イスラエルにおける聖戦』(聖書の研究シリーズ60)、教文館、2006、194頁、1890円。

ツィンマリの邦訳

Walther Zimmerli, 1907.1-1983.12.

日本語表記は、ツィンメルリだったり、ツィメリーだったり、ツィマーリだったり。樋口進も「原音に最も近いのがどれかはっきりとは分からない」だって。『旧約聖書神学要綱』の「訳者あとがき」

ツィンマリは、ドイツ語圏ではアイヒロット、フォン・ラートと並ぶ重要な旧約学者(『旧約聖書の世界観』の山我哲雄の「訳者あとがき」)。『エゼキエル書注解』(BK)が代表的著作。

W.ツィンマリ(樋口進訳)、『旧約聖書神学要綱』、日本基督教団出版局、2000(19721,19896)、420頁、7800円。
「フォン・ラートの『旧約聖書神学』とのたゆまざる対話において形成され、そこから感謝をもって多くを学んだ」(「初版への序」)。しかし、フォン・ラートのような歴史的な叙述ではなく、ヴェスターマンのように旧約聖書の神学思想をテーマに沿って叙述する。「ツィンマリが本書において一貫して主張していることは、ヤハウェが生ける自由な主権者である、ということである。・・・これは、神の自由と主権を主張したカール・バルトの神学の影響であろう。ちなみにバルトも、ツィンマリの注解書をよく読んでいた」らしい(「訳者あとがき」)。
「目標と基礎」、「叙述の方法」から始まって、第1章「基礎的な事柄」、第2章「ヤハウェの賜物」、第3章「ヤハウェの戒め」、第4章「神の前における生」、第5章「危機と希望」。聖句索引、ヘブライ語索引、事項索引あり。
ヴァルター・ツィンマリ(山我哲雄訳)、『旧約聖書の世界観』(聖書の研究シリーズ32)、教文館、1990(1971)、300+11頁、2500円。
1970年夏学期にゲッティンゲン大学の「全学部共通講座」として語られた11回の講義。旧約の専門家に向けられたものではないが、かなり特定のテーマが選ばれている。ブルトマンへの反論もこの講義の動機となっている。旧約聖書とこの世との関わりを系統的に究明する。「霊的」であるということは、「この世的」でないということなのか。この問いは、聖書正典という「この世的」な書物の存在理由を問う問いにつながる。
序章 「旧約聖書の「この世性」」、第1章「イスラエルとその神」、第2章「神の被造物としての世界」、第3章「産めよ、増えよ、地に満ちよ」、第4章「・・・そして地を従えよ」、第5章「民とその敵」、第6章「土地と所有」、第7章「ヤハウェの民とその栄光」、第8章「ヤハウェの前における隣人と共なる民の生活」、第9章「死と生」、第10章「イスラエルの希望と世界の希望」、第11章「旧約聖書の「この世性」――律法か福音か?」。聖句索引あり。

ATDの「伝道の書」も書いている(ワルター・ツィメリー(有動康博、小関毅彦、小友聡訳)「伝道の書」 in 『ATD 旧約聖書註解15 箴言・伝道の書』、ATD・NTD聖書註解刊行会、1991)。巻末の並木浩一による「解説」でツィメリーが紹介されている。

また、ヴェスターマン編『旧約聖書解釈学の諸問題』(日本基督教団出版局、1975)に「約束と成就」という論文が邦訳されている(時田光彦訳)。さらに、『聖書と教会』120号(1976.3)に牧野信次訳「イザヤ書53章の前史について」という邦訳があるらしい。

カール・バルトがKDの創造論の中で、ツィンマリの創世記の注解(ZBKのシリーズ)をしばしば引用しているらしい。(『ATD旧約聖書注解15 箴言・伝道の書』のp.510)

モーセ五書

R.N.ワイブレイR. Norman Whybray(山我哲雄訳)、『モーセ五書入門』(聖書の研究シリーズ52)、教文館、1998(1995)、268頁。
各章ごとに日本語文献も追加された文献表があるのがよい。章立ては、「モーセ五書とは何か」「誰がそれを書いたのか?――文書としての成立の問題」「原初史(創世記1-11章)」「族長史(創世記12-50章)」「出エジプト記、レビ記、民数記−その物語」「申命記」「律法」「モーセ五書を読む」。
ワイブレイの注解書の邦訳には、箴言(ケンブリッジ旧約聖書注解)、イザヤ書40〜66章(ニューセンチュリー)、コヘレト(ニューセンチュリー)がある。
マルティン・ノート(柏井宣夫訳)、『契約の民 その法と歴史』、日本基督教団出版局、1969。
マルティン・ノート(山我哲雄訳)、『モーセ五書伝承史』、日本基督教団出版局、1986。
R.E.クレメンツ(船水衛司訳)、『神の選民――申命記の神学的解釈』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1984(1968)、152頁。
全6章。「申命記の意義」「神の契約の民」「神の賜物」「礼拝の意味」「申命記と旧約聖書の正典」「申命記と旧約聖書神学」。

R.レントルフ(山我哲雄訳)『モーセ五書の伝承史的問題』(教文館(聖書の研究シリーズ27)、1987)について、左近淑は、「本書は、ヴェルハウゼン以降広範囲に受容された文書仮説に対して根本的に否を言うのみならず、フォン・ラートからその弟子達へと展開した五書各文書資料記者の神学的主題を明らかにする編集史的方向に対しても根底から疑問を呈する・・・。R.レントルフの方法論は、その著作で繰返される表現によれば様式史・伝承史であるが、前者に関しては定式批判に偏し、その結果、伝承(史)再構成にも妥当性を欠く場合があり、伝承単元の独立性についても納得しえぬ点がある。」『本のひろば』351号、1987.9の左近淑による書評。

鈴木佳秀『申命記の文献学的研究』(日本基督教団出版局、1987)について、左近淑は、「アメリカで書かれた博士論文の日本語版ですが、そこではいくつかの編集層を想定して、それで初めて申命記が成立したと考えています。ヨシヤ時代の国家行政の確立の努力や、それが挫折してグループ化していった、その中での理念の実現とかを、編集層の内部から読み取るのです。興味深い研究ですが、わたくしは、申命記史家の枠と律法の本体の区別から考えます。」左近淑『旧約聖書緒論講義』、教文館、1998、p.243。

山我哲雄、『海の奇蹟――モーセ五書論集』、聖公会出版、2012、368頁、3990円。「モーセ五書」の成立、失楽園物語と王権批判、ノアの呪い、アブラハムの祝福、ハガルとイシュマエル、アブラハムとアビメレク、「有りて有るもの」、「海の奇蹟」、祭司文書における供犠と浄、不浄の体系、祭司文書の歴史像、「モーセ五書」の最終形態について。

申命記的歴史

2015.11.23全面的に更新

『総説 旧約聖書』の215-323頁(石田友雄)、フォン・ラート『旧約聖書神学T』の444-457頁をまず見る。

マルティン・ノート(山我哲雄訳)、『旧約聖書の歴史文学――伝承史的研究』、日本基督教団出版局、1988(1967)、494頁。
現在はオンデマンド版で6930円。この巻末に、訳者山我哲雄による「申命記史書研究小史」がある。たいへん有用。この解説だけでも読んでおく。
F.M.クロス(輿石勇(こしいし・いさむ)訳)、『カナン神話とヘブライ叙事詩』、日本基督教団出版局、1997(1973)、596頁、12000円。
第10章「列王記の主題と申命記学派的歴史の構造」は重要。
トーマス・C.レーマー(山我哲雄訳)、『申命記史書――旧約聖書の歴史書の成立』、日本基督教団出版局、2008、322頁、6720円。
M.ノートの『旧約聖書の歴史文学――伝承史的研究』の続編、ないし、完結編に相当するとのこと。

その他、ヴァルター・ディートリヒ(山我哲雄訳)、『イスラエルとカナン――二つの社会原理の葛藤』、新地書房、1991(1979)、184+8頁、2000円。並木浩一『古代イスラエルとその周辺』(新地書房、1979)の1-171頁。フォン・ラート(荒井章三訳)『旧約聖書の様式史的研究』(日本基督教団出版局、1969)の中の「古代イスラエルにおける歴史記述の開始」(pp.169-228)。

預言者

入門的には、通論・概説のところで上げたものや、木田献一『古代イスラエルの預言者たち』(人と思想153、清水書院、1999、250頁、700円)。

まずは、フォン・ラートの『旧約聖書神学』の第2巻を読まなければならないらしい。

日本人によるもの

浅野順一、『豫言者の研究』(新教新書80)、新教出版社、1963、246頁。
初版は長崎書店1931。1952第4版で「主の僕」の歌の研究を付加、1963新教新書版でさらに「政治の世界における豫言者の論理と倫理」を付加。浅野の処女作にして代表作。『イスラエル預言者の神学』(創文社、1955)もある。
金井美彦、月本昭男、山我哲雄編、『古代イスラエル預言者の思想的世界』、新教出版社、1997、340頁、6300円。
15人の論文集。T.古代イスラエル預言の背景、U.預言者の宗教的伝統、V.捕囚前の預言、W.捕囚期の預言、X.新約時代の預言。ネットでヒットしたところでは順不同で、大島力「預言者における未来確信と現実批判」、金井美彦「イスラエル初期預言者の本質」、輿石勇「預言と祭儀」、宮崎修二「初期イスラエルと預言」、山我哲雄「預言の社会学」、鈴木佳秀「ホセア預言における律法と裁きー虚構から見た審判預言の特質」、林相国「アモスにおける社会批判と『契約の書』」、樋口進「預言者エゼキエルの特質」、深津容伸「預言者エレミヤの傾向史的研究」、月本昭男「古代メソポタミアにおける預言と預言文学」、関根清三「第二・第三イザヤにおける神観の系譜」など。
大串元亮、大串肇、『カリスマとケリュグマ――現代によみがえる旧約預言者の精神と使信』、教文館、2004、304頁、2625円。
第1章は「預言者入門」、その後、アモス、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤ、第二イザヤ、ヨナを取り上げる。他に、聖書における「言葉」、預言者のカリスマとケリュグマ。

木田献一には、『イスラエル予言者の職務と文学――アモスにおける予言文学の成立』(日本基督教団出版局、1976、268頁)や『旧約聖書の預言と黙示――その本質と系譜』(現代神学双書78、新教出版社、1996)などがある。

大島力『イザヤ書は一冊の書物か?――イザヤ書の最終形態と黙示的テキスト』(教文館、2004、3360円)は、東神大博士号取得学位論文ということで、難しすぎるのでやめておく。

樋口進、『古代イスラエル預言者の特質――伝承史的・社会史的研究』、新教出版社、2013、294頁、5000円+税。12論文集。王国時代、とりわけ紀元前8世紀から6世紀にかけて集中的に出現した「預言」という現象は何だったのか?

翻 訳

M.ブーバー(高橋虔訳)、『預言者の信仰』(ブーバー著作集6、7)、みすず書房、1968。
アンドレ・ネエル(西村俊昭訳)、『予言者運動の本質』、創文社、1971、404頁。
R.E.クレメンツ(船水衛司訳)、『預言と契約』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1975。
K. コッホ(荒井章三、木幡藤子訳)、『預言者T』(聖書の研究シリーズ33)、教文館、1990(1978)、340頁、2427円。
K. コッホ(荒井章三訳)、『預言者U』(聖書の研究シリーズ63)、教文館、2009(19801, 19882)、380頁、2835円。
第一巻は「アッシリア時代」、第二巻は「バビロニア・ペルシア時代」でエレミヤ、エゼキエル、第二イザヤ、第三イザヤらが取り上げられている。
「コッホの預言者論の中心概念は「メタヒストリエ」である。この言葉は訳しにくく、第一巻と同様に、第二巻の翻訳においてもドイツ語の音をそのままカタカナ表記している。しかし、メタヒストリエとは内容的には明確で、預言者の言葉がどこまでも歴史的現実に即しながら、しかし同時にその歴史を超えるものを指し示している事態を意味している。」大島力による書評、『本のひろば』627号、2010.5、p.12。
A.J.ヘッシェル(並木浩一監修、森泉弘次訳)、『イスラエル預言者』(上・下)、教文館、1992(1962)、上:451+22頁、5150円、下:461+20頁、5150円。
上巻巻末に、森泉弘次「訳者あとがき――語りえぬことを語ろうとした人、エイブラハム・ジョシュア・ヘッシェル」、下巻巻末に、並木浩一「解説――ヘッシェルの預言者論に寄せて」あり。
J.F.A.ソーヤー(宍戸基男訳)、『旧約の預言と預言者』(オックスフォード聖書概説シリーズ)、ヨルダン社、1994(1987)、259+23頁、3200円。
預言および預言者についての概説書。「従来の概説・研究書が、各預言者の特徴やテーマを網羅的に表示するか、預言者の個別的特殊研究に終始することが多かったのに対して、本書は預言者および預言全体の意味をそれぞれのテキストに従いながら、綿密に跡づけている」(「訳者あとがき」、p.258)。巻末の文献表は、日本語の主要なものも加えられている。
J. ブレンキンソップ(樋口進訳)、『旧約預言の歴史――カナン定着からヘレニズム時代まで』、教文館、1997、392頁、5985円。
W. ブルッゲマン(鎌野直人訳)、『預言者の想像力――現実を突き破る嘆きと希望』、日本基督教団出版局、2014、272頁、2800円+税。
"Prophetic Imagination," 1992初版、2001改訂版。

知恵文学、黙示文学

文学というか諸書全般に関して、『新共同訳旧約聖書注解U』(日本基督教団出版局、1994)の中に、和田幹男「文学詩歌概説」がある。もちろんこの中で知恵文学についての概説もある。

知恵、知恵文学

2010.10.20全面的に更新

やはりまずは、各事典項目や概説・緒論の教科書を見る。

フォン・ラート『イスラエルの知恵』と関根正雄「イスラエルの知恵」以前の文献は、知恵に関する考え方が変わってきているので注意が必要。左近淑『旧約聖書緒論講義』、p.372。「箴言の知恵について画期的な認識をもたらしたのは、一九七〇年のフォン・ラートの『イスラエルの知恵』である」関根正雄『旧約聖書文学史 下』(岩波全書)1980、p.20。

関根正雄「イスラエルの知恵」、『関根正雄著作集 第5巻』、新地書房、1979所収。
著作集には1972年と記されている。わずか13ページで、フォン・ラートと対話しつつ知恵について論述する。知恵の本流である「箴言」、それに対する批判の書として「ヨブ記」と「伝道の書」、そして最後に「ベン・シラ」と「ソロモンの知恵」の順で取り上げる。
「「知恵」の重要な意義については、一九七〇年に出たゲルハルト・フォン・ラートの最後の著作『イスラエルにおける知恵』が画期的な見方を開示した・・・。もちろんわれわれはその所説の全部に賛成するものではなく、知恵の背後にある「論理」の問題、知恵の本流である上述の「箴言」と「ヨブ記」「伝道の書」との関係などについて見解を異にする。それにもかかわらず、フォン・ラートが知恵の問題について従来とは全く異なる観点からこれを見ることを教えてくれたことは疑い得ない・・・」(p.353-354)
J.L.クレンショウ(中村健三訳)、『知恵の招き――旧約聖書知恵文学入門』、新教出版社、1987、350頁、2940円。
J.ブレンキンソップ(左近淑、宍戸基男訳)、『旧約の知恵と法――古代イスラエルおよび初期ユダヤ教における生の規制』(オックスフォード聖書概説シリーズ)、ヨルダン社、1987(1983)、286頁、2600円。
法も知恵もイスラエル社会の秩序を形成するものとして、初期イスラエルからキリスト教とユダヤ教の分化に至る歴史の中で、法と知恵の関わりを明らかにしている。第1章から第3章で、知恵と知恵文学について記す。「知恵の性格とその歴史的変遷についての説明に関しても、フォン・ラートよりも全体的に概説書としては優れている。」左近淑の「訳者あとがき」、p.268。
G.フォン・ラート(勝村弘也訳)、『イスラエルの知恵』、日本基督教団出版局、1998(1970)、537頁、7800円。
『旧約聖書神学T』も見ておく。
小友聡、「秘密は隠される――旧約知恵文学の思想的本質」、東京神学大学総合研究所『紀要』13号、2010所収。

西村俊昭(1930.10.11-2012.5.8)は、ソシュールの記号論やリクールの解釈学の方法で知恵や黙示を扱う。2つの論文集あり。『旧約聖書の予言と知恵――歴史・構造・解釈』(創文社、1981)、『旧約聖書における知恵と解釈』(創文社、2002、267頁、6800円)。特殊な述語の頻出や独特の日本語で極めて難解らしい。山我哲雄の書評あり。

黙示文学

W.シュミットハルス(土岐健治、江口再起、高岡清訳)、『黙示文学入門』(聖書の研究シリーズ26)、教文館、1986(1973)、274頁、2200円。
第一章黙示文学の思想世界
第二章黙示文学の本質
第三章黙示文学研究の歴史
第四章黙示文学と旧約聖書
第五章黙示文学とグノーシス
第六章黙示文学の起源――宗教史的関連
第七章ユダヤ教における黙示文学の起源
第八章黙示文学とキリスト教
第九章メシアと人の子
第十章黙示的文献
第十一章黙示文学の歴史的影響

旧約聖書の人間観

ルートヴィッヒ・ケーラー(池田裕(いけだ・ゆたか)訳)、『ヘブライ的人間』、日本基督教団出版局、19701,19712(1953)、238頁。
1952年のテュービンゲン大学での講演に、付録として1931年のチューリッヒ大学での記念講演を合わせたもの。名著らしい。ヘブライ人の身体的特徴、生涯の流れ、精神的特徴など。付録として「ヘブライ法共同体」を収録。
H.W.ヴォルフ(大串元亮訳)、『旧約聖書の人間論』、日本基督教団出版局、1983(19731,19773)、502頁、6800円。
2004年度からオンデマンド版で入手可能。この書での「人間論」というのは、人間の本質についての議論をするという意味ではなく、学問的な手続きということ。旧約聖書において、人間は自己自身をどのようにして知るのかが大きなテーマ。「聖書によれば、人間は、イスラエルにおいて告知された神の前で自分や他の人間を知るのでない限り、決して自分も、彼も正しく理解することはできないだろう」(「第三版へのあとがき」、p.449)。
序論として「問題提起」、「準備作業」、「方法論」、「計画」の後、第一部「人間の存在様式――人間論用語概論」として8章、第二部「人間の時間――伝記風の人間論」として8章、第三部「人間の世界――社会学的人間論」として8章。旧約聖書の記述のみから、人間の肉体や精神、生涯や社会の姿をあぶり出す。最初の4章は、ネフェシュ、バーシャー、ルーアハ、レーブ(レーバーブ)。
並木浩一、『ヘブライズムの人間感覚――<個>と<共同性>の弁証法』、新教出版社、1997、362頁、4200円。
小河信一、『聖書の時を生きる――ヘブライ人の時間感覚』、教文館、1998、214頁、2000円。
浅草教会や栗平教会で教会報に掲載されたものがもと。著者は東神大からヘブライ大学へ留学した。

旧約聖書における戦争

佐々木哲夫、「旧約聖書と戦争・平和」(『季刊教会』67号(2007年夏季号)、日本基督教団改革長老教会協議会)。
G.フォン・ラート(山吉智久訳)、『古代イスラエルにおける聖戦』(聖書の研究シリーズ60)、教文館、2006、194頁、1890円。
月本昭男、『悲哀をこえて──旧約聖書における歴史と信仰』、教文館、2005。
5講演集。この中に「旧約聖書に見る戦争と平和」あり。他は、「古代オリエントと旧約聖書」、「歴史と信仰──預言者ホセアに学ぶ」、「悲哀をこえて──預言者エレミヤの生涯と信仰」、「旧約聖書と現代──神教は暴力的か」。
ピーター・C. クレイギ (村田充八訳)、『聖書と戦争――旧約聖書における戦争の問題』、すぐ書房、1990初版(阪南大学翻訳叢書13)、改訂版2001。
原著1978年。訳者の著作に、村田充八、『戦争と聖書的平和――現代社会とキリスト教倫理』(聖恵・神学シリーズ34)、聖恵授産所出版部、1996あり。
ユルゲン・エーバッハ「旧約聖書は残酷な書物か」(クリュゼマン、タイスマン(大住雄一訳)『キリスト教とユダヤ教』、教文館、2000、pp.24-30)。
佐々木哲夫、『旧約聖書と戦争――士師の戦いは聖戦か?』、教文館、2000。
鈴木佳秀 「聖戦論から見た現代の戦争――戦争の思想史的考察に向けて」(倉松功、並木浩一、近藤勝彦編、『知と信と大学(古屋安雄・古希記念論文集)』、ヨルダン社、1996)。
同じ著者の論文に「旧約聖書における聖戦思想の一側面――申命記における聖絶観念成立をめぐって」(『なぜキリスト教か――中川秀恭先生八十五歳記念論文集』、創文社、1993)。
平野節雄「旧約聖書における「戦争」の理解をめぐって」(京都同志社大學神學科内基督教研究會編『基督教研究』第38巻第1・2号(高橋虔先生古稀記念献呈論文集)、1974)。pdfファイルあり
R.H.ベイントン(中村妙子訳)、『戦争・平和・キリスト者』、新教出版社、1963。
関根正雄、松木治三郎、武田清子、『戦争と平和について』(基督教論叢)、新教出版社、1950。
関根正雄「旧約聖書と平和の問題」、松木治三郎「新約聖書に於ける戦争と平和」、武田清子「絶対平和主義と現実主義」。関根のはたぶん、『関根正雄著作集 第五巻 旧約学論文集(上)』(新地書房、1979)に収録。ただし、この著作集では1951年と記されているが。松木のものは、たぶん『松木治三郎著作集 第1巻』(新教出版社、1991)に収録。

その他

ラルフ・W・クライン(山我哲雄訳)、『バビロン捕囚とイスラエル』、リトン、1997、284頁、2900円。
左近淑、『神の民の信仰 旧約篇』、教文館、19961,1997再版、185頁、1890円。
全4講。第1講「出エジプト――神の民の成立」、第2講「十戒――神の民の特質」、第3講「歴史における神の民の信仰と課題」、第4講「ユダヤ教団の律法主義化と主イエスによる新しい共同体」。第3講と第4講は『左近淑著作集 第5巻』に「旧約聖書における神の民の歴史と信仰」と題して収録されている。「補講」として「おきてを守る――現在のユダヤ教について(ラビ・ジェイコブ・ミルグロム教授夫妻をお世話して)」。
木田献一、『旧約聖書の預言と黙示――その本質と系譜』(現代神学双書78)、新教出版社、1996、245頁、2835円。
8編の論文集。1.預言と黙示――その本質と歴史的展開、2.神の主権と諸国民の運命――アモス、イザヤ、エレミヤの預言を中心に、3.アッシリア帝国の世界支配とイザヤの終末的「平和預言」、4.第二イザヤにおける預言者と「主の僕」とペルシア王キュロス、5.ハスィーディームの歌と「黙示文学」の世界、6.想起すること・叫びを聞くこと――戦後五十年を前にして、7.人類の危機とキリスト教――信仰告白と現代の課題、8.「民衆神学」と東アジアの平和。
木田献一は、1930.10.13-2013.4.14。
W.ブリュッゲマン(大串肇訳)、『古代イスラエルの礼拝』、教文館、2008、188頁、1995円。
著者は、現代聖書注解の創世記のブルッグマンと同じWalter Brueggemann。「現代アメリカのリタージカル・ムーブメントを背景にした、旧約聖書の礼拝研究」(小友聡による書評、『本のひろば』2008.8)。「第一章 正統的ヤハウェ信仰の対話的構造」、「第二章 礼拝と犠牲における動作」、「第三章 礼拝におけるヤハウェの語り」、「第四章 礼拝におけるイスラエルの語り」、「第五章 礼拝――「遊び」におけるイスラエル」

4.時代史、イスラエル史

「聖書本文の歴史的背景を知るために、まず早いうちに、「イスラエル史」を徹底的に学ぶことが望ましい。ヴォルフ(大串元亮訳)『旧約聖書』、p.118。

4.1 入門的なもの

最近のもの

樋口進、『よくわかる旧約聖書の歴史』、日本基督教団出版局、2001、197頁、1800円。
旧約聖書の記述を考古学と旧約学の知見で跡づけながら、イスラエルの歴史を概説するので、必ずしも信徒にとって「よくわかる」とは言えない。例えば何の説明もなしにJだPだと出てくる。「序」の中で、これまでのイスラエル史の邦訳文献の特徴をかいつまんで概説している。
S.ヘルマン、W.クライパー(樋口進訳)、『よくわかるイスラエル史』、教文館、2003(1996)、216頁、1600円。
第T部「アブラハムからアレクサンドロス大王までの旧約時代のイスラエル史」をジークフリート・ヘルマン、第U部「アレクサンドロス大王からバル・コクバまでの中間時代と新約時代におけるイスラエル史」をヴァルター・クライバーが執筆。第T部が全体のほぼ3分の2とのこと。同じ著者の『聖書ガイドブック』(教文館、2000)の姉妹編。原著が出たときの訳者による紹介文あり教文館による目次

古くは、オルブライト(和井田学訳)『旧約聖書の時代』(新教新書98、新教出版社、1965(1963)、216頁、1000円)。左近義慈が著者紹介を書いている。

教科書的なものでは、

山我哲雄、『聖書時代史 旧約篇』(岩波現代文庫、学術98)、岩波書店、2003、305頁、1155円。
『旧約新約聖書大事典』(教文館、1989)の巻末の聖書歴史年表に教科書的な時代史的叙述を合わせて、年表も改訂されてより一層くわしくしたものが、佐藤研と共著、『旧約新約聖書時代史――聖書歴史年表つき(別冊)』(教文館、1992初版、1997改訂版)。これをさらに改訂したものか。
月本昭男、『目で見る聖書の時代』、日本基督教団出版局、1994、128頁、1600円。
写真:横山匡。高校の聖書科の資料という感じ。考古学的。聖書の歴史や文化の全体を取り上げるのではなく、近年の聖書考古学の成果の中からいくつかのトピックを選んで、豊富な写真やイラストで解説。なかなかおもしろい。遺跡丘(テル)、城壁と城門、給水設備、墓、土器、パン、印章、イスラエル周辺の民族、ケルビム、洪水物語、バベルの塔、カナンの神々などなど。

4.2 本格的なもの

P.K.マッカーター・ジュニア他(池田裕、有馬七郎訳)、『最新・古代イスラエル史』、ミルトス、1993(1988)、466頁、4800円。
アメリカを中心とするプロテスタント、カトリック、ユダヤ教の学者8人による執筆。基本的にはオールブライト学派の人たちとのこと。「最新の研究結果を取り入れているが、考古学を過大に評価することには批判的で、結果的にはドイツの文献を重んじる立場に近くなっている」(樋口進『よくわかる旧約聖書の歴史』、p.5)

樋口進『よくわかる旧約聖書の歴史』(日本基督教団出版局、2001)の「序」に、古代イスラエル史に関する「よくわかる」文献案内があるので、それを参考にすると、だいたい国ごとに特徴があるようだ。

アメリカの学者のものとして、ジョン・ブライト(新屋徳治訳)『イスラエル史(上・下)』(聖文舎、1968)が代表作。ブライトはオールブライトの弟子。「考古学を重んじ、聖書の記事をそれによって確認していく傾向がある」とのこと。原著は1959年。

ドイツの学者のものとして、マルティン・ノート『イスラエル史』(樋口進訳、日本基督教団出版局、1983(19501,19788)、690頁、9500円)。さらに、マルティン・メツガー『古代イスラエル史』(山我哲雄訳、新地書房、1983(1977)、307+45頁)。メツガーのは、より新しい学問的成果を取り入れ、M.ノートを批判的に継承したものとのこと。

フランスの学者のものとして、R.ドゥ・ボー『イスラエル古代史――起源からカナン定着まで』(1977、988頁、現在オンデマンドで16800円)、『続 イスラエル古代史――士師時代』(1989、242頁、3570円)(西村俊昭訳、日本基督教団出版局)があるが、分厚すぎ。

シュミット、ティール、ハンハルト(大串肇訳)『コンパクト旧約聖書入門』(教文館、2009)の中のティール「イスラエル史」は「学問的に信頼できる歴史記述として推奨できるものである」(大島力による書評、『本のひろば』2009.5)とのこと。

S. サフライ、M. シュテルン編(長窪専三、川島貞雄、土戸清、池田裕、関根正雄訳)、『総説・ユダヤ人の歴史――キリスト教成立時代のユダヤ的生活の諸相』(上・中・下)、新地書房、1989-1992(1974-1976)。使徒言行録が「紀元前後の歴史と文化と宗教を明らかにする第一級の歴史資料としての価値を有する」ことを知る近年の研究成果として、土戸清が『使徒言行録――現代へのメッセージ』(日本基督教団出版局、2009)の中で繰り返し紹介している。訳者の「長窪」がときどき「永窪」になっているが、「長窪」が正解。

H.リングレン(荒井章三訳)、『イスラエル宗教史』、教文館、1976、399+115頁。

4.3 ユダヤ教

辞事典

長窪専三、『古典ユダヤ教事典』、教文館、2008、638頁、18900円。
紀元前3世紀〜後6世紀のギリシア・ローマ時代のユダヤ教の全領域を網羅する約2100項目を一人で執筆。事典本文は31〜575ページ。巻頭pp.15〜29の参考文献表は、「諸分野において斬新な発展を遂げた近年の研究成果を反映する1975年以降のもの」が中心。巻末に、ユダヤ史年表、ヘロデ家主要人物系図、アウグストゥス−テオドシウス朝のローマ皇帝、ユダヤ属州のローマ総督、ミシュナ・トセフタ・タルムード対照一覧、度量衡および通貨、ユダヤ暦と祭日の各一覧がある。欧文-和文項目対照表もあり。旧約外典偽典、死海文書はもちろん、フィロン、ヨセフス、ミシュナ、タルムード、トセフタ、その他ラビ文学を縦横に引照していて、一介の牧師が持つには専門的すぎる感じ。
古代イスラエル宗教までも包摂する「古代ユダヤ教」ではなく、ギリシア・ローマ時代の「古典古代」の時代のユダヤ教が対象。「そもそもユダヤ教という概念自体が、古代イスラエル宗教を継承しながらも、ギリシア・ローマ時代の歴史的諸状況のまっただ中でその遺産をさまざまに再定義し、再形成した、古代イスラエル宗教のいわば新形態を指す用語なのである。」(「序文」、p.3)。
吉見崇一(よしみ・しゅういち)、『ユダヤ教小辞典』、リトン、1997、220頁、2575円。

全般に関する入門的なもの

F.クリュゼマン、U.タイスマン編『キリスト教とユダヤ教』(大住雄一訳、教文館、2000)の巻末に書物案内がある。それを参考にしつつ記す。

池田裕、『旧約聖書の世界』(岩波学芸文庫B034)、岩波書店、2001。
最初は、『人間の世界歴史』の第1巻、三省堂、1982年。後に、三省堂選書166、1992年。コヘレトの言葉に沿いながら、旧約聖書の記事を縦横に紹介しつつ、旧約の時代の人々の生活や生き方、考え方を語る読み物。「ユダヤ教を知るためのよい書物。ユダヤ教、キリスト教、イスラムのルーツとしての旧約聖書のものの考え方を、興味深く紹介している」とのこと。
R.C.ムーサフ=アンドリーセ(市川裕訳)、『ユダヤ教聖典入門――トーラーからカバラーまで』、教文館、1990、220頁、2200円。
教文館の目録によれば、「ユダヤ教の思想と歴史を知ろうとする人がすべて知っておかなければならない聖典の基礎知識を分かりやすく網羅的に説明。聖書とその背景を知るための必読の案内書」とのこと。
J.ニューズナー(長窪専三訳)、『イエス時代のユダヤ教』(聖書の研究シリーズ38)、教文館、1992、208頁、2000円。
イエス時代のユダヤ人の生活、祭司・律法学者・パリサイ派・サドカイ派などはどんな人たちで、どんな思想の持ち主かなどが書かれているらしい。

その他、ユダヤ教の個々の具体的事柄の知識について、吉見崇一『ユダヤ教小辞典』、『ユダヤの祭りと通過儀礼』(リトン)が薦められている。

新しいところで、G. シュテンベルガー(A. ルスターホルツ、野口崇子訳)、『ユダヤ教――歴史・信仰・文化』、教文館、2015、224頁、2100円+税。「神の民への仲間入り」から始まって、家庭、学校と学習、律法遵守、シナゴーグ(会堂)、結婚と家庭、死・葬儀・来たるべき世と言った観点から叙述する。

M.ウェーバー『古代ユダヤ教』が古典的名著。ヴェーバー(内田芳明訳)『古代ユダヤ教』(上・中・下、岩波文庫白209-8、岩波書店、2004)。この訳者のその前は、みすず書房、1985。近藤先生によれば「ぜひ読め。全部読まなくても、預言者の部分とか」ということらしいのだが。。。序文も重要らしい。ユダヤ宗教史の社会学的問題?インドのカースト制度とユダヤ教終末論を比較?「パーリア」がキーワード?

マルチン・ブーバー(Martin Buber, 1878―1965)

『我と汝』 ("Ich Und Du," 1923)。
『ブーバー著作集1 対話的原理1』(谷口義弘訳、みすず書房、1967)に収録。単行本で『我と汝、対話』(1978、283頁、2940円)。岩波文庫にもある:『我と汝・対話』(植田重雄訳、岩波文庫青655-1、1979、500円)。

著作集はみすず書房から。『我と汝』の他に重要なのは『ハシディム』(平石善司訳、みすずライブラリー、みすず書房、1997、272頁、2625円)。

評伝は、平石善司『マルチン・ブーバー――人と思想』、創文社、1991、297頁、5460円。より詳しい評伝は、モーリス・フリードマン(黒沼凱夫、河合一充訳)、『評伝 マルティン・ブーバー――狭い尾根での出会い』(上下二巻)、ミルトス、2000、上:454頁、4500円、下:446頁、4500円。ブーバーの思想の紹介に、平石善司、山本誠作編、『ブーバーを学ぶ人のために』世界思想社、2004、290頁、2310円。

日本基督教団出版局から「マルティン・ブーバー聖書著作集」が刊行中。

第1巻『モーセ』(荒井章三、早乙女禮子、山本邦子訳、2002、286頁、4800円)。
第2巻『神の王国』(木田献一、北博訳、2003、320頁、5400円)。
第3巻『油注がれた者』(木田献一、金井美彦訳、2010、168頁、3675円)。

A.J.ヘッシェル(Abraham J. Heschel, 1907.1.11−1972.12.23)

ヘッシェルは、「マルティン・ブーバーと並ぶ20世紀最大のユダヤ教神学者にして、哲学者、倫理学者」(『イスラエル預言者』の森泉弘次による「訳者あとがき」)。

中村匡克訳、『人間とは誰か』、日本基督教団出版局、1977。
並木浩一監修、森泉弘次訳、『イスラエル預言者』(上・下)、教文館、1992、上:451+22頁、5000円、下:461+20頁、5000円。
原著は、"The Prophets," Harper & Row, New York, 1962。上巻巻末には「訳者あとがき」、下巻巻末には監修者並木浩一による「解説――ヘッシェルの預言者論に寄せて」あり。
森泉弘次訳、『人は独りではない――ユダヤ教宗教哲学の試み』、教文館、1998、334頁、4300円。
目録によれば、「存在の神秘に覚醒し、言葉で言い表しえぬものへの驚きのうちに神の充満を直観する神の現臨の信仰。<神の過剰なる愛>の展開」だそうだ。
森泉弘次訳、『人間を探し求める神――ユダヤ教の哲学』、教文館、1998、598頁、5800円。
『人は独りではない』の続編。目録によれば、「ホロコーストにさらされた民が経験する<神の人間への愛>とは?」。これ以前に、約半分を訳したもので手島郁郎訳『人間を探し求める神――ユダヤ宗教哲学』(キリスト聖書塾、1972)があった。
「数ある著作の中で、『人間を探し求める神』(教文館)は、律法に対する認識を大きく変える力を持つ本として、お勧めしたい。」(石川榮一、「ヘッシェルは今、語りかける」、『本のひろば』2007年2月号)
森泉弘次訳、『イスラエル――永遠性のこだま』、教文館、1999、270頁、2800円。
目録によれば、「パレスチナ分割以来、くり返されてきた中東戦争の平和的解決を求めて、ユダヤ教の神学者が展開したシオニズムの倫理的・神学的理念を私的な言葉で展開する」。これ以前に、石谷尚子訳『イスラエル――永遠のこだま』(ミルトス、1996)があった。
森泉弘次訳、『シャバット――安息日の現代的意味』、教文館、2002、184頁、1800円。
目録によれば、「多忙な生活の中で疲弊する現代人のために、人間にとって本質的な「時間」を取り戻す。アメリカの宗教書100選に選ばれたロングセラー」とのこと。
森泉弘次、末松こずえ訳、『神と人間のあいだ――ユダヤ教神学者ヘッシェルの思想入門』、教文館、2004、428頁、3150円。
40年来の高弟F.A.ロスチャイルドが、ヘッシェルの主要著作からその思想の真髄を抜き出してまとめたアンソロジー。未邦訳のものからの抜粋もある。
森泉弘次訳、『マイモニデス伝』、教文館、2006、348頁、2940円。
中世のユダヤ教学者モーゼス・マイモニデス(1135-1204)の評伝。マイモニデスは、トマス・アクィナスにも影響を与えた人物らしい。

評伝として、森泉弘次『幸せが猟犬のように追いかけてくる――A.J.ヘッシェルの生涯と思想』(教文館、2001、256頁、2500円)。

その他

F.クリュゼマン、U.タイスマン編(大住雄一訳)、『キリスト教とユダヤ教――キリスト教信仰のユダヤ的ルーツ』、教文館、2000、232頁、2000円。
ユダヤ教とキリスト教の比較ではなく、キリスト教信仰が、その中でユダヤ教と関わる部分をどう受け止め理解していくかのチャレンジャブルな試み。たとえば、旧約聖書と新約聖書の関係、ユダヤ教の神とキリスト教の神は同一か、ユダヤ人はイエスの死の責任があるか、なぜユダヤ人はイエスを信じないのか、ユダヤ人伝道の可否、安息日の問題、律法の問題、メシアの再来の問題などなど。31の短い論考集。一つあたり数ページなので読みやすい。しかし内容は、「翻訳者自身も、ここで議論されていることに反撥を感じたり、批判を覚えたりしています。まさにそのようにして議論に招かれているのです」(p.6)。執筆者はマルクヴァルト、モルトマン、レントルフから1965年生まれの研究者まで。翻訳は訳者の夫婦合作。巻末に用語解説付き。

5.ヘブライ語

聖 書

K.Elliger und W.Rudolph hg., "Biblia Hebraica Stuttgartensia," Fünfte, verbesserte Auflage, Deutsche Bibelgesellschaft, 1997.
略称BHS(ベーハーエス)。最新は第5版。

文 字

佐藤淳一、『はじめてのヘブライ語』、ミルトス、1993、208頁、2300円。
現代ヘブル語の超入門書だが、ヘブル語の書き順から書いてある。
小田島修治(本間敏雄監修)、『ヘブライ語で遊ぼう』、日本基督教団出版局、2009、120頁、1575円。
絵はしおたになおや。

「ヘブライ語の頁」の中に、「ヘブライ文字(活字体)の書き方」がある。

入 門

Menahem Mansoor, "Biblical Hebrew: Step-By-Step," Baker Pub. Group, 19792 (ISBN: 0801060419) 。姉妹編に"Biblical Hebrew Step by Step: Readings from the Book of Genesis," 19843 (ISBN: 0801061512) がある。とか、野口誠、野口良哉、『聖書ヘブル語四週間』、いのちのことば社、1994などが入門的か。

キリスト聖書塾編集部編『ヘブライ語入門』改訂版、日本ヘブライ文化協会、2004、498頁、4500円。これは、1985年にキリスト聖書塾から発行されたものの改訂版。従来ワープロ版であったものをコンピュータによるフォントに全面改訂したとのこと。また、第3部「聖書ヘブライ語」を、最新のヘブライ語研究の成果を盛り込んでリニューアルしたらしい。

辞 書

辞書はBDBが必須。巻末の聖書箇所索引から引く。私が使っているのは、Francis Brown, S.R. Driver and C.A. Briggs, "A Hebrew and English Lexicon of the Old Testament: With an Appendix Containing the Biblical Aramaic," Oxford: Clarendon Press, 1952 corrected Ed. 今売られているのは、"The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon: Coded With the Strong's Concordance Numbers," Hendrickson Publichers, 1996reprint. (ISBN: 1565632060)

名尾耕作編『旧約聖書ヘブル語大辞典』(改訂3版、教文館、2003、1486頁、4万円)というすごい辞書もある。元々聖文舎から出たもの。誤植が訂正されたという。アラム語の辞典の部分は高橋虔(まさし)。説教準備にきちんとヘブル語にあたりたいけど、変化を覚えていない(覚える気のない)人で、BibleWorksを使えない(パソコン使えないor英語が苦手)人向き。

文法書

わたしは神学校で左近義慈編著『ヒブル語入門』(教文館、202頁、1966)を使ったが、独学には向かないだろう。巻末に、有名な聖書箇所を取り上げた文法解説があるので勉強になる(創世記1:1-2:4a、詩編23篇、イザヤ書40:1-8)。

2011年に、本間敏雄による改訂増補版が出た。456頁、5250円。基礎的な構文論やマソラ本文に関する補説などが追加されているらしい。特に、新しく書き加えられた第10講「文の構造(構文論)」(第33〜37課)は68ページにも及ぶとのこと。第11項の「読習脚注」では、原著の「旧約聖書の書名と配列」が第二ラビ聖書に依っていたのを、レニングラード写本に変更。第12項「補説 本文の諸現象(補注一覧)」も新たに書き加えられたもの。鍋谷堯爾の書評、『本のひろば』、2011.11、p.4。

Weingreenの文法書がなかなかよい。Jacob Weingreen, "A Practical Grammar for Classical Hebrew," Oxford University Press, 19592 (ISBN: 0-19815422-4). 初版は1939年。

Weingreenのは邦訳がある。J. ワイングリン(鍋谷尭爾監修、鍋谷堯爾、宮崎茂訳)、『実践旧約ヘブル語文法』、いのちのことば社、1996、429頁。

本格的な文法書はGKC("Gesenius' Hebrew Grammar," Oxford University Press, 19102 (ISBN: 0-19815406-2)。As edited and enlarged by the late E. Kautzsch, second English edition revised in accordance with the 28th German edition (1909) by A. E. Cowley. GeseniusとKautzschとCowleyの頭文字を取ってGKC。今売られているのは1995年のreprint版か。巻末の聖書箇所索引から引く。

それにしても、文法解析には、BibleWorksが手放せない(^^;。

釈義事典(辞典)

日本語のものはない。

Ernst Jenni und Claus Westermann ed. (Trans. by Mark E. Biddle), "Theological Lexicon of the Old Testament," 3vols., Hendrickson Publishers (Peabody, Massachusetts), 1997. (ISBN: 1-56563-133-1)
これの原著は、Hrsg. von Ernst Jenni und Claus Westermann, "Theologisches Handwörterbuch zum Alten Testament," 2 Bde, Chr. Kaiser Verlag (München) / Teologischer Verlag (Zürich), Bd1:1971, Bd2:1976.で、現在はGütersloher Verlangshaus, 1994らしい。

論文書くとか専門に勉強したいという場合でない限り必要ないと思うが、知っておくべきものは、ThWATと言われているもの。Hrsg. von G.J.Botterwerk, H.Ringgren und Heinz-Josef Fabry, "Theologisches Wörterbuch zum Alten Testament," 10 Bde., W. Kohlhammer (Stuttgart)、1973-. Band1-8はヘブル語で1973-1995に出た。Band9はアラム語で、何分冊かになるらしいがたぶん現在のところ2001年に一つ出ただけで未完。Band10は索引と追加文献で、2000に出た。原著刊行情報はこちら
この英訳が、G.J.Botterwerk, H.Ringgren and Heinz-Josef Fabry ed., "Theological Dictionary of the Old Testament," Eerdmans Publishers (Grand Rapids, Michigan), 1974-. 2004年7月にvol.14(sakanשָׁכַןまで)が出た。

その他

日本ヘブライ文化協会聖書ヘブライ語のページに、ヘブライ語の入門、文法、辞書の文献表あり。

ちなみに、旧約聖書の中でアラム語で書かれている部分は、創世記31:47「エガル・サハドタ」、エズラ記4:8〜6:18、7:12〜26、エレミヤ書10:11、ダニエル書2:4b〜7:28。

6.注解書

注解書のシリーズ

日本語

とりあえずひとまとまりになっているもの : 『新共同訳 旧約聖書注解(T〜V)』 (高橋虔、B.シュナイダー監修、日本基督教団出版局)、 『新共同訳旧約聖書略解』 (木田献一監修、日本基督教団出版局、2001)。

ATD (ATD・NTD聖書註解刊行会)
現代聖書注解 (日本基督教団出版局)
まだ出ていないのは、レビ記、士師記、サムエル記上下、歴代誌上下エステル記箴言雅歌哀歌。(2013年3月現在)
コンパクト聖書注解 (登家勝也監修、教文館)
既刊は、創世記(T、U)(C.ヴェスターマン、1993/1994)、民数記(B.マールシンク、1995)、ヨブ記(A.ファン・セルムス、2002)、箴言(L.A.スネイデルス、2000)、伝道の書(J.A.ローデル、1994)、エゼキエル書(T、U)(M.デイクストラ、2004/2006)のみ。(2006年にエゼキエルUが出た以降、2013年3月現在も変わらず。)
ニューセンチュリー聖書注解(日本基督教団出版局)
英語圏の注解書シリーズの翻訳。日本語版監修者は、絹川久子、鈴木佳秀、月本昭男、永田竹司、樋口進、山田耕太。
レビ記(P.J.バッド、山森みか訳、2009)、歴代誌 上・下(H.G.M.ウィリアムソン、杉本智俊訳、2007)、雅歌(ジョン・G.スネイス、竹内裕訳、2011)、イザヤ40-66(R.N.ワイブレイ、高柳富夫訳、2012)、コヘレト(R.N.ワイブレイ、加藤久美子訳、2013)。(2013.3現在)
「説教者のための聖書講解」 or 「アレテイア――釈義と黙想」の合本(日本基督教団出版局)
既刊は、創世記、イザヤ書、12小預言書のみ(いずれも「説教者のための聖書講解」)。
リュティの講解説教集の邦訳
説教集を挙げていたらきりがないので取り上げないつもりだが、リュティのものはたいへん参考になるので記しておく。創世記の講解説教は『アダム』(1972)、『アブラハム』(1973)、『ヤコブ』(1974)の三冊から成っている。その他、『預言者サムエル』(1977)(サムエル記上の講解)、『預言者ネヘミヤ』(1987、2010オンデマンド)、『伝道者ソロモン』(1975)(伝道の書の講解)、『預言者ダニエル』(1978)、『預言者アモス』(1975)、『預言者ハバクク・マラキ』(1982)が出ている。訳者は、『アモス』のみ大串元亮、その他はみな宍戸達。

その他、ケンブリッジ旧約聖書注解(新教出版社)、デイリー・スタディー・バイブル(新教出版社)。

関根正雄の聖書註解:創世記(原初史の部分のみ)、申命記、ヨブ、詩編、イザヤ(第一イザヤのみ)、エレミヤ。

英 語

使えるかどうか調べるべき英語の注解書シリーズは、AB、ICC、NIC、WBC。それとBKの英訳。

創世記のうちの原初史

日本語の注解書

ATD(フォン・ラート、原著197610): 第1巻は25:18まで。創世記全体で2巻。原初史の部分はJとPに分けすぎ。

現代聖書注解(ブルッグマン、原著1982): わりといいこともある。スタディ版は、C. B. シンクレア(小友聡訳、2011)。

コンパクト聖書注解(ヴェスターマン、原著1986): 創世記全体で2巻。BKの注解の簡易版の邦訳。

月本昭男、『創世記注解 (1) 1章1節〜11章26節』(リーフ・バイブル・コメンタリーシリーズ)、日本基督教団宣教委員会「"現代の宣教"のための聖書注解書」刊行委員会(発売:日本基督教団出版局)、1996、364頁。

関根正雄: 著作集13・・・11:9まで

説教者のための聖書講解

英語の注解書

AB(Speiser): 簡単すぎ。いらない。

ICC(Skinner, 19101,19302): 何ともすぐには分からないが、古い。

NIC(Hami Hon, 1990): 全2巻。第1巻Chap.1-17は522頁。関連する新約の箇所を上げて説明しているのが特徴的。

WBC(Wenham, 1987): 全2巻。第1巻Chap.1-15は352頁。試訳、文法解析、構造、節ごとの釈義などしっかりしている。

BKの英訳(Westermann, 1984): ドイツ語19741,19762の英訳。Trans. by J.J.Scjllion S.J. 全3巻で、第1巻Chap.1-11は636頁。アメリカ版はMinneapolis: Augsburg Publishing House (ISBN:0-8066-1962-7)。イギリス版はLondon: SPCK (ISBN:0-281-04033-8)。

・・・・・ということで、最も手頃なのはWBCかな。

講 解

ボンヘッファー(生原優訳)、『創造と堕落』(新教新書)、新教出版社、1962(19371,19584)。
1997年に「名著復刊」として復刊。しかし、ボンヘッファー選集9『聖書研究』に収められている方が翻訳の誤りが訂正されているらしい。さらに、『ボンヘッファー聖書研究 旧約編』(新教出版社、2005)所収。これは、ドイツの新しいボンヘッファー全集"Dietrich Bonhoeffer Werke"を底本として前訳を生かしつつ改訳されたようだ。タイトルも「創造と堕罪」に変更されている。
ヴァルター・リュティー(宍戸達訳)、『アダム 創世記講解1-11章』、新教出版社、1972(1966)、301頁、2400円。
最初は「教会のための創世記講解」シリーズとして出た。後に、「新教出版社セミナーブック――20世紀の遺産」として復刊。『アブラハム』、『ヨセフ』もある。

左近淑、『左近淑著作集 別巻 聖句研究』・・・1:2-5, 1:28, 2:1-3, 2:18, 4:3-7

小泉達人『創世記講解説教』(新教出版社、1992)は簡単すぎなので、いらない。

神 学

フォン・ラート、『旧約聖書神学』
カール・バルト、『教会教義学』の中の「創造論」
クラウス・ヴェスターマン(西山健路訳)、『創造』(現代神学の焦点7)、新教出版社、1972(1971)。
B.W.アンダーソン(高柳富夫訳)、『新しい創造の神学――創造信仰の再発見』(聖書の研究シリーズ58)、教文館、2001、408頁、3500円。
J. モルトマン(沖野政弘訳)、『組織神学論叢2 創造における神≪生態論的創造論≫』、新教出版社、1991(原著1985)。

特殊研究

野本真也、「創世記第一章第一節に関する一考察」 (『基督教研究』第38巻、1974.5)
野本真也、「神の像としての人間――創世記1章26〜27節研究」 (『基督教研究』第40巻第2号、1977.4)
左近淑、「旧約聖書における安息日」 (『左近淑著作集 第二巻 聖書の理解』、教文館、1994)
中沢洽樹、「神の像(Imago Dei)の聖書学的考察」、「創世記1章1-3節の解釈について」、「エデンの園の二つの樹」、「楽園喪失」(『中沢洽樹選集 第1巻』、キリスト教図書出版社、1998)。
大島力、「聖書の世界観と現代社会の諸問題――原初史(創世記1-11章)と現代」(青山学院大学キリスト教文化研究センター編、『聖書と共同体の倫理』、教文館、2001)。
この本には、大谷登士雄「序――バベルの塔と信仰共同体」もあるようだ。
大住雄一、「ノアの子らの系図――聖書の中の世界」 (『神学』64号、2002)
リュティ『アダム 創世記講解1-11章』(宍戸達訳、新教出版社)には、創世記第10章からの説教はない。ブルッグマンは、「このテキストが今日の説教に有用であるとは思えない」と言う(向井考史訳『現代聖書注解 創世記』日本基督教団出版局、1986、p.170)。しかし、この論文を読むと、説教になりそうな示唆が多く与えられる。
小友聡、「旧約聖書における「神の像」――創世記1章26〜28節をめぐって」 (東京神学大学総合研究所『紀要』9号、2006)

左近淑、『旧約の学び 上』、日本基督教団出版局、1982。は何だろうか?

創世記の研究書についてもっと詳しくは、樋口進先生の「創世記研究書」のページがある。

出エジプト記

ATD(): 2008.6現在未刊。
B.S. Childs: 近藤十郎訳、日本基督教団出版局、1994、上下2巻、上:548頁、8869円、下:514頁、8869円。
現代聖書注解はTerence E. Fretheim。スタディ版も出た(J.D.ニューサム(大串肇訳)、2010)。
AB(William H. Propp, 2vols., 1999, 2006): Vol.1: Ch.1-18, Vol.2: Ch.19-40。
ICC(): 2008.6現在未刊。
WBC(John I. Durham, 1987): 516頁。チャイルズと同じ手法での注解か。
OLTのシリーズは、M. NothのATDの英訳(1962)のあと、B.S. Childs(1974)。
BKのドイツ語のシリーズは、W. H. Schmidt(1974, 1977, 1983)の三巻本だが、英訳はまだ出てない模様。

英語圏でも、B.S.Childsを筆頭に、新しいABと、WBCとフレットハイムが定番のようである。

というわけで、揃える注解書としては、チャイルズとフレットハイムの日本語訳の他、ABを手元に置くという感じか。

20世紀の出エジプト記の註解の歴史としては、U. Cassuto, "Commentary on Exodus" Trans. I. Abrahams. Magnes, 1967.が重要らしい。

ヨブ記

岩波文庫の関根正雄訳は、巻末(pp.219-229)の「解説」で、構成、主題、成立について述べている。

並木浩一

旧約聖書翻訳委員会訳『旧約聖書W 諸書』(岩波書店、2005)に、並木浩一による「ヨブ記」の翻訳と詳細な訳注がある。
節の移動は、24:9を3節の後に。26:1〜4を14節の後に。25:1〜6に続けて26:5〜14をビルダドの第3回弁論として。
特に従来の諸訳と異なるのは42:6b。
並木浩一によるヨブ記の緒論としては、岩波訳の合本が出る前の分冊版の『旧約聖書]U ヨブ記 箴言』(2004)の巻末(pp.307-358)に「ヨブ記 解説」がある。
並木浩一、『「ヨブ記」論集成』、教文館、2003。
ヨブ記における否定、文学としてのヨブ記、神義論とヨブ記、ヨブ記における相互テクスト性、神から叱責されて賞賛されたヨブの正しさについて、ヨブ記とユダヤ民族の精神、マルガレーテ・ズースマンとヨブ記
加藤常昭が『文学としての説教』(日本基督教団出版局、2008)の中で並木浩一の「文学としてのヨブ記」と対論している。
並木浩一、『並木浩一著作集1 ヨブ記の全体像』、日本基督教団出版局、2013、331+5頁、4000円+税。
並木浩一、『並木浩一著作集2 批評としての旧約学』、日本基督教団出版局、2013。
この中にも「ヨブ記」論があるようだ。

注解書以外

佐々木勝彦、『理由もなく――ヨブ記を問う』、教文館、2011、336頁、1995円。
第一部で、『ヨブ記』のヨブと友人たちの議論を整理し、ヨブ記全体の筋を明らかにした後、第二部で、ユング、R.ジラールの解釈を検討し、第三部で、K.バルト、G.グティエレスのヨブ記論を紹介している。
北森嘉蔵、『ヨブ記講話』、教文館、2006。
「自乗された神」とか「神と神が対決する」などの観点や文体も、著者の神学を当てはめてヨブ記を読んでいる感じ。これはこの著者の他の書物でも同じような傾向がある。最後にクライマックスがあるのではなく、「富士山型」の構造であることを繰り返し強調する。カルヴァンが「神の前には星も清からず」と言ったことに2か所で言及している(p.109, 177)。
宮本久雄、『「ヨブ記」物語の今日的問いかけ――苦難・神・他者の発見』、新世社、2006。
小畑進、『ヨブ記講録』、いのちのことば社、2004。
山内清海、『「ヨブ記」を読む』(聖母文庫)、聖母の騎士社、2001。
もとは、中央出版社、1993。
内坂晃、『講解説教 ヨブ記』、教文館、1999。
カルロ・マリア・マルティーニ(今道瑤子訳)、『ヨブ記の黙想――試練と恵み』、女子パウロ会、1991。
G. グティエレス(山田経三訳)、『ヨブ記――神をめぐる論議と無垢の民の苦難』、教文館、1990。
宍戸好子、『祈るヨブ』、日本基督教団出版局、1986、163頁。
現在、オンデマンド版で2310円。ヨブの祈りの部分を取り上げたもの。語句の解説つき。
清水恵三、『手さぐり人生入門――ヨブ記による黙想』(シリ-ズ・聖書に聞く)、教文館、1984。
向後昇太郎、『主は与え主は取られる――ヨブ記のメッセージ』、いのちのことば社、1982。
C.G. ユング(野村美紀子訳)、『ヨブへの答え』、ヨルダン社、1981(1952)。
ロバート・ゴルディス(船水衛司訳)、『神と人間の書――ヨブ記の研究(上、下)』(聖書の研究シリーズ)、教文館、上:1977、下:1979(1965)。
中沢洽樹、『ヨブ記のモチーフ』、山本書店、1978。
佐藤陽二、『ヨブ記講解――苦難の意義』(新教新書)、新教出版社、1971。
カール・バルト(西山健路訳)、『ヨブ』、新教出版社、1969。
浅野順一、『ヨブ記――その今日への意義』(岩波新書青693)、岩波書店、1968。
浅野順一、『ヨブ記の研究』(浅野順一著作集第八巻)、創文社、1983(1962)。

詩 編

最近の詩編

月本昭男、『詩篇の思想と信仰』、新教出版社。T:1〜25編、2003、364頁、3360円。U:26〜50編、2006、327頁、3360円。V:51〜75編、2011、344頁、3360円。W:76〜100編、2013、380頁、3200円+税。
C. ヴェスターマン(大串肇訳)、『詩編選釈』、教文館、2006(1984)、422+3頁、4200円。
高橋三郎、『ダビデの歌 詩篇第一篇〜第四一篇講義』、教文館、2004、402頁、5040円。
高橋三郎、月本昭男、『エロヒム歌集 詩篇第四二篇〜第七二篇講義』、教文館、2008、352頁、3675円。
佐々木勝彦、『まだひとことも語らぬ先に――詩編の世界』、教文館、2009、224頁、1890円。

詩編その他

左近淑、『詩篇研究』(新教セミナーブック)、新教出版社、426頁、3800円+税。
C.S.ルイス(西村徹訳)、『詩篇を考える』、新教出版社、200頁、2000円+税。

最近の雅歌

現代聖書注解: ロバート・W・ジェンソン(水野隆一訳、2008)。
佐々木勝彦、『愛は死のように強く――雅歌の宇宙』、教文館、2010、253頁、1890円。
第T部の「『雅歌』を問う」では、榊原康夫、ゴルヴィッツァー、ジェンソンらの見解を取り上げつつ、雅歌を愛の成熟過程として読む。第U部「『雅歌』とアレゴリー」では、オリゲネス、ニュッサのグレゴリオス、ベルナルドゥスによる「寓喩的解釈」を紹介し評価。第V部「パウロと愛」は愛についてパウロのテキストを論じる。
ニューセンチュリー: ジョン・G. スネイス(竹内裕訳、2011)。

目に留まったエレミヤ

現代聖書注解(クレメンツ): 佐々木哲夫訳、1991、359頁。

関根正雄: 著作集14-15。

C. ヴェスターマン(大串肇訳)、『預言者エレミヤ』、新教出版社、1998(1967)、167頁、1890円。
「預言者エレミヤの苦難から、第二イザヤの神の僕の代理的苦難を越えて、さらにイエス・キリストの代理的・贖罪的苦難へと、道は通じている」(p.154)。