2015.11.23更新
印が主な更新個所です。)

■聖書の翻訳と解釈学

0.聖書の入門、概説

信徒を対象に語ることを想定して、その内容は、次のような感じになるだろう(試行錯誤中)。1.聖書が神の言葉であること(イエス・キリストについての証言、神の言葉)、2.旧約聖書と新約聖書(bibleという言葉、古い契約と新しい契約)、3.正典(正典化の原理と過程)、4.順序と分類、5.言語、6.各文書の成立(成立年代、著者、書かれた理由など)、7.写本(本文批評、エピソード)、8.翻訳、9.日本語訳聖書のいろいろ。

聖書の文書成立の歴史

聖書の文書としての成立から現代に至る歩みについて。(つまり、ここでの「歴史」とは、聖書時代史でも聖書に記述された救いの歴史でもない)。また、ここでの「概説」とは、「概論」でも「総論」でも「概観」でもいいのかもしれないが、しかしいわゆる緒論や通論ではなく、言語、形態と結集・正典化、写本、翻訳、製本・頒布などの概略のことである。

平易な内容で一冊の本になっているもの

佐藤邦宏、『バイブル・ロード――聖書の通ってきた道』、教文館、1992、182頁、1800円。
旧約聖書の成立、ヘブライ語聖書と現代のプロテスタントの旧約聖書との順序の違い、マソラ学者、七十人訳について、新約各書の成立と正典化、主要な写本の紹介、現代までの翻訳とその理念、日本の聖書の歴史、聖書の出版事業と頒布を簡潔に語る。付録は、『礼拝と音楽』57号(1988)掲載の「聖書 新共同訳について」。佐藤邦宏は、1932.4.21-2012.3.27。
浜島敏、『聖書に命をかけた人々――聖書翻訳秘話』、ヨルダン社、2001、176頁、1300円。
写本の話と翻訳の話。様々な人がエピソードと共に紹介されている読み物。
姉妹書で、『神さまからの手紙(ラヴ・レター)――聖書のお話』(ヨルダン社、2001、161頁、1600円)の第5章「聖書の保存と写本」が、写本にまつわる話や日本語訳に表れた異読箇所など参考になる。全体的に「保守的なバプテストの立場」で書かれているが、それにしても写本の話の中で文書仮説に触れるのはおかしい。
『聖書の世界・総解説』、自由国民社、1984初版、1998改訂版、2001全訂新版、480頁、2625円。
加筆されたり版組、構成レイアウトが一新されてたびたび版が新しくなっている。2001全訂新版は、関根正雄の2ページしかない駄文としか思えないものがやはり削除されただけで、後の執筆者は1998改訂版と同じ。ただし、編集委員として木田献一、山内眞、土岐健治の3名が明記された。
内容は、聖書の各文書(外典・偽典も含む)の紹介(内容概観、著者・場所・目的、思想的特色など)が中心。「聖書の歴史の概説」に関わるものとしては、土岐健治「死海(クムラン)写本――発見と研究の経緯」が、発見から公刊までのドキドキする紆余曲折した経緯を紹介していておもしろい。他に、関谷定夫「旧約聖書正典の成立」、川島貞雄「新約聖書正典の成立」も、もしかしたら少しは役立つかもしれない。

浅見定雄『旧約聖書に強くなる本』の最初の「総論」部分が、聖書全体の中での旧約、キリスト教と旧約、ユダヤ教との相違、旧約の内容と順序など。

専門家の執筆だが簡潔なもの

木田献一監修『新共同訳 旧約聖書略解』(日本基督教団出版局、2001)の序章が「旧約聖書とは」で、名称、言語、正典の範囲、配列、本文成立過程などを監修者が7ページで概説。山内眞監修『新共同訳 新約聖書略解』(日本基督教団出版局、2000)の序章が「新約聖書とは」として、名称、言語、写本、正典、釈義、各文書の思想的特色を監修者が12頁で概説している。

『総説 新約聖書』(1981)の川島貞雄による「第1章 序説」の中の第四節が「新約聖書の言語と本文」で、言語、写本、本文批判。

新約聖書の概説書関係では他にはない。旧約聖書の聖書知識、緒論で何かないか。

浅野順一『旧約聖書を語る』(NHKブックス351、日本放送出版協会、1979、206頁、700円)は、NHKラジオでの旧約聖書全体にわたる講話に筆を加えたもの。「T 旧約聖書について」で、聖書、契約、旧約の構成、思想、新約との関係を語る。巻末に1977年頃の時点での日本語参考文献あり。浅野順一のもので古くは『旧約聖書入門』(アルパ新書、日本基督教団出版局、1963)がある。

この分野で相当張り切って書かれたもの

田川建三、『書物としての新約聖書』、勁草書房、1997。
さて、どう紹介・コメントしてやったらいいだろうか・・・思案中。

その他

さして重要ではないが、もしかしたらここでの関心に役立つかもしれないもの・・・川村輝典『キリスト教入門1 聖書』(日本基督教団出版局、1977)の「第三章 聖書の成立」の部分。船本弘毅『教会生活の手引き4 聖書――聞くことと語ること』(日本基督教団出版局、1979)の第二章第一節と第二節の「旧約聖書の成立」、「新約聖書の成立」。

写本家のエピソードや本文批評のおもしろさは、ヴュルトヴァイン『旧約聖書の本文研究』、メツガー『新約聖書の本文研究』を見る。

大島力、『聖書は何を語るか』、日本基督教団出版局、1998、118頁、900円。聖書についての入門的概説。内容は、旧約聖書の全体像と中心的テーマ(契約、選び、残りの者、低きに降る神)、新約聖書の全体像と中心的テーマ(神の国の福音、贖罪の信仰、愛の教え、キリストの来臨)、文学としての聖書、正典としての聖書。ルツ、エステル、雅歌、哀歌、ヨナを「知恵の書」に入れているのは独特か。

聖書入門

2015.11.23全面的に更新

聖書入門書や聖書入門を含む書で、信仰的で、比較的最近のものだったり、信頼できるもの。

塩谷直也、『信仰生活の手引き 聖書』、日本基督教団出版局、2012、152頁、1365円。
「触れる」「読む」「出会う」「生きる」「語る」の5章。
日本キリスト教団出版局『信徒の友』編集部編、『聖書の学びは楽しい』(TOMOセレクト)、日本基督教団出版局、2010、144頁、2100円。
渡辺善太、榎本保郎、浅野順一、高橋三郎、浅見定雄、渡辺正男、村上伸、出村彰、大嶋力、小島誠志、月本昭男、阿刀田高と小中陽太郎の対談、佐古純一郎、熊澤義信、左近淑、池田裕、大宮溥、小塩節、藤木正三、絹川久子、鈴木真也、関茂、広瀬牧子、疋田國磨呂、佐野安雄、具志堅篤。巻末付録に並木浩一「旧約聖書を楽しく読む」。B5判だが、四六判とかで単行本で出しても良いと思われる充実した内容。
関川泰寛、『ここが知りたいキリスト教――現代人のための道案内』、教文館、2010、238頁、1890円。
第1章と第2章が旧約聖書と新約聖書についての紹介。
マクグラス(本多峰子訳)、『総説 キリスト教――はじめての人のためのキリスト教ガイド』、キリスト新聞社、2008、726頁、7875円。
「聖書入門」「旧約聖書」「新約聖書」といった章あり。
船本弘毅、『教会生活の手引き4 聖書――聞くことと語ること』、日本基督教団出版局、1979。

原田博充『初めて聖書を学ぶ人に――福音書とその真理』(日本基督教団出版局、2012、160頁、1470円)は、イエス・キリストの生涯を語った全10講だが、キリスト教大学での共通必須授業の講義そのままという感じの読み物なので、教会の学びとしては使いづらい。むしろ、キリスト教学校の中学生向けの教科書だが、福万広信『聖書』(日本基督教団出版局、2013、94頁、800円+税)の方が(天地創造から弟子たちの宣教まで全10講)私としては使いやすい。

1.翻 訳

1.1 聖書翻訳の歴史

古代語訳については『旧約聖書の本文研究』、『新約聖書の本文研究』、その他事典項目を見る。

『聖書の世界・総解説』(自由国民社)の中の、土岐健治「聖書翻訳小史」は、タルグム、LXX、ウルガタから宗教改革期、英語訳、日本語訳をわずか10ページ(1998改訂版。2001全訂新版では14ページ)で紹介。浜島敏『聖書に命をかけた人々』(ヨルダン社、2001)は翻訳者たちのエピソードがたくさん載っている信徒向けの本。佐藤邦宏『バイブル・ロード』(教文館、1992、181頁、1800円)は、正典化から新共同訳までを信徒向けに紹介。

『世界日本キリスト教文学事典』(教文館、1994)の「聖書の翻訳」の項に、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、日本語の聖書翻訳の歴史が5ページ分の分量で記されている。

日本語訳聖書の歴史

海老澤有道、『日本の聖書――聖書和訳の歴史』(講談社学術文庫906)、講談社、1989、439頁、1000円。
1964年に日本基督教団出版部から初版、1981年に新訂増補版。その後さらに改訂されたもの。キリシタン時代から大正改訳まで。『聖書翻訳研究』No.12(日本聖書協会、1976)に「聖書和訳史補遺」があるが、この内容も盛り込まれているのかな?
門脇清、大柴恒、『門脇文庫日本語聖書翻訳史』、新教出版社、1983、420頁、3800円。
共同訳までと1980年位までの私訳を網羅。

辞典項目としては、『キリスト教大事典』の「日本語聖書」の項、『旧約新約聖書大事典』の山我哲雄「日本の聖書」の項、『日本キリスト教歴史大事典』の海老沢有道「聖書の翻訳」の項を見る。

その他、『新共同訳聖書辞典』(キリスト新聞社、1995)の付録pp.23-30に、木田献一「日本における聖書翻訳の歴史」あり。『聖書の世界・総解説』(自由国民社)に川島第二郎、土岐健治「初期日本語訳聖書と中国語訳聖書」あり。簡潔な読み物として、佐藤邦宏『バイブル・ロード――聖書の通ってきた道』(教文館、1992)の第7章が聖書の日本語訳の歴史を取り上げている。

上智大学キリスト教文化研究所編、『日本における聖書翻訳の歩み』、リトン、2013、154頁、2000円+税。佐藤 研「福音書翻訳のむずかしさ――個人的所感」、小高毅「フランシスコ会聖書研究所訳注の合本刊行を終えて――伝統的釈義と現代の釈義の相克」、渡部信「日本における聖書翻訳の歩み」、山浦玄嗣「ケセン語訳聖書からセケン語訳聖書へ」、佐久間勤「キリシタンは聖書について何を学んでいたのか――ペドロ・ゴメスの『神学要綱』に見る聖書理論」。

英語訳聖書について

田川健三、『書物としての新約聖書』。
A.ギルモア(本多峰子訳)、『英語聖書の歴史を知る事典』、教文館、2002、230頁、3000円。
必携。辞典の形式ではあるが、本文批評の用語から各種英訳聖書の説明や翻訳に関わった人名など豊富。翻訳にまつわるエピソードも楽しい。かなりすぐれた本で超うれしい。
牧内勝、『注解付き 英文聖書を読む――「ルカ福音書」でたどるイエスの生涯』、教文館、2001、106頁、2800円。
「まえがき」pp.5-11で、英語訳聖書の歴史が概観されている。
関谷定夫、「聖書翻訳の歴史――古代語訳・現代語訳」 (『新共同訳聖書辞典』、キリスト新聞社、1995、付録pp.11-22)。
現代語訳として、主な英語訳とドイツ語訳を紹介。

永嶋大典(ながしま・だいすけ)『英訳聖書の歴史』(研究社、1988、212頁、2600円)は、英文学者の立場から、聖書の成立とLXXから邦訳の新共同訳までを比較していておもしろい。Gen1:1-5とMat6:9-13を中心に実際の英文を頻繁に例に挙げている。浜島敏『聖書に命をかけた人々』(ヨルダン社、2001)にも英語訳聖書についての記述がある。S.プリケット、R.バーンズ(小野功生訳)『聖書:その構造・解釈・翻訳』(新教ブックス、新教出版社、1993、270頁、2800円)のpp.200-220に欽定訳、改訂訳、新英訳、グッド・ニューズ・バイブルの解説と批判あり。八代崇監修、大居雅治、佐藤哲典、松本利勝、『キリスト教資料集――キリスト教史・新共同訳聖書・聖公会』(聖公会出版、1992、147頁、1900円)のp.113に「主な英訳聖書系統図」あり。

翻訳の理論、方法論

2010.10.20全面的に更新

日本聖書協会「聖書翻訳研究」のバックナンバーのページ

小泉達人「UBSの聖書翻訳の指針」(『聖書翻訳研究』1号、日本聖書協会、1970)。

石川康輔「よりよい訳文を目指して――聖書翻訳方針の諸側面」(『聖書翻訳研究』25号、日本聖書協会、1991.3)。

中沢洽樹「聖書翻訳の問題」(『中沢洽樹選集』第1巻、キリスト教図書出版社、1998)。

現代語訳の分類

聖書の現代語訳は、翻訳者の点から主として、a) 礼拝での使用を目的として委員会を組織して翻訳した委員会訳、b) 一人で訳した個人訳、c) 数名の共同作業による共訳あるいは同人訳の三つに大別される。

一方、翻訳の目的あるいは対象とする読者の点からは、a) 礼拝用、b) 一般の教養人向け、c) 平易な啓蒙用に大きく分けられる。

翻訳の方法からは、a) 直訳、b) 意訳、c) 敷衍訳に大別できる。直訳が原文の語句に忠実な訳であるとすれば、意訳は原文の意味に忠実な訳である。敷衍訳は、難解な箇所を別の言葉で平易に言い換え、必要に応じて説明を加えた訳である。

(以上、中沢洽樹「聖書翻訳の問題」(『中沢洽樹選集』第1巻、キリスト教図書出版社、1998を参考にした。)

1.2 主な日本語訳聖書

礼拝での使用を目的とした日本語訳(個人訳以外、プロテスタント)

明治元訳(めいじもとやく)、新約:1880年(明治13年)、旧約:1888年(明治21年)。
特に新約が大正改訳の元ということで、「明治元訳」とか単に「元訳」と呼ばれるが、旧約も含めて全体で「元訳」「明治元訳」という場合も多い。
「明治の文語訳は翻訳として非常に好評であるが、それは一つには原文とかなりかけ離れた調子で、非常に勝手に日本語化しているからである。」関根正雄『関根正雄著作集 第四巻 旧約聖書序説』、p.43。
「元訳」を「もとやく」と読むのは常識の範疇なのであるが、キリスト教に触れる生活をしていないと分からないことかもしれない。きちんと振り仮名を振っているものとして、たとえば、『新日本古典文学大系 明治編12 新体詩 聖書 讃美歌集』(岩波書店、2001)の松田伊作による解説、p.580。
大正改訳、新約:1917年(大正6年)。
旧約は、元訳と同じ。
口語訳、新約:1951年(昭和26年)、旧約:1955年(昭和30年)。
日本聖書協会。底本の情報などを記した前書きがないのは、聖書本文以外を収めることはふさわしくないという当時の判断による。「聖書では、本文以外のものを巻内に収めることは不当であると認め、これを別冊として出すことにした。」『口語 新約聖書について』日本聖書協会、1954、p.2。
この『口語 新約聖書について』(1954)は日本聖書協会のサイトでpdfで読める。山谷省吾「口語新約聖書ができるまで(聖書翻訳の歴史)、松本卓夫「口語新約聖書の成立とその特質」、高橋虔「口語訳ところどころ(現行訳との比較)」。
旧約の方の『口語 旧約聖書について』(1955)も日本聖書協会のサイトでpdfで読める。口語訳の方と違って、「旧約改訳委員」による執筆として、口語旧約聖書の目標や底本、訳文、現行訳(つまり明治元訳)との訳語の相違などが記されている。
これらによると、翻訳の底本は、旧約は、キッテルの第三版で「大体の方針としてはマソラ・テキストによる」が、各種古代語訳や近代語訳を参照するなどで難解な語句の解明につとめたとのこと。」『口語 旧約聖書について』日本聖書協会、1955、p.10。
「キッテルに従うといいながら、そのマソラ底本の難読箇所については安易に他の古代訳を採用するという方法は、本文として折衷本文を作るだけであるという問題性が十分に認識されているとはいい難い。」左近淑「本文」の項、『旧約聖書神学事典』教文館1983。
新約の底本は、ネストレの21版(1952)。もう少し正確には「最初は、その第19版(1949年)を用いたが、その後まもなく入手した第20版(1950年)により、更に、次に到着した第21版(1952年)に基づいて訳出を進め」た。ただし、「きわめて少ない例ではあるが」ネストレの異読資料欄の読み方を訳文に取り入れた場合もあり、例としてマルコ1:1の「神の子」、ヤコブ4:2、ルカ11:41が挙げられている。『口語 新約聖書について』日本聖書協会、1954、p.21-22。
新改訳、新約:1965年(昭和40年)、旧約:1970年(昭和45年)。
翻訳は新改訳聖書刊行会、出版・頒布は日本聖書刊行会。キッテル第3版以降、ネストレ24版に「基づいている」(底本とするとは言っていない)が、問題のある箇所については変更し、欄外注にその根拠を明らかにした(「あとがき」による)。英語欽定訳(AV)から改正訳(RV)、米国標準訳(ASV)、そして新米国標準訳(NASB)へと受け継がれた解釈に準拠しているとのこと。1987年に第2版。
2003年に第3版が出た。差別語・不快語の見直しをはじめ、句読点や送り仮名の変更など約900箇所の改訂がなされた。「らい病」が「ツァラアト」に変更されたなどの特徴が注目されている。いのちのことば社の聖書<新改訳>のページ「第三版について」に、全改訂箇所一覧と、その後の2004.11.1及び2005.10.20の訂正箇所がある。
第3版の改訂理由や経緯などを記したものに、新改訳聖書刊行会編、『聖書翻訳を考える――『新改訳聖書』第三版の出版に際して』、いのちのことば社、2004、157頁、1000円+税。その後の議論をまとめた感じのものに、新改訳聖書刊行会編、『聖書翻訳を考える(続)』、新改訳聖書刊行会、2008、152頁、1200円+税。
その他、泉田昭(いずた・あきら)、『日本における聖書とその翻訳』、日本聖書刊行会、1996、79頁。
新共同訳、1987年9月5日。
日本聖書協会。カトリックとプロテスタントの共同訳。英語での表記はThe New Interconfessional Translation。
初版後、1988年9月に版組みが改訂され、誤植の訂正と、若干の基礎的訳語が調整された。初版後の『聖書 新共同訳』の訂正個所一覧
翻訳の底本は、刊行本の「凡例」に記されていて、旧約は「ビブリア・ヘブライカ・シュトットガルテンシア」(ドイツ聖書協会)とある。すなわち、K.Elliger et W.Rudolph ed., "Biblia Hebraica Stuttgartensia," Stuttgart: Deutsche Bibelstiftung, 1977.である。出版年が明記されていないのは、1967年から分冊で少しずつ出版されたからだと思うが、1977年に合本、1984年に第二版が出ているのでこれらを参考にしたということか。新約は「ギリシア語新約聖書」(修正第三版)(聖書協会世界連盟)とある。いわゆるUBSの1975 Third edition, correctedである。
実は、これより先に「共同訳」として新約のみが出た。これについては、共同訳聖書実行委員会編『新約聖書 共同訳について』日本聖書協会、1979。日本聖書協会のサイトのpdf 執筆者は堀田雄康、Z.イエール、左近淑。
しかし、『固有名詞の表記法や翻訳方針を変えて、やり直したので「新共同訳」とされた。ある意味でまったく仕切り直しをしたわけで、「共同訳は日本の教会側の新約学を10年立ち遅れさせたといわれる」。松永希久夫、「キリストの十字架と栄光」、『紀要』5、p.57。
「この新共同訳で「イエス・キリスト」と私どもは以前と変わりなく読んでおります。カトリックの方たちが、長い間親しんできた「イエズス」というみ名を捨てたのです。私は、プロテスタントの者がそのような立場に立ったら、それほどの自由さを持っていただろうかと思っています。これは奇跡とも言えるようなことであって、私は二〇世紀後半に生きて、このカトリックとの和解に遭遇することができたことを、神さまにもっとも感謝すべきことのひとつといつも数えております。」加藤常昭、『これからの日本の教会の伝道』、p.20。 「『イエズス』という、長い間、愛を込めて主を呼び続けた言葉を、われわれとの和解のために捨てたのである。」加藤常昭、『自伝的説教論』、p.360。
1987年12月中旬開催されたカトリック教会の司教会議で、典礼において用いる朗読聖書として「新共同訳」の採用を決議されたばかりか、「イエス」の呼び名を用いると決議されたことは、キリシタン以来の伝統の変更という歴史的な決議であり、・・・」。佐藤邦宏、『バイブル・ロード――聖書の通ってきた道』、教文館、1992、p.168。
「特に「主」と仰ぐ同じおかたを、一方は「イエス」と、他方は「イエズス」と呼んできた。この違いを共同訳でどうするかも大きな問題であった。固有名詞の翻訳のために、特別な委員会が設けられ、「イエスス」が一時試みられたことがあったが、結局、カトリックが「イエス」を受け入れて決着することとなった。これだけでも、この翻訳の大きな実りと言えよう。」和田幹男、キリスト新聞、2007.5.26。

ヘブライ語聖書の底本の違いによる口語訳と新共同訳の相違の例として、和田幹男「旧約聖書の翻訳」(高柳俊一編、『神の福音に応える民』、リトン、1994)に、創世記4:8、イザヤ60:19が挙げられている(p.72-74)。

その他の日本語訳聖書で押さえておきたいもの

関根正雄訳(旧約聖書)
教文館。1993〜1995年に4分冊で出たものが、1997年に一巻本として出て、1980頁、16800円。岩波文庫版と比べて注はだいぶ簡略化されている。
岩波文庫:「創世記」1956,1967改版,1992改版、「出エジプト記」1969、「サムエル記」1957、「ヨブ記」1971,1983(岩波クラシックス39)、「詩篇」1973、「イザヤ書 上」1961、「イザヤ書 下」1965、「エレミヤ書」1959、「エゼキエル書」1963、「十二小預言書 上」1967、「十二小預言書 下」1967。
フランシスコ会訳
フランシスコ会聖書研究所訳注、中央出版社(現在、サンパウロ)。新約聖書の合本は、1980初版、1984改訂版。底本は初版がUBS第3版、改訂版はUBS修正第3版。分冊にあった緒論的な解説は割愛、本文批評などに関する注も合本では大幅に省略されているのは残念。ヨハネの改訂新版が1989年、ルカの改訂新版が2002.4に出た。マルコは合本が出る前に、改訂版が出た(初版1962、改訂版1971)。旧約の分冊はエレミヤ書が2002.9に出て完成した。合本はいつ出るのか?分冊にはそれぞれ並製と上製の両方がある。
ついに、旧約・新約合本が2011.8に出た。『聖書 原文校訂による口語訳』A6判、特別定価6667円+税。2013.2にB6判中型も出た、5250円(税込み)。初版の訂正一覧表私のblogの紹介記事へ。
岩波訳
新約聖書翻訳委員会訳(荒井献、佐藤研責任編集)、2004、979+46+15頁、4700円。成立年代順の独特な文書配列、訳者名の明記などが特徴。脚注や補注は一読する必要あり。訳文は、釈義においてとても参考になる。しかしあくまでも参考に留まる。なぜなら、新共同訳とわざわざ異なる構文理解を選んでいるから。
これまで分冊で出されていたものの合本。ただし、福音書のみがまとめられて出たこともある(『新約聖書 福音書』、1996)。加筆修正されたところも多いのに、これらのことは「はしがき」では全くふれられず、分冊の時と同一の「はしがき」で日付だけ新しい。そんなんでいいのか。ほぼ同一の凡例で、文書の並び方の説明が付加されている。脚注も巻末補注も分冊の時と同一で省略されていないのはよい。ただ、巻末の各書解説は、各書1ページに要約されている。
まったく記載されていない、分冊の時からの訳文の変更について、たとえば「ヨハネによる福音書」1:1-28での相違は、3-4:「命」→「生命(いのち)」、 13:「人」→「男」、 14:「ひとり子としての」→「ひとり子の〔持つもの〕としての」、 19:「」→「さて」、 19:「祭司とレビ人」→「祭司たち、レビ人たち」、 21:「」→「それでは」、 21:「たずねると」→「たずねたところ」、 24:「」→「さて」、 25:「洗礼(せんれい)」→「洗礼(バプテスマ)」、 26:「間に」→「真ん中に」、 27:「来る方」→「来ようとしている方」、 27:「資格すらもない」→「資格〔も〕ない」。・・・っと、単なる誤記訂正等ではなく、全体にわたって見直されているのに、なぜひとことも言わないのか?
旧約は、旧約聖書翻訳委員会訳、『旧約聖書』(T律法、U歴史書、V預言書、W諸書)、2004-2005。巻末の「補注 用語解説」は同じ語でも巻によって解説文が異なる。
共観福音書の部分について、訳者の佐藤研による「訂正・改良箇所」が、佐藤研・ゼミ室のサイトの教材のページにある。
田川建三訳
田川建三訳著、『新約聖書 訳と註』全6巻、作品社、2007-。既刊は、第1巻「マルコ福音書/マタイ福音書」(2008、11+874頁、6090円)、第3巻「パウロ書簡 その一」(2007、584頁、4800円)(1Thess, Gal, 1Cor, 2Cor)。第4巻「パウロ書簡その二/擬似パウロ書簡」(2009、821頁、6300円)。
翻訳と膨大な註からなる、“田川節”を楽しみながら註の方を読む本。とはいえ、もはや学問的にも無視できない存在か。毒舌を笑い飛ばせるくらいの信仰を持った説教者がきちんとギリシャ語に当たる場合にこそ楽しめるだろう。個々の単語の訳語を、欽定訳やルターやウルガタの影響(著者は「護教的」な読み込みと言う)を除去して語義的に元来の意味にこだわって選択した可能な限りの直訳で、そのことを註で詳述。分詞構文など後から修飾して文を続けている構文も、なかなか苦慮して原文に近づけて訳している。そのために日本語としての読みやすさは考えていない、といより、そもそも原文の意味が一つに確定できないならばその曖昧さをそのままに訳出し、訳を一意に決定できない場合に考え得る訳をすべて註において吟味、特に口語訳と新共同訳との比較を中心にその他の訳と相違する場合の理由を、毒舌を絡めながら飽きずに(しかし、新共同訳の「キリストに結ばれて」の頻出にいたってはついに「もうやめてよ!」と絶叫。2コリ12:19)張り切って叙述、本文批評(著者は「正文批判」と言う)も原文が確定できなければ断定しないという姿勢で言及、バウアーさえ鵜呑みにせず、パウロの悪文(例えばγαρの多用)や属格趣味(1テサ1:3など)や自意識過剰(例えば1テサ2:18)に辛抱して付き合い、うまく訳せないときは素直に謝る(1テサ3:7、ガラ1:11、1コリ15:34など)。
「口語訳」と「新共同訳」をけちょんけちょんに批判しているのは、「この二つは立派な翻訳であって、かつ世間に非常に広く流布しているものであり、歴史的に果した役割も高く評価されるべきものであるから、すでにそういうものが存在しているにもかかわらず、敢えてそれと異なる訳を提供するには、一語一語、一句一句、それだけの理由がなければならない・・・それを記さずに異訳を提供するのは失礼というものだろう」。というものの、田川訳と同一である場合も明記され、優れているときは真似をしている(例えば1テサ2:5)。なお、これ以外の日本語訳は「水準がまるで違って、とても言及するに価しない」(序文、G-H)。
マルコの註では、自著『マルコ福音書 上』(現代新約注解全書、新教出版社)をたびたび修正して謝っている(1:12,30や2:23とか5:1とか)。第1巻の目次に記されている「付論」は、「未完了過去について」、「マルコ受難物語について」、「いわゆるQ資料について」の三つ。しかしそれ以外にも、「写本に付けられた表題」とか「福音」という語についてとか、ネストレの亀甲括弧についてとか(以上すべてマルコ1:1)、最初っから読みどころ満載。

さして注目すべきほどではないかもしれないが、比較的最近出版された日本語訳の主なもの

塚本虎二訳新約聖書刊行会編、『塚本虎二訳 新約聖書』、新教出版社、2011、1038頁、4200円。
戦前戦中に訳され、戦後も改訳が続けられた口語訳。岩波文庫から『福音書』(岩波文庫青-361、1963)と『使徒のはたらき』(岩波文庫、1977)。
柳生直行訳、新教出版社、1985。
新約聖書のみ。初版は新教出版社創立40周年記念の一つとして出たらしい。2004年に第1版第6刷が創立60年記念で出た(558頁、3800円)。底本はUBS3版(1975)とN/A26版(1979)だが、常に底本に忠実であるわけではない。凡例では黙示録18:2が例に挙げられている。「訳者後記」によれば、ガラテヤ、エペソ、コロサイあたりに特徴があるようだ。福音書でもMt21:23-27、Lk8:40-56、15:11-32、J9章などを読めと言っている。日本語として読める、通読に耐える文体を目指して、“言葉を訳すのではなく意味を訳した”もの。
現代訳(尾山令仁訳)、現代訳聖書刊行会(発売:羊群社)。
2004.5.31に改訂新版(第10版)が出た。まあ、敷衍訳といったところだろう。個人で旧新約全巻を訳したのはこの人だけか。

1.3 新共同訳聖書の特徴と評価

『聖書翻訳研究』(日本聖書協会)の25号(1991.3)以降に、いろいろな記事がある。

経緯や意義についてを中心としたもの

『聖書 新共同訳について』、財団法人 日本聖書協会、1987。
1987年9月5日に新共同訳が発行された後、9月15日の“奉献式”で配布されたというもの。高橋虔「『聖書 新共同訳』翻訳の基本方針について」、B.シュナイダー「『聖書 新共同訳』の歩み」、「共同訳聖書実行委員会 各委員会委員および翻訳者氏名」。
佐藤邦宏、「聖書 新共同訳について」 (佐藤邦宏、『バイブル・ロード――聖書の通ってきた道』、1992)。
『礼拝と音楽』57号(1988)に掲載されたものが、この本に付録として再録されている。この本のp.137以降にも、新共同訳の経緯や翻訳指針について書かれている。
木田献一、「『聖書・新共同訳』とエキュメニズム」(高柳俊一編、『神の福音に応じる民』、リトン、1994、pp.29-45)。
カトリックでの「聖書翻訳におけるプロテスタントとカトリックの共同作業のための標準原則」(1968)、第二バチカン公会議の『啓示憲章』が背景にあること、1984年2月に「イエス」と表記することに最終決定したこと、日本聖書協会の共同訳事業の性格の誤認やナイダ理論に振り回された「共同訳」の失敗を通して、本当の目標が「カトリック教会とプロテスタントの諸教会で共通して使用しうる厳密でありながら、わかりやすい品位ある聖書を生み出すこと」にあることに達したことなどを記している。「ごくわずか本文の異読を行った場合、注を付けるという作業が時間の関係で今後に残されている」とする。
ゼノン・イエール、「『聖書・新共同訳』への道程」(高柳俊一編、『神の福音に応じる民』、リトン、1994、pp.47-58)。
カトリックとプロテスタントの共同訳の歴史を17世紀から紹介する。第二バチカン公会議に先立つ10年前からの典礼刷新と聖書の刷新運動(教皇ピオ十二世の回勅「ディヴィノ・アフランテ・スピリツ」(1943)で鼓舞された)の流れがあることを指摘する。

『聖書の世界・総解説』(自由国民社)に木田献一「カトリック・プロテスタントによる『新共同訳聖書』(1987年)――その背景と意義」あり。背景と意義のごく簡単な紹介。

訳文の吟味を中心としたもの

並木浩一他、「『聖書 新共同訳』――旧約の場合」 (日本基督教学会編、『日本の神学』30号、1991)
並木浩一、鈴木佳秀、木幡藤子、関根清三、月本昭男が分担して執筆。
荒井献他、「『聖書 新共同訳』――新約の場合」 (日本基督教学会編、『日本の神学』29号、1990)
角田信三郎(カトリック)の福音書中心の「私見」と、それに対する新共同訳実務委員の川島貞雄(プロテスタント)の「応答」、及び、山内眞(プロテスタント)のパウロ書簡を中心とした論評と、それに対する新共同訳実務委員の石川康輔(カトリック)のコメント、そして、荒井献による評価と展望。
中沢洽樹、「新共同訳所見」 (『中沢洽樹選集』第1巻、キリスト教図書出版社、1998)
コメントしているのは、創世記1:27「神の像」、創世記6:9「義」と「全」、「熱情の神」、一人称所有格「わたしの」、尊敬接頭語「御」、イザヤ書40章。

1.4 現代の主な英語訳聖書

「プロテスタント教徒が欽定訳聖書で学び、カトリック教徒はいわゆるドゥエ・ランス訳を通して聖書を学んだ時代は遠い昔のことである。翻訳が豊富になって、皆が親しんでいる版の聖書を引用することはより一層困難になってしまった。」L.S.カニンガム『カトリック入門』、教文館、2013、p.402。

現代の英語に合わることに力点を置いたり、読みやすい英語にしようすると、原典の意味から離れてしまって訳としての正確さが犠牲になる。逆に、逐語的に訳すると、英語としての文体が犠牲になる。英語訳では、KJV以来の伝統をどれだけ大切にしようとするかもそれぞれの特徴となる。さらに、20世紀の英語訳は、動的等価の理論に振り回され、"差別表現"の言い換えに翻弄された。

主としてプロテスタントの礼拝用

King James Version (Authorized Version)、1611
言葉の調子の良さや力強さが特徴。欠点は、原典からの直接の翻訳ではなく、Tyndale、Great Bible、Bishops' Bibleから原典に近そうな訳を造ったものであること。それから、何しろ今や使われなくなった単語や言い回し、意味が変わってしまった単語などがあること。特徴は、小見出しあり、1節ずつ改行、補った語を斜体で印刷。
ちなみに、アメリカで古い言葉を新しい言葉に置き換えたNew King James Version, 1982-83もあるが、古い服に新しい布きれを継ぎ当てした感じ(?)なので、KJVの理解の補助程度に用いる。
New Revised Standard Version、1989
Revised Standard Version(NT:1946、OT:1952、全訳1957)の改訳。主にアメリカ。プロテスタント中心だが、翻訳にはカトリック、正教会も参加。
New International Version、NT:1973、OT:1978
福音派。直訳的だったり、かなりの意訳だったりする部分もある。

その他

Revised English Bible、1989
New English Bible(NT:1961、全訳:1970)の改訳。動的等価訳だがNEBよりはよくなった。新約はN-A26を底本とする。イギリス。国教会もその他のプロテスタントもカトリックも参加。礼拝での使用も考えられているが、教養人むけという感じらしい。
ちなみに、New English Bibleについては、マクグラスがこう書いている。New English Bibleは、「おそらく現代英語訳聖書の中で最ももったいぶった翻訳であろうが、イエスをまるで、1960年代のハンプステッドのお上品な午餐会に呼ばれた客のような話し方に描いている。」マクグラス(本多峰子訳)、『キリスト教の将来』、教文館、2002、p.138。
New Jerusalem Bible、1985
Jerusalem Bible(1966)の全面改訂版。JBが動的等価訳なのに対し、NJBは逐語訳的。カトリック。注がたくさんついているので研究用向きだそうだ。
Today's English Version、1976
Good News Bibleとも言う。超動的等価訳。BHKとUBSを底本。アメリカ。英語を母国語としない人向けに平易な単語で書かれている。イラストつき。この系統で、Contemporary English Version(NT:1991、全訳:1995)もある。
New American Bible、1970
カトリック。動的等価訳。新約は1986年に改訳されたが、より直訳的になった。

「カトリック教会がヘブライ語原典の研究を奨励し、原典を底本とする現代訳を積極的に評価し、公認するに至るのは、一九四三年のピオ一二世の回勅『ディビノ・アフランテ・スピリツ』においてであった。これが大きな刺激となって、優れた現代訳聖書が作成されることになる」和田幹男「旧約聖書の翻訳」(高柳俊一編、『神の福音に応える民』、リトン、1994)、p.63。その例として、仏訳エルサレム聖書(1956初版)と新アメリカ聖書(1970)が挙げられている。

2.聖書解釈学

カルヴァンの注解は、「一世紀と十六世紀との間に立っている壁が透明になるまで、パウロが向こう側で語るのを十六世紀の人間がこちら側で聞くに至るまで、原典と読者との対話が主題の核心(ザッヘ)そのもの(それはあちらとこちらで異なったものではありえない!)に全く集中するに至るまで、その本文との対決の仕事に立ち向か」っている。バルト『ローマ書講解』の「第二版への序」、(小川圭治、岩波哲男訳)『ローマ書講解』上(平凡社ライブラリー)、平凡社、2001、p.25。

「批判するとは、・・・その文書に含まれているすべての言葉と語句を、・・・その文書が明らかに語っている主題の核心に即して判定すること、・・・ただ一つ語られうる事柄の光の下で解釈することである。」バルト『ローマ書講解』の「第二版への序」、(小川圭治、岩波哲男訳)『ローマ書講解』上(平凡社ライブラリー)、平凡社、2001、p.27。

2.1 概説

通史

R.M.グラント(茂泉昭男、倉松功訳)、『聖書解釈の歴史』(新教新書99)、新教出版社、1966(原著1963年改訂版)、270頁。
出村彰、宮谷宣史編、『聖書解釈の歴史 新約聖書から宗教改革まで』、日本基督教団出版局、1986年、421頁、3500円。
ヘルメネイアの語源からはじまって、「第一部古代」、「第二部中世」、「第三部近世」に分けて全13章。各章に文献表あり。
木田献一、高橋敬基、『聖書解釈の歴史――宗教改革から現代まで』、日本基督教団出版局、1999年。

近現代

日本基督教団出版局編、『聖書学方法論』、日本基督教団出版局、1979、238頁。
『聖書と教会』誌の連載に論文を加えたもの。この中の第二部が「解釈学的観点から」。興味あるのは、大崎節郎「キリスト論的解釈」(この中でバルトが取り上げられている)と熊澤義宣「実存論的解釈」ぐらいか。各章に文献表あり。
まえがき木田献一
T 歴史批評学的観点から
旧約本文研究清重尚弘
新約本文研究橋本滋男
旧約聖書の伝承史的研究浅見定雄
新約聖書の伝承史的研究川島貞雄
文学社会学荒井献
U 解釈学的観点から
キリスト論的解釈大崎節郎
実存論的解釈熊澤義宣
予型論的解釈野本真也
文学史的方法関根正雄
構造主義的方法論小林恵一
正典論と聖書学(旧約)小泉達人
新約聖書学と正典青野太潮
A.リチャードソン(斎藤正彦訳)、『科学の時代の中の聖書』(新教新書154)、新教出版社、1970(1961)。
「科学的革命」「歴史思考における変革」「神学思想における変革」「実存主義神学」「『救済史』神学」「形象の神学」「聖書の成就」の8章。
笠井惠二、『二十世紀の聖書理解』、新教出版社、1997、333頁、3200円。
巻末に基礎的文献表あり。
川村輝典、「聖書の解釈をめぐって――聖書神学の立場から」(松永晋一、山田善郎、山内一郎編、『新約聖書と解釈――松木治三郎先生卒寿記念献呈論文集』、新教出版社、1986)、289-306頁。
「聖書のみ」という宗教改革の解釈原理に対する聖書神学における様々な理解をレビュー。

P.シュトゥールマッハー(斎藤忠資訳)『新約聖書解釈学』(日本基督教団出版局、1984)も。

『聖書学方法論』以前には、ヴェスターマン編(時田光彦訳)『旧約聖書解釈学の諸問題』(日本基督教団出版局、1975)とG.マイヤー(山口昇訳)『歴史的=批評的研究方法の終焉』(いのちのことば社、1978)しかなかったらしい。

2.2 聖書解釈論

日本人によるもの

渡辺善太、『聖書解釈論』(『聖書論 第二巻』)、新教出版社、1954。
後に『聖書正典論』『聖書神学論』と合わせて1冊に纏められて『渡辺善太全集第6巻』(キリスト新聞社、1966)。ほかに、小論で、「プロテスタント聖書解釈論」(『渡辺善太全集2』、キリスト新聞社、1965、313-335頁)。
岡村民子、『聖書解釈試論――聖書正典の形態的解釈原論』、新教出版社、1964。
現在、『岡村民子著作集3』(新教出版社、2001)所収。「第1章 過去の聖書解釈原理の難点と超克」、「第2章 現代神学における聖書的形態の照明」(この中で「第2節 バルトにおける示唆」として正典の意義と形態について語る)、「第3章 正典の形態的解釈の原理」「第4章 正典の形態的解釈の輪郭」。

「〔聖書の〕生成史の理解と神学的総合との間の本質的な違いを意識した渡邊善太は、それでもなお生成史から出発しようとしたために、断絶を意識しただけで、神学の中に歴史を位置づけることに失敗した。そしてさらに「岡村正典論」は、〔日本基督〕教団の混乱の中で聖書の神言性を守ったが、聖書の主体的読みを強調する余り、解釈の個人化を招いた面がある。」(大住雄一、「聖なるものの交わりを信ず――言葉の「関係性」をめぐって」、『季刊 教会』、48号、2002.9、p.15)

関田寛雄、『聖書解釈と説教』、日本基督教団出版局、1980。
論文や釈義、小論集。第一部の「聖書解釈と説教」に9論文収録。
上田光正、『聖書論』、日本基督教団出版局、1992。
第5章で「聖書の解釈について」。
大住雄一、「聖なるものの交わりを信ず――言葉の「関係性」をめぐって」、『季刊 教会』、48号、2002.9。

海外の著作の邦訳

バーナード・ラム(村瀬俊夫訳)、『聖書解釈学概論――聖書解釈の諸問題の総括的研究』、聖書図書刊行会、1963(1950初版,1956complete revised ed.)。
保守的立場から聖書解釈学の体系化をめざしたもの。原著初版からの邦訳は訳者匿名で『聖書解釈学緒論――聖書理解の原則についての研究』(1956)だが、実は熊澤義宣の最初の翻訳作品である(『神学』58号参照)。
H. ティーリケ(佐伯晴郎訳)、『現代キリスト教入門――福音的信仰の核心』、ヨルダン社、1975改訂再版(19652)。
ファンダメンタリストとの問答を通して、聖書が神の言葉であるということの意味や、批評学の役割を弁証する。特に第3章で、聖書解釈学の特質とブルトマンの解釈学の問題点を語る。
ノーマン・ペリン(高橋教基訳)、『新約聖書解釈における象徴と隠喩』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1981(1979)。
序論で、ブルトマンの解釈学について解説。
P.シュトゥールマッハー(Peter Stuhlmacher)(斎藤忠資訳)、『新約聖書解釈学』、日本基督教団出版局、1984(1979)、414頁、5200円。
原書はNTDの補遺第6巻として出版されたもの。訳者あとがきによれば、著者はE.ケーゼマンの高弟でチュービンゲン大学教授。第1章 今日における新約聖書との出会い、第2章 聖書解釈をめぐる現在の論争、第3章 新約聖書と聖書正典、第4章 聖書の権威と霊感と解釈、第5章 キリスト教の聖書理解の発端と基礎づけ、第6章 宗教改革時代までの教会の聖書解釈の根本問題とガイドライン、第7章 人文主義と宗教改革時代の聖書理解と聖書解釈、第8章 反宗教改革時代の聖書解釈と聖書理解、第9章 十八世紀における新しい解釈学をめぐる対決、第10章 十九世紀における解釈学上の統合の探究、第11章 二十世紀初めの解釈学的諸傾向と分裂、第12章 弁証法神学の解釈学上の新たな出発点、第13章 ブルトマンの受容とブルトマン批判――新しい解釈学、第14章 聖書テキストと意思を通じ合う解釈学、第15章 検証・キリスト教における和解の福音。新約聖書の聖書神学の基本線と根本問題。引用文献が文献表の番号で記されているが不明。
C.E. ブラーテン(高尾利数訳)、『歴史と解釈学』(現代神学の潮流2)、新教出版社、1969年(原著1966年)。
啓示と歴史の神学的統合を獲得しようとする新しい解釈学的アプローチを取り扱う。「1. 歴史による啓示の概念」、「2. 神学と歴史的・批評学的方法」、「3. 史的イエスについての知識」、「4. 歴史的出来事としての復活」、「5. 救済史と旧約聖書」、「6. ≪み言葉≫と教会の解釈学」、「7. 終末論と歴史」。
C.ヴェスターマン(時田光彦訳)、『旧約聖書解釈学の諸問題――旧約聖書理解のための論文集』、日本基督教団出版局、1975。
フォン・ラート「旧約聖書は歴史である」、ヴェスターマン「旧約聖書の解釈――歴史的序論」、ノート「宣教における旧約聖書の現在化」、ツィンメルリ「約束と成就」、F.バウムゲルテル「旧約聖書の解釈学的問題」、ヴォルフ「旧約聖書の解釈学について」、Th.C.フリーゼン「神権政治と救済論」、アイヒロット「予型論的釈義は適切な釈義か」の8論文。文献目録あり。
W.パネンベルク(近藤勝彦、芳賀力訳)、『組織神学の根本問題』、日本基督教団出版局、1984(1967)、336頁。
原著15論文から、「聖書原理の危機」、「救済の出来事と歴史」、「解釈学と普遍史」、「信仰と理性」など7論文の邦訳。

ブルトマン

ブルトマン(川村永子訳)、「解釈学の問題」(『ブルトマン著作集12 神学論文集U』、新教出版社、1981)、282-312頁。(原著1950)。
ブルトマン(川村永子訳)、「無前提的釈義は可能か」(『ブルトマン著作集13 神学論文集V』、新教出版社、1984)、181-190頁。(原著1957)。

リクール(1913.2.27 - 2005.5.20)

「ポール・リクール聖書論集」は、リクールの様々な論文の中から久米博が選択・編集したもの。

ポール・リクール(久米博、佐々木啓訳)、『リクール解釈学』、ヨルダン社、1995、378頁、3700円。
喜田川信、『神・キリスト・悪』(現代神学双書79)、新教出版社、1996。
「第一部 現代神学の問題点」の4論文の中に「バルト神学とその問題点」。「第二部 ポール・リクールの思想とその問題点」で、「ポール・リクールの思想」、「リクールのキリスト教理解とその問題点」、「リクールの聖書解釈とその問題点」。
ポール・リクール(久米博、小野文、小林玲子訳)、『物語神学へ』(ポール・リクール聖書論集3)、新教出版社、2008、215頁、2520円。
説教2編、講演録1編、事典項目「神話と歴史」、論文「宣言から物語へ」、「『聖なる』テクストと共同体」、「物語神学へ――その必要性、その原資、その難問」、「悪――哲学と神学への挑戦」。
ポール・リクール(久米博訳)、『死まで生き生きと――死と復活についての省察と断章』(ポール・リクール聖書論集 別巻)、新教出版社、2010、155頁、2100円。
ポール・リクール(久米博、小野文、小林玲子訳)、『愛と正義』(ポール・リクール聖書論集2)、新教出版社、2014、290頁、3300円。
聖書論7編。久米博「リクール聖書解釈学とエキュメニズム」を補論として収録。

2.3 解釈学と教義学の問題

石井裕二、「教義学と歴史批評学」(佐藤敏夫編、『教義学講座 第三巻 現代の教義学』、日本基督教団出版局、1974)、257-278頁。
高森昭、『解釈学の諸問題』、日本基督教団出版局、1974。
Tで「解釈学と教義学」(『教義学講座 第二巻』、日本基督教団出版局、1972年初出に加筆)、「解釈学的神学の可能性をめぐって」、「解釈学探求の前進のために――シュライエルマッハーの解釈学を中心として」。
雨貝行麿、「解釈学と神学」(熊澤義宣、野呂芳男編『総説現代神学』、日本基督教団出版局、1995)、292-312頁。
C.E.ブラーテン、R.W.ジェンソン(芳賀力訳)、『聖書を取り戻す――教会における聖書の権威と解釈の危機』、教文館、1998年。

2.4 最近のもの

2010.10.20全面的に更新
J.ペリカン(左柳文男訳)、『聖書は誰のものか?――聖書とその解釈の歴史』、教文館、2006、400頁、2625円。
序章:「聖書」、「完全なる聖書」、「余計な部分を除いた聖書」 第一章:語り合う神 第二章:ヘブライ語で語られる真理 第三章:ギリシア語を話すモーセ 第四章:「書かれたトーラー」を越えて ほか
関西学院大学キリスト教と文化研究センター編、『聖書の解釈と正典――開かれた「読み」を目指して』、キリスト新聞社、2007、172頁、1575円。
2005年の4回の公開研究会の発題とディスカッションの記録。辻学「聖書――歴史的読み方の限界と可能性」、水野隆一「聖書――文芸批評的アプローチの挑戦」、嶺重淑「イエスか正典か?――『正典』としての新約聖書解釈をめぐって」、樋口進「聖書の再解釈――聖書は『正典』か」。神の言葉とか啓示とか教会が分かっていない議論のようだ。
E. デイヴィス、R. ヘイズ(芳賀力訳)、『聖書を読む技法――ポストモダンと聖書の復権』、新教出版社、2007、432頁、5250円。
「聖書プロジェクト」の共同研究と説教実践の成果。「聖書の解釈をめぐる九つの命題」のあと、全4部に分かれている。第T部は「どのように聖書を読み、教えるか」でエレン・F.デイヴィス、ジェンソン、リチャード・ボーカム、デイヴィッド・C.シュタインメッツが執筆。信仰告白的にとか、権威ある書物としてとか、一貫した物語としてとか。第U部は「生きた伝統」として、ブライアン・E.デイリー、ハウエル、ジョンソン、マックスパッデン、ジョーンズ。聖書を忠実に読むとか、聖書を忠実に説教するとか。第V部は「難しいテキストを読む」で、デイヴィスとリチャード・B.ヘイズ、第W部は「いくつかの説教の中から」。
W. ブルッゲマン(左近豊訳)、『聖書は語りかける』、日本基督教団出版局、2011、238頁、2310円。
原題:"The Bible Makes Sense"。1「斬新な視点の可能性」、2「歴史的想像力を培う」、3「内部者としてわかること」、4「聖書の途方もない視座の中心――神」、5「これまでと同じことに、まだ続きがある」、6「悔い改めて、生きよ!」、7「死から命へ」、8「神の子となる力」、9「聖書とその共同体」、10「まとめ 聖書を見る視点」。
J.L.スカ(佐久間勤、石原良明訳)、『聖書の物語論的読み方――新たな解釈へのアプローチ』、日本基督教団出版局、2013、210頁、3000円+税。
Jean Louis Skaは、教皇庁立聖書研究所にもいたことのあるイエズス会の司祭。物語論には様々な方法があるが、本書は、ジェラール・ジュネットの方法(『物語のディスクール』)に大きく依拠しているとのこと(水野隆一による書評、『本のひろば』、2014.5、p.2)。