2015.11.23更新
印が主な更新個所です。)

■新約聖書神学

0.文献リスト

まとまった基本文献リストは、『新版 総説 新約聖書』(日本基督教団出版局、2003)の巻末が、最新か。G.D.フィー『新約聖書の釈義』(永田竹司訳、、教文館、1998)も英語の文献中心だがたいへん有用。日本語の注解書は『新共同訳新約聖書注解』(全2巻、日本基督教団出版局、1991)の巻末付録にあるが、だいぶ古くなってきたか。第1巻と第2巻は同一。木田献一、荒井献監修『現代聖書講座』(全3巻、日本基督教団出版局、1996)(1:聖書の風土・歴史・社会、2:聖書学の方法と諸問題、3:聖書の思想と現代)の巻末には、各章ごとの専門的な和洋参考文献表あり。

『キリスト新聞』2002.10.19、3頁の「特集 21世紀の神学と教会 ニューリーダーたちに聞くC」で、大坂太郎(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中央聖書神学校講師)が紹介している「新約聖書を読み解く10冊」:フィー『新約聖書の釈義』、岩隈直・土岐健治『新約聖書ギリシャ語構文法』、サンダース『パウロ』、ダン『新約学の新しい視点』、加山久雄『ルカの神学と表現』(教文館)、R.タンネヒル『ルカ――使徒の叙述的統一性』(邦訳なし)、F.F.ブルース『使徒行伝』、中澤啓介『マタイの福音書註解』(上、中)、岡山英雄『子羊の王国』(いのちのことば社)、フィー『神の力を与える臨在――パウロ書簡に見る聖霊』(邦訳なし)。

1.正典成立史

1.1 正典成立史

正典化の過程を実証的にたどった本

蛭沼寿雄、『新約正典のプロセス』、山本書店、19721,19892、213頁、1942円。
第2版は、初版の誤植を訂正し、加筆は最小限のとどめられている。広く文献を示すことによって、新約正典化の歴史的経緯を実証的にまとめたもの。したがって、その神学的意味の議論はないが、宗教改革以降の諸信仰告白の中の聖書に関する言明まで紹介している。Kurt Alandにずいぶん依拠している感じで、「無原理の原理」にたびたび言及する(p.69, 143)。巻末に資料として、「ムラトーリ正典目録」などの日本語訳あり。

それなりに正典化の過程をよく説明しているもの

川島貞雄、「新約正典成立史」(『総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、1981の第10章)。
キリスト証言として公同教会の礼拝において読まれるべき文書として、歴史の中で結集していったことが述べられている。マルキオンについては、「教会はこの事柄において彼を手本にしたとは言えないにせよ、マルキオンの正典が正統的教会の正典編成への動きに拍車をかけたことは事実である」とする。

正典化の意味を解明しようとがんばっているもの

『新版 総説 新約聖書』(日本基督教団出版局、2003)の第10章が、大貫隆、青野太潮「新約正典成立史」。
原始キリスト教からマルキオンまでを青野太潮、マルキオンからアタナシオスまでを大貫隆。
青野太潮は、1.新約聖書の各書と使徒教父文書の記述から原始キリスト教の時代における正典化の萌芽を探る。2.マルキオンの正典形成からの影響について、カンペンハウゼンとタイセンの説に沿いながら、「マルキオンへの反撃が、キリスト教会における正典の成立を根底から規定した」とする。なお、これについて大貫隆は、青野よりはやや慎重に「その後のキリスト教の正典成立史に測りがたい「触媒」効果を及ぼした」と語る。
大貫隆は、東方教会と西方教会の特徴を述べ、シリア教会での正典史にも触れる。1.ユスティノス、エイレナイオス、テルトゥリアヌスに注目し、西方教会において、救済史の観点から、ユダヤ教の聖書がキリスト教の旧約とされ、イエス・キリストとそれ以降の文書が新約とされた(新約聖書の規範性やその範囲は三者で異なる)。2.a)使徒教父がユダヤ教聖典の神的権威からイエス・キリストのメシア性を論証したのに対し、ユスティノスは、イエス・キリストの永遠の神性から出発して旧約聖書はそのロゴスが自分自身について語った書だとした。b)エイレナイオスは正典的な福音書を四つに限定することによって新約聖書の「観念」を確立し、それによって「旧約聖書」という概念も確立させた。c)テルトゥリアヌスの「信仰の規準」を「一種の外部原理」と理解して、これによって旧約と新約の二つで形式的にも内容的にも閉じられた「単一のキリスト教文書」という理念が形成されたと見る。3.この3人によってキリスト教の正典としての旧新約聖書の理念と原理が確立され、これより後は、新約聖書の範囲(「外延」)を決定することが課題となった。4.東方教会では、教会で受容されている文書がリスト化されていく中で、新約聖書の外延が明確かつ意識的に限定されることとなった。5.アタナシオスやヒエロニュムスの東西の行き来から、西方で確立された新約正典の理念は東方へ伝えられ、東方で明確に限定された新約の外延は西方へと伝えられたと推測する。
E.シュヴァイツァー(小原克博訳)『新約聖書の神学的入門』(日本基督教団出版局、1999)の「第八章 回顧」が新約正典成立の意味について。
田川建三、『書物としての新約聖書』、勁草書房、1997、706+39頁、8400円。
荒井献編、『新約聖書正典の成立』、日本基督教団出版局、1988、376頁、4500円。
執筆陣は、荒井献、川島貞雄、青野太潮、井谷嘉男、大貫隆、宮谷宣史、三小田敏雄。中身は見ていないので不明。
H.Y.ギャンブル(宇都宮秀和訳)、『新約聖書正典――その生成と意味』(聖書の研究シリーズ29)、教文館、1988、192頁、1800円。
何とも読みにくくて、読む気がしないので不明。
マルクスセン(渡辺康麿訳)『新約聖書緒論』(教文館、1984)の「後書き――正典(カノン)としての新約聖書」。
正典性の基準である「使徒性」を、「歴史における始源への直接性」と解し、「本来の正典は新約文書以前にある」とか、共観福音書記者たちの手許にあった資料文書の方が本来の正典に近いとする。この「事柄のカノン」には、新約聖書という「文書のカノン」を通じてのみ到達できる。それゆえ、「真に「使徒的」起源をもつ新約文書は一つもない」、「現在の完結した姿の新約聖書を拘束力のある「規範と標準」(カノン)としての「リスト」(カノン)と考えることはできない」などとする。結局、「新約正典の限定は偶然的なもの」と結論づけるしかない。つまり、なぜ27書に限定されたかも、限定されたことの意味もこの人には分からないのである。

スタントン『福音書とイエス』(ヨルダン社、1998)の第7章は「なぜ四福音書なのか?」。「四つのすべてがイエス物語の重要性はひたすら十字架と復活の光の下においてのみ理解されることを、強調している。」(p.222)

古くは、小島潤(おじま・じゅん)『新約聖書正典の編成と伝承』(聖文舎、1972、144頁)。前半が正典化の歴史。後半は、写本の発見と校訂本文の公刊の絡み合いの話で写本の系統への関心が強く出ている。

その他、正典論の文献。

1.2 外典・偽典、使徒教父文書

荒井献編、『使徒教父文書』(講談社文芸文庫)、講談社、1998、486頁、1500円。
使徒教父文書(もんじょ)。「十二使徒の教訓」、「ヘルマスの牧者」、「バルナバの手紙」、「クレメンスの手紙」、「イグナティオスの手紙」、「ポリュカルポスの殉教」など十篇。もとは、荒井献、佐竹明、小河陽、八木誠一、田川健三訳『使徒教父文書』(『聖書の世界』別巻4、新約U)、講談社、1974。
荒井献編、『新約聖書外典』(講談社文芸文庫)、講談社、1997、525頁、1600円。
荒井献、八木誠一、田川建三、大貫隆、小河陽、青野太潮、藤村和義、佐竹明訳。
荒井献、『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)、講談社、1994、335頁、1000円。
トマス福音書の背景、翻訳と注解、トマス福音書のイエス。トマスによる福音書は、1945年エジプトで写本が発見された、グノーシスによる114のイエス語録集。

2.写本と本文批評、聖書批評学

新約聖書の言語

『旧約新約聖書大辞典』(教文館、1989)の「ギリシア語」、「新約聖書」の項目、『新約聖書神学事典』(教文館、1991)の「ギリシャ語」の項目(左近義慈)、『総説新約聖書』(日本基督教団出版局、1981)の第1章序説の第四節「新約聖書の言語と本文」の「1 言語」(pp.63-65、川島貞雄)しかしその前に書かれているヘレニズム社会への教会の展開の様子も興味深い。

土岐健治『イエス時代の言語状況』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1979、178頁、1575円。
付論として「メシア告白の問題」。
田川建三、『書物としての新約聖書』、勁草書房、1997、706+39頁、8400円。
この「第二章 新約聖書の言語――新約聖書のすべての文書がギリシャ語で書かれているという事実は何を意味するか」のpp.199-269あたり。最初期のキリスト教徒の言語はアラム語であったのに、なぜギリシャ語なのか。当時の地中海世界でギリシャ語が使われていたのは一部であったろうになぜ新約聖書はすべてギリシャ語なのか。

写本の歴史と本文批評

「本文」は「ほんもん」と読む(『旧約聖書神学事典』、『聖書学用語辞典』参照)。ただし『新約旧約聖書大事典』の見出しは「本文(ほんぶん)」。なお、「正文批判」という人もいる(田川建三など)。

ブルース・M.メツガー(橋本滋男訳)、『新約聖書の本文研究』、日本基督教団出版局、1999(原著1964初版、1992第3版)、366頁、7600円。
高いけど、ぜひ読む価値ある本。7600円払って損はない。写本の歴史と写本家の姿がおもしろい。これ以前に、1968年第2版からの同じ訳者による邦訳、『新約聖書の本文研究』、聖文舎、1973年があった。目次はこちら
田川建三、『書物としての新約聖書』、勁草書房、1997、706+39頁、8400円。
新約聖書とはどういう書物なのか、一冊の書物になったのはいったいどういう現象なのかという課題に対して、正典化、言語、写本、翻訳という四つの主題を通して、新約聖書の外面的な事情を説明する。その際、キリスト教の護教論的な見解を退け、あるいは、ギリシャ語テキストの出版や翻訳の問題を帝国主義的世界支配の中で生じた現象と見る。
本文批評について有益。高いし毒舌だけど、ぜひ読む価値ある。しかし、やっぱり、毒舌をもっと減らして価格を安くしてほしかったと思うが、それでは田川ファンにはつまらないのか。

Kurt AlandとBarbara Alandの"Der Text des Neuen Testaments," Deutsche Biblegesellschaft Stuttgartは、1981第二版。この英訳は、Kurt Aland, Barbara Aland (Translated by Erroll F. Rhodes), "The Text of The New Testament: An Introduction to the Critical Editions and to the Theory and Practice of Modern Textual Criticism" (paperback, 2nd revised ed.), Eerdmans Publishing, 1995。初版は1987年、第二版revised and enlargedが1989年、そしてペーパーバック版が1995年。

B.M. メッツガー(土岐健治監訳)、『図説 ギリシア語聖書の写本――ギリシア語古文書学入門』、教文館、1985、172頁、8400円。

エーバハルト・ギューティング(前川裕訳)、『新約聖書の「本文」とは何か』、新教出版社、2012、136頁、3675円。

新約聖書の本文上検討すべき箇所を実際に本文批評したものに、

Bruce M. Metzger, "A Textual Commentary on the Greek New Testament," Second Edition, Deutsche Bibelgesellschaft / United Bible Societies, 1994.
UBSのforth revised editionの本文批評欄にあるランク付けを解説。
田川建三の『新約聖書』

蛭沼寿雄

2015.11.23全面的に更新

『新聖書大辞典』(キリスト新聞社)の「聖書の本文(新約)」の項を執筆。「まず、新約本文についての概略は、〔これ〕・・・を参照されたい。」(『マルコ福音書 新約本文学演習――異文資料の取り扱い方』、新約研究社、1976、p.2。

蛭沼寿雄、『新約本文批評』、新教出版社、1962、192頁。
異文を取り扱う方法論を詳述。関西学院大学研究叢書第15篇。蛭沼『新約聖書の成立』(比叡書房、1950、354頁)と合わせて、蛭沼の新約本文研究の一部をなすものとのこと。主要写本一覧表があるのがよい。本文(ほんぶん)は25-110頁で、あとは付録として様々な写本の特徴が述べられている。
「新約本文学においてまず重要なことは、本文を伝承している写本の整備、写本の正確な記述と評価である。その概説はかつて拙著『新約聖書の成立』(京都、比叡書房、1950年、354ページ、¥300)の85-267ページにおいてなし、その後の著『新約本文批評』(新教出版社、1962年、192ページ、¥650)の「付録」の116-147、161-177ページで補充した・・・」(『新約本文学史』、山本書店、1987の「後記」、p.469)。
蛭沼寿雄、『新約本文学演習 マルコ福音書・マタイ福音書』(蛭沼寿雄著作選集第1巻)、新教出版社、2011、580頁、4410円。
元は新約研究社から、『マルコ福音書 新約本文学演習――異文資料の取り扱い方』1976年、『マタイ福音書 新約本文学演習――異文資料の取り扱い方』1981年。解題を付けて復刻。オリジナルの刊行本を写真製版したため、原本の誤植もそのままなので、巻末に正誤表あり。マルコ145箇所、マタイ242箇所について、写本の異読状況を比較・分析する校合(きょうごう)作業を通して本文を決定する実例。
今回の刊行にあたって書かれた辻学による「解題」では、蛭沼寿雄の歩みから、蛭沼の本文判断の傾向(本文学者ゆえの外的証拠の重視や、西方型の読みにカイサリア型の読みが一致する場合にはアレクサンドリア型よりも優先される判断がされる場合があるなど)も記していて興味深い。蛭沼寿雄の著作目録あり(しかし、『新聖書大辞典』(キリスト新聞社)の「聖書の本文(新約)」の項のような事典項目の執筆は含まれていない)。
蛭沼寿雄、『新約本文学演習 ルカ福音書T ギリシア語新約語法』(蛭沼寿雄著作選集第2巻)、新教出版社、2011、602頁、4410円。
『ルカ福音書 新約本文学演習――異文資料の取り扱い方』、『ギリシア語新約語法』いずれも新約研究社、1989年の合本で、解題を付けて復刻。オリジナルの刊行本を写真製版したため、原本の誤植もそのままなので、巻末に正誤表あり。ルカは6章49節まで193箇所を取り上げている。解題は、ルカの本文学演習に対しては嶺重淑、『ギリシア新約語法』については山本伸也。
蛭沼寿雄、『新約本文学史』(蛭沼寿雄著作選集第3巻)、新教出版社、2011、530頁、4410円。
解題は、前川裕。元は、山本書店、1987。印刷技術が発明され、印刷本を作成するということに当面してはじめて、真の意味の本文研究が開始された。五つの時期に分けて、有名な刊行本からほとんど知られていないものまで、本文学者のみならず本文の問題に絶えず関心を持っていた人物も含めて紹介。第一期は、グーテンベルク聖書からエラスムス、エティエンヌといった公認本文の時期。第二期は、ジョン・ミル、ベントレー、ベンゲル、ゼムラー、グリースバッハら、公認本文を元にしつつも、より真正な本文を得ようとする努力が始まった時期。第三期は、ラッハマン、ティッシェンドルフらによる、公認本文から完全に離れて、古写本から系統的に本文を選択する試みが開始された時期。第四期は、ウェストコットとホルトによる校訂本をきっかけに本文決定の作業が厳密さを増していった時期。ネストレ、フォン・ゾーデン、ストリーター、コンコルダンスで有名なモールトンなど。ハルナックやリーツマンも出てくる。塚本虎二の項は英語。第五期は、その後のメッツガー、アーラント、UBS版など。

ネストレ−アーラント

2010.10.20全面的に更新

26版と27版は本文は同一らしい。ただし、Rome16:7のユニアスは、第27版の第五修正刷り1998年から、女性形としてのアクセントが付けられたとのこと。クラウス・ヴァハテル、「ネストレ-アーラント最新版の歴史と方針」 in 日本聖書協会編『今、聖書を問う。――国際聖書フォーラム2006講義録』(日本聖書協会、2006)のp.99。

ネストレ-アーラント・デジタル版は、Digital Nestle-Alandのサイトで、NT Transcriptsをクリックして出て来た画面でPrototypeをクリック。

N/Aの序文と写本やアパラタスの記号等を説明した部分の邦訳がある。橋本滋男、津村春英訳『ネストレ=アーラント ギリシャ語新約聖書(第27版)序文』(日本聖書協会、1995)。訳は悪いというか、さらに解説が必要というか、ある程度知識がないと何を言っているのか分からない。

2012年にネストレの第28版が出た。公同書簡で"Editio Critica Maior"(ECM、『新約聖書大型批評版』)に従い(正確にはECMの公同書簡の第2版)、34箇所が変更になった。公同書簡以外は第27版と同一。ギリシャ語フォントもシャープになった(Linguist's Software, Inc.のSymbolGreekTUというフォントとのこと)。ページの左右(外側と内側)の欄外注記も大きく改訂された。27版まで巻末の付録の中にあったEditionum Differentiaeがなくなった(これはTischendorf第8版、Westcott/Hort、von Sodenなどの主要な校訂本でどの異読をテキストに採用しているかを示したもの)。

聖書批評学

『新約聖書神学事典』(教文館、1991)に、山内眞「聖書批評学」「編集史」、土戸清「伝承史」「文献批評」「様式史」などの項目あり。

日本基督教団出版局編、『聖書学方法論』、日本基督教団出版局、1979、238頁。
「T 歴史批評学的観点から」と「U 解釈学的観点から」の二部に分かれている。この第一部の方に、橋本滋男「新約本文研究」、川島貞雄「新約聖書の伝承史的研究」、荒井献「文学社会学」がある。
N.ペリン(松永希久夫訳)、『編集史とは何か』、ヨルダン社、1984(1969)、200頁、1,751円。
聖書批評の方法論の一つ。巻末の「訳者あとがき」で編集史という方法論の問題点が論じられている。その内容は、松永希久夫『「史的イエス」像考察』(東神大パンフレット、1984)と重なっているとのこと。
コンツェルマン(田川健三訳)、『時の中心 ルカ神学の研究』(現代神学双書28)、新教出版社、1965初版1966再版(1954初版1962第4版)、446頁。
第一部ルカ福音書構成要素としての地理的表象
第二部ルカの終末論
第三部神と救済史
第四部歴史の中心
第五部人間と救済(教会)
様式史の後に出て来た編集史的研究の嚆矢(『新版 総説 新約聖書』、p.34)。

3.各書の概説、緒論

緒論学は特殊緒論と一般緒論に分けられる。特殊緒論は、個々の文書の成立(著者、執筆の時期と場所、動機と目的、読者層、統一性と資料)を扱う。一般緒論は、諸文書の伝承(テキストと翻訳の歴史)及びその集成(正典の成立と歴史)を扱う。これらの課題はすべて歴史的問題に関わるゆえに、世俗的な文献学で用いられる方法によってのみ研究し答えることのできるものである。マルクスセン(渡辺康麿訳)『新約聖書緒論――緒論の諸問題への手引』教文館、1984、p.19に加筆。

3.1 初期キリスト教の変遷と各書の成立

『新共同訳 新約聖書注解T』に、橋本滋男「総論・新約聖書の歴史と文書」あり。初期キリスト教の歴史的状況をたどりながら新約27書成立の経緯を概説する。

E.シュヴァイツァー(小原克博訳)『新約聖書の神学的入門』の第1章が「口伝と最初の文書化」。

3.2 各書概説

事典項目など

『キリスト教大事典』、『小型版新共同訳聖書辞典』(キリスト新聞社)、『新共同訳聖書辞典』(新教出版社)、『新共同訳聖書事典』(日本基督教団出版局)、『岩波キリスト教辞典』に各書の項目がある。

『新約聖書神学事典』(教文館、1991)は各書が項目として挙げられ、緒論的内容が記されている。『旧約新約聖書大辞典』(教文館)の各項目も見る。

高橋虔、B.シュナイダー監修『新共同訳新約聖書注解T、U』(日本基督教団出版局、1991)の各書の序論や、その他、各注解書の緒論を見る。

聖書知識といった感じで一冊になっているもの

割と使えそうな順

日本聖書協会編、『はじめて読む人のための聖書ガイド 聖書 新共同訳 準拠』、日本聖書協会、2011、168頁、1200円+税。
B6判並製ジャケットなしのペーパーバックで手軽。旧約から新約まで66書それぞれについて、特徴、執筆目的、背景、構成を、一書につき2〜3ページで解説。記述もしっかりしている。
土戸清、『現代新約聖書入門』、日本基督教団出版局、1979、190頁、2300円。
各書ごとに、内容の区分とポイントを簡潔に提示。浅見定雄『旧約聖書に強くなる本』(日本基督教団出版局、1977)の新約版という感じの図表が多い。巻末に綴じ込み(折り込み)のすごい文献一覧表がある。今やちょっと古いけど。
A.M.ハンター(吉田信夫訳)、『現代新約聖書入門』、新教出版社、1983(19451,19805)、367頁。
新約聖書各書ごとの概説。原著初版の改訂版(1957)の邦訳は小黒薫訳『新約聖書神学入門』日本基督教団出版部、1958として出た。また、ハンターは、吉田信夫訳『新約聖書案内』(新教出版社、1978(1974)、154頁、850円)という一般の信徒向けの小さな本も出しているが、これは新約の各書を網羅していない。
ウィリアム・バークレー(高野進訳)、『バークレーの新約聖書案内』、ヨルダン社、1985(1976)、206頁。
ユニークな各書案内。
『聖書の世界・総解説』、自由国民社、1984初版、最新は2001、480頁、2625円。
たびたび版が新しくなっている。内容概観、著者・場所・目的などと思想的特色。新約の部分は、橋本滋男、山内一郎、永田竹司、速水敏彦、山内眞が執筆。

古いもの

ギュンター・ボルンカム(佐竹明訳)『新約聖書』(現代神学の焦点6、新教出版社、1972(1971)、258頁、1456円)というのもあるが、見ていない。

船本弘毅『新版 聖書の読み方』(現代キリスト教選書5、創元社、1983第2版)は、聖書とは何か、正典の成立、背景と66巻各書の極簡単な紹介、そして聖書の読み方。ジョージア・ハークネス『聖書の手引き』(熊沢義宣訳、新教新書251、新教出版社、1997、190頁、1000円)は、もともと新教新書2番であって、改訳新版を出すくらいだから内容はまともかと思ったけど、簡単すぎ。O.クルマン『新約聖書』(倉田清訳、文庫クセジュ415、白水社、1967(1966)、179頁、951円)は、各書の中心的テーマ、執筆された状況、著者や年代などを紹介。

3.3 一応しっかりと書かれた概説・緒論

割と最近出版されたもの

原口尚彰、『新約聖書概説』、教文館、2004、186頁、2500円。
新約聖書概観と時代背景、新約聖書研究法の後、各書を概説。各書ごとに参考文献リストが付けられている。物語批評、修辞学的批評、書簡論的考察などの解説が特色。
大貫隆、山内眞監修、『新版 総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、2003、544頁、7200円。
初版(1981)後20年を経て全面改定されたもの。初版の執筆者はひとりも残らず、より多くの執筆者によっている。また、初版は、共観福音書は橋本滋男、ヨハネ文書はすべて中村和夫と言った特色があったので、この「新版」は言わば別の書物と見た方がよいかもしれない。読むたびに、なるほどと感心するよりも、高い金払って買って損したと思うことの方が多い本。
大貫隆「史的イエスから福音書と使徒言行録まで」、山内眞「パウロ研究の最近の動向」、マルコ:廣石望、マタイ:小河陽、ルカ:加藤隆、ヨハネ:大貫隆、使徒:山田耕太、ロマ、コリント:青野太潮、ガラ、フィリ:山内眞、テサ、フィレ:井上大衛、エフェソ、コロサイ:永田竹司、牧会書簡:辻学、ヘブライ:笠原義久、公同書簡:辻学、小林稔、黙示録:小河陽。そして最後に、新約正典成立史:青野太潮、大貫隆、本文批評(たった6頁):土岐健治。参考文献は巻末にまとめられている。
小河陽のマタイはなかなかよくまとめられている。記述も良心的。ただ、諸説の代表的な主張者を記していただくとよかった。
ルカと使徒が別々に解説されていることについて、ルカの加藤隆は「今後は、一つの作品の前半だけあるいは後半だけを解説したり、あるいは前半と後半を別の者が担当して解説するといった不適切な習慣は訂正すべきである」と言う(p.111)。確かに一理あるが、そんなことは本文中で言うべきでない。執筆を引き受けておいて不満をあらわすのは全くの筋違いであり、読者・購入者をバカにしている。せいぜい注のような形で、「今後、同一の担当者が解説することが期待される」というぐらいの表現にしておくべき。
ざっと見たところであるが、ペトロの手紙1,2、ヨハネの手紙1,2,3の小林稔は、神学的特徴とか思想的特徴ということで何を語るべきか分かっていないように感じる。
E.シュヴァイツァー(小原克博訳)、『新約聖書の神学的入門』(NTD補遺2)、日本基督教団出版局、1999(1989)、372頁、5500円。
最初に口伝から文書化までを論じ、その後、各書を著者別年代順に解説。各書の著者年代などの緒論と執筆の意図と神学的テーマがわりといいかも。訳者あとがきによれば、「彼にとって関心のあるのは、聖書テキストの著者および著者の属する共同体が直面させられた神学的決断であり、聖書各巻がまったく多様な状況の中で生み出されつつも、そういった神学的決断が多重に織り成されることによって立ち現れる聖書の全体像である。・・・一般に書物を熟読するときには「行間」を読むということが求められる。聖書においても同様であるが、特に本書を通じて読者が知るのは聖書の「書間」を読むことの大切さ(楽しさ)であろう。」とのこと。訳者による目次と紹介記事あり

G. タイセン(大貫隆訳)『新約聖書――歴史・文学・宗教』(教文館、2003、294頁、2100円)は、新約聖書を文学史的に理解する初めての試みとのことだが、ここでは必要ないだろう。

少し前に出版されたものだけど、参考になるもの

W.マルクスセン(渡辺康麿訳)、『新約聖書緒論――緒論の諸問題への手引』、教文館、1984(19631, 19784)、531頁、5500円。
第1章「神学的課題としての新約聖書緒論」で、「緒論」という表現とその内容の問題、緒論学がどういう意味で神学的であるか、釈義との関係などを論じる。ちなみに、緒論学という歴史的研究は「正典という教義上の概念の重荷」から解放されているにも拘わらず、対象を新約聖書の27書に限定する理由は、新約聖書が「世界文学として・・・他の文書には見られないような影響を後世に及ぼしてきた」からとする。
『総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、1981、552頁。
序説と最後の新約正典成立史を川島貞雄、共観福音書を橋本滋男、ヨハネ文書すべてを中村和夫、使徒行伝を荒井献、パウロ書簡(2テサを含む)を松永晋一、エペソ・コロサイと牧会書簡を川島貞雄、ヘブル人・ヤコブ・ペテロ・ユダを川村輝典。

これ以前の日本人によるものは古い順に、石原謙『新約聖書』(岩波書店、1935)、高柳伊三郎『新約聖書概論』(新教出版社、19521、19563)、渡辺善太、岡村民子『新約聖書各巻概説』(日本基督教団出版局、1954)、前田護郎『新約聖書概説』(岩波書店、1956)、山谷省吾『新約聖書解題』(改訂版、新教出版社、1958)、竹森満佐一『新約聖書通論』(新教出版社、1958)。

翻訳で、G.E.ライト、R.H.フラー(平野保訳)、『現代聖書入門――新約の部』、日本基督教団出版部、19631,19662(1963)、284頁。原題は"The Book of The Acts of God"で、原著の副題は「現代聖書学の聖書解釈」。原著の全体は、第一部 イスラエルの歴史、第二部 預言文学、礼拝文学、知恵文学、第三部 旧約と新約の間、第四部 新約聖書で、「現代における学界の成果を十分にとりいれたうえで、最も妥当と思われる結論をきわめてやさしく」一般の人々向けに解説したもの。邦訳はこの第四部を訳したもの。「序」は竹森満佐一。

その他

辻学、『偽名書簡の謎を解く――パウロなき後のキリスト教』、新教出版社、2013、233頁、2200円+税。

4.神 学

4.1 体系的著作

新約聖書神学の叙述の仕方には、(1)新約聖書を一括して、贖罪論、キリスト論、教会論、終末論というように項目別に述べる方法と、(2)イエス、原始教会、ヘレニズム的教会、パウロ、ヨハネというように歴史的な展開に沿って述べる方法とがある(平野保『新約聖書の贖罪論』(東神大パンフ14)、p.4)。土戸清『現代新約聖書入門』の巻末折り込み文献表でも同様の分類をしている。現在は(2)の方が主流。平野によれば、「新約聖書の神学の歴史的な再建をめざす新約神学としては、このほうがよりふさわしい」。以下に挙げた中でどれか一冊と言ったら、やはりキュンメルか。

新約聖書全体を貫く主要思想を項目にしたがって体系化したもの

E.シュタウファー『新約聖書神学』(村上伸訳、日本基督教団出版部、1964(1941)、590頁)は、「第一部 原始キリスト教神学の生成過程」、「第二部 新約聖書のキリスト中心的な歴史神学」として「創造と堕落」「律法と約束」「キリストの出来事」「教会と世界の出来事」「現在と将来」、「第三部 原始教会の信仰定式」。種々の文書群を個別に評価していない点で「構想と展開で独断的」(E.ローゼ『新約聖書神学概説』、p.15)。

新約聖書全体を貫く主要思想を項目にしたがって体系化したものには、シュタウファーの他に、A.リチャードソン(渡辺英俊、土戸清訳)『新約聖書神学概論』(日本基督教団出版局、1967(1958)、657+45頁)があるが、大著。G.D.フィー『新約聖書の釈義』では、シュタウファーは「より穏健な神学的立場のもの」として紹介されているが、リチャードソンは挙げられていない。

歴史の発展に沿って新約思想を体系化したもの

W.G.キュンメル(山内眞訳)、『新約聖書神学 イエス・パウロ・ヨハネ』(NTD補遺3)、日本基督教団出版局、19811,19993(19691,19722)、536頁。
2006年度からオンデマンドで7350円。G.D.フィー『新約聖書の釈義』ではシュタウファーと並んでこれも、「より穏健な神学的立場のもの」として紹介されている。某先輩によれば、「手元に置いておいて有用な本」らしい。イエスの告知と、パウロ書簡、ヨハネ文書の神学に限定して説明している。原著の参考文献表に挙げられた文献には邦訳されているものもあるが、そのことはまったく記されていない。
第1章共観福音書におけるイエスの告知
第2章原始教団の信仰告白
第3章パウロの神学
第4章第四福音書とヨハネ書簡のキリスト使信
結 論イエス−パウロ−ヨハネ・新約聖書の中心

ブルトマン『新約聖書神学』(川端純四郎訳、ブルトマン著作集3-5、新教出版社)以降のものとして、他に、エレミアス『イエスの宣教――新約聖書神学T』(角田信三郎訳、新教出版社(新生シリーズ7)、1978(19732)、614頁、4800円)や、コンツェルマン『新約聖書神学概論』(田川健三、小河陽訳、新教出版社、1974(1967)、544+26頁)は、いずれも専門的な大著。G.D.フィー『新約聖書の釈義』では、ラディカルで実存的な見解のものとしてブルトマンの『新約聖書神学』とこのコンツェルマンを挙げている。

E.ローゼ『新約聖書神学概説』(小河陽訳、日本基督教団出版局、1982(19741,19772)、326頁)はこれらの中では最も薄い教科書。「第1章 イエスの宣教」、「第2章 最初期キリスト教の宣教使信」、「第3章 使徒パウロの神学」、「第4章 共観福音書の神学」、「第5章 ヨハネによる福音書とヨハネの手紙の神学」、「第6章 教会の使徒的教説」。

日本人によるものには、山谷省吾『新約聖書神学』(教文館、1966、338頁)。「第一部 イエス」、「第二部 エルサレム教会」、「第三部 パウロの神学」、「第四部 パウロ以降の神学」、「第五部 ヨハネの神学」という構成。他に、松木治三郎『新約神学T』(新教出版社、1972、306+24頁)は、全3巻の構想だったが続きは完成しなかった。

新約聖書神学の方法論的なもの?

P. シュトゥールマッハー(原口尚彰訳)、『聖書神学をどう行うのか――聖書神学の構想と実行』(聖書の研究シリーズ56)、教文館、1999、140頁、1995円。
H. ボアズ(高橋敬基訳)、『新約聖書神学とは何か――批評学の興隆と新約聖書の神学の問題』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1985、174頁、1890円。
18世紀のJ.P.ガブラーによる「純正聖書神学」と「純粋聖書神学」の区別に沿って、前者としてヴレーデ、ブセット、シュラッター、後者としてブルトマン、ブラウンの方法論を論じる。

他に、川村輝典、『新約聖書神学の歴史と課題』、一麦出版社、2007、253頁、4620円。

最近のもの

フェルディナント・ハーン『新約聖書神学』、日本基督教団出版局。
『新約聖書神学T 上』(大貫隆、大友陽子訳)、2006、550頁、12000円+税。
『新約聖書神学T 下』(須藤伊知郎訳)、2007、538頁、12000円+税。
『新約聖書神学U 上』(大貫隆、田中健三訳)、2013、642頁、12000円+税。
『新約聖書神学U 下』(訳)、2015?。
他に、ハーンの邦訳は、勝田英嗣訳『新約聖書の伝道理解』、新教出版社、2012、240頁、3990円。越川弘英訳『新約聖書の礼拝――初期教会におけるその形を尋ねて』、新教出版社、2007、180頁、2100円。
原口尚彰、『新約聖書神学概説』、教文館、2009、192頁、2625円。

4.2 NTD補遺

気になったのでいちおうNTD補遺の邦訳をまとめておく。いずれも日本基督教団出版局から。原著の出版状況は、出版元であるVandenhoeck & Ruprechtのリストamazon.deを参照。

NTD補遺1: E.ローゼ(加山宏路、加山久夫訳)、『新約聖書の周辺世界』、1976(19711,19742)、378頁、3500円。
NTD補遺2: E.シュヴァイツァー(小原克博訳)、『新約聖書の神学的入門』、1999(1989)、372頁、5500円。
NTD補遺3: W.G.キュンメル(山内眞訳)、『新約聖書神学 イエス・パウロ・ヨハネ』、19811,19993(19691,19722)、536頁、6500円。
NTD補遺4: H.-D. ヴェントラント(川島貞雄訳)、『新約聖書の倫理』、1974、308頁。
NTD補遺5: H.コンツェルマン(田中勇二訳)、『原始キリスト教史』、1985(19763)、302頁。
NTD補遺6: P.シュトゥールマッハー(斎藤忠資訳)、『新約聖書解釈学』、1984(1979)、414頁、5200円。

4.3 その他 (というか未整理)

ジェイムズ・D・G・ダン(Dunn)(山田耕太訳)、『新約学の新しい視点』、すぐ書房、1986、134頁。
イギリスのダラム大学(University of Durham)神学部のダン教授の教授就任講演『基盤を点検する――新約学の現代の潮流』(1984)と、マンソン記念講演の『パウロ研究の新しい視点』(1983)。巻末の訳者による「イギリスの視点から――解説」は30頁にわたり、イギリスの新約学と注解書の系譜に詳しい。『基盤を点検する』によると、現代の(と言ってももう20年前)新約学の中心は、4つの領域がある。1.一世紀のキリスト教の起源に関する社会学的アプローチ、2.死海文書発見、外典儀典研究の進展、ラビ文献の整備などをうけたユダヤ教とキリスト教の連続・不連続の研究、3.福音書の伝承史研究、4.文学批評など聖書解釈の歴史学的アプローチをめぐる解釈学。
A.M.ハンター(竹森満佐一訳)、『新約聖書の信仰』(新教新書4)、新教出版社、1959初版、1997復刊(1943)、186頁、1000円。
1997年に名著復刊第3集「聖書に学ぶ」の10冊の内の一つとして復刊。原題は "The Unity of the New Testament"。序論で「統一を求めて」、「分析の危険」、「批評的考察」、その後、「ひとりの主」、「一つの教会」、「一つの救い」の三章。
O.クルマン(前田護郎訳)、『キリストと時』、岩波書店、1954(1948)、304頁。
ちなみに、松永希久夫が選ぶ20世紀の名著5冊は、このクルマン『キリストの時』と、ブルトマン『歴史と終末論』、バルト『ロマ書』、アウレン『勝利者キリスト』、ニーグレン『アガペーとエロース』。
桑田秀延によれば、「これは教会と社会との関わり合いということを助けるような線に役立っています」。桑田は他に、ヴィサー・トーフト『キリストの王権』も、「(神の国を代表する)教会は、現在にあっても、少し政治に関わらなければならない、という線を出した」。(明治学院大学キリスト教研究所編『日本の神学思想史に現われた神学の問題と人物』、キリスト新聞社、1976、pp.39-40)

オスカー・クルマン(Oscar Cullmann, 1902.2.25-1999.1.16)

2010.10.20全面的に更新
前田護郎訳、『キリストと時――原始キリスト教の時間観及び歴史観』(岩波現代叢書)、岩波書店、1954。
由木康訳、『原始教会の信仰告白』(聖書学叢書4)、新教出版社、1957。
由木康、佐竹明訳、『原始キリスト教と礼拝』(聖書学叢書5)、新教出版社、1957。
荒井献訳、『原始教会の伝承――釈義的・歴史的・神学的問題』(聖書学叢書6)、新教出版社、1958。
荒井献訳、『ペテロ――弟子・使徒・殉教者』(現代神学双書)、新教出版社、1965。
岸千年、間垣洋助訳、『霊魂の不滅か死者の復活か』、聖文舎、1966。
倉田清訳、『新約聖書』(文庫クセジュ415)、白水社、1967。
岩崎修訳、『キリスト者の連帯のために――カトリックとプロテスタントへの提案』、聖文舎、1968。
宍戸達訳、『洗礼とは何か』、新教出版社、1971。
カール・バルト「教会の洗礼論」とクルマンの「新約聖書の洗礼論」。
川村輝典訳、『イエスと当時の革命家たち』(アルパ新書33)、日本基督教団出版局、1972。
土岐健治、湯川郁子訳、『クリスマスの起源』、教文館、1996。
川村輝典訳、『新約聖書における祈り』(聖書の研究シリーズ54)、教文館、1999。

その他、聖心女子大学カトリック文化研究所編『公会議と教会一致 第3輯』(中央出版社、1966)の中に、クルマンの「我々の期待は満たされたか」があるようだ。

『ブルトマン著作集8 聖書学論文集2』(新教出版社、1985)の中に、「救済史と歴史――オスカー・クルマン『キリストと時』について」という論文があるらしい。

C.H.ドッド(平井清訳)、『使徒的宣教とその展開』(新教新書68)、新教出版社、1962初版、1997復刊(1936)、136頁、1000円。
1997年に名著復刊第3集「聖書に学ぶ」の10冊の内の一つとして復刊。「第1章 原始教会の宣教」、「第2章 福音書」、「第3章 パウロとヨハネ」、「付録 終末論と歴史」。
エレミアス(川村輝典訳)、『新約聖書の中心的使信』(新教新書120)、新教出版社、1966初版、1997復刊(1959-1965)、219頁、1000円。
1997年に名著復刊第3集「聖書に学ぶ」の10冊の内の一つとして復刊。「史的イエスの問題」「主の祈り」「山上の説教」の3論文と、4つの講演をまとめた「新約聖書の中心的使信」(「アバ」、「犠牲の死」、「信仰による義」、「啓示の言葉」)。エレミアスの著作には他に、『イエスの聖餐のことば』(田辺明子訳、日本基督教団出版局、1974、460頁、6500円、第3版は新装版)や、『イエスの宣教』(角田信三郎訳、新教出版社、1978、614頁、4800円)があるが、いずれも専門的な大著。『イエスの譬え』は下述。
ジェームズ・デニー(松浦義夫訳)、『キリストの死』(ジェームズ・デニー著作集第2巻)、一麦出版社、2008。
『ジェームズ・デニー著作集』全4巻、すべて松浦義夫訳。第1巻「イエスと福音」(2007、518頁、6720円)、第2巻「キリストの死」(2007、463頁、6300円)、第3巻「神学研究」(2007、328頁、5670円)、第4巻「キリスト教の和解論」(2008、431頁、5880円)。帯や出版案内などによれば、「ルターやカルヴァンとともに、座右に置かねばならぬ偉大な魂の書物」(熊野義孝)、「わたしの神学を決定づけた」(竹森満佐一)、「これをバルトの全著作と交換してもよい」(A.M.ハンター)。「一麦出版社から「ジェームズ・デニー著作集」全四巻が出版された。そのすべてに注目せよ。しかしその中で最も有名なのがこの『キリストの死』である』。」(大木英夫による書評、『本のひろば』2008.11、p.12)。『キリストの死』はかつては椿憲一郎訳『キリストの死――新約聖書・説教・神学における贖罪』、新教出版社、1992。
リチャード・ヘイズ(東方敬信、河野克也訳)、『新約聖書のモラル・ビジョン――共同体・十字架・新しい創造』、キリスト新聞社、2011、172頁、1890円。
「第1章 研究領域の地図作り――新約聖書倫理学への接近」、「第2章 ストーリーをあらためて語る――信仰の基準と新約聖書倫理学の作業」、「第3章 キリスト教倫理に対する史的イエスの意義」、「第4章 男性と女性――メタファー的方法の実例」
「神学は語る」シリーズ
ウィリアム C.スポーン(徳田信訳)、『聖書とキリスト教倫理』、日本基督教団出版局、2010、210頁、2520円。
スコット・M. ルイス(吉田忍訳)、『新約聖書と黙示』、日本基督教団出版局、2011、162頁、2310円。
笠原義久、『新約聖書入門』(新教新書275)、新教出版社、2013、208頁、1575円。
新教ブックスから2000年に出たものに、内容をアップデートし文献表を新たに付加して、今度は新教新書で復刊。元は『教師の友』連載の全25講。

5.イエス

史的イエスと福音書

G.N.スタントン(松永希久夫、石渡浩二、北川美奈子、渡辺善忠訳)、『福音書とイエス』(オックスフォード聖書概説シリーズ)、ヨルダン社、1998(1989)、448+14頁、4600円。
様式史批判と編集史批判から、各福音書の史的イエス像とともに、福音書記者の編集の意図に基づくイエス・キリスト像を明らかにする。さらに物語批判の視点から、各福音書の劇中主人公としてのイエス像を描き出そうとしている。巻末に日本語の文献表、語句索引、聖句索引あり。
松永希久夫、『歴史の中のイエス像』(NHKブックス572)、日本放送出版協会、1989、238頁、874円。
「NHK市民大学」(TV:1987.4-6、ラジオ1988.10-12)のでなされた講義テキストを元に大幅に加筆された12章。歴史上の人間としてのイエス像を聖書から描き出し、そこからなぜキリスト教が出発したのかを明らかにする。当時奇蹟を行う者は他にもいた中で、なぜイエスのみが「主の日」の到来と結びつけられ、キリストとして歴史に新しい生命を吹き込み続けているのか。特に、第5-8章を費やして旧約聖書のイスラエル(=神の支配)の歴史をたどって、「神の国」の概念を掘り下げる。第二部では付論的に、神との人格的関係と原罪の問題、奇蹟の解釈に関するいくつかの異なる立場の紹介と奇蹟を考える時の観点について、聖書の学問的研究分野の紹介と著者の立場を取り上げている。聖書箇所索引があればよかった。
松永希久夫の著書等の一覧のページに内容紹介文あり。
松永の著書では他に、一般向けの読み物として、『イエスの生と死――聖書の語りかけるもの』(NHKライブラリー143)、日本放送出版協会、2001、334頁、1020円。
J. H. チャールズワース(中野実訳)、『これだけは知っておきたい史的イエス』、教文館、2012、368頁、3045円。
史的イエスについて論点をまとめたもの。「なぜ「イエス研究」は必要なのか?」から始まる27の問いに答える。
リチャード・ボウカム(山口希生、横田法路訳)、『イエス入門』、新教出版社、2013、200頁、1995円。
Richard Bauckham, "Jesus: A Very Short Introduction," 2011。

大貫隆、『イエスという経験』、岩波書店、2003、288頁、3675円。G.タイセン(日本新約学会編訳)、『イエスとパウロ――キリスト教の土台と建築家』、教文館、2012、288頁、2310円。ジョン・ドミニク・クロッサン(飯郷友康訳)、『イエスとは誰か――史的イエスに関する疑問に答える』、新教出版社、2013、192頁、1900円+税。

研究史をがんばってまとめたもの

大貫隆、佐藤研編、『イエス研究史――古代から現代まで』、日本基督教団出版局、1998、431頁、6000円。
T 古代と中世におけるイエス
第一章古代キリスト教著作家とイエス井谷嘉男
第二章中世宗教劇におけるイエス伝川嶋均
U 近・現代の聖書学におけるイエス
第三章聖書学の黎明期のイエス研究
  ――H.S.ライマールスからW.ヴェレーデまで
山田耕太
第四章E.ルナンからA.シュヴァイツァーまでのイエス研究加藤隆
第五章宗教史学派のイエス像佐藤研
第六章様式史学派のイエス研究小河陽
第七章ブルトマンとその弟子たちの論争
  ――「史的イエス」とケーリュグマの関係をめぐって
青野太潮
第八章ブルトマンの対抗者たちのイエス研究川島貞雄
第九章社会学・社会史学派のイエス研究大貫隆
第十章カトリックのイエス研究三好迪(みよしみち)
第十一章ユダヤ教のイエス研究三好迪
第十二章現代英語圏のイエス研究山内眞
第十三章日本・韓国・台湾のイエス研究金子啓一
第十四章フェミニスト神学のイエス研究山口里子
V 文学におけるイエス
第十五章現代日本のキリスト教徒作家のイエス像
  ――椎名麟三、遠藤周作、小川国夫の場合
山形和美
第十六章ドストエフスキーにおけるイエス像芦川進一
第13章で言及されている松永希久夫について、「金子氏らの歴史理解の欠点は、思想・概念が先にあって伝承が出てくるとの前提にあり、・・・これは、この書全体が持っている現代聖書学の弱さでもある。共同体の持つ宗教理念が先行し、それに適した人材が神話化され、宗教ができると考えている・・・」(松永希久夫、「キリストの十字架と栄光」、『紀要5』東京神学大学総合研究所、2002、p.59)

古いものとか

A.M.ハンター(岡田五作、川島貞雄訳)、『史的イエスと福音書』、教文館、1976(1969)、252頁。
第一部は旧約と新約の短い概説。第二部が「イエスと福音書」で、その第6章は主の祈り、第7章山上の説教、第8章イエスの奇跡、第9章イエスの譬え。第三部は史的イエスの探求。多くの章は夕拝で「講話」として語られたもの。
J.S.ステュアート(椿憲一郎訳)、『受肉者イエス――その生涯と教え』、新教出版社、197912004復刊(1933119572)、334頁、2800円。
神学書というよりは信仰書。全体としてはイエス伝を形作りつつ、福音信仰の要点を堅実に語る。ほぼ均等な分量の21章からなる。「訳者あとがき」によれば、「英語圏の標準的な『イエス伝』として広く読み続けられている」。元来は、青少年の信仰教育の指導者向けに書かれたようだ。初心者や求道者が指導者と共に読み進めるのに適している。竹森満佐一が「信仰の書として非常に優れている」と評価していたとのこと。

譬 え

ドッド、エレミアス、ハンター

C.H.ドッド(室野玄一、木下順治訳)、『神の国の譬』、日本基督教団出版部、1964(19351,1961)、292頁。
「革新的研究の一つの頂点をなした。・・・イエスの譬えを初めてイエスの生活状況に位置づける試みを成功させた」(土戸清「譬え話」、『新約聖書神学事典』)。第二章で「実現している終末論」(realized eschatology)として神の国を理解する(65頁)。なお、竹森満佐一は「成就した終末論」と訳している。「この第二章は、神の国についての古典的な文献の一つとなった」(高柳伊三郎、佐藤敏夫他編『キリスト教名著案内 上』(現代と教会新書)、日本基督教団出版局、1965、207-208頁)
エレミアス(善野碩之助訳)、『イエスの譬え』(現代神学双書41)、新教出版社、1969(1966)、286頁。
オンデマンド版あり。「ドッドの解釈の詳細部分を明確にした」(土戸清「譬え話」、『新約聖書神学事典』)。イエスの譬えを10に分類しているらしい。
A.M.ハンター(高柳伊三郎、川島貞雄訳)、『イエスの譬・その解釈』、日本基督教団出版部、1962(1960)、286頁。
ドッドとエレミアスに負いつつも、より洗練された譬え理解を示す。まず、譬えの解釈の歴史を概観した後、2000年前のパレスチナの特殊な歴史的状況の中で語られた譬えが、現代の我々になおも話しかけることが出来るかという課題を根底に持って、譬えの意味を論じる。特に、譬えの寓喩的解釈の問題と、譬えの道徳的解釈の可能性を探る。
A.M.ハンター(吉田信夫訳)、『イエスの譬えの意味』、新教出版社、1982(19711,19794)、212頁。
『イエスの譬・その解釈』の続編。イエスの主要な譬えを五つに区分して解説している。特徴は、第一に、『イエスの譬・その解釈』ではイエスが語った「その時」に強調点があったが、本書では「今」に強調点があり、今日の我々の窮状に対して語らせている。第二に、『イエスの譬・その解釈』以降の聖書学の成果を取り入れている。第三に、より平易に、一般の人向けに語られている。

その後の研究(翻訳)

N. ペリン(高橋敬基訳)、『新約聖書解釈における象徴と隠喩』(聖書の研究シリーズ)、教文館、1981(1979)、347頁。
J.デュポン(石脇慶総訳)、『イエスのたとえ話』(新教新書227)、新教出版社、1988(1977)、147頁、700円。
デュポンはカトリックの学者。「T 行動の場――行動に始まり行動を目指すもの」、「U 対話という方法」、「V 経験に基づく説得力」の三部立て。
ヴォルフガング・ハルニッシュ(廣石望訳)、『イエスのたとえ物語――隠喩的たとえ解釈の試み』、日本基督教団出版局、1993。
教団出版局の目録にない(品切れリストにもない)。
デイヴィッド・B. ガウラー(駒木亮訳)、『たとえ話』(神学は語る)、日本基督教団出版局、2013、202頁、2730円。
第1章は歴史的批判的アプローチ、第2〜3章は文学的アプローチの出現と成熟、第4〜5章はたとえ話のユダヤ的文脈とヘレニズム的文脈、第6章は社会的文脈、第7章は「直喩と隠喩から象徴と象徴言語へ」。

最近の日本人による研究

2015.11.23全面的に更新

坂口吉弘、『ラビの譬え イエスの譬え』、日本基督教団出版局、1992。見たことないので不明。

川島重成、『イエスの七つの譬え――開かれた地平』、三陸書房、2000、216頁、2415円。
著者はホメロス叙事詩やギリシア悲劇の研究を専門とする西洋古典学者。専門性を備えつつしかし一般向けの言葉で書かれている。取り上げられているのは、種蒔きの譬え、よきサマリア人、盛大な宴会、見失った羊、放蕩息子、不正な管理人、ぶどう園の労働者。三陸書房のサイトの紹介ページで各種の書評を読める。
廣石望、『信仰と経験――イエスと<神の王国>の福音』、新教出版社、2011、360頁、2835円。
出版前の予告では「神の王国」というかぎ括弧であったり、「福音」ではなく「倫理」となっていることもあった。上智大学の夏期神学講習会での7つの講義が元になっている。「復活者キリストの宣教命令」、「〈神の王国〉と歴史」、「イエスと儀礼」、「福音書――文化の中の福音」、「信仰と経験」、「〈神の王国〉の倫理」、「人とメタファーの言語」。イエスの譬えについての最新のすぐれた議論とのこと。

講 解

加藤常昭、『主イエスの譬え話』(加藤常昭信仰講話3)、教文館、2001、296頁、2000円。
FEBCで語られたものを読む言葉に書き直した信仰講話全7巻のうちの一つ。
石丸新、『イエスの終末のたとえ――ルカの使信』(聖恵・教育シリーズ9)、聖恵授産所、2003、126頁、1200円。
ルカの終末に関するたとえ話7つの講解。11:5-13、12:13-21、12:35-48、16:1-13、16:19-31、19:11-27、21:34-36。ただし、最初の一つはイエスのたとえ話の目的などの概説。その他は、だいたい節ごとの講解を含んでいる。

一般向け

船本弘毅、『イエスの譬話――生きる道しるべ』、河出書房新社、2001、222頁、1470円。

加藤隆、『新約聖書の「たとえ」を解く』(ちくま新書)、2006、740円。

放蕩息子

2010.10.20全面的に更新
シュニーヴィント(蓮見和男訳)、『放蕩息子』(新教新書)、1961初版、1997復刊。
ルカ15章の講解。他に2編を収録。「イエスは復帰ということをどのように理解されたか」は、バプテスマのヨハネとイエスの呼びかけた悔い改め=復帰について。もう1編は「新約聖書における喜び」。
ヘンリ・ナウエン(片岡伸光訳)、『放蕩息子の帰郷――父の家に立ち返る物語』、あめんどう、2003。
大塚野百合、『ヘンリ・ナウエンのスピリチュアル・メッセージ――レンブラントの名画「放蕩息子の帰郷」をめぐって』、キリスト新聞社、2004。もある。
宮田光雄、『≪放蕩息子≫の精神史――イエスのたとえを読む』(新教新書271)、新教出版社、2012、190頁、1470円。
後半は、宮田光雄『新約聖書をよむ――『放蕩息子』の精神史』(岩波ブックレット337、クラシックスと現代)(岩波書店、1994)に加筆。
ケネス・E.ベイリー(森泉弘次訳)、『ヤコブと放蕩息子』、教文館、2006、336頁、3990円。
ヤコブ物語と放蕩息子の譬えの比較。イエスはヤコブ物語を元にして放蕩息子のたとえを語ったとし、その意図を探る。

奇 跡

R.H.フラー(早川良躬訳)、『奇跡の解釈』、日本基督教団出版局、1978(1963)、180頁。
奇跡物語について古いところでは、A.リチャードソン(小黒薫訳)、『福音書における奇跡物語』、日本基督教団出版部、1958(1941)、172頁。でも薄い本。

最近の書で、雨宮慧、『なぜ聖書は奇跡物語を語るのか』(雨宮慧聖書講話集1)、教友社、2012、153頁、1260円。

山上の説教

「もし今ドイツで、山上の説教を新約聖書的な意味において、満足に解き明かしすることができるとすれば、教会は国家社会主義に対して、何も直接的な言葉を言わなくても、完全に一つの決断を行うであろう。」(カール・バルト「証人としてのキリスト者」の中の「討論」の最後の方でナチズムとの戦いに関して語った言葉)

「主の祈り」については、「三要文」の中の「主の祈り」の文献を見る。

八福(九福)の部分のみのもの

加藤常昭、『聖書の読み方』、日本基督教団出版局、1961初版、1984新装版、144頁、1100円。
第2章「聖書のこころ」で山上の説教の八福(10節まで)を一つひとつ平易に読み解く。
R. ボーレン(加藤常昭訳)、『祝福を告げる言葉――R.ボーレン説教集』(現代世界説教選)、日本基督教団出版局、1979(1969)、261頁。
1960-61年頃になされた、「幸いなるかな」の各所を一つずつ取り上げた説教集。詩編1,32,84:4,84:12,112:1,119:1-2、マタイ5:3-10の各節と11-12、11:6,16:13-20。
ウィリアム・バークレー(吉田信夫訳)、『山上の説教に学ぶ――神に祝福される人々』、日本基督教団出版局、1992(1964)、166頁。
マタイ5章の八つの祝福の講解(12節まで)。ギリシャ語の意味を丁寧に説明しながらも、専門的になりすぎず、一般信徒にも読まれているというなかなかの良書。
ヴァルター・リュティ(野崎卓道訳)、『祝福される人々――山上の説教抄講解』、新教出版社、2009(1961)、169頁、1680円。
マタイ4:23〜5:3を第一とする九つの説教。訳者あとがきの中で、リュティの邦訳書が挙げられているが、井上良雄編訳『我は初めなり終わりなり』(新教新書43、1960年)が抜けている。また、リュティの生涯と説教の特徴について簡潔に紹介されている。訳者は自身の仕える教会の聖書研究祈祷会において一章ずつ学んだと言うが、ちょっと難易度が高く、しかも一つの幸い章句について数回は必要。

講 解

日本での出版順。

D.ボンヘッファー(森平太訳)、『ボンヘッファー選集3 キリストに従う』、新教出版社、19661,19722、375+12頁。
原題"Nachforge," 1937。この中のpp.96-217がマタイ5〜7章の講解。
G.アイヒホルツ(村上伸訳)、『山上の説教』、日本基督教団出版局、1972(19651,19702)、307頁。
短い緒論と講解。
山内眞、『山上の説教』(東神大パンフレット13)、東京神学大学出版委員会、1976、107頁。
「第一部 成立過程、文学様式、内容」と「第二部 注解」。
A.M.ハンター(禿準一、渡辺正男訳)、『山上の説教講解』、日本基督教団出版局、1977(1965)、206頁。
「第一部 山上の説教の形成、様式、内容」、「第二部 山上の説教の釈義」、「第三部 山上の説教の意味」。
G.シュトレッカー(佐々木勝彦、庄司真訳)、『「山上の説教」註解』、ヨルダン社、1988(19841,19852)、405+5頁。
なかなか本格的な秀作。
E.シュヴァイツァー(青野太潮、片山寛訳)、『山上の説教』(聖書の研究シリーズ31)、教文館、1989(1982)、246頁。
NTDのマタイの山上の説教の部分を抜き出して若干改訂したもの。
井上良雄、『山上の説教――終末時を生きる』、新教出版社、1994。
2006年重版、253頁、2310円。
ハンス・ヴェーダー(嶺重淑、A. ルスターホルツ訳)、『山上の説教――その歴史的意味と今日的解釈』、日本基督教団出版局、2007、322頁、5670円。
齋藤正彦、『幸いへの招き――山上の説教に学ぶ』、新教出版社、2010、200頁、1890円。
マタイ5:3〜7:29。「幸い章句」も1節あたり2〜3頁ほどで語った、信徒向けの簡潔なメッセージ。

全体的な議論をしているもの

モルトマン他(佐々木勝彦、庄司真訳)、『山上の説教を生きる――服従と山上の説教』、新教出版社、1985(1981)、181頁。
山上の説教からキリスト者の政治的実存と政治的責任について探る。モルトマン「序言」、W.H.シュミット「旧約聖書の倫理の諸想」、U.ルツ「山上の説教――その影響史に映し出された姿」、R.ハインリヒ「神――徹底的に貧しい人々の神となられた方 マタイ福音書五・三に生きる」、ゴルヴィツァー「山上の説教と二王国説」。
トゥルナイゼン(蓮見和男、池永倫明訳)、『トゥルナイゼン著作集1 山上の説教 ピリピ人への手紙』、新教出版社、1986(山上の説教1936、ピリピ1958)、260頁、2000円。
バルトらの『今日の神学的実存』双書の一つとして出版されたもの。かつて蓮見和男によって訳されたもの(バルト、トゥルナイゼン、『山上の垂訓』、新教出版社、1953)が全面的に改訳された。「組織的に一貫した流れを求めている」(序文)。4つの章からなり、70頁ほど。
W.D.デーヴィス(松永希久夫他訳)『イエスの山上の説教』(聖書の研究シリーズ35)、教文館、1991(1966)、268頁、3000円。
山上の説教の位置づけに限定して専門的に論述したもの。と言っても、本格的な学術書を牧師や神学生のために簡潔にしたもののようだ。
U.ルツ(原口尚彰訳)、『マタイの神学――イエス物語としてのマタイ福音書』(聖書の研究シリーズ46)、教文館、1996(1993)、262頁、3255円。
第三章が「山上の説教」で、「山上の説教は誰に向けられているのだろうか?」、「山上の説教の構造」、「神の御心。反対命題と敬虔の規則」、「裁き」。
また、ウルリヒ・ルツ(関西学院大学神学部編)、『マタイのイエス――山上の説教から受難物語へ』、日本基督教団出版局、2005、96頁、1680円。五つの講演録。この中に「山上の説教と政治」がある。
佐藤泰將、『主の祈りと山上の説教――新たな解釈の試み』(大森講座21)、日本キリスト教会大森教会(発売:新教出版社)、2006、102頁、900円。
原口尚彰、『幸いなるかな――初期キリスト教のマカリズム(幸いの宣言)』、新教出版社、2011、200頁、4935円。
『教会と神学』(東北学院大学)や『新約学研究』などに掲載された一連の論文をまとめた専門的な研究。

講解説教

マルティン・ルターの「山上の説教」の説教は、ルーテル学院大学ルター研究所編(徳善義和、湯川郁子、三浦謙訳)『ルター著作集 第2集 第5巻』(リトン、2007)にある。

加藤常昭、『山上の説教』(上・下)、ヨルダン社、1980。
教文館の『加藤常昭説教全集』(全30巻)ではどうなっているのだろうか?
竹森満佐一、『講解説教 山上の説教』、新教出版社、1990。
2006年からオンデマンド。
D.M. ロイドジョンズ(井戸垣彰訳)、『山上の説教』、いのちのことば社、2009、768頁、7980円。
『山上の説教』(上・下)、聖書図書刊行会、上:1970、下:1972の合本。マタイ5〜7章の説教。

アグラファ

四福音書以外に記されている主イエスの言葉、アグラファ(ἄγραφα)のうち、聖書にあるもの。以下は、『新約聖書神学事典』教文館、1991の山内眞「アグラファ」の項を参考に作成した。

口伝が引用された形式とみられるもの

使徒1:4-5「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。・・・」
使徒1:7-8「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。・・・」
使徒20:35「受けるよりは与える方が幸いである」
ロマ14:14「それ自体で汚れたものは何もない」
1コリ7:10「妻は夫と別れてはいけない。」
1コリ9:14「福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るように」
1コリ11:24-25 主の晩餐の制定語
2コリ12:9「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
1テサ4:16-17 15節に「主の言葉に基づいて次のことを伝えます」とある。「合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、・・・」

パウロの回心の際の言葉

使徒9:4-6、10-12、15-16、22:7-10、26:14-18。

幻の中でパウロに語られた言葉

使徒18:9-10「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、・・・」
使徒22:18「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。」
使徒22:21「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。」
使徒23:11「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

ヨハネの黙示録

1:1に「キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったもの」とあるので、全体が主の言葉なのだが・・・。

黙示録1:8「わたしはアルファであり、オメガである。」21:6、22:13にも。
黙示録1:11、17-20、2章〜3章。
黙示録4:1?
黙示録16:15「見よ、わたしは盗人のように来る。・・・」
黙示録22:10-16(16節に「わたし、イエスは」とある)
黙示録22:20「然り、わたしはすぐに来る」

写本による異文

ベザ写本のルカ6:4と5の間にある異読:「同じ日に、彼は安息日に仕事をしている男を見たので、その男に言った。『男よ、あなたが自分のしていることを知っているなら、あなたは幸いである。しかし、もし知らないなら、あなたは呪われ、律法の違反者である』」。(『新聖書大辞典』キリスト新聞社、1971の「外典(新約)」の項の蛭沼寿雄による「アグラファ」の部分による)
コリデティ写本のルカ10:16にある異読:「そして、私に聞き従う者は、私を遣わした方に聞き従う。」(『新約聖書神学事典』教文館、1991の山内眞「アグラファ」の項による)

6.パウロ・ペトロ

6.1 パウロ

パウロ研究は、ブルトマン『新約聖書神学』(『ブルトマン著作集』3〜5、新教出版社)と彼の一連の論考によって、大きく転回した。それ以降のパウロ研究はブルトマンへの反論として展開している。ブルトマンの文献については、熊澤義宣『ブルトマン』(日本基督教団出版局、1962初版、1965増訂版、1987増補改訂新版(第5版))参照。

パウロ研究の近年の動向については、山内眞「パウロ研究の最近の動向」(『新版 総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、2003、pp.36-54)。ブルトマン以降、パウロ研究を進展させた5人を特に取り上げている。ケーゼマン、ステンダール、E.P.サンダーズ、タイセンとミークス。その後、山内眞「パウロ研究の最近の動向」(日本聖書協会編、『国際聖書フォーラム2006講義録――今、聖書を問う。』、日本聖書協会、2006、pp.200-221)では、その5人の他、H.D.ベッツ(修辞学的批評)とP.A.ホロウェイ(書簡類型論)を付け加えている。

また、朴憲郁「パウロ研究」(木幡藤子、青野太潮編『現代聖書講座第2巻 聖書学の方法と諸問題』、1996の第6章pp.323-347)は、最近の論点として次のものを挙げている。パウロ書簡の真正性と執筆順序、パウロの活動の年代学的問題、パウロの福音理解と律法理解、E.P.サンダースのパウロ解釈の影響、パウロ伝道圏の社会学的研究。

「一世紀のパレスチナユダヤ教を<契約遵法主義>と捉えるサンダースの所説がパウロ研究全般に与えた影響は非常に大きく、その後のパウロ研究の一つの大きな流れはこれに端を発している。」山内眞「パウロ研究の最近の動向」、『新版 総説 新約聖書』p.48。

新約聖書の社会学・社会史的研究に対し、山内は次の三点を注意している。(1)地中海世界全般あるいはパウロ的キリスト教といった相当広範に及ぶ地域の事情が一括して論じられる場合が多く、均一化・平均化・抽象化の傾向が著しい。(2)宗教現象の意図を非宗教的な要因に還元する還元主義の問題が伴っている。(3)テキストの主題は神学的なことがらであって、社会学的把握をもってテキストの理解とするわけにはいかない。山内眞「パウロ研究の最近の動向」、日本聖書協会編『国際聖書フォーラム2006講義録――今、聖書を問う。』日本聖書協会、2006、p.214。

パウロに関する平易で薄い本で、代表的なものは次の三つ。

山谷省吾(やまや・せいご)、『パウロ』(新教新書93)、新教出版社、1964、160頁、800円。
入手可能。
佐竹明、『使徒パウロ――伝道にかけた生涯 新版』、新教出版社、2008、273頁、2625円。
もとは、NHKブックス404、日本放送出版協会、1981、240頁、750円。版組を新たにしたほか、若干の訂正と図版差し替え、聖書箇所索引が設けられた。固有名詞も新共同訳に合わせられたらしい。パウロの回心を「幻視体験」と表現しながらも、パウロの生涯を、その史実性を聖書から引き出しつつ検証する。この本が大いに影響を受けているボルンカム(佐竹明訳)『パウロ――その生涯と使信』(新教出版社、1970(1969)、422頁、3600円)は専門的大著という感じ。某Y教授によれば、「パウロをやるのであれば、まずボルンカムの『パウロ』を読んでなきゃ話にならんよ」とのことらしい。
E.P.サンダース(土岐健治、太田修司訳)、『パウロ』、教文館、2002(1991)、296頁、2000円。
パウロは、ユダヤ教を敵とするだけでなく、キリスト教の内部にも敵を持っていた。いったいパウロのしてきた何があらゆる方面での敵を作りだしたのだろうか? この問題と取り組むために、他の者たちの福音と対立する形でパウロが宣べ伝えた福音の分析と、パウロの経歴、生涯のより広い検討を行う。そのために、パウロの生涯についてのトピカルな記述と、パウロの信仰義認理解、キリスト論、律法観など、パウロの神学が扱われている。1994年にコンパクト評伝シリーズ6として出たものの改版。改版に際し、covenantal nomismの訳語が「契約規範主義」から「契約的法規範主義」に改められた。巻末にパウロ研究書の文献案内と、太田修司による「サンダースのパウロ解釈」の小論あり。しかし、聖句索引はない(佐竹明のNHKブックスでさえ、簡単なのがついているのに・・・)。
ジェイムズ・D・G・ダン(Dunn)(山田耕太訳)『新約学の新しい視点』(すぐ書房、1986、134頁)の中の「パウロ研究の新しい視点」(マンソン記念講演、1983)は、ガラテヤ2:16をもとにしてE.P.サンダースの説を吟味し反証する。ダンによれば、パウロが「律法の行い」を批判するとき、サンダースが十分区別していない一般的な良き業を批判しているのではなく、ユダヤ人の民族主義的しるしとしての特定の行い(割礼、食物規定、安息日規定)を批判しているのだ。

最近のもの

原口尚彰、『パウロの宣教』(聖書の研究シリーズ50)、教文館、1998、262頁、2835円。
パウロの説教について着目した13論文。
清水哲郎、『パウロの言語哲学』(双書・現代の哲学)、岩波書店、2001、 291頁、3360円。
朴憲郁、『パウロの生涯と神学』、教文館、2003、256頁、2500円。
『キリスト新聞』の連載記事がもと。前半がパウロの生涯、後半がパウロの神学。「パウロ理解と不可分な仕方で聖書諸文書を貫く「聖書神学」成立の可能性を伝承史的に提示したことが、一つの特色であろう」(まえがき)。地図と年表付き。事項索引も聖句索引もないのは残念。
エティエンヌ・トロクメ(加藤隆訳)、『聖パウロ』、白水社、2004、 177頁、999円。
新書。
小川陽、『パウロとペテロ』(講談社選書メチエ332)、講談社、2005、260頁、1680円。
M. ヘンゲル(土岐健治訳)、『イエスとパウロの間』(聖書の研究シリーズ59)、教文館、2005、426+15頁、3990円。
上智大学キリスト教文化研究所編、『パウロの現代性――義認・義化の教師としてのパウロ』、リトン、2009、146頁、2100円。
ヤーコプ・タウベス(高橋哲哉、清水一浩訳)、『パウロの政治神学』、岩波書店、2010、382頁、4515円。
M. ヘンゲル(梅本直人訳)、『サウロ――キリスト教回心以前のパウロ』、日本基督教団出版局、2011、217頁、2520円。
その出自、当時のエルサレムの教育事情、迫害者としての姿などをユダヤ教史料やヘレニズムの史料を用いて考察。
門脇佳吉、『パウロの中心思想――霊の息吹の形而上学』、教文館、2011、296頁、2625円。
第一部がパウロの生涯、第二部が「パウロの聖霊経験の追経験」として、「パウロの福音宣教と黙示思想」、「パウロにとって福音とは何か」、「洗礼の祭儀による「交わり」の奥義」、「パウロの中心思想」、「感謝の祭儀の奥義」、「終末の天上の宴に向かって力強く歩む」
G. タイセン(日本新約学会編訳)、『イエスとパウロ――キリスト教の土台と建築家』、教文館、2012、288頁、2310円。
2010年の来日講演と2編の論考。「イエスは実在したか――イエスの歴史性を論じる」、「遍歴教師としてのイエス――イエス伝研究への社会史的寄与」、「史的イエスとケーリュグマ――学問的構成と信仰への道」、「パウロの回心――その原理主義者から普遍主義者への展開」、「すべての国民のための教会政治家パウロ――その成功と失敗」、「律法信仰から選びの確信へ――ロマ書に照らしたパウロの神学的発展」
タイセンのパウロ研究に、渡辺康麿訳『パウロ神学の心理学的側面』、教文館、1990、608頁、7952円。心理学の方法を用いてパウロの行動と体験を記述とのこと。

6.2 ペトロ

2015.11.23全面的に更新

「キリスト教の成立に果たした役割とその後の歴史に与えた影響の大きさを考えれば、教会的関心に彩られた新約聖書諸文書の多様なペトロ像にとどまらず、それらをふまえて、その背後にある彼自身の史的実像にアプローチすることが絶えず求められる。クルマン、井上洋治、小川陽、ヘンゲルの著作はそれぞれこのテーマと取り組んでいる有意義な文献である。」川島貞雄『ペトロ』、清水書院、2009、p.8。

川島貞雄、『ペトロ』(人と思想187)、清水書院、2009、277頁、893円。
ペテロ研究の第一人者による書。まずはこれを読む。
M. ヘンゲル(川島貞雄訳)、『ペトロ』(聖書の研究シリーズ64)、教文館、2010、271+42頁、2600円。
小川陽、『パウロとペテロ』(講談社選書メチエ332)、講談社、2005、260頁、1680円。
井上洋治、『イエスに魅せられた男――ペトロの生涯』、日本基督教団出版局、1996、200頁、1854円。
井上洋治は1927.3.28-2014.3.8。

古典的なもの

O. クルマン(荒井献訳)、『ペテロ――弟子・使徒・殉教者 』(現代神学双書)、新教出版社、1965。
原著第2版(1960年)からの翻訳かな?(未確認)。2004年からオンデマンド出版。「今なお研究に不可欠な基本的文献である。」(川島貞雄『ペトロ』(清水書院、2009)、p.5)
R.E. ブラウン、カール・ドンフリード他編(間垣洋助訳)、『新約聖書におけるペテロ』、聖文舎、1977、247頁。
原著1973年。

7.新約聖書に関する時代

地上でイエスが活動し使徒たちが歩み、聖書の各文書の記者たちが生きたところの、紀元前後250年間ほどのユダヤ社会やヘレニズム世界などの歴史を扱うのが新約時代史(『キリスト教大事典』の「新約時代史」の項、p.580)。一方、紀元30年頃のイエスの死後から66年(第一次ユダヤ戦争、-70)までエルサレムにあった教会を原始教団(Urgemeinde)といい(『新約聖書神学事典』、p.193)、これを扱うのが原始キリスト教史。

木田献一、荒井献監修『現代聖書講座』の第1巻(月本昭男、小林稔編「聖書の風土・歴史・社会」、日本基督教団出版局、1996)の巻末に参考文献表あり。

2005.11に出た、山口雅弘『よくわかる新約聖書の背景と歴史』(日本基督教団出版局、2005、200頁、1890円)はどうだろうか。

『新共同訳新約聖書注解T』に橋本滋男「総論・新約聖書の歴史と文書」がある。

新約時代史

E.ローゼ(加山宏路、加山久夫訳)、『新約聖書の周辺世界』(NTD補遺1)、日本基督教団出版局、19761,19772(19711,19742)、378頁、3500円。
「周辺世界」とあるが、地上でイエスが活動し、使徒たちが歩んだ、まさにその地についてである。しかし、イエスが宣べ伝えた内容や使徒たちの信仰や生活を取り上げるのではないため、やはり「周辺」である。「福音が歴史の特定の時点と地点ではじめて具体的に言語化された以上、その使信を事実に即して理解するためには、人びとが当時用いた言語・・・を研究するのみならず、彼らがおかれていた政治的情況、生活状態ならびに慣習、彼らの抱いた希望や期待、さらにその思念や見解を、可能な限り正確に把握することが不可欠である。」(p.8)
第T部 新約時代のユダヤ教
  第1章ヘレニズム時代のユダヤ教と政治
  第2章新約時代のユダヤ教における宗教的運動と精神的潮流
  第3章新約時代におけるユダヤ教の生活と信仰
第U部 新約聖書のヘレニズム・ローマ周辺世界
  第1章紀元一世紀ローマ帝国の政治と社会
  第2章新約時代のヘレニズム・ローマ世界における宗教的運動と精神的潮流
  第3章グノーシス
結 語
第一部に第二部の約二倍の紙数を割いている。第一部の第二章で、黙示思想、サドカイ派、パリサイ派などの集団(宗団)、律法学者などをそれぞれ取り上げている。中でもクムラン宗団に34ページを費やしている。第二部第三章のグノーシスは31ページ。巻末の文献表は、日本語のものも若干追加されていが、ほとんどはドイツ語のもの。新約聖書引用箇所索引があるので便利。その他、ハスモン家系図、ヘロデ家系図あり。
佐藤研、山我哲雄、『旧約新約聖書時代史――聖書歴史年表つき(別冊)』、教文館、1997改訂版。
1992初版。『旧約新約聖書大事典』(教文館、1989)の巻末の聖書歴史年表に教科書的な時代史的叙述を合わせて、年表も改訂されてより一層くわしくしたもの。
この新約部分に「イエス派の運動史ないしは初期キリスト教史の部分に集中的に増補加筆と視野の改訂を加えた」ものに、佐藤研、『聖書時代史 新約篇』(岩波現代文庫、学術99)、岩波書店、2003、253頁、1155円。原始キリスト教を、ユダヤ教から分離する前はユダヤ教の内部改革運動の一つだったとして「ユダヤ教ナザレ派」と呼ぶ。イエスははじめ「ナザレの木材加工業者」であった(p.40)。刑死したイエスが生きていることを弟子たちが体験した現象は否定しない(p.62)。2世紀以降の異端諸派との戦いの中で「大教会」側が「対抗処置」として確立していった体制として、「信仰告白」「新約正典の結集」「聖職位階制」を挙げる(pp.220-226)。「正誤表」が、佐藤研・ゼミ室のサイトの教材のページにある。

原始キリスト教史

H.コンツェルマン(田中勇二訳)、『原始キリスト教史』(NTD補遺5)、日本基督教団出版局、1985(19763)、302頁。
「新約聖書固有の思想ならびに出来事を、いわゆる新約時代史を自覚的に捨象しつつ、きわめて巧みに叙述している」。E.ローゼの『新約聖書の周辺世界』と併せて読むとよい。「しょせん聖書学者の言うことは当てにならぬ、と斜めに構えて読むのが骨法である。コンツェルマンに導かれて、新約聖書の中を散策するようなつもりで本書を読むのが、要諦である。」(以上すべて「訳者後書き」より)。
章立ては、序論:歴史と歴史像、1.資料、2.年代算定、3.創始期、4.原始教団、5.使徒会議に至るまでの拡大、6.パウロ以前のヘレニズムキリスト教、7.パウロ(使徒会議まで)、8.使徒会議、9.パウロとパウロの教会、10.使徒会議からユダヤ戦争に至るまでの原始教団、11.一世紀末に至るまでの教会、12.教会とこの世、13.ユダヤ戦争後のユダヤ人キリスト教。その後、展望:新約聖書正典の成立(pp.218-230)、そしてp.231以降が、補遺T:人物(歴史と伝説)として12使徒、ペテロ、ヤコブ、ゼベダイの子ヨハネ、バルナバ、アポロ、パウロの同労者、福音書記者、補遺U:付録(資料)。
S.ブラウン(松永希久夫、勝田英嗣(しょうだ・えいじ)訳)、『キリスト教の起源』(オックスフォード聖書概説シリーズ)、ヨルダン社、1987(1984)、268頁、2400円。

その他、クルマンの『原始教会の伝承』、『原始教会の信仰告白』、『原始キリスト教と礼拝』。

8.聖書のギリシャ語

新約聖書本文

ギリシャ語聖書は、ネストレ27版UBS4版の両方そろえる(以下、それぞれNA、UBSと略記)。本文(ほんもん)はどちらも基本的に同じ。というのもネストレはUBSの本文を採用して、それに独自の批評資料覧をつけたものだから。ただし、マタイ21:31は「後の者」と「先の者」の違いがある。また、段落の分け方やコンマやピリオドなどの句読点が異なるので、文意が違ってくることがある。

Barbara und Kurt Aland, Johannes Karavidopoulos, Carlo M. Martini und Bruce Metzger Hrsg., "Novum Testamentum Graece," 27. revidierte Auflage, Deutsche Bibelgesellschaft, 1993.
タイトルはラテン語だが出版社はドイツなので、編者名の列挙はドイツ語にしてみた(内表紙はラテン語表記)。いわゆる「ネストレ」。出版地を書く場合はStuttgart。
Barbara Aland, Kurt Aland, Johannes Karavidopoulos, Carlo M. Martini and Bruce Metzger eds., "The Greek New Testament," Forth Revised Edition, Deutsche Bibelgesellschaft / United Bible Societies, 1993.
タイトルは英語。第1版(1966)から第3版修正版(Third edition, corrected)(1983)までの版権はUnited Bible Societies, U.S.A.で、第4版からDeutsche Bibelgesellschaft。巻末に簡単な辞書が付いている版もある。

校訂本文を作るとなると、問題のある箇所でもどれか一つを選ばなければならない。しかし、多くの場合、いくつかの可能性がある。一つの語(あるいは連続した語句)があるかないかだったら、すでにネストレ、UBS両方でなされているようにsquare bracketsで囲んでおけばよいが、この語かあの語かどちらの可能性もあるというところは、UBS版のようにランク付けがあった方がよいなあ。説教の際に、このように他の可能性もある箇所の語句を強調してはならないだろう。

F.B.マイヤーは、毎朝ヘブル語の旧約聖書を一時間、ギリシャ語の新約聖書を一時間読むことを習慣としていた(レイモンド・アバ『礼拝』、p.92)。

文 法

私は授業で左近義慈編『新約聖書ギリシャ語入門』(新教出版社、212頁、1953)を使った。独学には向かないかもね。

文法書は、しっかりやりたい人は、いわゆるBDF("A Greek Grammar of the New Testament and other early christian literature," revision of F. Blass, A. Debrunner, trans. and ed. by R.W. Funk)を使う。実際の説教に向けての釈義では、聖書箇所索引から引くのが便利。原著はドイツ語で、最新はF. Blass, A. M. Debrunner und F. Rehkopf, "Grammatik des neutestamentlichen Griechisch," 18.Auflage, Vandenhoeck & Ruprecht (Gettingen), 2001.

最近の文法書

2010.10.20全面的に更新
織田昭、『新約聖書のギリシア語文法』、教友社、2003、全992頁、7140円。
B5版で3巻本、約1000頁に及ぶ分量。ερχομαιのアオリストがなぜηλθονになるのかなども記されているらしい。約1800の練習問題の解答付き。ダウンロード版あり。
大貫隆、『新約聖書ギリシア語入門』、岩波書店、2004、241頁、2940円。
大学等での授業を考慮して24講にまとめている。各講末の「新約聖書の言葉」というコラムは、新約からの一文と語彙説明と新約学的な解説があってなかなかよい。付録の動詞変化表にまでセクション番号が振られ、全625セクション。練習問題の解答付き。長母音として発音する母音の上に長音符号が付けられているのが特徴。動詞のvoiceは「相」としている。東神大でも最近はこれを教科書にしているようだ。
ジェレミー・ダフ(浅野淳博訳)、『エレメンツ 新約聖書ギリシア語教本』、新教出版社、2008(20053)、260頁、3990円。
原著2005年第3版の邦訳(H. P. V Nunn, 19141、David Wenham, 19642)。原著はCambridge University Pressから。20章からなる。新約聖書で現れる頻度が多い順に文法や語彙を学ぶ。練習問題の解答例あり。補遺の中にある「アクセントのしくみ」には訳者による解説付き。原著はCD付きで、CDだけでも販売されている。訳者浅野淳博のページに正誤表と音声ファイルあり。

津村春英、『新約聖書ギリシア語入門』、いのちのことば社、2011、190頁、1890円。

辞 書

辞書は、玉川直重(田主忠信監修、『新約聖書ギリシア語辞典』改訂新版、キリスト新聞社、2000、993頁、15750円。後に普及版として、2012、1008頁、12600円。)とか岩隈直(『増補改訂 新約ギリシヤ語辞典』、教文館、2008、650頁、6825円。山本書店から出ていたものの新装版)とかあるが、これらは最初の1年しか使えない。そこで、これから買う人は次のものがよい。

織田昭編、『新約聖書ギリシャ語小辞典』、教文館、2002、22+662頁、5150円。
ハンディ。1964年に大阪聖書学院から初版発行、その後、1965年改訂第2版、1976年改訂第3版、そして今回は「全面的改訂第4版」。すべての単語に分かる限り語源を明記。旧版巻末にあった動詞の変化表(というより「基本部分表」)はなくなって、見出し語に含められているので、ある程度、変化形から逆引きが出来る。旧版巻末にあった「セム語系単語原語綴対照表」もなくなり、人名などヘブライ語語源のものは、それぞれのところでヘブライ語が併記された。巻末の地図もなくなった。そういうわけで、巻末は、pp.651-662の「新約聖書のギリシア語の発音について」のみ。マルコス・シオーティス(アテネ大学神学部教授)の序文「ギリシアからの挨拶」は、初版にはギリシャ語原文と邦訳文が掲載されていたが、「全面的改訂第4版」には邦訳文のみ。織田昭は1927.9.22-2008.1.20。

ギリシャ語2年目からは、やはりBauerを使わねばならない。英語版第3版(ドイツ語版第6版をもとに翻訳+α)が2000年に出た。

新約聖書に出てくるギリシャ語を頻出順に並べたMetzgerの"Lexical Aids for Students of NT Greek"は、第2章がNTに出てくる単語を同一語源ごとに分類したもので便利。

その他のツール

文法解析はBibleWorksで間に合ってしまう(というか、間に合わせてしまっている)。2006年初めにBibleWorks7、そして、2009年初め頃にBibleWorks 8が出た。日本語聖書として新改訳聖書が入ったらしい。

異読の文法解析にはやはりアナリティカル・レキシコンが必要か。

コンコルダンスは、「モルトン・ゲーデン」。最新版は第6版。I.H. Marshall ed. "Moulton and Geden Concordance to the Greek New Testament," 6th edition fully revised, T&T Clark, 2002 (ISBN: 0-567-08571-6)。ペーパーバック版もある模様(ISBN:0-567-08347-0)。これは、第5版まではWestcott and Hortに基づいてたテキストをUBS第4版に依拠させたもの。ギリシャ語フォントも新しくなった。コンコルダンスには他に、J.R.KohlenbergerV, E.W.Goodrick and J.A.Swanson, "The Exhaustive Concordance to the Greek New Testament," Zondervan, 1995 (ISBN:0-310-41030-4)もある。

共観福音書の対観表は、佐藤研・ゼミ室のサイトの教材のページにある「ギリシャ語彩色共観表」がピカイチ。共観福音書にヨハネとトマス福音書の並行箇所を加えて、きれいに色分けされている。pdfファイル。この日本語版は岩波訳に従って岩波書店から出ているが、やはりギリシャ語で見ないとね。

釈義事典

いわゆる「キッテル」、すなわちTDNT、全10巻。
ドイツ語原著はTWNTまたはThWNTと略す。はじめはKittel編集であったが、病のために後にFriedrichに替わった。一冊にまとめたAbridged版もあるようだが、Unabridged版がCD-ROMで出ているので場所をとらない。かつて、この中からいくつかの項目が邦訳された。川村輝典訳『愛』、田川健三訳『王、王国』、秋田稔、並木浩一訳『義』、橋本滋男訳『創造』、高橋敬基訳『罪』。いずれも教文館。
Abridged版(1985、Eerdmans)は、バルトの『教会教義学』の英訳もしたブロムリーによる要約・翻訳。1400頁。
「一世紀のパレスチナユダヤ教を<契約遵法主義>と捉えるサンダースの所説がパウロ研究全般に与えた影響は非常に大きく、その後のパウロ研究の一つの大きな流れはこれに端を発している。G.キッテルの『新約聖書神学事典』・・・なども、いずれサンダースの研究を反映させなければ、そのままではアウト・オブ・デイトなものとなるであろう。」(山内眞「パウロ研究の最近の動向」、『新版 総説 新約聖書』p.48。)
荒井献、H.J.マルクス監修、『ギリシア語新約聖書釈義事典』(全3巻)、教文館、1993-1995、3巻揃えて12万6千円!。
高価だがきわめて重要かつ有用で、使ってみると他の注解書はいらないくらい便利。何よりも日本語!! そろえて損はない。2015年、教文館創業130年記念出版として、全巻セット縮刷版(A5判)で限定500部63,000円+税で復刊。

おまけ

橋本滋男、『ちんぷんかんぷん! it's Greek!――聖書ギリシャ語おもしろ講座』、日本基督教団出版局、2005、109頁、1200円。
聖書ギリシャ語に関するエピソードや、本文の解釈や翻訳に関する問題点など、43の話題をおもしろく紹介。ロマ9:5、使徒20:28、「それはあなたの言ったことだ」(マタイ26:25、26:64、27:11、ヨハネ18:37)など。橋本滋男は、1935.6.14-2008.12.26。
ウィリアム・バークレー(滝沢陽一訳)、『新約聖書のギリシア語』、日本基督教団出版局、2009、336頁、3780円。
従来の『新約聖書ギリシア語精解』(1970)の新装改訂版。縦書きが横書きになり、ギリシア文字も入った。61項目、96単語。

ちなみに、新約聖書の中に出てくるアラム語の音訳は、マルコ5:41「タリタ・クム」、マルコ7:34「エッファタ」、マルコ14:36「アッバ」、マルコ15:34「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」、ローマ8:15「アッバ」、ガラテヤ4:6「アッバ」、1コリ16:22「マラナ・タ」。その他、使徒1:19「アケルダマ」など人名地名にも。

9.説教のための釈義

9.1 教科書

G.D.フィー(永田竹司訳)、『新約聖書の釈義――本文の読み方から説教まで』、教文館、1998(原著1983初版1993改訂版)、253頁、3500円。
原著は、Gordon D. Fee, "New Testament Exegesis: A Handbook for Students and Pastors," Westminster John Knox Press. 釈義の作業全体にわたる技術を解説。釈義ってどうやればいいんだろうと格闘する神学生中期に読むとよい。釈義について分かってきたつもりになる卒業前にまた読む。豊富な文献紹介はたいへん役に立つ。それにしても、訳文はひどい。巻末の注解書のリストは時を経るごとに古くなるが、原著では2002年に第三版が出ている(ISBN: 0664223168)。
原口尚彰、『新約聖書釈義入門』、教文館、2006、195頁、3150円。
原口尚彰(はらぐち・たかあき)。「本書は、新約釈義を学ぶ必要最低限の知識を与えるために書かれた入門書」(「はじめに」p.3)であるので、簡単に言えば神学生向けの教科書であるので、牧師になってから勉強する本ではないかもしれないが、実例に挙げられている箇所を説教するときに自己流に(というよりも手抜きに)なってしまった釈義を見直すのによいかもしれない。『新約聖書概説』(教文館、2004)の姉妹編とのこと。第1章の約10ページほどで釈義の方法について必要な文献も挙げて解説。第2〜3章では各福音書と書簡の特徴を押さえながら釈義の実例を21箇所について例示。第4章は「修辞学的釈義の手順と実際」で、使徒言行録から4箇所の釈義例を示している。釈義の際の修辞的視点を学ぶのに簡潔で手頃。なお、フィーのような注解書のリストはない。
実例は、Mk1:14-15, 4:1-20, 8:27-30, 14:22-25, 16:1-8, Mt1:18-25, 6:7-13, 6:25-34, 7:1-14, Lk1:26-38, 4:16-30, 5:27-32, 6:20-26, Jn1:19-28, 2:1-13, 10:11-18, 20:19-23, Rm1:1-7, 1:8-17, 3:21-25, 15:1-8, Acts3:12-26, 5:29-32, 10:34-43, 15:13b-21.

原口は、新約釈義の基本文献として、フィーの他、川島貞雄「新約聖書の伝承史的研究」(『聖書学方法論』、1979)、N.ペリン『編集史とは何か』(松永希久夫訳、ヨルダン社、1984)、また、『総説 新約聖書』(日本基督教団出版局、1981)の中の川島「新約聖書の本文」も挙げている。

W.マルクスセン(渡辺康麿訳)『新約聖書緒論――緒論の諸問題への手引』(教文館、1984)の中に、付論として「共観福音書記者釈義の問題について」あり。「福音書記者たちが。

9.2 私の釈義手順

以下は、現在のところの私の説教準備の際の手順です。

STEP1:準 備

まず手書きでUBSのギリシャ語テキストをノートに、1節1ページ(長い場合はa,b,・・・と分けて)書き写す。次に、NAと照らし合わせて、単語、段落、句読点の相違を調べながら声を出して読む。

STEP2:私訳(仮訳)

単語の文法解析にはBibleWorksが手放せない(^^;。辞書はBauer。一応BDFの巻末索引から該当聖書箇所を調べる。

STEP3:本文批評

UBSもNAも、それぞれ本文批評資料覧に特徴があるので、両方みる。UBSの本文批評のランク付けを解説した"A Textual Commentary on the Greek New Testament"も持っておく。NAは、Positive Apparatusを中心に見る。また、『新約聖書の本文研究』の聖書箇所索引も引いてみる。

本文批評上いくつかの可能性がある場合、説教の際に、そのような箇所を強調することに注意しなければならない。その時に、UBSのランク付けが参考になる。

STEP4:いろいろな訳の比較

やり出すときりがないが、日本語は、新共同訳、口語訳、新改訳、フランシスコ会訳(一応、注を見ておく)を見ておく。さらに岩波訳も(新約聖書合本が新しい(2004)が、最初の分冊で出たものや福音書だけの合本と訳が修正されているのに、前書き等でまったく触れられていない)。岩隈の対訳のシリーズは、文法について脚注が役立つときもあるが、無理してみる必要はない。田川建三訳の出版が開始された(2007-)。岩波訳や田川訳については、「聖書の翻訳と解釈学」のページ参照。

英訳はNRSV、NKJV、NIVぐらいにしておく(最近はESVとNJBも見るようにした。REBもいいかも)。翻訳の方法論(逐語訳的か動的等価訳か)や教派的立場(福音派かカトリックか)は『英語聖書の歴史を知る事典』で押さえておく必要がある。

STEP5:単語・語句の語源的・釈義的・神学的意味を調べる

BibleWorksで検索して、その文書での用例、NT中の用法などを調べる。Bauerをよく見る。TDNTはCD-ROMで出ているが、それよりも、『ギリシア語新約聖書釈義事典』(教文館、3巻本)が便利。地名、人名、用語などは、『新約旧約聖書大辞典』(教文館)とか"Interpreter's Bible Dictionary"(4+1巻)とか"Anchor Bible Dictionary"(4巻だが、CD-ROMで出ている)などを見る。

STEP6:関連か所を調べる

並行記事、NAの側注、UBSの注、引照付きの新共同訳や新改訳。フランシスコ会訳や岩波訳の注。

・・・っとは言うものの、あまりあちこち関連箇所を見るのはたいへんなので、いつの間にかほとんどしなくなった。ただし、フランシスコ会訳や岩波訳の注は参考になるので見ている。(2004.9.23追記)

STEP7:主 題

連続講解の場合は、説教テキストの範囲の決定、細かな段落分け、流れを見きわめ、主題を発見する。そして、説教題を決める。

STEP8:注解書

ここまで来てようやく注解書を見る。

最近は、週報予告のために説教題を決めたら、次は1週間後に原稿を書き始めるまで直接的な説教準備はない(してられない)ので、STEP7の前に注解書に目を通すようにしている。(2004.9.23追記)

以上がレベル1。レベル1は、「沖に漕ぎ出して網を降ろす」(Lk5:4) 作業。御言葉の広さ、長さ、高さ、深さ、重さ (Eph3:18)(って「重さ」はない(^^;) を見いださせていただく。

まだその先に、レベル2とレベル3がある。

LEVEL2

御言葉の深さをやさしく語る。現代の人に当てはまるように。

LEVEL3

主キリストを土台に生きる快活さと伸びやかさと自由に導く。

 

井上ひさしは「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく」と言ったらしい。千代崎秀雄先生(1928.6.12-2004.7.24)はこれを我が意を得たりと紹介していたとのこと(『キリスト新聞』2004.10.23、p.6)。

大和カルバリーチャペルは「明るく、元気に、のびのびと」をモットーとしているらしい。

「私は何十年も講解説教をしてきた。もちろん注解書などにあたる。でもそれを離れ、原稿を破って説教に立ちます。」(中野雄一郎、水谷潔との対談、クリスチャン新聞2007.7.1)

「いろいろな本を読めば読むほど、意見が違ったりすると闘志がわきますしね。『この中で自分はどういうふうに決めるか』と。」(加藤常昭、松居直との対談『本を読もう』、2007)

「説教している人間が自分の説教を面白がっていなければダメだ。」(加藤常昭、松居直との対談『本を読もう』、2007)

マルチン・ルター。

10.新約の注解書に関する覚え書き

聖書がたくさんの注解書の下に埋もれてしまい、聖句がないがしろにされている。

(マルティン・ルター、『卓上語録』TR 4,4691)

10.1 全 般

注解書の種類

(1) ギリシャ語本文(ほんもん)にあたっているcriticalなもの、(2) ギリシャ語に((それほど)あたっていないが、節ごとに語句の意味を捉えようとしているもの、(3) 語られている使信を段落ごとなど大きな文脈の中で捉えることを中心としているもの、(4) アウグスティヌス、ルター、カルヴァンなどの歴史的なもの。あるいはバルトの『ロマ書』のようにより教義学的にテキストと取り組んでいるもの。(1)〜(4)の順にあたる。しかし、(4)は余裕があれば。

有用な注解書とは

現在のところ、私にとってどんな注解書が有用かというと、1.ギリシャ語にちゃんと当たっていること、2.私訳があること、3.節ごとに見やすく区分されていること。注解書の善し悪しは、執筆者の立場がどうのというよりも、有効な議論をしているかどうかが重要である。

読むべき注解書の数

説教の準備は、「注解書をできるだけたくさん読んだからといってできるものではない」・・・新約学者ユリウス・シュニーヴィントは、学生に対して「あまり注解書に依存しすぎることのないように戒め、聖書を聖書として読むことを教えた。」(加藤常昭「信仰の告白・伝道・教会の制度」日本基督教団改革長老教会協議会編『教会の信条と制度』、1995、p.90)

「注解書は数多く読む必要はない。こころ響きあうものをまず精読すること、それが私のやりかた。」(加藤常昭『自伝的説教論』、p.161)

・・・っとカトツネは言うが、実際によい注解書に出会うまでは試行錯誤が多いし、外国語を日本語と同じように読むことができなければ、どうしても日本語の注解書に頼ることになるが、優れたものはなかったりする。最近私は、小さな注解書でも、たいしたことなさそうな注解書でも、いくつもいろいろ読んでいく中で、テキストの理解が深まり、黙想が深まると感じている。(2004.9.23追記)

「エペソ書研究に必要な注解、説教その他、手にし得るかぎりは、大体みな読みました。」(竹森満佐一『講解説教 エペソ人への手紙』、p.427)

10.2 日本語の注解書に関するメモ

とりあえずひとまとまりになっているもの

高橋虔、B.シュナイダー監修、『新共同訳 新約聖書注解(T、U)』、日本基督教団出版局。
山内眞監修、『新共同訳新約聖書略解』、日本基督教団出版局、2000。

翻訳のシリーズもの

NTD、現代聖書注解、EKK、コンパクト聖書注解。

日本人によるシリーズもの

「現代新約注解全書」(新教出版社)しかない。既刊は、

マルコ(〜6:6)田川建三、2001増補新版。
使徒(〜5章)荒井献、1977。
ガラテヤ佐竹明、1974と、別巻として原口尚彰、2004。
ピリピ佐竹明、1969。
ヤコブ辻学、2002。
黙示録上下2巻佐竹明、1978、1989。さらに全面改訂版が2006〜3巻本で出る予定。

日本基督教団出版局から出ているもの

ヨハネブルトマン、2005。
ローマケーゼマン、1980。
ガラテヤ山内眞、2002。
フィリピ山内眞、1987。
テサロニケ1,2松永晋一、1995。
牧会書簡土屋博、1990。
ヨハネの手紙ブルトマン、1987。

説教者のための聖書講解/アレテイア

日本基督教団出版局の「説教者のための聖書講解 合本」のうち、新約でこれまでに出たもの:
『マタイによる福音書』(1981)、『マルコによる福音書』(1990)、『ルカによる福音書』(1989)、『ヨハネによる福音書』(1991)、『使徒行伝』、『ローマ人への手紙』(1987)、『コリント人への第一、第二の手紙』、『エペソ、ピリピ、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙』(1988)。

日本基督教団出版局の「アレテイア 釈義と黙想 合本」のうち、新約でこれまでに出たもの:
『マタイによる福音書』(2001)、『ヨハネによる福音書』(2004)、『ガラテヤ、テサロニケ1,2、テモテ1,2、テトス』(2002)、『ヤコブ、ペトロ1,2、ヨハネの手紙1,2,3、黙示録』(2002)。
他に、『イースター、ペンテコステ、クリスマス、ルツ、ダニエル、オバデヤ、ヨナ』(2003)がある。

・・・というわけで、「説教者のための〜」と「アレテイア」を併せれば、ヘブライ以外は全部出ていることになる。マタイとヨハネは両方で出ている。

さらに、『説教黙想 アレテイア』からの合本で、『マルコによる福音書』(2010)、『コリントの信徒への手紙二』(2011)、『エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙』(2012)『ルカによる福音書』(1〜11章と12〜24章の全2巻)(2014)が出た。

講解説教集

参考になるかもしれない講解説教集などを複数出している説教者: 竹森満佐一、田中剛二、久野牧(ひさの・のぞむ)など。

竹森満佐一
山上の説教、『講解説教イエス伝――マルコ福音書によって』、『わが主よ、わが神よ――イエス伝講解説教集』(全2巻)、『講解説教 降誕・復活』、ローマ書(全3巻)、1コリ、2コリ、ガラテヤ、エペソ、ピリピ(上下2巻)、1ペト。他に『ダビデ――悔いくずおれし者』、『ハイデルベルク信仰問答講解説教』、『日本の説教14 竹森満佐一』。さらに、東神大パンフに『愛――コリント人への第一の手紙十三章講解』(東神大パンフ17)、『講解・ピリピ人への手紙』(東神大パンフ22)、『ローマ書の信仰』(東神大パンフ22)、『ガラテヤ人への手紙』(東神大パンフ26)がある。
久野牧(ひさの・のぞむ)
フィリピ(1994)、ヤコブ(1998)、ガラテヤ・フィレモン(2007)。他に、『神に栄光・地に平和――クリスマス説教集』(2003)。

10.3 英語の注解書に関するメモ

シリーズものは玉石混淆だが、AB(New York: Doubleday), ICC(T&T clark), WBCは重要。ABには、とても古いものもあるし、別の著者による改訂版が出ているものもある。ABのシリーズは2007年にDoubledayからYale University Pressに売却され、2008年から"The Anchor Yale Bible Series"として出版されている。ペーパーバック版が出ているものもある。ICCにも、とても古いものもあるし、別の著者による改訂版が出ていることもある。WBCにも改訂版の出ているものがある。NIGTCはけっこう本格的すぎる感じ。まだ一部しか刊行されていない。NICはときどき良いものがある。これも別の著者による新しいシリーズNICNTが出始めている。

ICCのCD-ROM情報(Logos Bible Software)

NIGTCのCD-ROM情報(Logos Bible Software)

WBCのCD-ROM情報(Logos Bible Software)

Hermeneia(Philadelphia: Fortress)はきらい。へんな形なので、コピーしずらい、本棚に置くと飛び出る、机の上に広げると横幅取りすぎ。ということで、普段の説教準備には使いづらい。ものによっては重要なものもある。CD-ROMは、P. Machinist/H. Koester ed. "Hermeneia on CD-ROM (All 38 publish volumes)," 2006.

BNTCとHNTCについて: 初めはイギリスの London: Adam & Charles Black から、Black's New Testament Commentaries として出た。このアメリカ版は、New York: Harper & Row から Harpers New Testament Commentaries として出たが、しかし後に出版社が変わって(Harper & Row はなくなった?)、Massachusetts: Hendrickson Publishers から Black's New Testament Commentaries として出され現在に至っている。つまり、Harper'sとBlack'sはいちおう同一のようだ。

毒舌の田川建三が、英語の注解書で優れているものとして挙げているのは、Thrallの2Cor(ICC)、CranfieldのRome(ICC)、V. Taylorのマルコ。(田川建三、『新約聖書 訳と註 3パウロ書簡その一』、作品社、2007、p.563。)

11.新約各書の注解書リスト

選定にあたってのスタンス
1.毎週の説教準備で参照する注解書は、できることなら日本語のものですませたい。
2.でも、日本語で良いものがなければ、なんとか英語の注解書に挑戦しようと思っている。通して読んでじっくり味わうほどの英語力はないが、焦点を絞って課題をはっきりさせて部分的に調べるぐらいならなんとかがんばれる(かもしれない)という意欲はある。
3.ドイツ語は全然読めません。
4.説教準備のためにいろいろな注解書に目を通す時間はないので、簡潔でしかし丁寧な注解書がほしい(そんなのがあるのか?)。
ここでの取り上げ方
1.「日本語のシリーズもの」としてNTD(ATD・NTD聖書注解刊行会)、現代聖書注解(日本基督教団出版局)、コンパクト聖書注解(教文館)、EKK(教文館)の4シリーズを取り上げる。
2.「日本語の単行本」では、見る価値のあるものだけを取り上げる。上の4シリーズ以外のシリーズものもここで取り上げる。
3.「英語のもの」は、AB, ICC, NIGTC, WBCはできるだけ取り上げたい。その他、Hermeneia、NICNTも必要に応じて取り上げてみたいとは思っているが・・・。

マタイによる福音書

EKKのルツの邦訳が完成したので、比較的取り組みやすくなった。『アレテイア』はどうしようもないものが多いが、『説教者のための聖書講解』は割と堅実なものが多いのでとても参考になる。

日本語のシリーズもの

NTD(E. Schweizer, 1973): 佐竹明訳、1978年、774頁。
現代聖書注解(D.R.A. Hare, 1993): 塚本惠訳、1996年、587頁。
コンパクト聖書注解: 未刊(2011.2現在)。
EKK(U. Luz, T:1984, U:1990, V:1995, W:2002): 小河陽訳、T:1990,887頁、U:1997,1022頁、V:2004,1009頁、W:2009,811頁。

英語のもの

AB (John P. Meier, 未刊) : ABのreplacement版。古くは、C.S. Mann, W. F. Albright, 1971, 366頁で、古すぎ、簡単すぎ。
ICC(Dale C. Allison and W. D. Davies, 1988,1991,1997): 3vols. Vol.1: Ch.1-7, Vol.2: Ch.8-18, Vol.3: Ch.19-28。古いシリーズはW. C. Allenで、古すぎ。
NICNT(R.T. France, 2007): 1233頁、$65.00。
NIGTC (John Nolland, 2005) : 1481頁、$85.00。
WBC (Donald A. Hagner, 1993,1995) : 2vols. Vol.33a: Ch.1-13,486頁、Vol.33b: Ch.14-18, 568頁。合わせて$99.98でちょっと高い。

HermeneiaのU. Luzは、EKKの英訳。Translator: James E. Crouch。

というわけで、英語の注解書はどれも定評あり、充実している。選ぶとすれば、大部のものからICCと、中くらいのもので取り組みやすいNICNTか。R.T.Franceだし、最新だし。

マルコによる福音書

日本語のシリーズもの

NTD(E. Schweizer, 1975): 高橋三郎訳、1976年、536頁。
現代聖書注解(Lamar Willoamson, 1983): 山口雅弘訳、1987年、464頁。
コンパクト聖書注解(C.J. デン・ヘイヤール, 1985): 伊藤勝啓訳、TとUの2巻本、T:1996、316頁、U:2004、314頁。16:8まで。
EKK(J. Gnilka, 1978-79): 未刊(2010.3現在)。

日本語の単行本

田川建三、『マルコ福音書 増補新版』(現代新約注解全書)上、新教出版社、2001(初版は1972)、403頁。6:6まで。
阿部洋治、『マルコ福音書のイエス像T』、聖学院ゼネラル・サービス、2002、349頁。8:30まで。

講解説教集は、竹森満佐一編『講解説教 イエス伝――マルコ福音書によって』(新教出版社、1990)。

注解書、研究書リストは、阿部洋治の巻末にあり。現代聖書注解の巻末の英語の注解書リストはひとことコメント付き。

英語のもの

AB (Joel Marcus, 2000, 2009) : 上巻:Vol.27: Ch.1-8, 2000, 592pp.; 下巻:Vol.27A: Ch.9-16, 2009Cloth装, 672pp. 上巻は2002年にPaper Back版が出た。古くは、C.S. Mann, 1986, 752pp.
Hermeneia(Adela Y. Collins, 2007): 
ICC(E. P. Gould, 1922): 古すぎ。新しいものは2009年10月現在出ていない。
NICNT(William L. Lane, 1974): 。
NIGTC (R.T. France, 2002) : 。
WBC: 上巻:R. A. Guelich, Ch.1-8:26, 1989;下巻: C. Evans, 8:27-16:20, 2001.

他に、R. H. Gundry, "Mark: A Commentary on His Apology for the Cross," Grand Rapids: Eerdmans, 1993.や、B. Witherington V, "The Gospel of Mark: A Socio-Rhetorical Commentary," G.R.: Eerdmans, 2001.

ルカによる福音書

日本語のシリーズもの

NTD(K.H. レングストルフ、): 泉治典、渋谷浩訳、1976年、610頁。
現代聖書注解(F.B.クラドック): 宮本あかり訳、1997年、501頁。
コンパクト聖書注解(H.ミュルデル): 登家勝也訳、T:2007年、257頁 ; U:2008年、329頁。
EKK(): 未刊(2013.4現在)。

英語のもの

AB(Joseph A. Fitzmyer, 1982-1985): 上巻:Ch.1〜9, 1982, 837pp.、下巻:Ch.10〜24, 1985, 848pp.ちょっと調べた感じ、いまいち。
Hermeneia(François Bovon):  EKKからの英訳(若干の改訂あり)、全3巻で英訳者はそれぞれ異なる。全3巻共通のeditorはHelmut Koester。第1巻:1:1〜9:50, Trans. by Christine M. Thomas, 2002, 480pp.、第2巻:9:51〜19:27, Trans. by Donald S. Deer, 2013.4現在未刊、第3巻:19:28〜24:53, Trans. by James E Crouch, 2012, 480pp.
ICC(Alfred Plummer, 1896): まだこの古いのしかないのか。
NICNT(Joel B. Green, 1997): 古くはNorvall Geldenhuys, 1951。
NIGTC(I. Howard Marshall, 1978): 加藤常昭が「ルカによる福音書を説いたとき、ハワード・マーシャルの注解書と交わした対話の喜びはかけがえがなかった」(『説教黙想アレテイア特別増刊号 説教者のための聖書注解書ガイド』、p.7)というのはこれのことか。
WBC(John Nolland, 1989): 3巻本。1:1-9:20:1989, 520pp.、9:21-18:34:1993, 510pp.、18:35-24:53:1993, 462pp.。

最も定評あるものの一つに、Darrell L. BockのBaker Exegetical Commentary on the New Testamentのシリーズのもの。2巻本で、1:1〜9:50:1994, 988pp.、9:51〜24:53:1996, 1162pp.

ヨハネによる福音書

日本語のシリーズもの

NTD(S. Schulz, 1972): 松田伊作訳、1975年、500頁。
現代聖書注解(G.S. Sloyan, 1988): 鈴木脩平訳、1992年、428頁。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK: 未刊(2010.3現在)。

日本語の単行本

K. バルト(吉永正義、木下量煕訳)、『ヨハネによる福音書』、日本基督教団出版局、1986。1章から8章までの注解。
松永希久夫、『ひとり子なる神イエス』、ヨルダン社、1987。6章までの注解。

英語のもの

ヨハネ福音書の研究動向にそって注解書を分類し紹介したものに、松永希久夫「ヨハネによる福音書序説」(『説教者のための聖書講解 釈義から説教へ ヨハネによる福音書』、日本基督教団出版局、1991)がある。

ICC(J. F. McHugh, 2008): Ch.1-4, 448pp.
NICNT(J. Ramsey Michaels, 2010): 。

使徒言行録

日本語のシリーズもの

NTD(G.シュテーリン): 大友陽子、秀村欣二、渡辺洋太訳、1977、698頁。なお、NTD原著のシリーズでは、古くはH.W.Beyer, 19516。より新しくはJ.Roloffによるもの(1988第2版)が出ている。
現代聖書注解(W.H. ウィリモン): 中村博武訳、1990。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK: 未刊(2010.3現在)。

日本語の単行本

荒井献、『使徒行伝 上巻』(現代新約注解全書)、新教出版社、1977。上梓されているのは現在上巻のみ。
F.F. ブルース(聖書図書刊行会と日本コンサヴァティブ・バプテスト・ミッション、1958年。現在はいのちのことば社から)は、NICNTの初版(1955)からの翻訳。原著では1988に第2版が出ている。

日本語のものがあまりないので、最近邦訳出版されたものを一応見てみるとすると、Tyndaleのシリーズの中で最も定評ある(というか、一応ある程度の分量もあってまともなもの)I.H. マーシャル(富田雄治訳、いのちのことば社、2005、522頁)原著は1980。2012年10月の再刷で多くの訂正がなされた。他に、アメリカでは消えゆくNCBCの邦訳シリーズでウィリアム・ニール(宮本あかり訳、日本基督教団出版局、2007、359頁)原著1973。

その他日本語のもの

竹森満佐一、『使徒行伝講解』、日本基督教団出版部、1965。
土戸清、『私たちの「使徒行伝」』増補改訂版(つのぶえ文庫)、新教出版社、2001。
土戸清、『使徒言行録――現代へのメッセージ』、日本基督教団出版局、2009。
渡辺信夫、『使徒行伝講解説教』(1〜4)、教文館、2011。各巻末に「使徒行伝講解説教について」、「説教者としての歩みの中で学んだ私の説教論」、「講解説教について」、「使徒行伝講解の歴史を辿る」などがあるとのこと。
三吉明、『講解説教 使徒言行録』(全3巻)、一麦出版社、2012。
榊原康夫、『使徒言行録講解』(1〜6)、教文館、2012〜2013。

英語のもの

AB(J. A. Fitzmyer, 1998): 864頁。Anchor Bibleのシリーズにしては妙に堅実であるが、ICCのC.K.Barrettほどに緻密ではないらしい。
Hermeneia(Richard N. Pervo, 2008): 
ICC(C. K. Barrett, 2vol., 1994,1998): 上巻:Ch.1-14,693頁。下巻:Ch.15-28, 1272頁。2004年にペーパーバック版が出た。544頁に収めた'A Shorter Commentary'もあるので注意。
NIGTC(): 未刊。
WBC(): 未刊。2008年中に出るらしい。

もはや古典的だが20世紀の使徒行伝の註解の進展において重要なものとして、Ernst HaenchenのKEK(Kritisch-exegetischer Kommentar)(マイヤー註解書とも言われる)ドイツ語原著1965の版(Meyerの1835初版から数えて第14版、Haenchenの1956初版から数えて第5版)からの英訳がある。Oxford: Basil Blackwell/ Philadelphia: Westminster, 1971、737頁。原著では1977通算16版(Haenchenの第7版)を数えている。もう一つ、学問的なもので、Hans Conzelmannのドイツ語のHNTのシリーズ(1972第2版)からの英訳は、Hermeneiaのシリーズで1987、287頁。

NICNTのActsを書いているF.F. Bruceの、よりギリシャ語に即した、"The Acts of the Apostles: The Greek Text with Introduction and Commentary," 3rd revised and enlarged ed. Grand Rapids, MI: Eerdmans, 1990.ペーパーバック版も1999に出ている。600頁。

新しいものに、D. L. Bock, Acts (BECNT). Baker, 2007、880頁はどうなのか? また、Ben Witherington V, "The Acts of the Apostles: A Socio-Rhetorical Commentary," Eerdmans(イギリスではPaternoster Press), 1998、923頁。はどうか?

ローマ書

「以前と同様その後も、ローマ書の中にはわたしにとっても、説明の困難な箇所がある。」バルト『ローマ書講解』の「第二版への序」、(小川圭治、岩波哲男訳)『ローマ書講解』上(平凡社ライブラリー)、平凡社、2001、p.33。

榊原康夫『ローマ人への手紙講解』(全5巻)、教文館、2010-2011、全部で1440頁、13125円。

第一コリント

日本語のシリーズもの

NTD(Wendland、1968): 一コリニコリ併せて526頁は少なすぎ。実際に内容も簡単すぎ。
現代聖書注解(ヘイズ): そんなに分量はないし、語句に細かく当たるというわけではないので、趣味に合わない。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK: 未刊(2010.3現在)。

日本語の単行本

榊原康夫(聖文舎、1984): 867+11頁でまずまず、よい。ときどきいかにも改革派的な教理的解釈に偏るが。

講解説教集は、竹森満佐一『講解説教 コリント人への第一の手紙』(新教出版社 1985)。田中剛二の講解説教(すぐ書房、T:1999、U:2000)は6:20までしか出ていない。山口隆康『聖徒たちへの手紙』(上、下)(玉川平安教会出版部、発売:メタ・ブレーン、上:2004第2版、下:2005第2版)。

英語のもの

AB(Joseph Fitzmyer, 2008): 688頁、$55.00。前版のW.F. Orr, 1976は392頁で簡単すぎてだめ。
Hermeneia(H. Conzelmann): ドイツ語からの翻訳。重要な注解書。だが、日常の説教準備には使いづらい。(って、本の大きさが)
ICC(Robertson & Plummer, 19111,19142): 古すぎてだめ。
NICNT(G.D. Fee, 1987): 880頁で大きすぎず少なすぎず。しっかり議論していて、よい。訳はNIVを使用しているが、本文批評もちゃんとなされている。いまのところこれが最良か。NICには古いシリーズ(F.W. Grosheide, 1953)があるので注意。
NIGTC(Anthony C. Thiselton, 2000): 訳語の吟味など緻密すぎるほど議論されていて、よい。
WBC: 未刊。
C.K. Barrett: Black's NTC, 19681, 19712のシリーズ。410頁で大部でないが、私訳あるし、ギリシャ語べったりの解説ではないが、簡潔にポイントをつかんでいるので、取り組みやすい。現在はHendrickson Publishersから1993。

『新約聖書の釈義』ではFee, Conzelmann, Barrettの三つが推奨されている。松永もこの三つは推奨している。松永は他にNCB(F.F. Bluce)とJ. Heringを挙げているが、NCB(F.F. Bluce)は簡単すぎてだめ。J. Heringは簡単すぎだし古くてだめ。

第二コリント

日本語のもの

NTD(Wendland、1968): 邦訳1974。ニコリ186頁は少なすぎ。実際に内容も簡単すぎ。

現代聖書注解(E. Best、1987): 邦訳1989。序論はわずか8頁。全体232頁。

コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。

EKK: 未刊(2010.3現在)。

その他にはない。英語の注解書を中心にして、現代聖書注解で補う感じか。

講解説教集には、阿部洋治『コリント人への第二の手紙 講解説教』(聖学院ゼネラル・サービス、2002、445頁、3990円)。

英語のもの

AB(Furnish, 1984): 648頁。松永、Fee共に推薦。しかし、他にICCとかWBCとかNIGTCとか新しく良いものがある。

Hermeneia(): 目にしないので必要ない。

ICC(Thrall, 1994+2001): 2Vols. どちらも544頁?。良い。松永推薦。2004にはPaperback版も出た。ICCには以前はPlummer(1915)があったので注意。

NICNT(P. Barnett, 1997): 696頁。NICには以前はHughes(1962)があったので注意。

NIGTC(Harris, 2005): 1117頁。最新。

WBC(Martin, 1986): 松永、Fee推薦。591頁?527頁?。しかし、かゆいところに手が届いていない。

C.K. Barrett: BNTC=HNTC, 1973, 1993。松永、Fee推薦。

というわけで、criticalなものとしてはICCかNIGTCという新しいものがある。中規模のものの定番はC.K. Barrett。

ガラテヤ

NTD(): なかなかよい。
現代聖書注解(カウザー): 。
コンパクト聖書注解(L.Th. ヴィトカンプ): 刊行されているが、見ていないので分からない。
EKK: 未刊。
EKK: 未刊(2010.3現在)。

 

佐竹明: 現代聖書注解全書のシリーズ。2008年に判型をA5版に拡大して重版。620頁、6993円。
山内眞: 語も句も綿密に議論していて、釈義と福音を見極める視点がたいへん勉強になる。最良。
原口尚彰: 最近出たが、見ていない。

竹森の講解が東神大パンフ26にある。田中剛二のガラテヤ書講義が『田中剛二著作集』第3巻に収められているらしい。古典的には、ルターのガラテヤ書大講解。

エフェソ

日本語のもの

NTD(コンツェルマン、197614、邦訳1979): わずか82頁であまりにも簡単すぎ。だめ。
現代聖書注解(R.P. マーティン、1991、邦訳1995): コロサイ、フィレモンと併せて一冊で、そのうちエフェソはわずか130頁で簡単すぎ。趣味に合わないし。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK(シュナッケンブルク): 557頁。ギリシャ語にしっかりあたっていて、分量も十分。これが最良。

その他: 尾山令仁『エペソ教会への手紙――私訳と講解』(羊群社、1976)は本文490頁(巻末に私訳を改めてまとめて記して全506頁)で、なかなか参考になることがある。竹森の『講解説教 エペソ人への手紙』(新教出版社、1988、428頁)も参考になる。

佐藤司郎、『われは教会を信ず――エフェソの信徒への手紙に学ぶ』(新教新書267、新教出版社、2011、163頁、1470円)はどうだろうか?

英語のもの

AB(Markus Barth, 1974): 2 vols.
Hermeneia(): 
ICC(): 
NICNT(): 
NIGTC(): 
WBC(Andrew T. Lincoln, 1990): 

フィリピ

日本語のもの

NTD(G. フリードリヒ): 「パウロ小書簡」としてガラテヤ、エペソなどと一冊になっている。まあよい。
現代聖書注解(F. B. クラドック、1988):原著1985年。149頁。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK: 未刊(2010.3現在)。

 

佐竹明(現代聖書注解全書):1969年。2008年重版の際、従来の四六判からA5版となった、302頁。
山内眞:1987、355頁。
カール・バルト: 新教出版社セミナーブック16、山本和訳、2003(最初は『カール・バルト著作集15』、1981年所収)。168頁。
トゥルナイゼン: 「山上の説教」と共に、『トゥルナイゼン著作集1』、新教出版社、1986(原著1958)、260頁。「ピリピ人への手紙」の講解は、pp.75-252。

その他、竹森満佐一『講解説教 ピリピ人への手紙』(上・下)、日本基督教団出版局。久野牧、『講解説教 ピリピ人への手紙』、一麦出版社、1994年、473頁、3800円。

英語のもの

AB(J. Reumann, 2008): 832pp., $65.00.

コロサイ

日本語のシリーズもの

日本語のシリーズもの4種はすべて刊行されているので、コロサイは比較的取り組みやすい。

NTD(ハンス・コンツェルマン、原著197614): 「パウロ小書簡」の中。邦訳出版は1979年。簡単すぎ。
現代聖書注解(R.P. マーティン): エフェソとフィレモンと一緒。簡単すぎ。
コンパクト聖書注解(L.Th. ヴィトガンプ): 232頁。割と参考になる。
EKK(E. シュヴァイツァー): 398頁。割と参考になる。

日本語の単行本

その他はない。

英語のもの

AB(M. Barth & H. Blankes, 1995): 552pp.
Hermeneia(E. Rohse, 1971): 234pp.
ICC(R.McL.Wilson, 2005): 512pp. ICCにはT.K.Abbott, 1897という100年前の古いものがあるので注意。
NICNT(F.F. Bruce, 1984): 442pp.
NIGTC(J.D.G.Dunn, 1996): 388pp.
WBC(P.T.O'brien, 1982): 382pp.

テサロニケ1,2

英語のもの

NICNT(Gordon D. Fee, 2009): pp.

牧会書簡

日本語のもの

NTD(J. Jeremias, 邦訳1975): 原著1968第9版。ヘブル書(H. Strahtmann)と合本。牧会書簡の部分は150頁ほど。少なすぎ。
現代聖書注解(T.C. Oden, 邦訳1996): 原著1989。315頁。三書簡を段落ごとにバラバラにして主題ごとにまとめて解説。気持ちは分かるが、連続講解説教には使いずらすぎ。語句レベルで突っ込んだ議論はあまりなされていない。
コンパクト聖書注解: 未刊(2015.1現在)。
EKK(J.Roloff, 原著1988): 未刊(2015.1現在)。

他に、土屋博『牧会書簡』(日本基督教団出版局、1990)は細かく議論していてよい。そうではないだろうという意味で示唆に富む。

F.ヤング(土屋博訳)『牧会書簡』(叢書 新約聖書神学11)、新教出版社、2000、266頁、3000円。

英語のもの

AB(L.T. Johnson, 2001): テモテ1と2。608頁。とてもよい。
AB(J.D. Quinn, 1990): テトス。384頁。松永推薦。
Hermeneia(Diberius, Conzelmann, 1972): 松永、Fee推薦。
ICC(I.H. Marshall, 1999): 928頁。P.H. Townerと共著。2004年にpaperback版も出た。古いシリーズ(W. Lock, 1928)は全然だめ。
NICNT(Philip H. Towner, 2006): 。
NIGTC(G.W. Knight III, 1992): 548頁。松永、Fee推薦。よい。
WBC(W.D. Mounce, 2000): 641頁。よい。

他に、HNTC/BNTC(J.N.D. Kelly, 1963)は松永、Fee推薦だがもはや古いか。C.K. Barrett(1963)も松永推薦だがもはや古い。

というわけで、criticalなものとしてはAB、ICC、NIGTC、WBCと新しいものがいろいろある。規模として扱いやすそうなのはNIGTCやWBCか。

辻学の論文

2015.11.23全面的に更新

(2015年1月調査)

「Tテモテ2,1-3/テトス3,1-2の間テクスト性」、『人間文化研究』第3号、広島大学大学院総合科学研究科人間文化講座・人間文化研究会、2011。

「子を産むことによって救われる――Tテモテ2:15の文脈と背景」、日本聖書学研究所編『聖書学論集41 経験としての聖書――大貫隆教授献呈論文集』、リトン社、2009。(1テモテ2:8〜15の理解にとても役だった。)

「『やもめ』の登録(Tテモテ5:3-16をめぐって」、『新約学研究』第26号、1998。

「Tテモテ5:17-25の文脈と構成」、『新約学研究』第25号、1997。

「「異なる教え」と「富める女性」――1テモテ6,3-21の構成とその背景」、『神学研究』43号、関西学院大学神学研究会、1996。

「長老団の按手(Tテモテ4:14)とパウロの按手(Uテモテ1:6)」、『神学研究』51号、関西学院大学神学研究会、2004。

「獄中書簡としてのUテモテ書」、『新約学研究』第31号、2003。

「パウロの個人宛書簡――偽名文書としての牧会書簡の戦略」、『聖書学論集43』、2011。

フィレモン

日本語のシリーズもの

NTD: 「パウロ小書簡」の中。
現代聖書注解(マーティン): エフェソとコロサイと一緒。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK(ペーター・シュトゥールマッハー): 145頁。付論として「原始キリスト教の「家の教会」」あり。16節のところで1Cor7:21の訳と解釈を念入りに述べている。

英語のもの

AB(Joseph Fitzmyer, 2000): 138pp. $21.95.

ヘブライ書

日本語のものでよいものはない。

日本語のシリーズもの

NTD(Strathmann): 第9巻「」の中。分量少ない。NTDの原著のシリーズでは、より新しいStrobel, 1975が出ている。
現代聖書注解(ロング): 全般を説教と見なし、そのレトリックを中心に明らかにしようとしている。
コンパクト聖書注解: J.レイリング(登家勝也訳)2012年。
EKK(): 未刊(2010.3現在)。

日本語の単行本

川村輝典: 一麦出版社、2004、394頁で7770円もするなんて。活字が大きすぎなのは、装丁を立派にするためとしか思えない。せっかく注解を書くなら、内容はもっとボリュームのあるものを書いてほしかった。

ヤコブの手紙

ペトロの手紙1,2

ヨハネの手紙

日本語のもの

NTD(シュナイダー、1975): 原著は1968第10版。NTD第10巻「公同書簡」の中、松本武三訳、約130頁。
現代聖書注解(D.M. スミス): 274頁。
コンパクト聖書注解: 未刊(2010.3現在)。
EKK(クラウク、2008): 住谷眞訳、672頁、8400円。

他に、ブルトマン(川端純四郎訳、日本基督教団出版局、1987、212頁)。I.H. マーシャル(中村保夫訳、聖恵授産所出版部、1993)はNICNTの訳。

最近の研究書として、津村春英、『「ヨハネの手紙一」の研究――聖書本文の帰納的研究』、聖学院大学出版会、2006、244頁、4200円。

英語のもの

AB(R.E. Brown, 1982): 840頁。厚過ぎか。Fee、松永推薦。
Hermeneia(G. Strecker, 1993): 368頁。Trans. by Linda M. Maloney。Hermeneiaは古くは、Bultmann(1973)。
ICC(A. E. Brooke, 1912): 古すぎ。誰も推薦していない。
NICNT(I.H. Marshall, 1978): 274頁。Fee、松永推薦。邦訳あり。
NIGTC(): 未刊。
WBC(S. Smalley, 1984): 428頁。Fee、松永推薦。

他に、John Stott (Tyndale NTC, 1988revised, 234pp)、R. Schnackenburg(Trans. by R. and I. Fuller, 1992)。と記したが、これらももうあまり推薦されないか。

というわけで、criticalなものとしてはWBCとABとせっかく邦訳があるブルトマン。それと邦訳のある中規模のものとしてマーシャル。

新しいもので、Robert W. Yarbrough (BECNT, 2008)、Karen H. Jobes(ZECNT, 2014)が定評ありそうだ。

ユダの手紙

ヨハネの黙示録

日本語のもの

NTD(): 。
現代聖書注解(): 。
コンパクト聖書注解(L.v. ハルティンクスフェルト): 池永倫明訳、1997、254頁。
EKK(): 未刊(2010.3現在)。

佐竹明、『ヨハネの黙示録』(上、中、下)(現代新約注解全書)、新教出版社、上:2007、261頁、5040円。中:2009、475頁、8925円。下:2009、484頁、8925円。上巻は「序説」と題した緒論、中巻は1〜11章、下巻は12〜最後まで。

ドイツのKEKシリーズのために書かれた注解書(2008)の日本語版で、従来の現代新約注解全書の「ヨハネの黙示録」(全二巻)の改訂版。しかし、紙幅の制限が厳しかったドイツ語版では触れることができなかった点も論じられている。

最近の講解説教に、加藤常昭『ヨハネの黙示録』(加藤常昭説教全集25)教文館、2006、670頁、5040円。四竃更『死に至るまで忠実なれ――黙示録講解説教』、教文館、2007、412頁、2100円。