2015.11.23更新
印が主な更新個所です。)

■組織神学B

4.神学思想史と近・現代のプロテスタント神学

4.1 キリスト教思想史

金子晴勇、『キリスト教思想史入門』、日本基督教団出版局、1983年、268頁、1600円。
教理と哲学の関係を概観した教科書的な本。巻末に参考文献表あり。
パウル・ティリッヒ、「キリスト教思想史」
1953年のユニオン神学大学での講義を、学生による速記録とティリッヒの講義草稿をもとにインゲボルグ・C・ヘネルが再構成したもの。編者によると、「この歴史は教理史というよりも、キリスト教の精神史」だ。組織神学者が書いた思想史としてぜひ読めと大木先生。邦訳は『ティリッヒ著作集別巻二、三』(大木英夫、清水正訳、「キリスト教思想史T――古代から宗教改革まで」(『ティリッヒ著作集別巻二』)、白水社、1980、458頁と、佐藤敏夫訳、「キリスト教思想史U――宗教改革から現代まで」(『ティリッヒ著作集別巻三』)、白水社、1980、330頁)。1998年頃に新装再版されて、二冊揃いで12000円!。後編の方は、かつて新教出版社からブラーテン編で出ていた。ブラーテン編(佐藤敏夫訳)『近代プロテスタント思想史』(現代神学双書62、新教出版社、1976、351頁)。2003オンデマンドで復刊。
っと書いたのだが、後編の『キリスト教思想史U――宗教改革から現代まで』(新装復刊、白水社、1997)を見たら、1963年春学期のシカゴ大学神学部での講義とのこと。ブラーテンが講義テープから編集したもの。「本書のなかで狭義の神学史にあたるのは第五章『新しい調停の道』を除けば、それぞれの章に部分的に出てくるにすぎない。むしろ、本書は近代の一般思想史という性格をもっている。・・・しかし、それにもかかわらずキリスト教思想史の書といえるのは本書におけるティリッヒの視点にある。それは、古典的ヒューマニズムとキリスト教の古典的伝統との総合という視点である。彼はこの視点から近代のキリスト教思想史をみるだけでなく、キリスト教思想史全体、いな、西洋思想史一般をみている」(「訳者あとがき」、p.327)。

プロテスタント

F.W. グラーフ(野崎卓道訳)、『プロテスタンティズム――その歴史と現状』、教文館、2008、208頁、1890円。

ハンス・ヨアヒム・ビルクナー(水谷誠訳)、『プロテスタンティズム――潮流と展望』、日本基督教団出版局、1991、144頁、1529円。原題:"Protestantismus im Wandel: Aspekte, Deutungen, Aussichten", 1971。1969年のラジオ連続講演に基づく。「いまでは旧聞に属する感がある。というのも、七〇年以降、世界の宗教事情は激変し、とりわけプロテスタント・キリスト教は、未曾有の世俗化と宗教多元主義のうねりをもろに被って、従来の理論をはるかに追い越す激動の現実と動態に身を晒しているからである。」(安酸敏眞によるグラーフ『プロテスタンティズム――その歴史と現状』の書評、『本のひろば』2008.11、p.2。)

4.2 近現代の神学思想

現代の神学に取り組む上で、19世紀からの神学思想は重要。19世紀の神学は、シュライアーマッハー、リッチュル、宗教史学派に代表される「近代主義」、「自由主義」。一方、「二十世紀の神学は、カール・バルトと共に始まった」(H.ツァールント『20世紀のプロテスタント神学(上)』、p.3)。

どちらかというと「近代」

佐藤敏夫、『近代の神学』、新教出版社、19641,19713、282頁。
近代をシュライアーマッハーからトレルチまでと規定する。それは、シュライアーマッハーにおいて「近代神学が正統主義神学に代わるものとして独自の形態をなすに至る」のであり、また、トレルチ以後、「十九世紀神学とは質的に異なる新しい神学の台頭を見る」(序言)からである。序章で18世紀を概観した後、第1章シュライアーマッハーから、第2章エルランゲン学派・調停神学・自由神学、第3章リッチュルとその学派、第4章宗教史学派(トレルチ)までの神学の教義学的研究。終章でバルト、ブルンナー、ブルトマン、ティリッヒに触れる。
佐藤敏夫、『キリスト教と近代文化――近代プロテスタント思想史』(新教新書88)、新教出版社、1964、158頁。
敬虔主義以降のプロテスタント神学思想を教義学的というより近代文化の形成との関わりの点から論述。『近代の神学』が思想史よりも狭い学説史であるのに対し、思想史は、敬虔、倫理、文化意識、社会意識という領域まで包括する(p.5)。例えばトレルチについては、プロテスタンティズム観、キリスト教の絶対性、歴史主義について論述。
トレルチ
カール・バルト、『十九世紀のプロテスタント神学』(カール・バルト著作集11、12、13巻)、新教出版社、第11巻は1971、他は未刊(1947)。
本格的。最初の「近代神学史の課題について」は、神学史を学ぶ意義として重要。18世紀のプロテスタント神学を概観した後、ルソーからリッチュルまで24人の神学者ごとに論述。

20世紀とか「現代」とか

H.ツァールント(新教セミナー訳、井上良雄監修)、『20世紀のプロテスタント神学』(上、下)(新教セミナーブック)、新教出版社、上:1975年330頁2800円、下:1978年296頁2500円。
かなりしっかり書かれていて良いらしい。
佐藤敏夫、『プロテスタンティズムと現代――文化神学序説』(今日のキリスト教双書9)、新教出版社、1970、225頁。
10論文。宗教改革の現代的意義、フォーサイス、トレルチ、バルト、ティリッヒ、コックスなどとの対話からキリスト教と現代文化の問題を神学的に考察。佐藤の『キリスト教と近代文化』が過去の思想の歴史を主題とするのに対し、これば現代に関心を置く。
喜田川信、『現代ヨーロッパ神学の根本問題』、教文館、2011、197頁、1995円。
著者の長年のバルト研究の集大成である「バルト神学の根幹と全体像」と、その視点からボンヘッファー、パネンベルク、モルトマンらを取り扱う。
近藤勝彦、『二十世紀の主要な神学者たち』、教文館、2011、194頁、1995円。
バルト、ラインホールド・ニーバー、ティリッヒ、ブルンナー、モルトマン、パネンベルク、トレルチ、ファン・リューラーたちとの対話する自伝的な神学の営み。最後に、「神学の押さえどころ」と「神学を学ぼうとする人々に」も。
栗林輝夫、『現代神学の最前線──「バルト以後」の半世紀を読む』、新教出版社、2004、280頁、2200円+税。
タイトルの中の「最前線」を「フロント」と読ませる。神学思想というより、乱立している様々な神学を概観した16講。特にアメリカを中心に、宗教なき神学、神の死の神学、政治神学、黒人神学、フェミニスト神学、解放の神学、アジア神学、宗教多元主義、プロセス神学、福音派、ポストリベラル神学、修正神学、ポストモダン神学、統治の神学、再建主義などなど。目次が紹介されているブログ「自然神学・環境・経済」の記事

大木英夫は、20世紀の神学史を四つに分ける。前世紀からの継続でハルナックを中心とした第1期、バルト『ロマ書講解』によって大転回を起こした第2期、第二次大戦後ブルトマンをめぐる論争が湧き起こった第3期、1960年代以降、パネンベルク、モルトマンが主役となった第4期。(大木英夫「神学と諸科学の関係――二十世紀神学史の経過」、『偶然性と宗教――現代の運命とキリスト教』ヨルダン社、1981のpp.134-160)。

森田雄三郎は、1987年の論考で、「六〇年代以後に現われた新しい神学的動向のうち有意義と思われるもの」として、「解釈学としての神学」、「歴史の神学」、「希望の神学」、「プロセス神学」の4つを挙げる。森田雄三郎『現代神学はどこへ行くか』(教文館、2005)に収録。芦名定道による書評が、『日本の神学』No.45、2006にあり

4.3 19世紀の神学者

シュライアマッハー (Friedrich Ernst Daniel Schleiermacher、1768-1834)

シュライエルマッハーと表記されることが多い。表記については川島堅二(恵泉女学園大学)Schleiermacherの日本語表記についてを参照。この先生は結局、「シュライアマハー」と表記するとのこと。

重要著作は、『宗教論』、『信仰論』、『神学通論』の三つ。

●『宗教論』(17991、18062、18213

佐野勝也、石井次郎訳(初版からの訳、岩波文庫3807-3809(現在は青628-1)、1949年)か、高橋英夫訳(シュライエルマッハー『宗教論――宗教を軽んずる教養人への講話』、筑摩叢書358、筑摩書房、1991年、253頁)。最近でた新訳に、深井智朗訳、『宗教について――宗教を侮蔑する教養人のための講話』(春秋社、2013年、348頁、4200円)。

第一講「弁明」第二講「宗教の本質について」第三講「宗教へ導くための教育について」第四講「宗教における集団について あるいは教会と聖職について」第五講「さまざまの宗教について」。第二講で宗教は直観と感情であると語り、第五講でキリスト教の絶対性を説く。

●『信仰論』(1821-221、1830-312

今井晋による抄訳『キリスト教信仰』(『現代キリスト教思想叢書1』、白水社、1974年)。

松井睦による新訳が出始めた。シュライエルマッハー『信仰論 下巻 第一分冊「キリスト論」』、シャローム印刷、2013、92頁、800円+税。『信仰論 下巻「キリスト論」第二分冊』、2014、85頁、800円+税。

安酸敏眞訳『キリスト教信仰』の弁証――『信仰論』に関するリュッケ宛ての二通の書簡』、知泉書館、2015。巻末に訳者による解題として「シュライアマハーと『キリスト教信仰』」あり。

●『神学通論』(18101,18302

シュライアマハー(加藤常昭、深井智朗訳)、『神学通論(1811年/1830年)』、教文館、2009、332頁、3360円。第1版(1811年。深井智朗による本邦初訳)と第2版(1830年。加藤常昭による改訳)を併せて収録。

松井睦訳『シュライエルマッハーのクリスマス』(ヨベル、2010、128頁、1050円)は、ドイツの家庭でのクリスマスをめぐる大人とこどもの対話。これについて、カール・バルト「シュライエルマッハーの降誕祭」in『カール・バルト著作集4』がある。

最近の簡単な?評伝に、A.ゲーリッシュ(松井睦訳)『シュライエルマッハー』(新教新書262)がある。ファングマイアー(加藤常昭、蘇光正訳)『神学者カール・バルト』(日本基督教団出版局、1971)の中に「シュライエルマッハーとわたし」という文章がある。

神学史的には、「神学の方法上のコペルニクス的転回を遂行し、近代神学の出発点となった」。思想史的には、「近代の学問意識や文化意識とキリスト教の総合を試みた代表的な存在」である。佐藤敏夫、『キリスト教と近代文化』、pp.65-66。

リッチュル (Albrecht Ritschl、1822-1889)

重要著作は、『義認と和解』全三巻(1870-741、1888-893)。森田雄三郎による抄訳『義認と和解』(『現代キリスト教思想叢書1』、白水社、1974年)。

1870年代に影響力を持ったリッチュル学派に対して、その中から出てそれに対立したのが1890年代に登場した宗教史学派(Religionsgeschichtlishe Schule, History of Religions School)である。諸宗教との関連からキリスト教の歴史的発展を記述しようとする宗教史学派は主として聖書学における学派であるが、トレルチはその中で、宗教史学派の教義学に対する意味と影響を鋭敏に認識した神学者である。

トレルチ (Ernst Troeltsch、1865.2.17-1923.2.1)

特に優れた著作は「キリストの本質とは何か」(1903)、「倫理学の根本問題」(1902)、「社会教説」(1913年)の結論部だという(近藤勝彦『トレルチ研究』上、教文館p.66で紹介されているフォン・ヒューゲルの見解)。

「キリスト教の本質とは何か」は著作集2(高森昭訳)。

「倫理学の根本問題」は著作集3(佐々木勝彦訳、「倫理学の根本問題――ヘルマンの『倫理学』に寄せて」、『トレルチ著作集3 キリスト教倫理』、ヨルダン社、1983、109-272頁、2,800円)。

「社会教説」は、"Die Soziallehren der christlichen Kirchen und Gruppen." 『キリスト教諸教会と諸集団の社会教説』。古代から18世紀までのキリスト教と政治、社会、経済、文化、芸術などとの関わりを通して、教会型、分派(ゼクテ)型、神秘主義に類型化。さらに、今日のキリスト教として有効な形態として教会型を提案する。しかし課題は大きい。『講座宗教学』第三巻(東京大学出版会、1978)のp.167に、トレルチの三類型の対照表あり。邦訳は、「序論」と「古代教会」の部分が高野晃兆、帆苅猛訳、『古代キリスト教の社会教説』(教文館、1999)、中世の部分が高野晃兆訳、『中世キリスト教の社会教説』(教文館、2014)。また、『トレルチ著作集9 プロテスタンティズムと近代世界U』に、「プロテスタントの地盤におけるセクト型と神秘主義」の部分と結論部が収録されている(この本にはさらに『現代の文化』の中の「近代プロテスタンティズム」も収録されている)。

トレルチの著作としては他に、森田雄三郎、高橋晃兆訳、「キリスト教の絶対性と宗教史」(19021、19122)、『現代キリスト教思想叢書2(トレルチ・ケーラー・ヘルマン)』、白水社、1974、7-160頁も。『信仰論』も訳されている(安酸敏眞(やすかた・としまさ)訳、近代キリスト教思想双書、教文館、1997、442頁、6700円)。

研究書を一つだけ挙げるとすれば、その「思想のほぼ全体を対象とした組織的な研究」として、近藤勝彦『トレルチ研究』(上、下)、教文館、1996。

4.4 20世紀の神学の呼称

神学の20世紀は、第一次世界大戦以降。名称としては、「弁証法神学(Dialektische Theologie)」、「危機の神学」、「神の言葉の神学」、「ケリュグマ神学」、「新正統主義」(どれにしても同じようなものか)。「弁証法的神学とか危機の神学という名称は、最初他から付せられた名称にすぎない。それに反して神の言葉の神学は、彼ら自身がよんだ名称である」(佐藤敏夫『キリスト教と近代文化』143頁。『近代の神学』215頁でも同じことを言っている。)。

弁証法神学の代表者

「40年代に入った頃のアメリカ神学界は、バルト、ブルンナー、ティリッヒ(わが国ではバルト、ブルンナー、ブルトマン、ゴーガルテンが代表者としてみられていたが、アメリカではこの三人の名がしばしば一緒になって紹介されている)を代表とする弁証法神学(アメリカでは当時「危機の神学」とか「啓示の神学」と呼ばれていた)の約10年間にわたる一応の紹介が終わったところであった。」古屋安雄、「H.リチャード・ニーバーの神学」『神学』23号、1963、p.75。

危機の神学

世界大戦が起きるなど時代が危機的であるとか、時代の影響を受けて神学が危機的であるとかいうよりも、神学そのものが神による危機として営まれる。「『ローマ書』そのものにおいて、「危機」という表現は、ほとんど各ページに現れている。しかし、バルトは、この表現を、決してヤーコブ・ブルクハルトのような意味で、過ぎ行く歴史的瞬間を言い表すために、また古いものが終わり新しいものが始まる歴史内部の渦巻きないし変革を言い表すためには用いておらず、神の啓示は世界の危機であるというふうに、、厳密に神学的に理解している。絶対他者であり、世界の彼方から「すべての展望をさえぎる防火壁」のように、また敵対する世界の中に突入してくる神は、我々を「震撼し」、「不安にし」、「くつがえす」ような仕方で、すべての彼岸的なものに作用する。」H.ツァールント(新教セミナー訳、井上良雄監修)、『20世紀のプロテスタント神学(上)』(新教セミナーブック)、新教出版社、1975、p.20。

神の言葉の神学

「厳密な意味での神学史的な観点からいえば、弁証法的神学は、神の言葉の神学とよばれるのが最もふさわしいであろう。・・・十九世紀神学の主題が宗教にあり、キリスト教も他の諸宗教に並ぶ一つの宗教として取り扱ったのに対して、キリスト教が、上からの神の言葉に基づくものであることを主張し、神学の主題を神の言葉とするというのが彼らの共通の出発点だった」佐藤敏夫『キリスト教と近代文化』(新教新書)、1964、p.143。 神の言葉のもとに立つということが弁証法的な状況である。したがって、弁証法神学は「神の言葉の神学」である。

歴史の神学

パネンベルクによって代表される神学的立場。パネンベルクのほかに、U.ウィルケンス、R.レントルフ、T.レントルフ、レスラーなど。『キリスト教組織神学事典』増補版の佐藤敏夫「歴史の神学」の項。

パネンベルクの神学については、「バルト、ブルトマン以降の第三の神学」、「理性の神学」、「復活の神学」、「下からのキリスト論」など様々な言い方がされている。パネンベルク『組織神学の根本問題』(日本基督教団出版局、1984)の中の近藤勝彦による「解説」、p.333。

その他

社会問題との関わりや倫理の面で一応知っておかなければならない運動としては、「社会的福音」、「状況倫理」(フレッチャーのsituation ethicsとレーマンのcontextual ethicsとは違う)、「解放の神学」。

解放の神学は、フェミニスト神学や韓国の民衆の神学もこの中の一種。解放の神学について手っ取り早い概説は、L.ボフ、C.ボフ(大倉一郎、高橋弘訳)『入門・解放の神学』(新教出版社、1999、176頁、1800円)。梶原寿『解放の神学』(人と思想133、清水書院、1997、215頁)は、著者の自分史とジェイムズ・H・コーンの歩みと主要著作の紹介を中心に語る。巻末に参考文献表あり。

4.5 20世紀の神学者

カール・バルトに関しては、バルトのページを参照。ニーバー兄弟については組織神学のページの該当する項を参照。あたらしいところは、モルトマン、パネンベルク。

ティリッヒ (Paul Tillich, 1886-1965)

バルトは「神の言葉の神学」あるいは「弁証法神学」と呼ばれる神学運動の代表者として、・・・徹底してキリストの啓示にとどまりながら、教義学的に思索し続けた。これに対して、[神学と哲学、教会と社会、宗教と文化などの]境界線上に立つティリッヒは、常に現代の人間のあらゆる文化的、社会的実存状況を敏感に感じ取り、その困窮と問いとを深く理解しながら、それに対する回答をキリスト教の伝統の新しい解釈の中に求めた。そこで、ティリッヒの神学は、実存的問いに対する回答の神学、哲学的神学、文化の神学、弁証学的神学(Apologetic theology)などと言われる。近藤勝彦「パウル・ティリッヒの格闘――現代人の救済はどこにあるか」(ティリッヒ(大木英夫訳)『生きる勇気』平凡社ライブラリー102、平凡社、1995の解説)。

ティリッヒの著作目録は、茂洋『ティリッヒの人間理解』(新教出版社、1986)の巻末にある。

芦名定道(京都大学)の「芦名研究室」の中の「文献紹介」の中にティリッヒ研究文献リストあり。

ブルトマン(Rudolf Karl Bultmann)

ブルトマンの代表作を三つに絞れば、『新約聖書と神話論』(山岡喜久男訳、新教セミナーブック、1999、200頁、1500円)(もとは聖書学叢書2)、『歴史と終末論』、『キリストと神話』(新教出版社、1960)。神学的評伝として、熊沢義宣『ブルトマン』(日本基督教団出版局、19621,1987増補新装5版、432頁、2500円)は増補改訂新版が出ている。

ブルンナー (Emil Brunner, 1889-1966.4.6)

『ブルンナー著作集』(熊澤義宣、川田殖編、教文館、1996-1998)全8巻の内容は、こちらの教文館のページで

ブルンナー神学の中心思想は、『出会いとしての真理』という書物のタイトルに端的に示されている、出会いという人格的な真理概念にある。『キリスト教組織神学事典』(教文館、1972)の「ブルンナー」の項より。

森本あんり、五郎丸仁美訳、『出会いとしての真理』、教文館、2006(1938, 1963増補)、240頁、2940円。
ブルンナーの最後の出版物とのこと。以前は弓削達訳『聖書の「眞理」の性格――出会いとしての眞理』(現代基督教思想選書)(日本基督教青年会同盟、1950)があったが、その後1963年に原著が増補された。

ブルンナーは、2度日本を訪れた。第一回:1949.9.29-12.12、第二回:1953.10.1-1955.7.11。日本での講演の記録、活動記録(大木英夫編)、関係各氏の思い出は、中沢洽樹、川田殖編『日本におけるブルンナー』(新教出版社、1974)にまとめられている。熊澤義宣訳『信仰・希望・愛』に収録された「わが心の生い立ち」(1955.3箱根における講演)も再録されている。

「ブルンナーの名前は、日本では慣用的に『エミール』と呼ぶ人が多いが、正しくは『エーミル』」である。(中沢洽樹、川田殖編、『日本におけるブルンナー――講演と思い出』、新教出版社、1974の396頁)

ボンヘッファー (Dietrich Bonhoeffer, 1906.2.4-1945.4.9)

学位論文『聖徒の交わり』、教授資格論文『行為と存在』。他に、『服従』、『共に生きる生活』、『現代キリスト教倫理』など。フロッセンブルグの強制収容所でナチスによって処刑された。

最近のボンヘッファーの邦訳著作として、森野善右衛門訳、『告白教会と世界教会』(新教出版社セミナーブック38)、新教出版社、2011、422頁、3990円。『ボンヘッファー選集』第6巻「告白教会と世界教会」から、単行本となった『共に生きる生活』を除き、また、新たに「アメリカ日記」を収録。

4.6 フォーサイスの邦訳著作

Peter Taylor Forsyth, 1848.5.12-1921.11.11

フォーサイスは「バルト以前のバルティアン」と言われているらしい。これは、楠本史郎訳『フォーサイスの説教論』のあとがき371頁によれば、マコナッキーが言った。

フォーサイスを紹介している書として、大宮溥『フォーサイス』(人と思想シリーズ、日本基督教団出版部、1965、261頁)、A.M.ハンター(渡辺省三訳)『フォーサイスと現代』(ヨルダン社、1979(1974)、217頁)が基本的なところ。

なお、『石島三郎著作集 第一巻 神学研究』(教文館、1978)にフォーサイス研究論文あり。古屋安雄他編『歴史と神学――大木英夫教授喜寿記念献呈論文集 上巻』(聖学院大学出版会、2005)の中に高萬松「P.T.フォーサイスにおける「戦争倫理」」あり。専門的な研究書として、森島豊『フォーサイス神学の構造原理――Atonementをめぐって』(新教出版社、2010)あり。この巻末にフォーサイス著作目録がある。川上直哉『日本におけるフォーサイス受容の研究――神学の現代的課題の探求』(キリスト新聞社、2012)あり。

大宮溥編、『フォーサイス神学概論――十字架の神学』、教文館、2011、479頁、3990円。翻訳論文と大宮溥の論文。フォーサイスの娘による「父の回想」も収録とのこと。フォーサイス神学の決定的焦点、ガントン「救贖的なものとしての現実的なもの――フォーサイスにおける権威と自由」、祈祷論、教会論、目的論と救贖、会衆派牧師としてのフォーサイス、トムソン「フォーサイスは本当にバルト以前のバルト主義者であったか」、福音主義的霊性、大宮溥「P.T.フォーサイスの神学的権威論」などなど。

フォーサイスの戦後の翻訳出版は次の5つ。

石島三郎訳、『キリスト者の完全』(新教新書36)、新教出版社、1960(1899)。
4説教からなる。「新生者の罪」、「聖潔と信仰」、「成長と完全」、「実際的摘要」。
斎藤剛毅訳、『祈りの精神』、ヨルダン社、19691、1986改訂版、180頁、1500円。
"The Soul of Prayer," 1916。齋藤剛毅訳は現在は、『祈りのこころ』と題して、一麦出版社、2008、178頁、1890円。
大宮溥訳、『キリストの働き』(『現代キリスト教思想叢書4』、白水社、1974)。
"The Work of Christ," 1910。
斎藤剛毅、大宮溥訳、『十字架の決定性』、ヨルダン社、1989()、200頁、2000円。
"The Cruciality of the Cross," 1909。
楠本史郎訳、『フォーサイスの説教論』、ヨルダン社、1997、372頁、3700円。
"Positive Preaching and Modern Mind," 19071。翻訳は1964第7版から。

4.7 パネンベルクの邦訳著作

Wolfhart Pannenberg, 1928.10.2-2014.9.5

「私は全能の神を信ずる」(喜田川信訳『現代に生きる使徒信条』(新教新書151)、新教出版社、1970(1967))。
1967年に南ドイツ放送でなされた15講演集。ゲルハルト・ライン編。他に、レーヴェニヒ、カール・ラーナー、モルトマン、ボルンカム、コンツェルマン、エーベリンクなど。
近藤勝彦訳、『神学と神の国』、日本基督教団出版局、1972。
熊沢義宣、近藤勝彦訳、「人間とは何か――神学の光で見た現代の人間学」(『現代キリスト教思想叢書14』、白水社、1975)(19621,19724)。
この本に収録されているのは、他に、オット(川原栄峰、小川圭治訳)「思考と存在――マルティン・ハイデガーの道と神学の道」。
麻生信吾、池永倫明訳、『キリスト論要綱』、新教出版社、1982。
2004年からオンデマンド。
近藤勝彦、芳賀力訳、『組織神学の根本問題』、日本基督教団出版局、1984、原著1967、338頁、4300円。
原著の論文集"Grundfragen systematischer Theologie"に収録の15論文中から主要な論文7編の翻訳。「歴史の神学」の「出発と形成を伝える好個の論文集」(「序にかえて」より)とのこと。「聖書原理の危機」、「救済の出来事と歴史」、「解釈学と普遍史」、「信仰と理性」、「哲学的神概念の受容――初期キリスト教神学の教義学的問題として」、「無神論の諸類型とその神学的意義」、「神についての問い」。
西谷幸介訳、『現代キリスト教の霊性』、教文館、1987(1983)、232頁、2100円。
原著"Christian Spirituality," 1983。英語版がまず出て後にドイツ語版が出た。翻訳には、1986年のドイツ語の新版も参考にされている。5論文収録。「プロテスタント的敬虔と罪責意識」、「聖餐的敬虔――キリスト教共同体の新しい経験」、「聖化と政治」、「神学的視野における神の不在」、「真正なる自己の探求」。さらに、訳者付論として「パネンベルク歴史神学の要点」。
佐々木勝彦訳、『信仰と現実』、日本基督教団出版局、1990、242頁、2500円。
座小田豊、諸岡道比古訳、『形而上学と神の思想』(叢書・ウニベルシタス286)、法政大学出版局、1990。
座小田豊、諸岡道比古訳、『神の思想と人間の自由』(叢書・ウニベルシタス351)、法政大学出版局、1991。
大木英夫、近藤勝彦監訳、『キリスト教社会倫理』、聖学院大学出版会、1992、270頁、2600円。
パネンベルク編著(大木英夫、近藤勝彦、朴憲郁、西谷幸介、大住雄一、荒木忠義、深井智朗訳)、『歴史としての啓示』、聖学院大学出版会、1994(19611,19825)、326頁、3107円。
"Geschichte als Offenbarung," 1961。いわゆる「ハイデルベルク・グループ」による論文集。内容は、「序文」、パネンベルク(大木英夫、荒木忠義訳)「緒論」、ロルフ・レントルフ(大住雄一訳)「古代イスラエルにおける啓示の概念」、ウルリッヒ・ヴィルケンス(朴憲郁訳)「原始キリスト教史における啓示理解」、パネンベルク(深井智朗訳)「啓示に関する教説についての教義学的諸命題」、トゥルッツ・レントルフ(西谷幸介訳)「教会概念における啓示の問題」、パネンベルク(近藤勝彦訳)「第二版のためのあとがき」。巻末は、深井智朗によるパネンベルクの略歴。
「第二版のためのあとがき」でパネンベルクは、「本書で試みられている啓示概念の新しい捉え方によって、『神の言葉の神学』の周辺を見捨てることになる・・・」と記している。
佐々木勝彦訳、『組織神学入門』、日本基督教団出版局、1996(原著1991)、102頁、1200円。
こんなに薄くて組織神学の入門書!?っと思いきや、“パネンベルク神学”の入門書。第1章「組織神学の必要性」で、宗教の真理問題は神の現実性にかかっているとし、歴史をその場とする。
標宣男、深井智朗訳、『自然と神――自然の神学に向けて』、教文館、1999、290頁、3200円。
自然科学との対話。
深井智朗編訳、『近代世界とキリスト教』、聖学院大学出版会、1999、174頁、2000円。
編訳者による序論「近代世界とキリスト教――W.パネンベルクの視点」あり。パネンベルクの4論文。「世俗化された世界におけるキリスト教」、「宗教改革と近代」、「近代のキリスト教的正統性――ハンス・ブルーメンベルクの書物について」、「セオクラシー的な選択」。
佐々木勝彦・濱崎雅孝訳、『なぜ人間に倫理が必要か――倫理学の根拠をめぐる哲学的・神学的考察』、教文館、2003、252頁、2500円。
教文館による目次
池永倫明訳、『神の現臨』、一麦出版社、2008、218頁、3000円+税。
説教集"Gegenwart Gottes Predigteu," 1973。1956年〜1973年の間になされた説教23編。
佐々木勝彦訳、『人間学――神学的考察』、教文館、2008(1983)、728頁、7900円+税。
第一部「自然における人間と人間の自然」、第二部「社会的存在としての人間」、第三部「共同の世界」。金子晴勇の書評(『本のひろば』2009.4)を通して知ることのできる対論相手は、シェーラー、プレスナー、ゲーレン、ヘルダー、エリクソン、ミード、フロイト、カッシーラー、ホイジンガ、デュルケム、ピーター・バーガー。
大木英夫、近藤勝彦監訳、『現代に生きる教会の使命』、聖学院大学出版会、2009、265頁、3600円+税。
論文集『倫理学と教会論』"Ethik und Ekklesiologie," 1977の後半部。前半部は『キリスト教社会倫理』(聖学院大学出版会、1992)。
濱崎雅孝、清水正、小柳敦史、佐藤貴史訳、『学問論と神学』(青山学院大学総合研究所叢書)、教文館、2014、502頁、6000円+税。

5.信条学

三要文のページも参照。

宗教改革期の諸信仰告白についての網羅的な邦語文献表(〜1996)は、『宗教改革著作集 第15巻』(教文館、1998)の巻末にある。

5.1 日本語の信条集

東京基督教研究所訳、『基本信条』(信条叢書1)、新教出版社、1946、64頁、当時4円。
五つの古代教会信条の日本語訳。325年のニカヤ信条のみ竹森満佐一訳、その他は東京基督教研究所訳ということになろう。翻訳に関わった所員等は、堀之内友四郎、林三喜雄、熊野義孝、栗原久雄、竹森満佐一。戦争末期のさなかに翻訳が進められた。解説付き。底本はPhilip Schaff。後半にその原文が収められている。解説によれば、Symbola oecumenicaという名称はルターに始まると言われるらしい。渡辺信夫によれば、「記念碑として尊敬されねばならないが、研究を進めて行く助けではない」(渡辺信夫『古代教会の信仰告白』、p.330)。
日本基督教協議会文書事業部キリスト教古典叢書刊行委員会編訳、『信条集』(新教セミナーブック)、新教出版社、1994、728頁、6500円。
かつては、前篇(キリスト教古典叢書T、1955)と後篇(キリスト教古典叢書U、1957)に分かれていたものの合本。前篇は、古代教会の5信条、宗教改革期のルター派6つ、改革派5つの信仰告白。後篇はいろいろ。便利。ルターの大教理問答書は、第2部の使徒信条までしかない。これまで広く用いられてきた。渡辺信夫によれば、この本の訳文は玉石混淆で、ほとんど役に立たない部分もあるとのこと(渡辺信夫『古代教会の信仰告白』、p.330)
信条集専門委員会訳、『ルーテル教会信条集《一致信条書》』、聖文舎、1982、1080+138頁、26000円。
ルター派の重要な信条書。使徒信条、ニケア信条、アタナシウス信条、アウグスブルク信仰告白とその弁証、シュマルカルデン条項(「教皇の権力と首位権についての小論」付き)、ルターの大小教理問答、和協信条。付録として「証言集」。その他、訳注と解説、参考文献。アウグスブルク信仰告白は、上段にドイツ語からの訳、下段にラテン語からの訳の対訳。復刻版が教文館から2006年に出た(26250円)。
『宗教改革著作集 第十四巻 信仰告白・信仰問答』、教文館、1994、704頁、6000円。
必携。訳者は、徳善義和、石引正志、出村彰、森井真、渡辺信夫、登家勝也、飯島啓二、木下量煕。巻末に主要文献表あり。一般的に、『信条集』よりもこちらの方がよい訳であると言われる。が、両方あるとよい。この2冊にどのような信仰告白が収められているかは、宗教改革期以降のプロテスタントの信仰告白参照(ってゆーか、力作なので是非見てちょ)。巻末に「解題」があるが、執筆者によって分量がまちまち。ブツァー「四都市信仰告白」の解題(石引正志)は詳しい。「ハイデルベルク信仰問答」の解題(登家勝也)は「プァルツ教会規定」についての解説もあって力が入っている。文献も詳しい。
磯部理一郎編訳、『わたくしたちの「信条集」』、ナザレ企画、1994、310+17頁、1500円。
初代教会の5つの基本信条の、個人訳と註と原文。「ハイデルベルク信仰問答」の全訳。日本基督教会1890年制定「信仰の告白」の原文(旧漢字旧かな)と現代漢字かな版。日本基督教団信仰告白の原文と口語訳。そして、様々な解説の文章がpp.219-307。巻末にハイデルベルク信仰問答の引照聖句索引。すべて主日礼拝の中で用いられたもの。使徒信条、ニケア、ニケア・コンスタンティノポリス、カルケドン、アタナシオスのそれぞれの原文が付されているのが便利。
解説は、信条について概説した「信条を着る」と「<からだ>の営みと信条」、ニケア信条解説、使徒信条解説、カルケドン信条解説、アタナシオス信条解説、「ハイデルベルク信仰問答の成立動機」、日本基督教会「信仰の告白」解説、「日本基督教団と信仰告白制定の意義――教団信仰告白の担わされた課題」、「「公同教会」とわたしたちの教会的課題――教団と連合長老会」。
大崎節郎編、『改革派教会信仰告白集』、一麦出版社、2011〜2013、47880円。
全6巻、別巻1巻。109信条・信仰告白を収録。特に、宗教改革期とその直後の時代の改革派教会の信仰告白で、従来翻訳のなかったものを多く収録。また、アジアの教会も含む19〜20世紀の信仰告白や宣言文を収録。各信仰告白ごとに、成立の歴史的背景や教理的特色、影響史などの解題付き。収録されている信仰告白と訳者については、一麦出版社の詳細ページを参照。一麦出版社創立20周年記念出版。
「覆刻・日本基督一致教会信仰ノ箇条」出版委員会編、『覆刻・日本基督一致教会信仰ノ箇条』、教文館、2013、928頁、18000円+税。
出版委員は、吉岡繁、川村輝典、五十嵐喜和、山口陽一、石丸新、三野孝一、安田直人、辻幸宏。原寸覆刻。ドルト大會ニ於テ承諾セラレタル教典(1880年初版、プリンストン神学校図書館所蔵)、ウエストミンステル信仰箇條(1880年初版、辻幸宏所蔵)、耶蘇教畧問答 全(1876年初版、上智大学キリシタン文庫所蔵)、耶蘇教畧問答 全(1879年改訂版、安田直人所蔵)、鄙語海徳山問答 全(1884年版、東京神学大学図書館所蔵)、基督教海徳山問答 全(1885/86年版、東京神学大学図書館所蔵)。なお、「耶蘇」の「蘇」はくさかんむりのない漢字。→教文館の内容詳細のページ
関川泰寛、袴田康裕、三好明編、『改革教会信仰告白集――基本信条から現代日本の信仰告白まで』、教文館、2014、740頁、4500円+税。
基本信条4つ(ニカイア、カルケドン、アタナシウス、使徒)、改革教会の信仰告白(10)、日本の教会の信仰告白4つ(日本基督教會信仰の告白、日本基督改革派教会信仰規準ノ前文、日本キリスト教会信仰の告白、日本基督教団信仰告白)、全部で18の信仰告白を収録。この書での新訳となるのは、カルケドン信条、アタナシウス信条、スコットランド信仰告白の3つ。目次と訳者と解説者は、教文館のページで。

信条集ではないが、渡辺信夫『古代教会の信仰告白』(新教出版社、2002)は、五つの古代教会信条の本文とその釈義を治めているので、とても有用。

その他、バプテストでは『資料 バプテストの信仰告白』(斎藤剛毅編、ヨルダン社、1980)というのがある。福音派では、『福音主義キリスト教と福音派』(宇田進、いのちのことば社)の巻末に、ローザンヌ誓約など保守的な聖書信仰の立場からの宣言がいくつか収録されている。

5.2 信条の本文(ほんもん)、諸信仰告白の原典

使徒信条

使徒信条のラテン語本文は、ロッホマン『講解・使徒信条』、クランフィールド『使徒信条講解』、渡辺信夫『古代教会の信仰告白』、磯部理一郎『わたくしたちの「信条集」』にある。

ニカイア信条

ニカイア信条のギリシャ語本文は、関川泰寛『ニカイア信条講解』、渡辺信夫『古代教会の信仰告白』、磯部理一郎『わたくしたちの「信条集」』にある。関川のギリシャ語本文は、Bindley, "The Oecumenical Documents of The Faith," 1980, p.64に拠ったとのこと。

その他の古代教会信条の本文

渡辺信夫『古代教会の信仰告白』と磯部理一郎『わたくしたちの「信条集」』にある。

改革教会の諸信仰告白

W. Niesel hrsg., "Die Bekenntnisschriften und Kirchenordnungen der nach Gottes Wort reformierten Kirche," 1938, München, (現在はTheologischen Buchhandlung, Zürich, 1985)
本の題を訳せば『神の言葉によって改革された教会の諸信仰告白・諸教会規則』。ジュネーヴ教会信仰問答(フランス語)、ジュネーヴ教会規則(フランス語)、フランス信条(フランス語)、スコットランド信条(古い英語とラテン語の対)、ベルギー信条(ラテン語)、ハイデルベルク信仰問答を含むプァルツ教会規定(ドイツ語)、第二スイス信条(ラテン語)、バルメン宣言(ドイツ語)などあり。。

その他の情報

"Die Bekenntnisschriften der Evangelisch = Lutherischen Kirch," Hrsg. im Gedenkjahr der Augsburgischen Konfession, Vandenhoeck unt Ruprecht, Göttingen, 1930(19798).は、日本語版「一致信条書」の底本。ラテン語ドイツ語対照。各古代教会信条の本文あり。

5.3 信条の日本語訳

呼び名、表記について

プロテスタントではだいたい、「信条」(しんじょう)という。
日本福音ルーテル教会、日本ルーテル教団では、現在、「信条」を用いている。(『ルーテル教会式文』2001年第2版)
聖公会では、「信経」(しんきょう)という。
カトリックでは、「信経」(しんきょう)というが、2004年2月18日に出された、従来の文語に代わる口語訳では「使徒信条」、「ニケア・コンスタンチノープル信条」という表記になった。
正教会では、信経を「しんけい」と読む。(日本ハリストス正教会に確認した)

使徒信条

日本基督教会の1890年の信仰告白の後半。
東京基督教研究所訳(『基本信条』、新教出版社、1946)。
日本基督教団の信仰告白の後半。正式なものは、『日本基督教団 教憲教規および諸規則』を見る。1954.10.26に日本基督教団信仰告白制定。1967.7.6にふりがな確定。『讃美歌21』の93-4-1-Aは、これと同一だが、厳密には1か所だけ「処女」のふりがなが「をとめ」ではなく「おとめ」になっている相違がある。
日本基督教団信仰告白の使徒信条で、仮名遣いを改めた(たとえば「よみがへり」→「よみがえり」)ものが、『讃美歌』(日本基督教団出版局)の566番。ただし、「天に昇り」の「昇り」がひらがな。「坐したまへり」の漢字が「座したまえり」。
『聖歌』(日本福音連盟、1958)の表紙の裏に書かれているもの。『新聖歌』の中に含まれているものと同一だろうか?
永井春子『青少年のためのキリスト教教理』(日本基督教会教育委員会、1973)のp.260にあるのは、日本基督教団のと表記がかなり違う。「創造主」と書いて「つくりぬし」とふりがなが振ってあるなど。朗読したときに言葉が違う箇所は、「やどり」→「みごもられ」、「よみがへり」→「復活し」、「天に昇り」→「天にのぼりて」、「坐したまへり、」→「座し給う。」、「死ねる者」→「死にたる者」、「身体(からだ)のよみがへり」→「体(からだ)の復活」、「永遠(とこしえ)の生命(いのち)」→「永遠(えいえん)の生命(せいめい)」の7箇所。
『讃美歌21』の93-4-1-Bは、口語訳。
カトリックの「使徒信経」(しとしんきょう)は、こちら(「カトリック教会の祈りとしらべ」の中のページ)
カトリックの「使徒信条」の新訳(2004年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)
聖公会の「使徒信経」(しとしんきょう)は、その1(主の祈り、ニケア信経、アタナシオ信経もあり、フランス語、英語あり)、その2(ニケヤ信経もあり)など。

ニカイア・コンスタンティノポリス信条

「ニケヤ」か「ニケア」か「ニカイヤ」か「ニカイア」かについては、「ニカイア」がギリシャ語の読みに近い表記だとのこと(関川泰寛『ニカイア信条講解』、p.187)。ギリシャ語Νικαια、ラテン語Nicaea。

325年ニカイア信条を単に「ニカイア信条」と言う時には、後のものを「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」と言う。これを「ニカイア信条」と言う時には、325年のものを「原ニカイア信条」と言う。

(旧)日本基督教会のニカヤ信条。
東京基督教研究所訳(1946)。
キリスト教古典叢書刊行委員会訳(『信條集』、1955)。
磯部理一郎訳(『わたくしたちの「信条集」』、1994)。
関川泰寛訳(『ニカイア信条講解』、1995)。
渡辺信夫訳(『古代教会の信仰告白』、2002)。
日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所訳
『讃美歌21』の93-4-2は、日本キリスト教協議会共同訳。口語。
ルーテル教会
信条集専門委員会訳(『ルーテル教会信条集《一致信条書》』、1982)(訳稿第一稿は徳善義和)。
日本福音ルーテル教会・日本ルーテル教団共同式文委員会監修、『ルーテル教会式文(礼拝と諸式)』、2001第2版の中の「ニケヤ信条」
聖公会
聖公会の祈祷書の中のニケヤ信経。
カトリック
『ともにささげるミサ――ミサ式次第会衆用』(オリエンス宗教研究所、1990)。
「ニケア・コンスタンチノープル信条」の新訳(2004年2月18日 日本カトリック司教協議会認可)
東方正教会
日本ハリストス正教会での表記は、「二ケア・コンスタンチノープル信経」(しんけい)(日本ハリストス正教会に確認済)。東方正教会の「基本信条」にあり。

5.4 宗教改革期とそれ以降の主要な信仰告白の日本語訳

宗教改革期とそれ以降のプロテスタントの主な信仰告白は、信仰告白一覧のページにまとめてある。ここではその中でも特に重要なものを取りあげる。

アウグスブルク信仰告白(メランヒトン、1530)

「6月25日帝国議会でドイツ語本文が朗読され、ラテン語本文とともに皇帝に手渡された。その後・・・メランヒトンが再構成したドイツ語とラテン語との本文が、通常「標準本文」として確認されている。」(徳善義和『宗教改革著作集14』の解題、p.625)

岸千年訳 (『信條集 前篇』、新教出版社、1955所収)。
石居正己訳 (『アウグスブルク信仰告白』、聖文舎、1979(新書サイズ))。
徳善による解説が付いた『アウグスブルク信仰告白とその解説』(聖文舎、1979)もあるらしい。解説だけの『アウグスブルク信仰告白の解説』(聖文舎、1979)もあるらしい。
信条集専門委員会訳 (『ルーテル教会信条集《一致信条書》』、聖文舎、1982所収)。
訳稿の第一稿は石居正己。
徳善義和訳 (『宗教改革著作集 第十四巻 信仰告白・信仰問答』、教文館、1994所収)。
ドイツ語本文からの訳。

「第7条 教会について」は改革教会においてもしばしば言及される。「〔アウグスブルク信仰告白の〕教会論はいわゆる教会の本質(esse)の定義をしているのではなくて、機能(function)を規定している」。(徳善義和東神大パンフ19『シンポジウム 教会論』での徳善義和の発題、p.50)

「唯一の聖なる教会は永遠に存続するという訳が従来多くありました。私〔徳善〕はそれを「あらゆる時に存在し、存続し続けるものである」というふうに今回訳しました・・・alle Zeit というのがドイツ語・・・ラテン語では perpetua ・・・これは決して永遠にということではないのです」。 (徳善義和東神大パンフ19『シンポジウム 教会論』での徳善義和の発題、p.57)

『一致信条書』のあとがきによると、ルター派の諸信条・信仰告白の翻訳の歴史については、徳善義和「日本におけるルーテル教会諸信条の翻訳とその受容」(日本ルーテル神学大学『神学雑誌』]U、1979、pp.28-41)にまとめられているらしい。

第二スイス(ハインリヒ・ブリンガー、1566)

本文はラテン語だが、ブリンガー自身によるドイツ語も同時に印刷されたという。一般に「第二スイス信仰告白」(Confessio Helvetica posterior)と言うが、正式には "Confessio et expositio simplex orthodoxae fidei" 。

『信條集 後篇』、新教出版社、所収。
渡辺信夫訳 (『宗教改革著作集 第十四巻 信仰告白・信仰問答』、教文館、1994所収。

第二スイス信仰告白の第1章の部分の加藤常昭による抄訳がある。加藤常昭『説教論』(日本基督教団出版局、1993)、pp.290-293。同じものが加藤常昭『説教者を問う』(キリスト新聞社、2004)、pp.52-55にある。

特徴は、1.ハイデルベルク信仰問答についで、世界の改革長老教会で最も広く採択された。2.教理を体系化しているが、弾力性に富んで固定化の方向を取らず、穏健でありつつ妥協的でない。3.改革教会の信仰告白の中で最も長いものの一つ。4.他の信仰告白に比べて、教会論、組織、礼拝、職制など実際的な内容が多く述べられている。5.「ダマススの信条」を巻頭に掲げることで古代教会との連続性が強調されている。6.聖書の引照と教父の引用が豊富である。 (永井修「第二スイス信条をめぐり」(『宣教』No.478、1993.5)、永井修『改革教会信仰告白要覧』、渡辺信夫の『宗教改革著作集14』の解題、水垣渉「『第二スイス信仰告白』の構成と内容について――信条史の視点からの序論的考察」(『改革派神学』25、1997)、ヤコプス『改革主義信条の神学』などによる)

「神の言葉の説教が、神の言葉である」が有名。

ちなみに、「第一スイス信仰告白」は、1536年の「第二バーゼル信仰告白」のことを言う。

ウェストミンスター信仰告白(1967)

日本基督改革派教会大会出版委員会訳、『ウエストミンスター信仰基準』(新教新書240)、新教出版社、1994。
これまで別々だったウエストミンスターの信仰告白、大教理問答、小教理問答を一冊に収録。
Webで全文が公開されている。「ウェストミンスター信仰基準」のサイト。
松谷好明訳、『改訂版 ウェストミンスター信仰規準』、一麦出版社、2004、345頁、2200円。
2002年初版の改訂版。信仰告白、大教理問答、小教理問答を収める。この訳では「基準」ではなく「規準」である。訳者はウェストミンスター神学者会議研究の第一人者。本文批評を踏まえ、より原文に即しかつ読みやすく分かりやすく訳された。証拠聖句も従来の誤りができる限り訂正された。ウェストミンスター信仰告白の和訳としては、これが現在のところ最良。ただし、活字が明朝体ではないため読みにくいのは残念。
村川満、袴田康裕訳、『ウェストミンスター信仰告白』、一麦出版社、2007、228頁、1680円。
1946年に出版された、ウェストミンスター会議の副議長を務めたコーネリアス・バージェスの筆写による全文を底本とした訳。

5.5 初代教会の信仰告白について

原始教会における信仰告白

平野保、『新約聖書における信仰告白』、東神大パンフレット25、東京神学大学出版委員会、1986初版2000第2版、52頁。
オスカー・クルマン(由木康 訳)、『原始教会の信仰告白』、聖書学叢書4、新教出版社、1957初版1961再版(1943初版1948第2版)、85頁。
古代教会での信条の成立事情を記す名著。
C.H.ドッド(平井清訳)、『使徒的宣教とその展開』、新教新書68、新教出版社、1962、136頁。

古代教会における基本信条の成立

渡辺信夫、『古代教会の信仰告白』、新教出版社、2002、372頁、5400円。
神学校での講義をもとにした、五つの基本信条の成立の過程と本文釈義。必携か。しかし、教理の解説でも教義学的議論でもなくて「釈義」なのである。巻末の文献紹介は、基本的な洋書が充実。ただし、邦訳があっても言及されていないことが多い。信条は洗礼のリタージーであるのに対し、信仰の規範(regula fidei)は異端を排除するものであると明確に区別して説明するのが特徴的(p.53)。しかし、そんなに明確に切り分けられるのか?「信仰告白への関心とは、論じることではなく、懸命にかついさぎよく主に仕え、教会に仕えて生きることであろう」(あとがきより)。なんとこの本は「教会と信仰告白」の三部作の第1巻だという。2003年で80歳になる著者があと2巻書くつもりでいるというのもまたすごい。
F.ヤング(木寺廉太訳)、『ニカイア信条・使徒信条入門』、教文館、2009、226頁、1680円。
原題は"The Making of the Creeds"。「入門」とあるが信条の形成を論じたもの。ニカイア信条の信仰箇条に沿って、神論、キリスト論、聖霊論、教会論など、キリスト教教理の形成と発展を概説。
N. N. D. ケリー(服部修訳)、『初期キリスト教信条史』、一麦出版社、2012、448頁、7140円。
原題は"Early Christian Creeds"。第3版(1972年)からの翻訳。原著は19501、19602。信条の起源と発展を記した重要文献。

ニカイア信条

関川泰寛、『ニカイア信条講解――キリスト教の精髄』、教文館、19951、19994、221頁、2500円。
第1,2,5章が信条について学べる。3章はニカイア信条の成立事情、4章は、ニカイア信条の講解。語り方は信徒向けだが、内容は神学的。
加藤常昭、『ニケア信条・バルメン宣言・わたしたちの信仰告白』(加藤常昭説教全集29)、教文館、2006、4305円。
ニケア信条の全11回の講話。以前の説教集には入っていなかったもの。
WCC信仰職制委員会編(日本聖書神学校歴史神学ゼミ訳、笠原義久監訳)、『エキュメニカルな信仰告白に向けて――今日のためのニカイア信条解説』(日本聖書神学校 神学叢書2)、日本聖書神学校、2007(1991)、309頁、2500円。
小高毅、『クレド<わたしは信じます>――キリスト教の信仰告白』、教友社、2010、368頁、2940円。
第一部では、ニケア・コンスタンチノープル信条と使徒信条、ニケア信条の違いや成立までの経緯などを詳述。第二部では、ニケア・コンスタンチノープル信条の文言を教理史上の展開を解説しながら、その現代的意義をわかりやすく語る。とのこと。

洋書では、J.N.D.Kelly, "Early Christian Creeds," Longmans (London), 19763が「最も優れており、今日の標準書である」(渡辺信夫『古代教会の信仰告白』p.333)。

ニカイア信条のフィリオクエ問題は、ルーカス・フィッシャー編『神の霊 キリストの霊――「フィリオクェ」論争についてのエキュメニカルな省察』(一麦出版社、1998(1981)、300頁、4800円)。これは、WCC信仰職制委員会の1978-79年の研究部会の成果。「第T部メモランダム」が研究会の結論として重要。その他11論文。巻末に用語対照表と年表。これに対する評価として、関川泰寛、「三位一体における聖霊」(『神学』45号、東京神学大学神学会、1984年)と、関川泰寛、「聖霊の発出論の現代的展開」(『東北学院大学キリスト教研究所紀要』、第2号、1984年)がある。他に、熊野義孝「『父と子とより』――qui ex Patre Filioque procedit」(『熊野義孝全集 第5巻』所収、初出は酒枝義旗、山本和編『キリスト論の研究――小田切信夫博士への献呈論文集』、創文社、1968)。

5.6 総論(的なもの)

熊野義孝、「教会と信条」(『熊野義孝全集5 終末論・キリスト論・教会論』、新教出版社、1979)。
「キリスト教概論」(『熊野義孝全集6 キリスト教本質論』、新教出版社、1978)の第十章「信仰告白」と合わせて読んでおきたい。
全国連合長老会編、『信仰告白』(教会双書、3)、全国連合長老会出版委員会、1984、89頁、900円。
「信仰告白」(上良康)、「基本信条」(永井修)、「福音的諸信条」(出村彰)は、よくまとめられた解説。あとは、1890と1954それぞれの信仰告白の解説。
高松牧人、『現代の教会と信仰告白』(大森講座8)、日本基督教会大森教会(新教出版社発売)、1993、92頁。
「序言」では、ヘッセリンクの著作(後に廣瀬久允訳『改革派とは何か』として教文館から発行)の第2章を紹介。その後「信仰告白と何か」、「信仰告白の形成」、「現代の教会と信仰告白」の3章。付録に「PC(USA)の「簡潔な信仰の宣言」(1990)の訳。
関川泰寛、『ニカイヤ信条講解――キリスト教の精髄』、教文館、19951、19994、221頁、2500円。
第1,2,5章が信条について学べる。
カール・バルト、『創造論W/1』(教会教義学第3巻第4分冊第1部)、新教出版社。
第53節「神の前での自由」の中で、信仰告白について語っている。

そのほか、東京神学大学神学会編『神学』44号(教文館、1982)は信仰告白の特集。近藤勝彦『教会とその生活を学ぶ』(日本伝道出版、1999)の中の「第三章 教会はなぜ使徒信条を告白するか」。

5.7 改革教会の信仰告白に関する解説や論述

諸信仰告白の紹介や解説

P.ヤコプス(池永倫明訳)、『改革主義信条の神学』(教会と宣教双書、10)、新教出版社、1981(1959)、216頁。
第1部の信条の総論は信条の意義や位置づけが記されており、重要。第2部は主な信仰告白の特徴(ジュネーヴ信仰問答、チューリッヒ、フランス、スコットランド、ベルギー、第二スイス、ハイデルベルク信仰問答)、第3部は神学的基本線を12のテーマ(選び、神の御言葉、教会秩序、終末など)で解説。
ヤン・ロールス(芳賀力訳)、『改革教会信仰告白の神学――その教義学的特質』、一麦出版社、2000、543頁、6000円。
高い! 信条の成立の背景と教義としての特徴など。
永井修(全国連合長老会編)、『改革教会信仰告白要覧』、全国連合長老会出版委員会、1999、203頁、1800円。
全国連合長老会『宣教』に1980年代に連載された記事70回分をまとめたもの。「信仰告白とは何か」、「信仰告白の用法」から始まって、ツヴィングリの67箇条からバルメン宣言までほとんど知られていないものも含めて総解説。永井修は、1926.11.8-2008.6.24。

ハイデルベルク信仰問答について

「ハイデルベルク信仰問答」の成立について簡潔には、各和訳書の巻末などを見る。

L.D.ビエルマ編(吉田隆訳)、『『ハイデルベルク信仰問答』入門――資料・歴史・神学』、教文館、2013、320頁、3200円+税。本格的研究書。著者はビエルマの他、C.D.ガノーJr.、K.Y.マーグ、P.W.フィールズ。

楠原博行、『キリスト者は何を信じているのか――ハイデルベルク信仰問答入門』(大森講座28)、新教出版社、2014、120頁、1000円+税。。

そのほか、E.J.マッセリンク(伊藤真也訳)『宗教改革のあゆみ――「ハイデルベルク信仰問答」の成立』(すぐ書房、1977)という本がある。

『神学と牧会』第6号(1987.10)のpp.25-30に、高崎毅、伊藤勝啓「ハイデルベルク教理問答・文献表(抄)」がある。

ウェストミンスター神学者会議について

ウェストミンスター神学者会議関連は、松谷好明による3部作がある。『ウェストミンスター神学者会議の成立』(1992自費出版、1997〜一麦出版社)の「はじめに」では『キリスト教大事典』の「ウェストミンスター会議」の項や『信條集 後篇』の解説、『新キリスト教辞典』の「ウェストミンスター信仰規準」の項の不正確さを指摘していて興味深い。ここだけでも読んでおく。松谷好明編・注『ウェストミンスター神学者会議議事録<抄>――ピューリタニズムと市民革命の接点』(一麦出版社、1996、374頁、12360円)、『ウェストミンスター神学者会議――その構造化』(一麦出版社、2000、574頁、6400円)。

A.ヘロン編(松谷好明訳)、『ウェストミンスター信仰告白と今日における教会』、すぐ書房、1989。は、アレグザンダー・チェインによる第二章「過去三世紀、ウェストミンスター信仰告白は教会においていかなる位置を占めてきたか」がウェストミンスター信仰告白の位置づけをめぐる歴史でおもしろい。他に、J.H.リース(今井献訳)『改革派神学の光と影――ウェストミンスター信仰基準の成立』(新教出版社、1997、176頁、1700円)。

入門書として、最近のものに、ウィリアム・ベヴァリッジ(袴田康裕訳)『ウェストミンスター神学者会議の歴史』(一麦出版社、2005、160頁、2310円)。

袴田康裕、『信仰告白と教会――スコットランド教会史におけるウェストミンスター信仰告白』(大森講座27)、新教出版社、2012、114頁、1050円。

ウェストミンスター信仰告白の講解

トム・ウィルキンソン(松谷好明訳)、『現代に生きる信徒のためのウェストミンスター信仰告白<註解>』(上・下)、一麦出版社、上:2003、298頁、2000円、下:2004、319頁、2400円。
原著は19921、20022。「訳者あとがき」によれば、これはウェストミンスター信仰告白の講解として現在のところ最も優れている(下巻「訳者あとがき」p.312)。確かにその通りで、ウェストミンスター信仰告白の立場に立たなくても、信仰と教理の理解のために役に立つなかなかの良書。ウェストミンスター信仰告白の内容を文字通り受け取る頑迷な立場ではなく、「生き生きとした暖かな福音主義信仰に溢れている」(下巻p.313)。たとえば、ローマ・カトリック教会を一方的に批判するのではなく、かといって安易に妥協するのでもなく、教会の頭であるキリストの主権に目を向けている(下巻p.185f)。信仰告白の訳文は、先に出た松谷好明『ウェストミンスター信仰規準』(一麦出版社、2002、344頁、2200円)の訳をさらに改良している。

その他、これまでにあったウェストミンスター信仰告白の解説 : 矢内昭二『ウェストミンスター信仰告白講解――わたしたちの信仰告白』(新教新書148、後に255、1969)は教師と学習者との問答形式で、「広く教会史、組織神学史のコンテキストにおいて、しかも現代の教会の観点から論じて」いるとのこと。岡田稔『解説 ウェストミンスター信仰告白』(つのぶえ社、1976)は、「ウェストミンスター信仰告白そのものの解説というより、ウェストミンスターを素材に旧プリンストン神学の骨組を説明し、現代的に論じるもの」とのこと。 松谷好明「ウェストミンスター信仰告白の歴史的、教理的注解序説(その1)」(『聖学院大学総合研究所紀要』No.26、2002年号だが発行は2003)

その他

磯部理一郎『わたくしたちの「信条集」』(ナザレ企画、1994)の解説。

ニーゼル(登家勝也訳)『イエス・キリストとの交わり』(改革社、1983)の中に、「今日における改革主義の信仰告白」、「改革主義諸教会における信仰告白の意義と役割り」がある。

アウグスブルク信仰告白の解説に、石原正己訳、徳善義和解説『アウグスブルク信仰告白とその解説』(新書、聖文舎、1979)がある。たぶん、石居正己訳『アウグスブルク信仰告白』(聖文舎、1979)に解説を付け加えた形。

ヴィルヘルム・ニーゼル『福音と諸教会 ――信条学教本』(渡辺信夫訳、改革社、1978)は、信条を扱った書物ではなく、キリスト教各派の教理の概説。Symbolicsとは、「信条そのものよりも信条によって表されているその教会の信仰的特性についての叙述」である(渡辺信夫『古代教会の信仰告白』、p.331-332)。

井上良作「『第二スイス信仰告白』の聖餐論――16世紀福音主義教会信仰告白の比較研究」 (『紀要』4号、東京神学大学総合研究所、2001)。
研究の視点と結論は、注目に値する。16世紀の改革派教会の聖餐理解は、ローマ・カトリックやルター派との対話と一致を求めるべき今日にもなお有効であるのか? そのために、教会の公の信仰告白の中で、16世紀の改革派教会の代表的な信仰告白で今日も広く受け継がれている「第二スイス信仰告白」を取り上げる。また、カトリックやルター派との神学的理解の相違の中心である聖餐論に着目する。
「第二スイス信仰告白」は、「その聖餐論に関する限り、改革派教会全体の見解を代表するものであることはできない。第二スイス信仰告白の聖餐理解には、宗教改革期の熱狂主義に通ずる側面もあることを否定することができず、カルヴァンの聖餐理解との相違も認められる。そして、20世紀以降の、ルター派、ローマ・カトリックとのエキュメニカルな対話と一致を考える場合、聖餐理解が元来の教会分裂の分岐点であった以上、第二スイス信仰告白はその目的に相応しいものと言うことはできない。」 (p.131)

5.8 日本基督教団信仰告白の講解

成立の経緯については全国連合長老会編『信仰告白』(教会双書3)にある(椿、森田)。

「改革派教会の特色は、教会が今生きるその時代に、その場所で、自分の言葉で、教会の信仰を言い表すところにあります。・・・日本基督教団の信仰告白も、そのような伝統があるからこそ生まれたのです。」加藤常昭、『雪ノ下カテキズム』教文館、1990、p.1。

割と役立つもの

宮崎明治、『我らは信ず 日本基督教団信仰告白解説』(アルパ新書、12)、日本基督教団出版局、1966初版1980第4版、186頁。
受洗前後の方向けに書かれた平易な解説。
近藤勝彦、『わたしたちの信仰――日本基督教団信仰告白解説』(鳥居坂教会文庫7)、1992、141頁、600円。
「われらは信じかつ告白す」は説教。その後、義認と成果の条項までは講演。教会の条項は説教。伝道出版のものよりページは多く費やしている。
近藤勝彦、『「日本基督教団信仰告白」を学ぶ』、日本伝道出版、1996、120頁、900円。
使徒信条の前までの簡易な解説。ふたつの講演録、「信仰告白はなぜ重要か」、「日本基督教団信仰告白の神髄」もついている。鳥居坂教会文庫7が元になっている模様だが、だいぶ内容は異なるので両方見ておきたい。2007年に再版。
加藤常昭、『ニケア信条・バルメン宣言・わたしたちの信仰告白』(加藤常昭説教全集29)、教文館、2006、556頁、4305円。
教団信仰告白の前文と「日本基督教会信仰の告白」の前文とを合わせて学ぶ。

参考程度に見てみるもの

北森嘉蔵、『日本基督教団信仰告白 解説』、日本基督教団出版部、1968増補改訂版、85頁。
初版は1955年。つまり、日本基督教団の信仰告白が制定された翌年に発行された、最初の解説書。北森は当時の信仰告白制定委員の一人。1968増補改訂版は、「内容にかかわるものではなく引用聖句を口語訳になおしたこと、かなづかいその他の文章上の改訂にとどめた」(「改訂版へのあとがき」p.82)とのこと。であればなぜ「増補」なんだ?9章からなる。随所で、草案や教団総会議案・報告書を引いて各条項の趣旨を示しているのが興味深い。
内容としては、決して平板ではないが、僅かな記述しかなされていない箇所も多いし、かなり独自の解説もあるので、これをベースに学ぶことは勧められない。
桑田秀延、「日本基督教団信仰告白――私の自由な解説」(『桑田秀延全集6』、キリスト新聞社、1975、4600円)307-385頁。
「序説」で信仰告白とは何かについて語る。元は、日本基督教団出版局、1970年発行。それには、第二部として「神学の使命はなにか」(全集第4巻所収)「牧師鈴木正久の死と告白」(全集第3巻所収)「私の歩んできた時代の教会と神学」(東京神学大学での最終講義。全集には収録されていないみたい。「神学とともに50年」(第5巻)があるからね。)の3編が付いている。
倉松功、『キリスト教信仰概説――「日本基督教団信仰告白」解説』、聖学院大学出版会、1993、134頁。
大学生の教科書向けに書かれたようだが、使いやすくはない。日本基督教団の信仰告白の解説と、付録に「聖書と宗教改革」「ルターの聖書の読み方」を掲載。特色は、三位一体まで解説した後、使徒信条を解説し、それから「御子は我ら罪人の救いのために人となり」に戻る。また、アウグスティヌスやルター、カルヴァンなどを頻繁に取り上げている。聖書箇所の引照も多い。
河合裕志、『わたしたちの信仰――日本基督教団信仰告白による』、キリスト新聞社、2007、126頁、1000円。
「教団を愛す」と「教団信仰告白の制定」から始まり、教団信仰告白を38項目で解説(内、使徒信条の部分は21項目)。さらに「付録・信仰生活」として、祈り、献金、苦難の意味、摂理、愛敵、自殺など15項目。全ての項目が見開き2頁に納められている。